セッション(アメリカ・2014年) |
<GAGA試写室>
2015年2月18日鑑賞
2015年2月23日記
ドラマーといえば、石原裕次郎が「おいらはドラマー、やくざなドラマー」と歌った『嵐を呼ぶ男』(57年)を思い出す。それから60年近くを経て、本作であなたはジャズのセッションにおける、圧倒的なドラムの迫力を目にすることに!
師弟モノは涙と感動を呼ぶケースが多いが、本作は異例で、この師弟は確執から対決へ!それは一体なぜ?
こんなパワハラが現実に?そんな演技でアカデミー賞助演男優賞にノミネートされたJ・K・シモンズ演じるシェイファー音楽院の教授の「怪演」にも注目しながら、圧倒的なドラム演奏と「これぞセッション!」の醍醐味を味わいたい。
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監督・脚本:デイミアン・チャゼル
アンドリュー・ニーマン(19歳のジャズ・ドラマー)/マイルズ・テラー
フレッチャー(シェイファー音楽院の教授)/J・K・シモンズ
ニコル(アンドリューの彼女、映画館で働く大学生)/メリッサ・ブノワ
ジム・ニーマン(アンドリューの父)/ポール・ライザー
ライアン・コノリー(ドラマー)/オースティン・ストウェル
カール/ネイト・ラング
トラヴィス/ジェイソン・ブレア
ソフィー/カヴィタ・パティル
グレッグ/コフィ・シリボー
エマおばさん/スアンネ・スポーク
レイチェル・ボーンホルト/エイプリル・グレイス
2014年・アメリカ映画・107分
配給/ギャガ
<サンダンス映画祭から、また新たな才能が!>
1978年、映画制作者たちをユタ州に引きつけることを目的として、俳優で映画監督のロバート・レッドフォードが「ユタ・US映画祭」として始めたのがサンダンス映画祭。そして、サンダンス映画祭は過去ケヴィン・スミス、ロバート・ロドリゲス、クエンティン・タランティーノ等の映画監督や『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』、『ソウ』シリーズ等の名作を輩出してきた。そんな2014年のサンダンス映画祭で、グランプリと観客賞をW受賞したのが、撮影当時28歳で全くの無名だったデイミアン・チャゼル監督初の長編映画である本作だ。
そんなデビュー作が、第87回アカデミー賞作品賞、脚色賞、助演男優賞、録音賞、編集賞の5部門にノミネートされたのだから立派なものだ。サンダンス映画祭に新たに登場した、弱冠28歳のデイミアン・チャゼル監督に注目!
<セッションとは?ジャズの師弟モノに注目!>
セッションとは複数のミュージシャンが共に演奏することで、そこでは「現場感」が大切。ジャズのセッションでは、とりわけドラムの役割が重要だ。ドラマーと聞けば、団塊の世代なら誰でも、石原裕次郎が「おいらはドラマー、やくざなドラマー」と歌った『嵐を呼ぶ男』(57年)を思い出すが、本作の主人公は偉大なドラマーになるという野心を抱いて全米屈指のシェイファー音楽院に入学した19歳のニーマン(マイルズ・テラー)。もう1人の主人公はシェイファー音楽院の教授で、スタジオ・バンドを指揮する鬼教師そのもののフレッチャー教授(J・K・シモンズ)だ。
「師弟モノ」といえば、これまでにも『ポロック 2人だけのアトリエ』(00年)(『シネマルーム3』202頁参照)、『トレーニングデイ』(01年)(『シネマルーム1』14頁参照)、『スパイ・ゲーム』(01年)(『シネマルーム1』23頁参照)等の名作があったが、本作はいわばジャズのセッションを通じた師弟ものだ。「師弟モノ」における師弟関係は常軌を逸したものが多いが、本作はそれがとりわけ顕著だから、そこにも注目!
<これぞパワハラ!今ドキ本当にこんな教授がいるの?>
「ドラムを右手は3拍子で、左手は4拍子で叩いてみろ」と言われたら、あなたはそれができる?ドラムを叩くのが難しいことはその一事からも明らかだが、本作を観ていると、リズムの大切さと、フレッチャー教授がトコトン追及するスピードの大切さがわかる。本作冒頭、シェイファー音楽院の教室に1人でこもってドラムの練習をするニーマンの姿が映されるが、一瞬それを覗いたフレッチャー教授は、ほんの少し指示をしてやらせてみただけでニーマンのレベルがわかるらしい。
新入生のニーマンにとって、シェイファー音楽院の教授で、スタジオ・バンドを率いる憧れの指揮者であるフレッチャー教授から声をかけられれば、それだけでハッピー。しかして、以降スクリーンにはニーマンが1人でドラムの練習に打ち込むシーンが何度も登場するが、そこでは指の皮が破れ、血を流しながら必死の形相でドラムを叩き続けるニーマンの姿が否応なく目に焼き付くことになる。また、最初はその毅然とした態度がカッコいいと思っていたフレッチャー教授の態度は、これぞパワハラ、これぞアカハラというものになっていくので、その狂気の指導ぶりに注目。第87回アカデミー賞助演男優賞にノミネートされたうえ、『ジャッジ 裁かれる判事』(14年)のロバート・デュバル、『6才のボクが、大人になるまで。』(14年)のイーサン・ホーク等を押しのけて、見事その栄冠を獲得したJ・K・シモンズのパワハラぶり満載の怪演に拍手!
私も自分の経営する法律事務所では相当のパワハラぶりを発揮しており、事務員に対して汚い言葉を大量に投げつけているが、本作に見るフレッチャー教授のパワハラぶりは到底その比ではない。日本の教育委員会なら100%、フレッチャー教授の言葉を聴いただけで「パワハラ」、「アカハラ」と認定され、即クビにされるはず。しかるに、なぜフレッチャー教授はそこまでスタジオ・バンドのメンバーに対して熱血指導(?)をするの・・・?
<競争こそすべて!その是非は?>
プロ野球の今年春のキャンプでは、大リーグから日本のプロ野球に復帰した松坂大輔を「先発投手の1人に」と目論んでいる、工藤公康新監督率いる福岡ソフトバンクホークスの元気さが目立っている。それは、まさに先発ピッチャー枠5~6人をめぐる競争が激化したためだから、これをみても勝負ゴトにおける競争の大切さがよくわかる。私は1990年代の日本の「ゆとり教育」がダメだったのは、キレイごとだけを並べ、本当に必要な競争を否定したためだと考えている。そんな私だから、小学校の運動会のかけっこで、1等賞、2等賞と順位をつけるのは子供の差別だとか、劣等感を助長させるとかの主張は全くナンセンスだと思っている。
1979年に読売巨人軍の長嶋茂雄監督が18人の選手を率いた伊東キャンプは「地獄の特訓」と言われた。それに耐えた江川卓、西本聖、藤城和明、角盈男、鹿取義隆らの投手陣、そして、中畑清、篠塚和典(利夫)、淡口憲治、松本匡史らの野手陣がその後、巨人の主力選手に成長したが、今ドキそんな超ハードな競争の是非を、あなたはどう考える?
<フレッチャー流の競争のあおり方は?その是非は?>
そんな目で見ると、フレッチャー教授がニーマンをスタジオ・バンドに参加させた目的は、ドラムの主奏者であったタナーを刺激し、危機感を持たせるためらしい。19歳のニーマンはそこらあたりの機微がわからないまま有頂天になったうえ、ある策略を練って自分が主奏者になることに成功するが、それがいつまでも安穏と続くものではないことをウブなニーマンはわかっていなかったから大変。以降、鬼教師に豹変したフレッチャー教授から「ブチのめすぞ」「低能」「クズでオカマ唇のクソ野郎」等と罵られたから、その悔しさをバネに、肉が裂け血の噴き出す手に絆創膏を貼りながら、ひたすらドラムを叩き続けることに・・・。
ところが、それでも主奏者としてのニーマンの地位は安定しないばかりか、フレッチャー教授は新たにコノリー(オースティン・ストウェル)を主奏者候補として連れてくることに。そして挙句の果てに、「主奏者を決める」と宣言したフレッチャー教授はニーマン、タナー、コノリーの3人を交代させながら延々とドラムを叩かせたが、そこでフレッチャー教授が吐く言葉は、「ユダヤのクズ」「アッパー・ウェストのゲイ」「アイルランドのイモ野郎」というひどいものだ。さらに、「もっと速く」と鼓舞するフレッチャー教授の意に沿わなければ、何とドラムが飛んでくることも・・・。
<良き師弟関係の継続は?>
『トレーニングデイ』でも『スパイ・ゲーム』でも、厳しい指示(しごき?)の中で成長した弟子は、最後には師匠から認められる立派な存在になっていったが、本作はそれらとは全く異なり、ニーマンとフレッチャー教授の師弟は確執から対決へと移行していくところがミソだ。バンドを率いてコンクールに出場すれば、トップをとるのが当然。そんなフレッチャー教授にとっても、ニーマンが主奏者としてここまで成長すれば安心。そう思っていたのに、ニーマンは肝心の大会に遅れてくるわ、スティックを忘れるわ、挙句の果てはレンタカーを飛ばす途中で交通事故に遭い、手に血を流しながら参加するわ、だからハチャメチャ。
そんなニーマンがフレッチャー教授から見切られたのは仕方ないが、若気の至りか、そこでニーマンはフレッチャー教授に対してキバを向けたから、結局ニーマンは退学処分になってしまうことに・・・。これにて、必死の努力の中で築かれてきた良き(?)師弟関係もジ・エンドだが・・・?
<師弟の再会の中、確執から対決へ!>
ところがある日、ニーマンがブラブラと町を歩いていると、ある店の看板にフレッチャー教授のジャズ・セッションが宣伝されていたから、ビックリ。お店の中に入ってみると、シェイファー音楽院の教授だったフレッチャーも今はジャズのセッションでピアノを演奏して稼いでいるらしい。チラリとフレッチャーと目線が合ったため、ニーマンは急いでお店を出ようとしたが、フレッチャーが後を追っかけてきたため、久しぶりの「ご対面」となることに。
そこで意外にもフレッチャーは自分がやっているジャズバンドのドラマーを募集しているのでやらないかとニーマンに声をかけてきたが、それって本気?それとも何かの策謀?だって、フレッチャーがシェイファー音楽院教授の地位を追われたのは、フレッチャーのパワハラ、アカハラぶりを誰かが当局に密告したためだということを、フレッチャーは知っているのだから。そしてまた、その容疑者の可能性はニーマンが最も高いのだから。
しかして、この後、ニーマンとフレッチャーの関係はシェイファー音楽院時代の師弟の確執から師弟の対決へと向かうことに。そして、それとともに、ストーリー展開もサスペンス色を濃くしていくことに・・・。
<まだ19歳だから仕方なし・・・?>
本作はジャズのセッション、とりわけドラムとのセッションをめぐる師弟モノだから、基本的に恋愛問題は関係なし。しかし、いくらニーマンが偉大なドラマーになるという夢を抱いて日夜練習に励んでいるといっても、やはり19歳の男性だから、女性には興味があるはずだ。てなわけで、ニーマンがはじめて声をかけてデートに誘った女性は、唯一の気晴らしとして父親のジム・ニーマン(ポール・ライザー)とよく一緒に行く映画館の売店でバイトをしているニコル(メリッサ・ブノワ)。
もっとも、ニーマンがニコルに声をかけたのは、1番身近にいる女の子だったということと、フレッチャーからスカウトされたことによって自分が無敵になったと錯覚したためだったようだから、そんなデートはあまりに安易。しかも、デートでの2人の会話を聞いていると、偉大なドラマーになるという夢を熱く語るニーマンに対して、ニコルの方は何の目的も持たないまま漫然と大学に通っているだけのようだから、もともとこの2人の会話は弾んでいない。したがって、フレッチャーの本性が現れる中、ニーマンが指の皮を破り、血を流しながら練習をしなければならない状況になると、ニーマンの方から事実上の別れ話を切り出すことに。「偉大な音楽家になるには君が足手まといだ」という別れ話に、ニコルは「何様のつもりよ」と切り返して席を立ったのは当然だが、これにて2人の仲はジ・エンド。今ドキ、こんなバカげたデートの始まりと、こんなバカげた別れ話はないと思うのだが、なんせニーマンはまだ19歳だから、仕方なし・・・?
もっとも、そんな2人の仲も、ニーマンが絶望のどん底にハマってくると、以降は少し意外な展開になるのでそれにも注目!
<圧巻のラスト9分19秒のセッションに注目!>
本作最大の見どころは、ラスト9分19秒のセッションの圧倒的な迫力。本作後半のストーリーは、騙し騙されというニーマンとフレッチャーの師弟対決(?)のミステリー的な展開になるので、ストーリー的には、なぜ晴れ舞台でニーマンがフレッチャーのジャズバンドのドラムを叩いているのかにまず注目したい。しかし、いざセッションがスタートすると、指揮者であるフレッチャーの意向を完全に無視して、ニーマンがバンド全体のリードをとり始めるからそれに注目!なるほど、ジャズバンドのセッションではこんなことも可能だし、こんな自由こそがセッションの醍醐味だということがよくわかる。もっとも、こんなにドラムが強調されたセッションは、多分はじめてのはずだ。
ジャズバンドの指揮権を持っているのは自分だと自負しているフレッチャーが、ニーマンの身勝手な行動を苦々しく思っているのは当然。しかして、観客に背中とお尻を向ける特権を持っている指揮者のフレッチャーは、ニーマンに対してさかんに小言をくり出すのだが、ニーマンはそんなことにはお構いなくドラムを叩き続けたうえ、「合図は俺が出す!」とまで仕切るから、フレッチャーはもはやお手上げだ。当初少し見えた舞台上の混乱に戸惑っていた観客も、圧倒的なニーマンの即興によるドラム演奏に次第に酔いしれていったから、今やホールの熱狂は最高潮に・・・。
「アカデミー賞が飛びついた才能と狂気!」というキャッチフレーズもなるほどと思える、このラスト9分19秒のセッションに私たちも酔いしれることまちがいなし!
2015(平成27)年2月24日記