ジャージー・ボーイズ(アメリカ・2014年) |
<TOHOシネマズ西宮OS>
2014年9月28日鑑賞
2014年10月7日記
私はザ・フォー・シーズンズも『シェリー』(62年)もよく知っているが、ジャージー・ボーイズとは一体ナニ?1964年にザ・ビートルズが全米を席巻する以前と以降に、全米ヒットチャート第1位を獲得した4人組を物語るには、その言葉の理解が不可欠だ。
『ウエスト・サイド物語』(61年)を彷彿させる、貧しいイタリア系移民の彼らがなぜ、あれだけの大成功を?その栄光と挫折の真の物語とは?また、個々の男たちの真の個性とその人間性とは?
さすが、人生の達人クリント・イーストウッド監督が作るミュージカル映画は、真実性とエンタメ性の両方が完備!フィナーレの群舞を楽しみつつ、彼らの人生そのものをしっかり味わいたい。
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監督・製作:クリント・イーストウッド
フランキー・ヴァリ(リード・ボーカル)/ジョン・ロイド・ヤング
ボブ・ゴーディオ(キーボード、テナー・ボーカル、作曲担当)/エリック・バーゲン
ニック・マッシ(ベース・ギター、バス・ボーカル)/マイケル・ロメンダ
トミー・デヴィート(リード・ギター、バリトン・ボーカル、リーダー)/ビンセント・ピアッツァ
ジップ・デカルロ(地元のマフィアのボス)/クリストファー・ウォーケン
ボブ・クルー(プロデューサー)/マイク・ドイル
メアリー(フランキーの元妻)/レネー・マリーノ
ロレイン(記者、フランキーが再婚する女性)/エリカ・ピッチニーニ
フランシーヌ(フランキーの娘、17歳)/フレイヤ・ティングレイ
フランシーヌ(7歳)/エリザベス・ハンター
ノーム・ワックスマン(マフィアの高利貸)/ドニー・ケア
2014年・アメリカ映画・134分
配給/ワーナー・ブラザース映画
<33本目は、私のシネマ本と同じ!>
今やクリント・イーストウッドは、「マカロニ・ウェスタン」の俳優というより、著名な映画監督として有名になっている。今年84歳になる彼の、劇映画の監督作品33本目となるのが本作だ。他方、弁護士生活40年となった私は、近時、弁護士活動より映画評論書きの仕事のボリュームが増えている。来年1月に66歳になる私が出版し続けている『SHOW-HEYシネマルーム』は、今年末に出版するものが『シネマルーム33』になるから、奇しくもクリント・イーストウッドの監督作品と同じ数になる。
彼の監督作品は、近時のものだけでも『ミリオンダラー・ベイビー』(04年)(『シネマルーム8』212頁参照)、『父親たちの星条旗』(06年)(『シネマルーム12』14頁参照)、『硫黄島からの手紙』(06年)(『シネマルーム12』21頁参照)、『チェンジリング』(08年)(『シネマルーム22』51頁参照)、『グラン・トリノ』(08年)(『シネマルーム23』48頁参照)、『インビクタス/負けざる者たち』(09年)(『シネマルーム24』27頁参照)、『ヒア アフター』(10年)(『シネマルーム26』123頁参照)、『J・エドガー』(11年)(『シネマルーム28』未掲載)と多岐にわたるが、ブロードウェイで大人気のミュージカルを映画化するのは今回がはじめてだ。さまざまな映画の音楽制作についても多大なる才能を発揮し続けているクリント・イーストウッドのことだから、ミュージカル映画もお手のもののはず。
周防正行監督も最新作『舞妓はレディ』(14年)でミュージカル映画に挑戦したが、これはタイトルからわかるとおり、『マイ・フェア・レディ』(64年)をもじったもの。それに対して、本作は1962年の大ヒット曲『シェリー』で有名な4人の男性グループ「ザ・フォー・シーズンズ」の栄光と挫折を含む人生ドラマを描いたものだ。主演のジェイミー・フォックスが第77回アカデミー賞主演男優賞を受賞した『Ray/レイ』(04年)は黒人の盲目歌手レイ・チャールズの人生を描き(『シネマルーム7』149頁参照)、『エディット・ピアフ〜愛の讃歌〜』(07年)は、フランス人女性エディット・ピアフの人生を描いたが(『シネマルーム16』88頁参照)、さて、クリント・イーストウッド監督が本作で描くザ・フォー・シーズンズの(面々の)人生とは?
<私の中学・高校時代の青春歌謡は?洋モノ音楽は?>
1949年生まれの私の中学時代は、1962年4月から始まった。中高一貫6年制の受験校である愛光学園に入学し、常に「勉強!勉強!」と迫られていた私は、中学1年生から高校1年生までは映画、将棋、囲碁、ラジオ、音楽、卓球等々に興味を持って熱中し、「勉強はほどほど」という生活に明け暮れていた。そのお陰で、今の映画評論家としての基本的素養が身についた(?)わけだ。当時のラジオでは「全国歌謡ベストテン」が私の必聴番組で、三橋美智也の『星屑の町』(62年)や橋幸夫の『白い制服』(63年)がベスト10のトップに長く君臨していた。また、当時はやった音楽は、毎週日曜日にTVで放映していた「ロッテ歌のアルバム」に代表される青春歌謡。舟木一夫の『高校三年生』(63年)が大ヒットしたのは私が中学2年生の時。舟木一夫、西郷輝彦、三田明等の曲はすべて今でも歌えるものばかりだ。
他方で、当時はアメリカの音楽(洋モノ)が洪水のように日本に流れ込んでいた。男性歌手ではニール・セダカの『恋の片道切符』(60年)、レイ・チャールズの『愛さずにはいられない』(62年)、『ハートブレイク・ホテル』(56年)・『ラヴ・ミー・テンダー』(56年)・『監獄ロック』(57年)等で既に有名になっていたエルヴィス・プレスリーの『好きにならずにいられない』(61年)等、女性歌手ではコニー・フランシスの『ボーイ・ハント』(61年)、『ヴァケイション』(62年)、そして『可愛いベイビー』(62年)等だ。また、そんな「洋モノ」を日本語の歌詞でカバーし歌い始めた日本人歌手が、ザ・ピーナッツ、弘田三枝子、中尾ミエたちだ。ちなみに、イギリスのリバプール生まれのザ・ビートルズが彗星のように登場したのは、1964年。日本に初来日したのは、1966年6月29日だ。
そんな中学時代の私が片言の英語で歌っていたのが、ザ・フォー・シーズンズのはじめての大ヒット曲で、1962年に全米ヒットチャート1位になった『シェリー』。もっとも、プレスリーの『好きにならずにいられない』や、ブレンダ・リーがカバーして歌った『この世の果てまで(The End of the World)』(64年)等はスタンダード・ナンバーとして今でも英語で歌うことができるが、『シェリー』はあまりにも難しすぎて私レベルの歌唱力では到底歌いこなせる曲ではなかった。
<作曲家・ボブの加入で、ザ・フォー・シーズンズが!>
周防正行監督の『舞妓はレディ』は面白い手法をたくさん採用していたが、ブロードウェイ・ミュージカルを映画化するについて、クリント・イーストウッド監督も、ストーリー展開中の登場人物に物語の進行係をやらせるという面白い演出方法をとった。最初にその役割を担うのは、刑務所に入ったり出たり、さらには初心なフランキー・ヴァリ(ジョン・ロイド・ヤング)に女の世話をしたり、グループの結成についてリーダーとしてあれこれ決断したりと忙しいトミー・デヴィート(ビンセント・ピアッツァ)だ。彼のしゃべりはいかにも街のチンプラ風だが、顔はハンサムだし、仲間は大切にしているし、何より頭の回転が早いから、結構魅力的な男だ。
それに対して、15歳にして既にヒット曲『ショート・ショーツ』を作っていたという作曲家、ボブ・ゴーディオ(エリック・バーゲン)は才能はあっても一見冷たそう(?)だから、基本的にトミーとは肌が合いそうにない。私にはそう思えたし、きっとトミー自身もそう思ったに違いない。しかし、ボブがフランキーの奇跡のファルセットボイスに魅かれ、フランキーもまたボブの作曲の才能に惚れこんだから、トミーもフランキーの意見をとり入れて、ボブの加入を承認。これにて、フランキー、トミー、ボブ、ニック・マッシ(マイケル・ロメンダ)の4人でザ・フォー・シーズンズが結成されることに。
<この2つのセリフに注目!>
本作導入部で、トミーが語るセリフには面白いものが2つある。その1つは、「地元を出る方法は3つ。“軍隊に入る”、でも殺される。“マフィアに入る”、それも殺される。あるいは“有名になる”。 ・・・・・・俺たちはあとの2つだった」というものだ。イタリア移民の彼らが、なぜ子供の頃からあんな風に音楽の才能を持っていたのかはわからないが、彼らが伸びていったのは決してその才能だけによるものではなく、このセリフに象徴されるハングリー精神によるものだ。
もう1つは、回顧談的に語られるもので、「まだ駆け出しの頃、街灯の下で4人して俺たちだけのハーモニーを作った。あの時、ほかのことは消え失せて音楽だけがあった。最高の瞬間だ」というもの。「俺たちだけのハーモニー」がどれくらいの商業価値があるのかは周りが決めるものだけに、このセリフには重みがある。ちなみに、2014年の夏にはミュージカル『アナと雪の女王』(13年)が大ヒットした。その主題歌『レット・イット・ゴー~ありのままで~』の日本語バージョンは、映画版(イディナメンゼル版)を松たか子が、シングル版(デミロヴァート版)をMay J.が歌った。ここで、松たか子はもともと血統書つきの女優、歌手だが、May J.はたたきあげの歌手。テレビ朝日の『関ジャニの仕分け∞』のカラオケ得点対決に出演し、その圧倒的な歌唱力を遺憾なく発揮することによって、のし上がってきた歌手だ。その詳細はNHKで2014年10月4日夜11時から放映された「SONGS」で取り上げられていたとおりだ。この番組には、実力があるのに売れない歌手やオーディションで次点になった歌手等がたくさん出場しているが、その実力差はごくわずか。有名になるかどうかは、ちょっとした運・不運によることがよくわかる。しかして、さて、ザ・フォー・シーズンズの場合は?
<ジャージー・ボーイズとはナニ?>
私はミュージカル情報には詳しいと自負していたが、恥ずかしながらアメリカでトニー賞を受賞したミュージカル『ジャージー・ボーイズ』のことは全く知らなかった。したがって、それをクリント・イーストウッド監督が映画化した本作についても、公開直前の新聞広告を見るまで知らなかったし、タイトルを見ても「ザ・フォー・シーズンズ」の物語だとわからなかった。なぜそうだったのかをよく考えてみると、その原因はきっと『ジャージー・ボーイズ』というタイトルにある。そもそも「ジャージー・ボーイズ」とはナニ?私の中学・高校時代にはジャージ(の服)という言葉はなく、体操服と呼んでいたが、ジャージー・ボーイズとはひょっとしてジャージを着た男の子のこと?いやいや、そうではあるまい。
パンフレットにある湯川れい子氏(音楽評論家)の「いま、フランキー・ヴァリ&ザ・フォー・シーズンズを振り返る」というコラムによると、「ジャージー・ボーイズ」という、ミュージカルのタイトルは、「北東にニューヨーク、南西にフィラデルフィアと隣接した、アメリカ合衆国50州の中で、陸地面積では47位、人工密度が全米第1位というニュージャージー州を舞台としたところから来ています。」と書かれている。そう言われても、アメリカの地図に詳しくない私にはピンとこないが、要するに、ニューヨークのすぐ左下にはイタリア系の移民が多く集まり、「リトル・イタリー」と呼ばれる街を形成していたわけだ。
<『ウエスト・サイド物語』を彷彿?あの高音の魅力は?>
なるほど、そう言えば、私が中学2年生の時に観て大感激したブロードウェイ・ミュージカルを映画化した『ウエスト・サイド物語』(61年)も、祖国や人種の異なる人々の対立が絶えない移民の町、ウエスト・サイドを舞台としたもので、プエルトリコ系とイタリア系を中心とする二つの不良グループの間でくり広げられるケンカと恋の悲劇だった。『ウエスト・サイド物語』では、ナタリー・ウッド扮するマリアの恋人となる、リチャード・ベイマー扮するトニーだけが真面目に働いており、ジョージ・チャキリス扮するシャーク団を率いるベルナンドも、ジェット団を率いるラス・タンブリン扮するリフも札付きの不良だった。
それと同じように、1951年、ニュージャージー州ベルヴィルの、イタリア系移民が集まる貧しい街で育った16歳のフランキーだけは真面目に理髪店の見習いとして働いていたが、場末の酒場で歌っているリーダーのトミーも、バンドメンバーのニックもケチな犯罪の常習犯で刑務所に出たり入ったりの生活をくり返していた。彼らの憧れは同じニュージャージー出身で既に歌手として大成功していたフランク・シナトラだ。前記の湯川れい子氏のコラムによると、「フランキー坊やは7歳だった時に、お母さんに連れられて行ったニューヨークのパラマウント劇場で、いまもエルヴィス・プレスリーやザ・ビートルズ以前に、多くの失神者を出したことで歴史に残るシナトラのコンサートを見て、自分も将来。絶対に歌手になるんだ!と決心したと言われています。」と書かれている。
「低音の魅力」の石原裕次郎やフランク永井に対して、小林旭は「高音の魅力」と言われたが、フランキーの魅力もえらく硬質な高音の魅力。「ファルセット」(裏声)と呼ばれる彼の天性の歌声は、地元の人たち誰もが知っており、フランキーが働く理髪店の上客で地元を取り仕切るマフィアのボス、ジップ・デカルロ(クリストファー・ウォーケン)もその熱烈なファンだった。そんなフランキーにとって最初の試練(?)は、トミーをリーダーとして、場末の酒場で歌っているバンドに入れるかどうかだったが、さてその展開は・・・?本作はそこから怒涛の人生模様が展開していくから、さあお立ち会い!
<良きプロデューサーとの出会いは?>
歌手になるためには、スターになるためには、良きプロデューサーとの出会い、別の言い方をすれば実力のあるプロデューサーに気に入ってもらえることが不可欠。そのことは安室奈美恵や篠原涼子、globe、華原朋美を生んだ80年代の小室哲哉や、モーニング娘。を生んだ90年代のつんく♂、そしてAKB48を生んだ2000年代の秋本康の例を見ればよくわかる。しかして、ザ・フォー・シーズンズが巡り合えた「良きプロデューサー」はボブ・クルー(マイク・ドイル)だ。ちょっとオカマ気味なのは嫌味だが、これはこの業界ではよくあることで、実力さえあればOK。このプロデューサーに巡り合えば、ザ・フォー・シーズンズはすぐにシングルデビューを!リーダーのトミーはそう考えていたが、彼らに与えられた仕事はバックコーラスのみ。これも、芸能界にはよくある話で、北島三郎だって五木ひろしだってその下積み時代の苦労が生半可ではなかったことは今や語り草になっている。
もっとも、1人の歌手なら本人の我慢がどこまで続くかが勝負の分かれ目だが、ザ・フォー・シーズンズは4人のグループだから、1年も下積み生活が続くと意見がバラバラに分かれるのは当然。そして、やっとシングルデビューという段階になって、作曲担当のボブが時間ギリギリまで登場しないという体たらくだったが、直前のわずか15分で作曲し、楽譜を見ただけのあり合わせのコーラスで、しかも電話を通じてボブ・クルーに聴かせてみると・・・。あの名曲『シェリー』はそんなハプニングの中で誕生したというから面白い。
去る9月6日に77歳で亡くなった作詞家・山口洋子は、銀座のクラブ「姫」のオーナー・ママをしており、そこでの客の会話からさまざまな歌詞のヒントを掴んだそうだ。中条きよしが歌った『うそ』(74年)の「折れた煙草の 吸いがらで あなたの嘘が わかるのよ」がそれだ。9月19日付産経ニュースで平尾昌晃氏が「詞から絵が浮かぶ・・・こんな人いません」と表現したが、五木ひろしのヒット曲『よこはま たそがれ』(71年)の「よこはま たそがれ ホテルの小部屋 くちづけ 残り香 煙草のけむり」と名詞を並べただけ1フレーズだけの歌い出しがそれ。これだけでたちまち1枚の絵が浮かんでくるから不思議なものだ。
今から見れば、70年代に「新御三家」と言われていた郷ひろみ・西城秀樹・野口五郎らの歌と踊りは何となく気恥ずかしい。『シェリー』を歌うザ・フォー・シーズンズの振り付けも、今から見ればかなり陳腐だが、1962年当時の熱狂ぶりは・・・?
<契約の概念は?コンプライアンスは?>
多民族国家たるアメリカは契約社会だから、何ゴトも分厚い契約書を交わすことが不可欠。弁護士の私はそう教えられてきたが、1960年代のアメリカやザ・フォー・シーズンズの活動スタイルを見ていると、全くそうではないことがよくわかる。また、グループのリーダーたるトミーは、ザ・フォー・シーズンズが大成功してもヤンキー時代のやんちゃぶりに何の変化もなかったから、次第に「カネの使い道の不透明さ」という問題が表面化してくることに。コンプライアンスという言葉が定着したのは21世紀に入ってからだが、トミーのやっていることはコンプライアンス無視も甚だしいものだった。
私は文芸社から「協力出版」で『シネマルーム』4と6~21を出版するについて毎回約300万円を負担していたが、ザ・フォー・シーズンズが最初のシングル・レコードを発売してもらうについては3500ドル必要だったらしい。それをトミーがかき集めたことによってレコード化が進み、『シェリー』の誕生になったわけだが、トミーはその金を一体どこから集めてきたの?日本ではいわゆる「サラ金」の規制が厳しくなったことによって「サラ金地獄」はなくなったが、その裏に隠れた「ヤミ金融」の実態は厳然として存在している。しかして、本作後半に突如登場してくるのが、トミーに出資した(?)マフィアの高利貸の男ノーム・ワックスマン(ドニー・ケア)だ。ヤミ金の暴利ぶりはTVドラマ『ミナミの帝王』を見ていればよくわかるが、さて、マフィアのヤミ金融によってトミーが背負った借金は、HOW MUCH?
<4人組の結束は?成功してからが難しい!>
音楽界に君臨した4人組のグループといえば何といっても「ザ・ビートルズ」だが、フォークの世界ではブラザース・フォアもいる。日本でも、古くはデューク・エイセスやザ・ブロード・サイド・フォーがいる。ちなみに、中国では毛沢東による文化大革命の末期に江青、張春橋、姚文元、王洪文という有名な「4人組」の政治的陰謀が大問題になったが、今や日本はもちろん、中国の若者の間ですらそんなことは忘れ去られているはずだ。4人組はバランスが取れればいいが、ややもすると2対2に分裂する危険がある。ザ・フォー・シーズンズを見ていても、フランキーとボブが互いの才能を認め合って尊敬し合っているが、この2人はもともと不良グループだったトミーとニックとは異質。したがって、もともとこの2つに分裂する危険をはらんでいた。
他方、3人組のグループでは日本は昔「スリー・ファンキーズ」がいたし、80年代には一世を風靡した谷村新司、堀内孝雄、矢沢透の「アリス」がいた。そして、中国では「三国志」が描く劉備、関羽、張飛による「桃園の誓い」が有名だ。このように、3人組の場合は互いの牽連関係があるため、私の目には4人組よりもうまくいくケースが多いようだ。それはともかく、ザ・フォー・シーズンズが「1発屋」で終わらず、第2弾「恋はヤセがまん」、第3弾「恋のハリキリ・ボーイ」と続けて全米シングル・チャートで1位の曲を出すことができたのは、何よりも作曲担当のボブのおかげだ。
湘南サウンドの代表たる加山雄三とサザン・オールスターズの桑田佳祐は長年にわたってヒット曲を出し続けているが、要するにこれは彼らの尽きない才能があるからだ。それと同じように、ボブには汲めども尽きない作曲の才能があったし、フランキーのファルセットボイスも衰えることがなかったから、グループの結束さえ保つことができれば、ザ・フォー・シーズンズの天下は続くはず。当の4人組はもちろん、ボブ・クルーもそう考えていたが・・・。
<フランキーの結婚は?家族は?>
『Ray/レイ』を見れば、「手首を触って美人を見分ける」ことができるというレイ・チャールズの多岐にわたる女性遍歴ぶりにビックリ。しかも、レイは「ヤク中」だから去る9月12日に薬物使用の罪で有罪判決を受けたCHAGE&ASKAのASKAと同じように(?)当然大きな試練を迎えたことも・・・。ところが、何とレイはビジネス面でも天才ぶりを発揮したうえ、12人の子供と21人の孫そして5人の曾孫に恵まれたから、すごい。
このように、『Ray/レイ』では、レイ・チャールズの歌手としての人生と女性遍歴が一体のものになっていたが、本作でクリント・イーストウッド監督が描く女性関係はフランキーのみ。ヤンキーなイタリア移民の若者たちにとって所詮女は遊びの対象にすぎなかったが、意外にも初心なフランキーは一目惚れしたメアリー(レネー・マリーノ)とすぐに結婚。そしてメアリーはすぐに子供にも恵まれたが、ボーカル担当のフランキーの忙しさが増し、巡業巡業ばかりで家を空けていると、いつの間にかこの夫婦間にも亀裂が・・・。そんな中でフランキーの取材にやってきた女性記者ロレイン(エリカ・ピッチニーニ)の知性と魅力にフランキーがハマっていったのは仕方なし・・・?
人気歌手(グループ)の巡業に次ぐ巡業は宿命。したがって、妻や家族との折り合いに4人のメンバーがそれぞれ悩んでいたのは当然だが、スクリーン上ではフランキーの苦悩のみが描かれていく。最初の妻メアリーとの離婚は仕方ないが、メアリーとの別れ以上にフランキーにこたえたのは歌手を目指していた7歳の長女フランシーヌ(エリザベス・ハンター)との別れ。娘から直接パパに対する不平不満をぶちまけられたら、父親が大いにこたえるのは当然だが、さて、フランキーの場合は?
フランキーの目には自分より更に広域の音を出すことができ、リズム感も抜群のフランシーヌを何としても歌手として成功させたいと願ったのは当然。しかして、彼女が17歳になった時、父と娘の腹を割った話し合いの結果、フランシーヌ(フレイヤ・ティングレイ)は父親と同じように努力を重ねて歌手としての成功を目指すことを決意したが、その先には大きな悲劇が・・・。
<男同士の反発は?葛藤は?友情は?>
クリント・イーストウッドは俳優としても達人なら監督としても達人だから、ひょんなきっかけで結成され、さまざまな「偶然」や「出会い」の中で全米の人気者になっていった4人の若者たちのホンモノの人物像を本作で描いていく。ザ・フォー・シーズンズのリーダーは、当初こそ「求心力」の高いトミーだったが、『シェリー』の大ヒットやその後の状況を客観的に見れば、4人の力関係や相互関係が大きく変化していることは明らかだ。2人でやる漫才では、ヒットするまではボケとツッコミの役割分担がうまくフィットして仲良くできていても、大ヒットすれば、たちまち「才能の差」が顕著になって別れてしまうことがよくある。ビートたけしとビートきよしや島田紳助と松本竜介などがその典型だ。男はときどき「嫉妬は女の専売特許」のような言い方をするが、それはナンセンス。コト名誉やカネそして権力となれば男同士の嫉妬がすごいことは世の常だ。しかして、本作のザ・フォー・シーズンズにみる男同士の反発は?葛藤は?そして友情は?トミーにとって、フランキーとボブが何かとつるんでいるのを見るのは気分の良いものではなかったが、かろうじてそれを我慢していたのは、何よりもチームの輪を重んじたため。「みんなの党」が、その代表たる渡辺喜美氏の8億円の借入れ問題で大打撃を受けたのと同じように、トミーのカネの問題が明るみに出されたうえ、それが巨額であることがわかると・・・。
成功した芸能人はみんなしっかりお金を稼いでいるかというと、そうではない。一方で大成功しながら、他方で巨額の借金を抱えて苦しむ例は日本でも、千昌夫(推定2853億円)、小林旭(同51億円)、さだまさし(同35億円)、矢沢永吉(同35億円)、藤田まこと(同28億円)等の例にみることができる。その原因はさまざまだし、彼らはその後芸能界で汗水を流しながら懸命に働きその借金を返済したが、さてトミーの借金は誰がどうやって返済するの?そこでの、フランキーのあっと驚く決断に注目したい。さらに、ザ・フォー・シーズンズが瓦解していくシーンでは、それまで常にトミーと行動を共にしてきたニックがそのうっぷんの限りをブチまけるシーンが登場するから、それにも注目!ニックはここまで腹の中に不満を溜めこみながら、仲間として共に歌っていたことにビックリだ。
2014(平成26)年10月7日記