めぐり逢わせのお弁当(インド、フランス、ドイツ映画・2013年) |
<GAGA試写室>
2014年7月9日鑑賞
2014年7月11日記
ボリウッド映画といえば、ド派手な歌と踊り。それが定番だが、ヨーロッパで大ヒットを記録し、インド映画の歴史を書き換えた珠玉の物語は、歌もなし、踊りもなし!そのテーマは600万分の1の確率で誤配達された弁当がとりもつ、男と女の心の交流だ。
弁当配達のシステムにビックリ!4段重ねの弁当にビックリだが、なぜ神サマはこんな面白い仕掛けをするの?
メールとスマホが全盛の今、弁当箱の中の手紙がこれほど人間に影響を及ぼすとは!本作を契機として文通の価値を再認識し、あちこちに活用したいものだ。
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監督・脚本:リテーシュ・バトラ
サージャン・フェルナンデス(早期退職を控えた保険会社の会計係の中年男)/イルファーン・カーン
イラ(主婦)/ニムラト・カウル
アスラム・シャイク(サージャンの後任)/ナワーズッディーン・シッディーキー
ミスター・シュロフ/デンジル・スミス
デシュパンデー夫人/バーラティー・アーチュレーカル
イラの夫/ナクル・ヴァイド
ヤシュヴィ/ヤシュヴィ・プニート・ナーガル
イラの母/リレット・デュベイ
ロングライド配給・2013年・インド、フランス、ドイツ映画・105分
<インド映画なのに、歌なし!踊りなし!>
ボリウッド発のインド映画。そう聞けば、歌あり踊りありの長時間映画。よくも悪くも日本人の映画ファンの間にはそんなイメージが広がりかつ固まっているが、それは近時の『ラジニカーント★チャンドラムキ 踊る!アメリカ帰りのゴーストバスター』(05年)(『シネマルーム12』256頁参照)や、『恋する輪廻 オーム・シャンティ・オーム』(07年)(『シネマルーム30』256頁参照)等のいわゆる「ボリウッド映画」が次々とヒットしたおかげ。しかし、『スラムドッグ$ミリオネア』(08年)(『シネマルーム22』29頁参照)の大ヒットによって、それと違うインド映画の名作(と言っても、製作はイギリス)があることを知った。それに続いて本作でも、ロバート・レッドフォード主宰のサンダンス・インスティテュートで学び、ムンバイ出身でニューヨークに拠点を持ったリテーシュ・バトラ監督の長編デビュー作たる本作は、インド、フランス、ドイツ映画だが、歌なし!踊りなし!
小規模な予算で作られた本作のテーマは、日本人の私たちは全く知らない「ダッバーワーラー(お弁当配達人)」。それは、きっとフランスやドイツの人たちも同じだろうが、そんな小さく静かな映画が2013年カンヌ国際映画祭で批評家週間(フランス)観客賞を受賞した。舞台は、インドの西海岸にあるマハーラーシュトラ州の州都ムンバイ。リテーシュ・バトラ監督の故郷だが、さて本作のストーリーはどんな切り口からスタート・・・?
<4段重ねの弁当にビックリ!>
全く知らない監督の全く知らない映画の楽しみの一つは、どんな美人女優が出演しているのか?ということ。そんな期待に違わず、本作では冒頭からインド美人らしく彫りの深い顔立ちの女優ニムラト・カウル演ずる主婦イラが登場し、夫と娘を送り出した後のお弁当づくりの風景が描かれる。私を含めて、日本では自分が出勤時に持ってきた弁当を自分のデスクで食べることによって、昼食時間を10~15分程度で済ます人が多い。しかし、ドイツやフランスでは、しっかり1時間の休憩時間で昼食を食べるし、スペイン等ではワインや昼寝付きで2時間を超えるランチ・タイムを取る人も多いらしい。しかして、経済成長著しいインドのムンバイでは・・・?
日本でも、最近は健康のために弁当を持参する人が増えているためか、弁当箱の進歩は著しい。しかし、その内容(ボリューム)はせいぜい2段~3段だ。ところが今、イラが作っている弁当は、何と4段重ね。日本ではお米のご飯が不可欠なように、インドではナンが不可欠らしいが、それ以外にはどんなおかずが・・・?イラの台所のすぐ近く、声の届くところには「おばさん」が住んでいるらしく、イラはそんなおばさんとの会話によるアドバイスを受けながら、4段重ねのお弁当を作っていたが、さてこれをどうやって夫の元へ届けるの?
<弁当配達人とは?その数は?誤配達の確率は?>
本作のプレスシートには、「私たちダッバーワーラーは、ここムンバイで“できたての”お弁当を家庭からお昼時のオフィスに届けることが仕事です」との書き出しで始まる、「お弁当配達人について」というコラムがある。125年前に始まったこの「ビジネス・モデル」は、今や約5000人のダッバーワーラーが、1日当たり20万個の弁当を配達するまでに成長しているそうだ。
日本の新幹線は1964年の開業以来一度も事故のないのが自慢だが、「シックス・シグマ・レベル」(商品の不良率を0.00034%(製品100万個あたりの不良率=3.4個)に抑えることを目指した品質改善・工程管理手法)でデリバリーを管理しているため、誤配送は600万分の1の確率でしか起こらない、というのがこのシステムの自慢。本作冒頭のスクリーン上では、現在ムンバイに張り巡らされているローカル電車の3路線を使い、アルファベットと数字を組み合わせた“アルファニューメリック”を使って行う配達の様子が描かれる。
日本人の知恵を加えれば、もっといいシステムが構築できるのではないかと思うが、それは横に置き、ちょっといじわるに言えば、600万分の1の確率でしか起こらないのではなく、600万回に一度の確率で誤配達の事故が起こるということ。リテーシュ・バトラ監督が目を付けたのは、そんないじわるな視点から生まれた、奇跡の男女のめぐり逢い。しかして、本作の邦題が『めぐり逢わせのお弁当』とされたわけだ。なるほど、なるほど・・・。
<イラの喜びは、束の間のものに・・・>
イラが弁当づくりに真心をこめたのは、最近冷たくなった夫の愛を取り戻すため。おばさんのくれたスパイスを加えた今日の4段重ね弁当の出来は抜群だったから、職場に届いたその弁当を食べれば、夫の目もこちらを振り向いてくれるのでは・・・。シックス・シグマ・レベルでデリバリーを管理するダッバーワーラーのシステムは、弁当を家庭から職場に届けるだけでなく、家庭に戻すこともその業務に含まれているから、キレイにカラッポになって戻ってきた弁当箱を見たイラは大喜び。これなら、家に戻ってきた夫は少なくとも「今日の君の弁当は美味しかったよ」くらいの声をかけてくるだろうから、そこから久しぶりに夫婦間の会話が弾み、ひょっとしたら久しぶりにそのままベッドイン・・・?
イラがそこまで考えたかどうかは知らないが、意外にも、帰ってきた夫はいつも通り不機嫌。そして、弁当のことを聞いても、「いつも通り・・・」。こりゃ、一体ナニ?精魂込めて作った今日の特製弁当を食べたのは、一体ダレ?シックス・シグマ・レベルでデリバリーを管理するダッバーワーラーのシステムにも、やっぱりこんな誤配達があるの・・・?
<インドでも早期退職の制度が?彼はなぜそれを選択?>
意外な顔をしながらも、結局イラから届いた(誤配達された)4段重ねの弁当を(厚かましくも)食べてしまったのは、保険会社の会計係をしている中年男サージャン・フェルナンデス(イルファーン・カーン)。リテーシュ・バトラ監督の才能を見せるのは、イラの弁当を食べる男サージャンを、経理マンとしては優秀だが妻に先立たれた孤独な中年男としたうえ、自ら早期退職を希望している男と設定したこと。そういう事情もあって、サージャンは誤配達されてきた弁当を平気で(?)食べることができたのだろう。また、上司からサージャンの後任となる若い男アスラム・シャイク(ナワーズッディーン・シッディーキー)の面倒をみるように言われているサージャンは、どうもあまりその気はなさそうだ。だって、シャイクが時間をほんの数分遅れると、サージャンは約束をスッポカして自宅へ戻ってしまうのだから。
その後も一生懸命サージャンに対して仕事を教えてくれと頼みに来るシャイクに対するサージャンの対応は不親切。それは、早期退職すると決めた仕事に意欲をなくしてしまったためだけではなく、新たに毎日届く弁当への楽しみと期待が高まったため・・・?
<こんな文通からも淡い恋心が!文通の良さを再確認!>
丹精込めた弁当によって、冷え切った夫の愛を取り戻すことができないとわかったイラは、「きれいに食べてくれたお礼にパニールを作った」と書き、イラと署名した手紙を4段重ねの弁当箱に入れて返事を待ったが、それは一体なぜ?それが本作最大のポイントだが、多分そこには不倫の香りや不倫への期待は全く無かったはずだ。しかして、空になった弁当箱と共に返信されてきた手紙は「親愛なるイラへ 今日は塩辛かった」という短いもので、お礼の言葉も全く書かれていなかったから、イラは大憤慨。しかし、そこは年の功、イラのイライラを聞いたおばさんは、さらにとっておきのスパイスを提供してお弁当作りを続けるようにし向けたから、そこから弁当箱を通じた奇妙な文通が始まることに。
吉永小百合と浜田光夫が共演した『愛と死をみつめて』(64年)の基本軸は遠距離恋愛のミコとマコの間で交わされた手紙で構成されていたが、その中には二人の心情の発露がありありと。それと同じようにイラとサージャン間の弁当箱を通じた文通も、自分に無関心な夫とのむなしい日々を吐露するイラに対して、サージャンは「イラ、暗く考えないで。現実はもっと単純だよ」と気の利いた回答を返してきたから、イラの気持ちは次第に・・・。サージャンの手紙は名文ではないが、少しずつ自分の過去にも触れ、「話す相手がいないと記憶は薄れる」「昨日、昔に妻が観ていたTV番組のビデオを見付けた。妻は同じ冗談に何度も笑うんだ。まるで初めて聞いたようにね。あの頃の思い出にずっと浸っていたい」などと率直に自分の気持ちを表現していたから、イラの気持ちはそれによって少しずつ癒されていくことに。
リテーシュ・バトラ監督は、誤配達され続けている弁当箱の中の手紙を通じて、イラとサージャンの心の交流を見事に描いていく。何事もメールで済ませてしまう昨今では、手紙を書くこと自体がなくなっているだろうから、イラの気持ちを受けとめたサージャンのような文章はなかなか綴れないだろう。『愛と死をみつめて』の文通も50年も昔の話となってしまった今、若い人たちもこんな映画から文通の良さを再認識することができるのでは・・・。
<イラはいざ行動!しかしサージャンは?>
本作でサージャン役を演じるイルファーン・カーンは『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』(12年)で大人になった主人公役を演じた有名なボリウッド俳優の一人(『シネマルーム30』15頁参照)で、『マイティー・ハート/愛と絆』(07年)(『シネマルーム18』66頁参照)、『スラムドッグ$ミリオネア』、『アメイジング・スパイダーマン』(12年)等にも出演している。そのイルファーン・カーンが本作では高倉健ばりの(?)口数の少ないサージャン役を渋く好演している。
ビジネスマンとしてのサージャンが偉いのは、仕事の上で重大なミスを犯し、クビを宣告されたシャイクを自分の責任だとしてかばうこと。これは自分がちゃんとシャイクを教えていなかったことの罪滅ぼしの面もあるかもしれないが、その後のシャイクとの交流をみていると、それ以上にサージャン自身の人間性であることがよくわかる。初対面の時から調子よくベラベラとしゃべりかけてくるシャイクのことを多分サージャンは疎ましく思っていただろうが、ある日、彼の身の上話を聞くと、シャイクはかなりの苦労人。バナナやリンゴを昼食としているシャイクに、イラからの弁当を分けてやると大喜びしたシャイクはサージャンを自宅に招待したうえ、恋人を紹介し、結婚式への出席まで要請することに。こんな風に急速にシャイクとの男同士の交流が深まる中、さてサージャンの早期退職の意思はどう変化していくの?後半からはそれが一つの焦点になっていく。
他方、イラとの淡い恋の展開(?)については、「いつまで文通を続けるの?私たちは逢うべきだわ」と手紙に書いたイラは、約束の日時と場所を設定し、おめかしして(?)そのデートの場に臨んだが、さて何事にも抑制的なサージャンの対応は・・・?据え膳食わぬは男の恥。それが日本男児たるものの心意気。そう考えている私にとって、サージャンの行動はいかにもイライラするものだったが、なるほど1979年生まれとまだ若いのに、リテーシュ・バトラ監督の演出はたいしたものだ。
<人は間違った電車でも正しい場所に着く!そのココロは>
近時は料理そのものをテーマにした映画も多い。しかし、本作における「お弁当」はあくまで小道具で、テーマは600万回に一度の確率で起きる奇跡の中で生まれた、女と男の心の交流だ。サージャンは早期退職した後は、ムンバイから171km離れた、マハーラーシュトラ州第3の都市ナーシク市に住むという人生設計をしていたが、イラとの弁当を通じた心の交流(男女の交流?)が深まり、また後任になるはずだったシャイクとのビジネスパートナーとしての交流が深まっていく中、さてどんな選択を?
インドは仏サマを生んだ国で、仏教の発祥地だから、哲学的な言葉や表現が多いが、本作でのそれは、「人は間違った電車でも正しい場所に着く」というもの。そもそも、何の縁もゆかりもなかったサージャンとイラが縁を持ったのは、一体なぜ?そして、2人はそれぞれ何を目指しているの?
本作ラストは、数人の男性たちによる軽快な手拍子に乗った宗教歌が歌われる中、サージャンが電車に乗ってどこかに向かっていくシーンとなるが、さてサージャンはどこに向かっているの?「人は間違った電車でも正しい場所に着く」という言葉だけでそれを正確に割り出すことはできないから、その解釈はきっと人によってさまざまだろう。ヨーロッパで大ヒットを記録し、インド映画の歴史を書き換えたという珠玉の物語を、じっくりと味わいたい。
2014(平成26)年7月11日記