愛しのゴースト(タイ・2012年) |
<シネ・リーブル梅田>
2014年11月15日鑑賞
2014年11月19日記
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監督:バンジョン・ピサンタナクーン
マーク(内戦に徴兵された素朴な若者)/マリオ・マウラー
ナーク(マークの妻)/タビカ・ホーン
プアック(パイナップル頭のマークの戦友)/ポンサトーン・チョンウィラート
ドゥー(メガネをかけたマークの戦友)/ナッタポン・チャートポン
シン(ノミの心臓を持つマークの戦友)/アッタルット・コンラーシー
エー(ヒゲ面のマークの戦友)/カンタパン・プームプーンパチャラスック
デーン(マークの赤ん坊)/
プリアックおばさん/
2012年・タイ映画・112分
配給/キネマ旬報DD
◆本作は日本の「四谷怪談」と同じように、タイで有名な『プラカノーンのメーナーク』という怪談を映画化したものらしい。それは、「チャクリー王朝初期のプラカノーンの村で非業の死を遂げた女性ナークが、戦場に赴いた夫への未練ゆえに悪霊となり、おぞましい災いをもたらした」という伝説で、1999年に名匠ノンスィー・ニミブットがそれを映画化した『ナンナーク』は空前の大ヒットを記録したらしい。
しかして、本作はその素材にあっと驚く大胆なアレンジを施したもの。恐ろしくも切ない悲恋怪談であるオリジナルのテイストを受け継ぎつつも、意表を突いたスラップスティック・コメディのエッセンスを加味した本作は、あれよあれよという間に『アナと雪の女王』(13年)(『シネマルーム33』未掲載)の約10倍の観客を動員!さらに、『アバター』(09年)(『シネマルーム24』10頁参照)や『タイタニック』(97年)を超え、タイの歴代興行収入No.1のメガヒット作品になったそうだ。そう聞くと、「こりゃ必見!」と思って劇場に赴いたが・・・。
◆本作冒頭では、チラシで見た美女ナーク(タビカ・ホーン)が大きなお腹を抱えながら血が足を伝わって流れ落ちるシーンだから、こりゃヤバイ。次に登場するのは、日本人には馴染みの薄い、かなり悲劇的な戦闘シーンだが、これがチャクリー王朝時代にタイの某地で起きた戦争らしい。
ベトナム戦争を描いたハリウッド映画はたくさんあるから、そこに登場するアメリカの若い兵士には親しみがある。しかし、本作にみる恋人のナークを故郷に置いて戦っているマーク(マリオ・マウラー)とその親友の①メガネのドゥー(ナッタポン・チャートポン)、②ヒゲ面のエー(カンタパン・プームプーンパチャラスック)、③パイナップル頭のプアック(ポンサトーン・チョンウィラート)、④ノミの心臓を持つシン(アッタルット・コンラーシー)は、それぞれ個性的だが、あまり親しみは感じられない。また、それぞれ大声でしゃべるわりには言葉に違和感があるし、映像全体がコメディタッチだから、あまり戦闘や戦争の悲惨さは感じられない。そもそも、あんなに銃弾が当たっているのに、なぜマークは死なないの・・・?
◆マークが4人の仲間と共に無事プラカノーンの村に帰還できたのは喜ばしい限り。また、そこで最愛の夫を待っていたナーク、出征中に生まれた赤ん坊デーンとマークが対面できたのも実に喜ばしい。そんな2人の姿を見た4人の親友が、「しばらくここに泊まっていったら・・・」の言葉に同意したのは当然だが、そこから始まる「あの美女はゴーストか?」さらには「ゴーストは誰だ?」をテーマとしたドタバタ劇のストーリー展開は、私にはおふざけ過ぎとしか言いようがない。
それは、次々とナークやマークに疑惑を投げかける4人のコメディアン的演技がうまいためともいえるのだが、言葉の違和感もあって、いい加減うんざり。とりわけ、お化け屋敷のシークエンスのドタバタぶりはイヤになってくる。なお、死体の指から発見された指輪をめぐっては、ミステリー調のストーリーも展開していくが、もはやその時点で私は「ゴーストは誰だ?」というテーマに興味を失ってしまうことに・・・。
◆日本では、明治初期まで「お歯黒」の習慣があった。これには、いろいろな意味があったが、江戸時代においては既婚夫人のしるしで、まずは白い歯を染めて、「二夫にまみえず」との誓いの意味があったそうだ。しかし、私はあれは大の苦手。せっかくの美女でも、黒い歯を見せてニコッと笑われたら百年の恋も興ざめだ。タイのチャクリー王朝時代にも同じような「お歯黒」の習慣があったのかどうかは知らないが、真っ黒で長く美しい髪のナークを演じるタビカ・ホーンは正統派美女なのに、次第にゴースト色を強めていく後半では、お歯黒の姿になっていくのは残念。
他方、日本には鳥山石燕の妖怪画集『今昔百鬼拾遺』などに、小袖(袖口の狭い高級な和服)の袖から、幽霊らしき女性の手が伸びている「小袖の手」の絵がある。また、関東地方や青森県には、「手長婆(てながばばあ)」という長い腕を持つ老婆の姿の妖怪が伝えられている。しかして、本作ラストでは、ナークが「手長婆」のように長い手を伸ばしてさまざまな「悪さ」を見せるが、私にはこれも少し残念だ。
本作前編を貫くテーマは、「ゴーストは誰だ?」だが、導入部で酒売りのプリアックおばさんが言う「真実を知りたければ、両脚の間から覗いてみろ!」というアドバイスに従えば、すぐに生者と幽霊を見分けることができるのでは・・・?たしかに、劇中何度かその手法が取られるのだが、アレレ・・・。
◆人は死んだら土に戻るのか、天国に召されるのかは知らないが、死者と生者との接点はありえないはず。しかし、何やかやとこの世に未練の強い死者はなかなか「あの世」に行けず、ゴーストとして中途半端な世界に留まるらしい。そんな世界中によくあるお話は、映画にもよく登場する。
本作でナークがゴーストになったのは、もちろんマークとの愛を貫き通すためだが、ナークがゴーストであってもOKとマークが納得さえすれば、生者とゴーストの共存も可能なのでは?本作ラストではそんな真剣な「議論」も登場するが、さて、そこでのナークの結論は・・・?
2014(平成26)年11月19日記