ふたりのベロニカ(フランス、ポーランド映画・1991年) |
<テアトル梅田>
2006年5月3日鑑賞
2006年5月5日記
はじめて観たポーランドのキェシロフスキ監督の作品がコレ。1991年のカンヌ国際映画祭で見事主演女優賞を射止めたイレーヌ・ジャコブは、キェシロフスキ監督の「最後のミューズ」と呼ばれるにふさわしく、みずみずしい魅力がいっぱい。同じ年、同じ日、同じ時刻に生まれたポーランドのベロニカとフランスのベロニカが織りなす悲しい「運命」と「偶然」の物語に、あなたもハマっていくこと必至・・・。神秘的なストーリーを、美しい音楽とともにしっかりと集中して楽しみたいものだ。
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監督・脚本:クシシュトフ・キェシロフスキ
ポーランドのベロニカ(声楽家)/イレーヌ・ジャコブ
叔母/ハリナ・グリグラシェフスカ
父/ヴワディスワフ・コヴァルスキ
女教師/カリナ・イェンドルシク
指揮者(ポーランド人)/アレクサンデル・バルディーニ
フランスのベロニカ(音楽教師)/イレーヌ・ジャコブ
アンテク(ベロニカの恋人)/イェジ・グデイコ
父/クロード・デュヌトン
アレクサンドル・ファブリ(人形使い、童話作家)/フィリップ・ヴォルテール
カトリーヌ(友人)/サンドリーヌ・デュマ
教授/ルイ・デュクルー
ビターズ・エンド配給・1991年・フランス、ポーランド映画・92分
<企画が勝負!>
1人2役の映画はたくさんあるが、この映画の1人2役は全く意味が違うもので、いかにも「運命」と「偶然」を生涯のテーマとしたキェシロフスキ監督が好みそうな企画。1991年に公開されたこの『ふたりのベロニカ』は、キェシロフスキ監督がはじめてフランスとの合作でつくったものだが、ポーランド生まれでポーランド人のベロニカとフランス生まれでフランス人のベロニカの2人が、同時に存在しているという設定だから、フランスとの合作映画となったのは当然。
同じ年、同じ日、同じ時刻に生まれたこのふたりのベロニカは、容姿も同じでともに音楽的才能に恵まれているうえ、何と同じような心臓疾患をもっているところまで同じ。でもそれは、映画の観客は知っていても、当の本人たちは知る由もないこと。そんな2人だが、なぜかともに霊感として感じるものがあったよう・・・?
こんな、出会うはずのない2人がもし出会うとすれば、それは運命、それとも偶然・・・?映画は企画が勝負だということを、あらためて痛感!
<キェシロフスキ監督作品をはじめて鑑賞>
昨日5月2日に観た『美しき運命の傷痕』(05年)はキェシロフスキ監督作品ではなく、キェシロフスキ監督の遺稿となった「天国」「地獄」「煉獄」の三部作のうち、「地獄」をタノヴィッチ監督が映画化したもの。したがって、私にとってキェシロフスキ監督映画を観るのは、1991年に上映され、今般ニュープリントでスクリーンに甦ったこの『ふたりのベロニカ』がはじめて。キェシロフスキ監督の生涯をかけたテーマである「運命」「偶然」は、2人のベロニカをめぐってどのように展開され、どのように描かれているのだろうか・・・?
<ポーランドのベロニカの歌声は・・・?>
映画の前半30分は、ポーランドのベロニカ(イレーヌ・ジャコブ)が主役。彼女が優しい父親(ヴワディスワフ・コヴァルスキ)に対して語る、どこかにいる誰かを感じるという話は神がかり的としか言いようがないが、父親は娘の話に優しく耳を傾けている。また、若いベロニカの奔放な「性の冒険」の話を優しく受け止めるのは叔母さん(ハリナ・グリグラシェフスカ)。
他方、ピアノ科の学生であったベロニカの変わった歌声に惹かれた女教師(カリナ・イェンドルシク)の推薦によって、ベロニカは声楽家として認められ、指揮者(アレクサンデル・バルディーニ)がオーケストラを指揮する舞台で歌うチャンスを得ることに・・・。
<舞台でベロニカは・・・?>
1980年代、キェシロフスキ監督が生まれたポーランドの現代史は共産党支配に対する改革闘争の歴史だから、デモは日常茶飯事のこと。ある日、楽譜を抱えてまちを歩くベロニカは、デモ隊の流れと逆行していたためある男と衝突し、楽譜が地面の上に散らばってしまった。一生懸命それを拾うベロニカだったが、そんな時、バスの中からカメラをもってデモ隊の様子を撮影している若い女性の姿が目の中に・・・。それはまるで自分の顔と瓜二つの女性。彼女は一体誰・・・?ひょっとして、彼女こそが、時々感じる誰かなの・・・?そんな思いで立ち尽くすベロニカだったが・・・。
こんな物語が展開された後、舞台でヴァン・デン・ブーデンマイヤーの曲を独唱しているベロニカを襲ったのが激しい胸の痛み。それまでも時々自覚していた症状だったが、舞台で倒れ込んでしまったベロニカは、そのまま息絶えることに・・・。
<フランスのベロニカは音楽教師>
他方、フランスのベロニカが、ポーランドに旅行中に偶然出会ったのが、アンテク(イェジ・グデイコ)。この2人の仲は微妙だが、日本人女性と違って(?)、フランスの女性はセックスに関しては積極的・・・?
また、フランスのベロニカにも優しく話を聞いてくれる父親(クロード・デュヌトン)がいたし、友人のカトリーヌ(サンドリーヌ・デュマ)もいた。ベロニカの目の前には、カトリーヌをめぐる、今風で言うセクハラ訴訟が脇道の話(?)として提示される。性的自由度の高いフランス(?)では、この程度のことは日常茶飯事ではないかと思うのだが、ベロニカはカトリーヌの味方として法廷で証言すると約束。こんな物語に絡んでくるのが教授(ルイ・デュクルー)たちだが、さてその顛末は・・・?
<キーパーソンは人形使いの男・・・>
この映画のキーパーソンは、人形使いの男アレクサンドル・ファブリ(フィリップ・ヴォルテール)。ベロニカが彼の人形劇を観賞したのは勤務する学校で子供たちと一緒だったが、なぜか、ベロニカはその人形使いの男に惹かれていった。私がスクリーン上で観る限り、このアレクサンドルはそれほどハンサムとは思えないが、ベロニカにはその人形使いの有り様が、何とも魅力的に思えたよう・・・?このアレクサンドルは、人形使いであると同時に童話作家でもあった。そんな彼が次に目指したものは・・・?
<アレクサンドルの手練手管は・・・?>
ある日、夜中に突然ベロニカの電話が鳴った。しかし、受話器の向こうから声は全く聞こえず、ただ音楽だけが・・・。それは、あの人形劇で流れていた、ベロニカの大好きなヴァン・デン・ブーデンマイヤーの曲だった。
さらにベロニカの実家に1本のテープが配達されてきたが、そこには駅での雑踏の音や構内アナウンスの声だけが・・・。その音と封筒の消印を手がかりにベロニカが駅を訪れると、その構内の喫茶室にはあのアレクサンドルがいた・・・。運命的な出会いに喜んだベロニカだったが、そこでアレクサンドルが語ったのは、童話ではない大人の物語を書くため、彼は今女性心理の勉強のためのテストをしているということ。つまりアレクサンドルは、若い女性に対してどのようなモーションをかければ、どのような対応を示すかという実験をしていたわけだ。それを聞いたベロニカが怒って、直ちに席を立ったのは当然・・・。さて、この2人の仲は、その後どのように展開していくのだろうか・・・?
<二体のベロニカの人形は?>
席を立ったベロニカの後を追いかけたアレクサンドルは、いったんまかれてしまったかのように見えたが、なぜかその直後2人は同じ部屋の中に・・・。そして熱いキスを・・・。
この2人の揺れ動く心理のアヤは、直接映画を観て感じとってもらうしかない・・・?
映画の終盤を迎えて、やっとキェシロフスキ監督は、ポーランドのベロニカとフランスのベロニカの結びつきを示すヒントを見せてくる。それが、アレクサンドルのつくった2体のベロニカの人形。「なぜ2つの人形を?」と質問するベロニカに対するアレクサンドルの答えは、「酷使して壊れるからだ」という、ある意味ありふれた答えだった。しかし、既にもう1人のベロニカの存在を感じとっていたフランスのベロニカにとって、目の前に2つの人形が示されたことは、まさに、もう1人の自分の存在を実感させるもの・・・。さて、この2体のベロニカの人形を通じて語られる真実とは・・・?
<運命の出会いは・・・?>
フランスのベロニカがポーランドのベロニカに「出会った」のは、写真の中・・・。今や完全に恋人状態となっているアレクサンドルに対して、すべての自分を見せてあげると言って、バックの中のものをすべてベッドの上に広げたベロニカだったが、その中にポーランドを旅行した時の写真が・・・。そして、アレクサンドルから「これは君だね」と指摘された写真の中には、自分では全く意識していなかったポーランドのベロニカの顔が・・・。これこそまさに運命の出会い。フランスのベロニカは、その後どんな行動を?そして彼女はこの後どのように生きていくのだろうか・・・?
<主演女優賞は当然!>
この映画の魅力の1つは、「運命」と「偶然」をうまく描いたキェシロフスキ監督の脚本だが、何よりも最大の魅力は、スクリーン上で美しい肢体とみずみずしい演技を見せる2人のベロニカを演じた女優イレーヌ・ジャコブの魅力。「キェシロフスキ作品最後のミューズ」といわれ、「彼女なしではこの映画はつくり得なかった」とキェシロフスキ監督が語った、このイレーヌ・ジャコブの魅力によって、この映画が大ヒットしたことはまちがいない。したがって、このイレーヌ・ジャコブが1991年に、カンヌ国際映画祭で主演女優賞を受賞したのは当然!
<神秘性と難解性は紙一重・・・?>
主演女優のすばらしさは別として、キェシロフスキ監督のこの映画の良さは、一言で言えば神秘性。フランスはもとより、全世界でこの映画が絶賛されたのは、キェシロフスキ監督の「運命」と「偶然」という永遠のテーマを実に神秘的にスクリーン上に表現したことにあることは明らか・・・。しかし、それは別の言い方をすれば、セリフの少ないこともあって、この映画の解釈がきわめて難解だということを意味している。つまり、神秘性と難解性は紙一重ということだ。
この映画に対するネット上の意見を見ても、「定説」のない(?)この映画については、観客によってその解釈が多種多様なことにビックリ・・・。ある皮肉っぽい意見としては、「フランスで絶賛され、世界に絶賛されたこの映画の良さを語るとすれば、それは賢人たるあまたの映画ファンに豊かな批評を与えるだけの、『行間』を多く創ったことではないだろうか」というものまでも・・・。
ところで、フランスのベロニカが最後に訪れた家は、どこの家・・・?
2006(平成18)年5月5日記