チング 永遠の絆(韓国映画・2013年) |
<テアトル梅田>
2014年9月14日鑑賞
2014年9月22日記
チング・シンドロームという社会現象を巻き起こした伝説的名作に、12年ぶりのパートⅡが誕生!ノスタルジック・ノワールに加えて、本作では大河ノワール色も豊かに!
タイトルは第1作と同じ「チング」だが、パートⅡはヤクザ映画の定番を踏まえつつ、一見、父と子の絆にも似たヤクザの絆を、男臭さタップリの中で描いていく。
もっとも、ラストは美学な幕切れ?それとも中途半端?その判断は、あなた次第だ。
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監督:クァク・キョンテク
イ・ジュンソク(釜山ヤクザ組織の幹部)/ユ・オソン
チェ・ソンフン(ジュンソクが刑務所で知り合った27歳の青年)/キム・ウビン
イ・チョルジュ(ジュンソクの父、組織の創設者)/チュ・ジンモ
ウンギ(ジュンソクの弟分、組織の現副会長)/チョン・ホビン
ヘジ(ソンフンの母、ジュンソクの高校時代の友達)/チャン・ヨンナム
ヒョンドゥ(組織の現会長)/キ・ジュボン
ドンス(ジュンソクの親友、葬儀屋の息子)/チャン・ドンゴン
2013年・韓国映画・122分・東京テアトル、日活配給
<韓国では今なお正統派ヤクザ映画が大ヒット!>
私は、前作『友へ チング』(01年)を観ていないが、釜山を舞台にイ・ジュンソク(ユ・オソン)、ハン・ドンス(チャン・ドンゴン)、チョン・サンテク(ソ・テファ)、イ・ジュンホ(チョン・ウンテク)という4人の幼なじみの結束とその成長ぶりを描いた前作は、2001年、韓国で当時『シュリ』(99年)が持っていた動員記録を塗り替え“チング・シンドローム”という社会現象を巻き起こした伝説的名作だ。日本では、1970年代、80年代、90年代と、東映を中心としてさまざまな路線の正統派ヤクザ映画の名作が作られてきたが、今や正統派時代劇の激減以上に、正統派ヤクザ映画は絶滅危惧種状態になっている。
平成3年に成立した暴対法(暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律)の定着化、暴力団の影響力を排除することを目的として、04年に広島県と広島市で最初に制定され、その後すべての都道府県で制定された暴力団排除条例の定着化、そして異端派排除、何でもキレイゴト社会の風潮が定着していく中、ヤクザ映画の衰退はやむをえない現象だろう。ちなみに、産経新聞は毎週土曜日に連載している「ニッポンの分岐点」で、現在「暴力団」をテーマにとりあげている。そして、9月20日(土)には「暴力団④」で暴排条例(暴力団排除条例)について、「資金源断たれマフィア化も」と分析しているので、興味のある人は是非それを参照されたい。
しかし、このような日本での暴力団排除のそれとは異なり、韓国では今なお前作『友へ チング』や、本作のような正統派ヤクザ映画への期待が強いようだ。
<1作目が大ヒット!なのになぜパートⅡが12年後に?>
私が中学生の時に通っていた、3本立て55円の日活の映画館では、吉永小百合・浜田光夫のゴールデンコンビ、石原裕次郎・浅丘ルリ子のコンビが中心のラインナップだった。そんな中、浜田光夫の人気に押さえられて伸び悩んでいた高橋英樹を売り出すための企画が、『男の紋章』(63年)だった。演技力はイマイチだが、浜田光夫以上に男前で体格が良い高橋英樹には、ヤクザ役が適任。しかも、医学部卒業の医師免許を持った青年インテリヤクザが似合う、として作られた『男の紋章』は、演技派女優・和泉雅子の協力も得て、そりゃカッコいい映画に仕上がった。
僕は組を継がず、医者として生きていく。そんな決意をしながらも、対抗勢力から組がボロボロにされ、組長の父親まで殺されてしまうと、遂に組長の後継ぎとなり、堪忍袋の緒を切った主人公は・・・?そんな当時のヤクザ映画のお決まりのストーリーながら、中学生の私は大いに興奮させられたものだ。その結果、当然のように同じ年に『続 男の紋章』(63年)、『男の紋章 風雲双つ竜』(63年)がつくられたうえ、以降総計10本もシリーズ化されることになった。1作目が大ヒットすれば、ファンの要望に応えてすぐに「パートⅡ」「パートⅢ」が作られたのは、世界的に大ヒットしたヤクザ映画(?)『ゴッドファーザー』(74年)も同じだった。
しかして、『友へ チング』は“チング・シンドローム”現象を引き起こしたほどだから、普通ならすぐにパートⅡが作られるはずだが、その製作が12年後の2013年になったのは一体なぜ?
<1作目との関連性は?パートⅡの新鮮味は?>
本作冒頭、刑務所内に収監されている主人公ジュンソク(ユ・オソン)のところに、高校時代の女友達・ヘジ(チャン・ヨンナム)が面会に来て、同じ刑務所内に入れられている1人息子ソンフン(キム・ウビン)の身を守ってくれと依頼するシークエンスが描かれる。これが下敷きとなって、出所したジュンソクと、父親のいないソンフンとの間の、「ヤクザ活動」を通じた親子関係にも似た絆の強さがパートⅡたる本作のテーマになる。
ジュンソクが17年間も服役したのは、第1作で親友だったドンス(チャン・ドンゴン)を殺害したためだが、そこにさまざまな義理と人情が絡んだ物語があったのは当然。そして、本作のストーリーは、ジュンソクが留守の間にジュンソクの弟分だったウンギ(チョン・ホビン)が副会長に就任し、組織を牛耳っているうえ、かつてのジュンソクの舎弟(側近)たちはことごとく排除され苦労しているという、ヤクザ映画の定番となる。
さらに、本作は「大河ノワール」と表現されているが、それは、2010年の今と、ジュンソクの父チョルジュ(チュ・ジンモ)が混乱期の釜山で、強力な日本人ヤクザと対決してまでバラバラになっていた韓国人ヤクザを統一する姿が描かれるためだ。ヤクザは暴力と麻薬と女。そんな常識は混乱期だけで、高度経済成長の時代に入った韓国では釜山でも暴力とヤクと売春は厳禁、あくまで経済取引をメインとしてスマートに。これがチョルジュのやり方だが、そう聞くと、日本のヤクザが歩んできた路線と全く同じ・・・。
日本では国会議員の世襲制が厳しく批判されているが、私は基本的にそれに反対。国会議員の息子、娘が地盤と看板を継いで何が悪いの?それと同様に、チョルジュが築き上げた釜山の組織のボスは、世が世であればジュンソクが継いでいるはずだ。現在病気療養中の会長ヒョンドゥ(キ・ジュボン)はそう言って、思いのままに組織を動かしている副会長のウンギを批判したが、そうなれば組織内での内部抗争の発生は必至!なるほど、そんなテーマもヤクザ映画の定番だが、それがこんなにピッタリとハマるストーリーになると、パートⅡたる本作もスタイリッシュにかつ大河ノワールに!
<チンピラとヤクザの違いは?>
日本のヤクザ映画全盛時代には、チンピラ映画の名作は『岸和田少年愚連隊』(96年)くらいで少なかったが、近時はそれが増えている。ちなみに、最新の悪ガキ、チンピラ映画の代表とも言える園子温監督の『TOKYO TRIBE』(14年)は、あまりにも異質な世界に仕上がっていた。このように、日本ではプロとしてのヤクザと所詮悪ガキにすぎないチンピラとの区別が割とハッキリしているが、韓国映画では、『相棒 シティ・オブ・バイオレンス』(06年)(『シネマルーム14』305頁参照)や『卑劣な街』(06年)を観ても、そこの区別(線引き)が曖昧・・・?
本作が本格映画デビューとなった人気モデルのキム・ウビンはたしかに足が長くハンサムだが、同じ世代の仲間たちとつるんで悪ガキぶりを発揮している姿を見ると、とにかく頭の悪さが目につく。これは『TOKYO TRIBE』にみる鈴木亮平をはじめとする悪ガキたちも同じで、ケンカするについては、軍師黒田官兵衛とまではいかなくても、なぜもう少し頭を使い、戦略戦術を練ることができないの、と不思議に思ってしまう。
本作最大のポイントは、ジュンソクがそんな出来の悪い悪ガキたるソンフンを、若き日の自分の姿に重ね、ウンギと対決するための重要戦力として重用したこと。それが次第に親子の絆にも似たものに深まっていく姿を本作は丁寧に描いていく。そんなストーリー展開の中で、観客はヤクザとチンピラの違いについてハッキリ認識するはずだが、さてソンフンはいつどの時点でチンピラからヤクザに成長・・・?
<ヤクザだって人殺しにはさまざまな事情と葛藤が・・・>
韓国映画には『依頼人』(11年)(『シネマルーム29』184頁)を除いて本格的裁判モノは少ないが、本作冒頭には法廷でジュンソクが殺人の指示はすべて自分がやったと認める供述をするシーンが登場する。第1作でジュンソクが親友のドンスを殺害した理由がどのように描かれていたのかは知らないが、このシーンを見ていると、どうもジュンソクは直接手を下したのではなく、部下に命じてドンスを殺害したようだ。これは、刑法用語でいう「間接正犯」だが、その責任を一身に背負いこんだのは、さすが創業者組長の息子であり、レッキとしたヤクザだ。
日本と同じように、高度経済成長時代に乗じて刀や拳銃ではなく金で、また武闘力ではなく知恵で、釜山の組織を強大なものに作り上げた創業者チョルジュの手腕は立派なもの。現在副会長としてその組織を牛耳っているウンギの経営能力は本作では全然見せてくれないが、ジュンソクが息子のようにかわいがっているソンフンを自分の勢力に取り込もうとする戦略の立て方はなかなかのものだ。さらに、ソンフンがそれに乗らないとわかると、ウンギが考えた次の一計は、「お前の親父はドンスだ。そして、ドンスはこのようにして殺された」ということをソンフンに伝えること。あまりキレイな戦術とは思えないが、ジュンソクとソンフンの、義理ながら実の親子以上に固い絆に、ちょっとした楔を打ち込むにはこれで十分だ。
もちろん、ソンフンだってチンピラからヤクザに成長していく過程でさまざまな義理と人情の世界を学んでいるわけだが、さて彼は17年前のドンス殺害事件について、どこまで正確にその事情を理解できるの?そして、その結果としてソンフンはジュンソクに対して、またウンギに対していかなる対応を・・・?
<美学な幕切れ?それとも中途半端?>
木津川計さんを発行人とする『上方芸能』という月刊誌には、「美学な幕切れ」というコーナーがある。そのNo50(2013年9月号)に私は、「あの名作の、あのラストシーンよ、永遠なれ!」というタイトルで、さまざまな映画のラストシーンを紹介した。映画の記憶が何年も脳裏に残るかどうかは、そのラストシーンで決まることが多いが、さて本作のそれは?
ジュンソクがプロのヤクザとして徹底しているナと感心させられたのは、「やる時は徹底的にやる」ことをモットーにしていること。ドンスの殺害もその流儀のあらわれだったが、何かと甘いところを見せるソンフンに対して、ジュンソクは中途半端はダメ、殺すときは最後までとどめを刺せ、と教えたわけだ。これは、比叡山を焼き払って坊主たちを皆殺しにし、一向一揆に対しても徹底的に弾圧を加えた織田信長の教えと同じだが、さてソンフンはその教えをどのように受け止めたの?
ジュンソクとウンギの内部抗争は、数から言っても、資金量から言っても圧倒的にジュンソクに不利だったが、病床にあったヒョンドゥ会長が多額の資金援助をしたことによって、ジュンソクにも少しメドが。ジュンソクは一方ではその資金を使ってヘジにド派手なキャバレーを経営させて資金を更に拡大し、他方ではソンフン配下のチンピラたちを金で集めて戦闘力にすることによって、ウンギに対抗。そして、病死したヒョンドゥ会長の葬儀の場をうまく活用して、ウンギをやっつけることに大成功!路上でジュンソクがウンギをやっつけるシーンでは、チェーンソーを使ってウンギの片手を切り刻むという残忍なシーンをチラチラと見せてくれるが、それでもジュンソクがウンギにとどめを刺さなかったのはなぜ?それは、ジュンソクと警察との間で、ある「密約」があったためだが、若いソンフンがそこまで理解するのは到底ムリ。ジュンソクのウンギに対する仕置きが甘すぎると考えたソンフンは、病院のベッド上で動けないウンギたちを仲間たちと共に襲い、さらに残忍な行動に。しかしこれは、もともとソンフンがジュンソクから教わったことを実践しただけだから、ジュンソクのソンフンに対するお小言もどことなく歯切れが悪かったのは仕方ない。
この時点では既にソンフンには自分の父親がドンスだったこと、そのドンスを残忍な殺し方で殺した(殺す指示をした)のがジュンソクだったことがわかっていたから、さて本作のラストシーンはいかに?それを「美学な幕切れ」とみるか、それとも中途半端とみるかは、あなた次第だ。どちらかというと私は後者のウエイトが大きかったが、さてあなたは・・・?
2014(平成26)年9月22日記