クリード チャンプを継ぐ男(アメリカ・2015年) |
<TOHOシネマズ西宮OS>
2015年12月27日鑑賞
2016年1月6日記
『スター・ウォーズ』全6作も良かったが、『ロッキー』シリーズ全6作はそれ以上!ややこしい(壮大な?)ファンタジーも良かったが、単純でわかりやすい人生ドラマ、成功ドラマはそれ以上!
辰吉丈一郎や亀田興毅の引退を見た団塊の世代には、ロッキーの引退ははるか昔。しかし今、約40年前の『ロッキー』(76年)の感動が再び輝きを放って再登場!クリードとは一体ナニ者?ロッキーはなぜそのトレーナーに・・・?
原案が固まれば、脚本はほぼ想定どおりだが、想定内の展開はダメかというとそうではない。地獄の特訓からタイトルマッチの死闘という感動ドラマは、『ロッキー』(76年)の蒸し返し(?)でもOK。新たな時代のヒーローの誕生を祝うとともに、その続編更には新シリーズ3部作にも期待したい。
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監督・脚本・原案:ライアン・クーグラー
アドニス・ジョンソン(元ヘビー級王者アポロ・クリードの息子)/マイケル・B・ジョーダン
ロッキー・バルボア(アポロ・クリードの親友、ライバル)/シルベスター・スタローン
ビアンカ(シンガー、アドニスの恋人)/テッサ・トンプソン
“プリティ”・リッキー・コンラン(ライトヘビー級王者)/アンソニー・ベリュー
トミー・ホリデイ(リッキーのマネージャー)/グレアム・マクタビッシュ
メアリー・アン・クリード(アドニスの育ての母親)/フィリシア・ラシャド
ピート・スポリーノ(ロッキーの親友、ジムのオーナー)/リッチー・コスター
レオ・“ザ・ライオン”・スポリーノ(ピートの息子)/ゲイブ・ロサード
2015年・アメリカ映画・95分
配給/ワーナー・ブラザース映画
<あなたはスター・ウォーズ派?それともロッキー派?>
『キネマ旬報』12月下旬号は多くのページ数を使って、「噂の眞相 そこが知りたい!?『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』」と「映像を変えたレジェンドたち」を特集している。その中では、1977年に公開されたジョージ・ルーカス監督の『スター・ウォーズ』とスティーヴン・スピルバーグ監督の『未知との遭遇』によって、「映像を変えたレジェンドたち」が生まれたことを解説している。また、そこでは両監督の個性、作風等の比較検討論が活発に論じられている。
他方、本作のパンフレットには、黒住光氏(フリーライター)の「伝統のスタイルを継承した若き映像作家による魂の物語」というコラムがあり、そこでは「映画史的には『ロッキー』と『スター・ウォーズ』(77/監督:ジョージ・ルーカス)がアメリカン・ニューシネマの時代を終わらせたと言われる」と書かれている。そして、「アメリカン・ニューシネマとは『俺たちに明日はない』(67/監督:アーサー・ペン)、『イージー・ライダー』(69/監督:デニス・ホッパー)、『明日に向って撃て!』(69/監督:ジョージ・ロイ・ヒル)、『真夜中のカーボーイ』(69/監督:ジョン・シュレシンジャー)など」。そして、「1960~70年代当時の若者の心情を反映し、それ以前のハリウッド映画と一線を画した作品群の総称である。思想的には反体制的、物語的にはアンハッピーエンド、表現的にはリアリズム志向なのが特徴だ。時代の転換期に生まれた『ロッキー』や『スター・ウォーズ』は、『ネアカな80年代の到来を予感させた作品』であると同時に『ニューシネマの影をひきずった最後の作品』でもあった。」と分析されている。
しかして、2015年は「戦後70年」という「括り」が最もふさわしい年だったが、奇しくもその年末には『スター・ウォーズ』シリーズのエピソード7となる『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』と、『ロッキー』シリーズの第7作となる本作が並んで公開されている。世間の盛り上がり、とりわけ若者の盛り上がりは断然『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』。そして、同作は史上最速の公開12日間で世界興行収入10億ドル(約1200億円)を達成したことが12月27日に発表された。考えてみれば、私は『スター・ウォーズ』シリーズは劇場で観ておらず、テレビでしか観ていないが、『ロッキー』シリーズはそのほとんどを劇場で観ている。しかして、私は断然ロッキー派だが、あなたはスターウォーズ派?それともロッキー派?
<本作の出発点は、新世代監督の原案から>
本作を監督し、脚本と原案を書いたのは、『フルートベール駅で』(13年)に続く長編第2作となる1986年生まれのライアン・クーグラー監督。彼が本作の原案を思いついたのは、もともと彼の父親が『ロッキー』シリーズのファンだったためらしい。パンフにある監督インタビューで、彼は「もともと僕の父が『ロッキー』(76/監督:ジョン・G・アビルドセン)の大ファンで、子供の頃、父はいつも僕に『ロッキー』を見せてくれた。彼は強い男なのに、この映画を観るといつも泣いていた。それがなぜなのか当時の僕にはわからなかったが、後になって父は母親、つまり僕の祖母が亡くなろうとしている時に、ふたりで一緒に『ロッキー』を観たことを知った。つまり僕の家族は、世代を渡ってあのシリーズをわかち合ってきたのさ。」と語っているから、『ロッキー』シリーズの影響力は大したものだ。また、ライアン・クーグラー監督が『ロッキー』シリーズの中で一番気に入っている作品は、1作目と2作目で、「1作目はとくに70年代らしい映画だ。自分を見つけ出そうとしている男の話で、撮影に長回しが多用されている。僕は『クリード』にもそれを取り入れることにした。」と語っている。
かつての栄光のヘビー級チャンピオン、ロッキー・バルボア(シルベスター・スタローン)は今、地元のフィラデルフィアで「エイドリアンズ」というレストランを経営していたが、その店の壁にはかつてのヘビー級王者アポロ・クリードとロッキー・バルボアとの対決シーンを写した大きな写真が飾ってある。『ロッキー』ファンはそれを観ただけで、2人の二度にわたる「死闘」をありありと思い出すはずだ。また、本作冒頭には感化院に送りこまれた少年アドニス・ジョンソンが連日ケンカに明け暮れているシーンが登場するが、『ロッキー』ファンはそれを観ただけで、その後のストーリー構成がおぼろげながら見えてくるはずだ。①アポロと愛人との非嫡出子であるアドニスを迎えに来たアポロの妻メアリー・アン・クリード(フィリシア・ラシャド)が、意外にもアドニスを引き取り養育する決意を述べたこと、②そのメアリーはロサンゼルスでリッチな生活を営んでいたこと、③そんな環境下で大人になったアドニス(マイケル・B・ジョーダン)が一流の教育を受け大手企業のエリート社員として働くようになったこと、はちょっと意外だったが、さてアドニスのボクシングへの情熱は?
エリートサラリーマンとなった今でも、週末を利用してメキシコのローカルリングで活躍している彼は、感化院の頃あれだけケンカに強かったことから推測されるとおり、そこでは既に負け知らずの凄腕ファイターになっていた。しかし、そんなフィールドは所詮素人集団のもの。彼がプロボクサーになるためには、一体どうすれば?少なくともエリートサラリーマンとの「二足のわらじ」は難しいはずだ。そして、こんな原案を描けば、その後の展開は『ロッキー』シリーズファンなら誰にでも見えてくるはずだ。
<完全引退しても、アポロの息子は特別・・・?>
エリートサラリーマンの職を辞し、また、「プロボクサーを目指すのなら、もう2度と連絡してこないで!」とまで言われたメアリーを1人残してアドニスが向かったのは、フィラデルフィアにあるロッキーの店。つまり、アドニスにとってロッキーはリングで死んだ父親アポロ・クリードの「敵」ではなく、最も信頼し尊敬できる唯一無二の存在だったわけだ。
店を訪ねてきた若者から、いきなり「俺のトレーナーになってくれ」と言われたロッキーが戸惑ったのは当然。というより、ロッキーは既にボクシングの世界からは完全に引退しており、友人の経営するジムにも全く顔を出さず、ボクシングとは全く縁のない生活を送っていたから、最初の答えは完全にNOだった。しかし、アドニスがあの宿命のライバルだったアポロ・クリードの息子であることを知ったうえ、度重なる要請とその素質を見るにつけ、ロッキーの血が次第に騒いできたのか、ある日ついにトレーナーになることを承諾。これによって、スクリーン上では『ロッキー』シリーズでおなじみの、さまざまな「地獄の特訓」が始まることになる。
本作中盤のこのストーリー展開もミエミエだが、『ロッキー』シリーズを最初から観ている観客には、クライマックスとなるタイトルマッチの実況中継への盛りあがりの前に、やはりおなじみのこのルーティーンを見せてくれなければ・・・。
<本作の恋愛ドラマ展開の是非は?賛否は?>
ロッキーが経営しているレストランの名前が「エイドリアンズ」と聞けば、ロッキーファンなら誰でも、「なるほど」と納得するはず。それほど、ロッキーとその妻エイドリアンとは切っても切れない関係だったわけだ。超過激な試合を終えたロッキーが「エイドリアン!」と絶叫する『ロッキー』(76年)のシーンは、名シーン中の名シーンだ。
そんな『ロッキー』(76年)における、共に社会の底辺で生きるロッキーとエイドリアンとの恋愛ドラマと、本作で見せるアドニスとミュージシャンの女性ビアンカ(テッサ・トンプソン)との恋愛ドラマは全く異質。つまり、アドニスが正真正銘の血統書つきなら、ビアンカも進行性難聴という重い病を持ちながらもミュージシャンとして自分の夢を追っている今ドキの女の子だ。全く別の道をそれぞれの夢を持って歩んでいる、そんな2人には本来何の接点もないはず。現に、スクリーン上で見る2人の出会いは最悪だった。ところが、ロッキーから「地獄の特訓」を受けている中でも意外にアドニスはビアンカに対してマメで、いつの間にか2人はいい仲に・・・。
若者の夢物語と成長物語に恋愛の要素が不可欠なことは当然だが、『ロッキー』(76年)に見た恋愛ドラマとはかなり異質の、本作に見る恋愛ドラマ展開の是非は?賛否は?
<まずはこのライバルを一蹴!>
『ロッキー』映画のつくり方と感動の呼び方は、その「方法論」が決まっている。したがって、まずは『ロッキー2』(79年)に登場した「逃げるニワトリを捕える特訓」というケッタイな練習方法を含めて、徹底的にロッキー流の指導を受けたアドニスのデビュー戦がスクリーン上に登場する。そのお相手は、ロッキーのかつての親友で今はジムのオーナーになっているピート・スポリーノ(リッチー・コスター)が、「将来のチャンピオンに」と仕込んでいる自慢の息子レオ・“ザ・ライオン”・スポリーノ(ゲイブ・ロサード)だ。
久しぶりにジムを訪れてきたロッキーに対して、レオのトレーナーをしてくれと頼んだのに、それを断られた立場のピートとしては、いかにロッキーの指導を受けたとはいえ、メキシコのローカルリングあがりのアドニスに自慢の息子を敗退させるわけにはいかない。しかし、『ロッキー』映画のつくり方としては、その結末は明らかだ。
ここでの勝利もあって、それまでボクシングとは全く縁のなかったビアンカとアドニスとの結びつきが一層深まり、2人は遂にベッドインすることになるが、『ロッキー』映画の原則どおり、その具体的なシーンはスクリーン上には一切登場しない。また、ここで圧倒的なKO勝ちを収めたアドニスがあの栄光のチャンピオン・アポロ・グリードの息子だということがマスコミに公表されたことによって、さまざまな軋轢が生まれるとともに、アドニスのクライマックスの対戦相手が世界ライト・ヘビー級チャンピオンの“プリティ”・リッキー・コンラン(アンソニー・ベリュー )に決まることに・・・。
<いきなりタイトル戦はありえないが映画ならそれもOK>
全盛期には大みそかのテレビに登場していた「K-1」(総合格闘技)の人気は今は廃れ、ここ数年の大みそかのテレビではボクシングの試合が人気を集めている。その人気を背負うのはスーパーフェザー級のチャンピオン内山高志とライトフライ級のチャンピオン井岡一翔の2人だ。ボクシングも所詮興行だから、人気ボクサーによっていかに集客力と視聴率を取れるかがポイントになる。
しかして、そろそろ引退の時期にきているリッキーにとっては、引退試合の相手を誰にして、いかにもうけ、いかにカッコ良く引退するかが最大のポイント。そんな状況下、いきなりアポロ・クリードの息子アドニスが彗星のごとく登場したのだから、リッキーのマネージャーであるトミー・ホリデイ(グレアム・マクタビッシュ)は、リッキーの体重を少し落として、アドニスと同クラスでのタイトルマッチを提案したが、これは極めて異例。だって、プロボクサーとしての実績が、レオとのたった一戦しかないアドニスのようなボクサーをタイトルマッチの相手に指名したのでは、一般的にブーイングを受けることまちがいないためだ。そこで、トミーが案じた一計は、アドニスはメキシコのファイトで16戦全勝という実績があることを強調すること。それにレオ戦の一勝をプラスすれば、立派なプロボクサーとしての実績というわけだ。現実問題はともかく、映画の脚本としてはそのレベルで十分通用するはず。しかして、急遽実現したのがリッキーとアドニスとのタイトルマッチだ。こりゃ、『ロッキー』(76年)で、無名のボクサーだったロッキーがヘビー級王者のアポロ・クリードから対戦相手に指名されたのと同じようなもので、常識的に考えればその結果は最初からミエミエだが・・・。
<クライマックスはKO勝ち?それとも?>
『スター・ウォーズ』は最初から3つの3部作、全9部作を想定してつくられたが、当時全く無名だったシルベスター・スタローンが数日間で書き上げた『ロッキー』の脚本は、当然一発勝負だった。その脚本を映画会社が25万ドルで買うと言われたら、それに乗るのが普通だが、その時彼は「自分が主役でなければダメだ」と主張して売らなかったらしい。そんな「バクチ」とも言える人生の岐路を経て、『ロッキー』(76年)は大ヒット。シルベスター・スタローンは一躍スターダムにのし上がったわけだ。そこで、今思い返してほしいのは、その『ロッキー』(76年)における、無名のボクサー・ロッキーとヘビー級チャンピオン・アポロ・クリードとの壮絶なタイトルマッチ。まともに打ち合えば選手生命すら奪われかねないほどの実力の差があるはずだったが、さてその試合は・・・?
大みそかにテレビで観るボクシングのタイトルマッチでもたまに激しい打ち合いがあるが、練りに練られた脚本の下で大スクリーン上で観る『ロッキー』(76年)の試合ほどの迫力はありえない。あのロッキーVSアポロのタイトルマッチを思い出せる年配の観客なら、新たな『ロッキー』シリーズの第1作とも言える本作のクライマックスにおける激闘ぶりとその結末も予想がつくはずだ。さあ、ライアン・クーグラーの脚本と撮影技術はそれをいかにリアルに見せていくの?『ロッキー』映画恒例のクライマックスとなる、アドニスVSリッキーのタイトルマッチの手に汗を握る激闘と、その結末は?ひょっとしてアドニスのKO勝ち?いやいや、いくら何でもそれは現実離れしすぎで、ありえないだろう。すると、結末はやはり・・・?それは、あなた自身の目でしっかりと。
<続編更には新たなシリーズ3部作を期待!>
私事ながら、私は2015年9月14日に直腸ガンの手術を受け2週間余り入院するという、66歳にしてはじめての試練を迎えた。そのため、ロッキーがガンに倒れるストーリー展開を見ていると、本作はとりわけ身近に感じられた。幸い私は「ステージ2」のレベルで転移はなかったが、ロッキーは最初は治療を拒否するほどだったし、アドニスとの話し合いで治療を受け始めた後も頭髪が抜けているようだったから、ステージ3ないし4のレベル・・・?それはともかく、『スター・ウォーズ』シリーズ第7作たる『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』には新たな人気キャラクターを登場させたが、『ロッキー』シリーズ第7作たる本作には、ロッキーのガンとの戦いという新たなテーマが登場することに。
他方、本来のボクシングの試合でも、『ロッキー2』(79年)で王者アポロとの再戦を実現したロッキーは遂にKO劇でアポロに勝利するというストーリー展開になっていたから、きっと本作にもそんなイメージの続編が期待されるのでは?『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』は大ヒット中だが、私が鑑賞した日の本作の客の入りは30%程度しかなかった。「興行収入がすべて」となっている映画の業界では、いくら企画、構想が良くても一定の興行収入が期待できなければその企画、構想の実現は難しいから、本作の続編や新シリーズ3部作が実現するのかどうかはわからない。もっとも、『キネマ旬報』1月下旬号の「NEWSアメリカ」では、①本作への熱狂度は群を抜いていること、②シルベスター・スタローンの演技が絶賛されており、アカデミー賞助演男優賞の最有力との評も見られると書かれているから、その可能性は大・・・?また、ジョー小泉氏(ボクシング国際マッチメーカー)の「『クリード チャンプを継ぐ男』のバックグランドには本物の匂いが漂っている」と題するコラムには、「こんな想像はどうだろう。次作では、ロッキーが癌に打ち克ち、アドニスをより強力なファイティングマシーンに鍛え上げ、打倒コンランへと向かうというのは――。そんな余韻を残す結末をどうぞお楽しみください。」と書いてあるが、私のイメージもそれと全く同じだ。
『スター・ウォーズ』の新シリーズ3部作に対抗しうるような新シリーズと言わないまでも、貴重な人生ドラマを描く新たな『ロッキー』の新シリーズ3部作の実現を期待したい。
2016(平成28)年1月6日記