サード・パーソン(イギリス映画・2014年) |
<TOHOシネマズ西宮OS>
2014年6月22日鑑賞
2014年6月30日記
パリ、ローマ、ニューヨークという3つの街を舞台とした、3組の男女の物語。そう聞くと、ウディ・アレン監督の『ローマでアモーレ』(13年)を思い出す。しかし、『クラッシュ』(04年)のポール・ハギス監督が脚本も兼ねた本作は、50回も書き直しただけあって、日本の都市計画法制と同じく複雑かつ難解。もっともその分、人によって多種多様な解釈が可能だ。
軸となるのは、パリのホテルを舞台とした作家とその愛人の物語だが、さて3つの物語の関連性は?ひょっとして、ローマとニューヨークの物語はこの作家の妄想にすぎないのかも・・・。さまざまな妄想をたくましくしながら、しっかりと鑑賞したい。
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監督・脚本・制作:ポール・ハギス
マイケル(ピューリッツァー賞受賞作家)/リーアム・ニーソン
アンナ(野心的な作家志望の女性、マイケルの愛人)/オリヴィア・ワイルド
スコット(アメリカ人ビジネスマン)/エイドリアン・ブロディ
モニカ(スコットがローマで出会うロマ族の女性)/モラン・アティアス
ジュリア(リックと息子の親権を争っている元女優)/ミラ・クニス
リック(ジュリアの元夫、有名な現代アーティスト)/ジェームズ・フランコ
テレサ(ジュリアの弁護士)/マリア・ベロ
エレイン(マイケルの別居中の妻)/キム・ベイシンガー
サム(リックの現在の恋人)/ロアン・シャバノル
ジェイク(ホテルのフロントマン)/デヴィッド・ヘアウッド
ジェシー(リックとジュリアの一人息子)/オリヴァー・クラウチ
プレシディオ、東京テアトル配給・2013年・イギリス映画・137分
<3つの街、3組の男女。その関連は?接点は?>
昔、三洋電機のコマーシャルソングで、「さん、さん、さん、さん、長嶋さん」という歌があった。これは1958年に読売巨人軍に入団した長嶋茂雄は3塁手で、背番号が3、打順が3番だったことを強調したもの。長嶋はとにかく何でも3が似合う選手だった。ちなみに、打率3割、ホームラン30本、盗塁30を達成することを「トリプル3」と言うが、それを達成したのは・・・、金本など数人。今年もっとも可能性が高いのはオリックスの糸井・・・?
それはともかく、本作はパリ、ローマ、ニューヨークという3つの街での、3組の男女の営み(恋模様?)が展開されるが、この3組の男女には相互に何の関連もない。
ウディ・アレン監督の『ローマでアモーレ』(12年)は、舞台こそローマ1つだったが、そこで「4つの物語」が同時並行的に進んでいく面白い映画だった(『シネマルーム31』67頁参照)。本作もそれと似たような構成だが、違うのは舞台そのものも3つにまたがっていること。いくら世界は狭くなったとはいえ、パリ、ローマ、ニューヨークは相互に遠いからそこで展開される3組6人の男女の物語が相互に接点を持つはずがないが、さて本作では・・・?
すごく難しい映画だった『クラッシュ』(04年)の脚本を書き監督したポール・ハギスが50回も脚本を書き直したという本作はすごく面白いが、同時に複雑。そして、「え、なんでこんなシーンが?」というものも多い。例えば1枚のメモがパリ、ローマ、ニューヨークに住む3組の男女に回っていくなどということは本来ありえないことだが、なぜかスクリーン上ではそれを正々堂々と見せているから、アレレ・・・。本作の解釈は人それぞれ多様なものになるはずだから、あなたはあなた自身の解釈をしっかりと!
<サード・パーソンとは?>
「サード・パーソン」とは「3番目の人」という意味もあるが、「三人称」という意味もある。マイケル(リーアム・ニーソン)は作家だから、登場人物のキャラクターを練り、ストーリーの構想をまとめていくのが仕事。したがって、普通の人々が書く日記とは違って、そこには彼や彼女という「サード・パーソン」の記述が多いはずだ。また、作家が作り出す物語はすべて虚構だが、そこにはやはり多少なりとも自分の体験が不可欠。昔から坂口安吾、檀一雄、太宰治などの無頼派作家がいるし、4月30日に亡くなった渡辺淳一が「性愛小説」の大家になれたのは、自分自身の数多くの女性遍歴のおかげだ。そう考えると、本作は3つの街で展開される3組の男女の物語とされているが、実は本物はパリにおけるマイケルとアンナ(オリヴィア・ワイルド)との物語だけで、あとの2つはマイケルの小説の中におけるつくりもの・・・?なるほど、そう考えれば、ニューヨークで子供の親権を争っているジュリア(ミラ・クニス)が弁護士のテレサ(マリア・ベロ)から聞いた電話番号をメモした用紙と、パリでマイケルが別居中の妻エレイン(キム・ベイシンガー)から聞いた電話番号をメモした用紙が、なぜか同じ紙の裏表になっていることの不自然さもOK・・・?
本作にはそんなこんなの摩訶不思議なシーンが何度も登場するが、ひょっとしてそれは「サード・パーソン」というキーワードで読み解けばすべて解決できるのかも・・・。
<恋は駆け引き!恋はゲーム!しかして強いのは男?女?>
妻とは別居中で、ホテルのスイートルームにこもって執筆を続けている作家マイケル。他方、その愛人アンナは現在はあるファッション誌の記者だが作家志望で、自分の書いた原稿をマイケルに見てもらおうとしている意欲的な女性だから、その恋の駆け引きが面白い。雑誌記者の分際で、マイケルと同じホテルの別の部屋をとるというのはちょっと生意気だが、それくらいしなければ、ピューリッツァー賞受賞作家に自分の原稿を読んでもらうのはとても無理。そこでアンナが仕掛ける、あの手この手の恋のゲームとは?
この2人の関係を見ていると、男は寡黙な方がいいと思うが、同時にかなり大胆な受け止め方も必要なことがよくわかる。バスローブ姿でドアの前に立つアンナが堂々とバスローブを脱げば、普通の男ならそれだけで「降参!」となるところだが、本作前半に見るマイケルの切り返し方はメチャ面白い。また、後半には力関係(?)がかなり逆転する中、マイケルはアンナの部屋全体を白いバラで埋め尽くすという「奇策」に出るが、さてその成否は?
たいていの女はこれにてイチコロになるものだが、さてそこで見せるアンナの対応は?さらに、その部屋に客室係として、ニューヨークにいるはずのジュリアが入ってくるのはアレレだが、そこに捨ててあった例の電話番号が書かれているメモ用紙をジュリアが見つけると、さてその後の展開は?
やっぱり、パリは恋の街。しかもホテルの中はアバンチュールの可能性がいっぱい。上客にはホテルマンたちの口も固いから、多少羽目をはずしても、男女の恋の展開はOKのはずだ。ローマを舞台として展開される、ある意味で大人の、ある意味で子供っぽい、マイケルとアンナの恋の駆け引き性とゲーム性をしっかり楽しみたい。
<ローマでは怪しげな男女が危険な方向に・・・?>
ローマを舞台にした恋物語といえば、何と言ってもやはり『ローマの休日』(53年)だが、本作にみるローマを舞台とした恋物語は危険がいっぱい。一応スーツを着てビジネスマンらしい格好をしているとはいえ、世界中を旅して回り、ファッションブランドからデザインを盗んでいるアメリカのビジネスマン、スコット(エイドリアン・ブロディ)はどこか怪しげ。イタリアでの旅の終わりに、ぶらりと一人で入ったバー「バール・アメリカーノ」ではたまたま近くのカウンター席に座ったロマ族の女性モニカ(モラン・アティアス)の方をチラリ、チラリと・・・。
その後、モニカが飲んでいた酒の種類や子供の話をネタにして、少しずつ会話が弾み始めると、2人は・・・。この手の「出会い」はどこにでもあるが、店主がロマ族の女性を毛嫌いしたこともあって、モニカは追い出されるように店を出て行ったから、これにてちょっとしたハプニングによる「出会い」のさらなる発展はなし。誰もがそう思ったが、何とモニカがバッグを店に置き忘れていったことを巡って、「それは爆弾だ!」という大騒動が発生。さらに、バッグを取り戻しにきたモニカからバッグの中に入れていた5000ユーロが盗まれているとの猛アピールが出てきたから、さあ大変・・・。
男女の恋の駆け引きにはほどほどの嘘は当然許されるが、この2人の恋の駆け引き(銭の駆け引き?)を見ていると、どこまでがホントで、どこまでが嘘かがサッパリわからなくなってくる。そもそも、モニカに娘がおり、その娘を連れ戻すために5000ユーロが必要なのだ、という話自体が本当?さらに、モニカのために気前よく「5000ユーロあげる」と申し出たスコットの狙いは一体ナニ?ひょっとしてバッグの中に入っていた5000ユーロをスコットが盗んだとしたら、それは一体何のため・・・?
ローマでは、そんな怪しげな男女の恋模様がいかにもスリリングに・・・。
<ニューヨークでは、元女優が最悪の状況に・・・>
ニューヨークの現代アーティストで今は新しい恋人のサム(ロアン・シャバノル)と共に豪華なマンションで暮らしているのが、ジュリアの元夫のリック(ジェームズ・フランコ)。そんなリックと一人息子のジェシー(オリヴァー・クラウチ)の親権争いをしているジュリアは、元女優というだけあって、かつて頻繁に泊っていた高級ホテルの客室係に身をやつしていてもやはり美しい。そんなジュリアと弁護士のテレサとの打ち合わせ風景を見ていると、テレサから精神科医の鑑定を受けることを勧められてもそれに従わないし、大事な約束はすっぽかすし、だから弁護士の目から見るとかなり扱いにくい依頼者だ。テレサの説得を受け入れて、渋々精神科医との面会を承諾したにもかかわらず、テレサからの電話を受けてあわてて精神科医の電話番号をメモしたジュリアは、仕事を終えてポケットの中を探すとメモ用紙が無いことに気付き大慌て。そのおかげで大幅に遅れて到着してしまったため、精神科医はそれだけで「もう鑑定の必要はありません」とピシャリ。さらに弁護士からも見放されてしまったジュリアは絶望のどん底に追いやられたが、そんなジュリアにトイレの中で優しく声をかけたのがサムだからアレレ・・・。さらに、ニューヨークとパリは遠く離れているが、ポール・ハギス監督が描く本作では、結末に向かう中、ジュリアが客室係としてマイケルの部屋に入ったり、アンナの部屋に入ったり、何とも不思議な風景が続出する。すると、やっぱり本作がうたい文句にしている、3つの街、3組の男女の物語というのは、インチキ・・・?
<全編を通じたキーワードwatch meの意味は?>
私はノーベル文学賞を中国人ではじめて受賞した莫言と、私の事務所で親しく対談した経験があるが、ノーベル文学賞作家の言葉には印象に残るものが多かった(もちろん、通訳を介してだが)。しかして、本作に最も頻繁に登場するマイケルもピューリッツァー賞を受賞した小説家だから、同じように印象に残る言葉が多い。その一つが、マイケルは「自分の物語」を「彼の物語」を通じてしか語ることができないということだが、それって小説家なら当然ではないの?さらに、本作では「watch me」というキーワードが再三登場する。これは一般的に女が男と2人でいる時、思わず男に語りかける魅惑的な言葉(?)だが、いつもパソコンに向かってキーボードをたたいているマイケルに対して、そんな言葉を投げかけるのは一体ダレ?
運動選手に旬の時期があるのと同じように、作家だって旬の時期がある。しかして、編集者の言葉によると、マイケルはもう旬の時期は過ぎているらしい。編集者はマイケルに対して、「君の処女作はすごかった。残酷で生々しく、情も恥もなかった。ゲラを読むだけで汗の出る傑作だった」と、何とも残酷な言葉を投げつけたが、アンナとふぬけのようなホテル暮らしをしているマイケルに、それに対する反発力はあるの?本作のラストに向けては、そんな興味を軸として、3つのそれぞれの物語が終束していく(?)ので、それに注目したい。
ちなみに、本作については「映画のプロたちの解説」「映画を観たみなさまの声」等々のネット上に面白い記事がたくさん載っているので、是非それらも参考に、じっくりと鑑賞してもらいたい。
2014(平成26)年6月30日記