神様なんかくそくらえ(アメリカ、フランス・2014年) |
<シネ・リーブル梅田>
2015年12月29日鑑賞
2016年1月8日記
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監督・脚本:ジョシュア・サフディ、ベニー・サフディ
原案:アリエル・ホームズ
ハーリー(ドラック中毒の19歳の少女)/アリエル・ホームズ
イリヤ(ジャンキーの青年、ハーリーの恋人)/ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ
マイク(ヘロインの売人)/バディ・デュレス
2014年・アメリカ、フランス映画・97分
配給/トランスフォーマー
◆全く聞いたことのなかった映画ながら、第27回東京国際映画祭で異例のグランプリと監督賞をW受賞した「過激な愛の問題作」と聞けば、こりゃ必見!『神様なんかくそくらえ』という邦題が超刺激的なら、チラシに載っている「あなた以外は全部ゴミ。」というセリフ(?)も超刺激的だ。しかも、主演するのが自分自身のホームレスだった時の実体験にもとづいた本作で衝撃のデビューを飾った美少女アリエル・ホームズというから、その名前は知らないまでもこりゃ必見!
かつて、全く知らなかった『地球でたったふたり』(07年)を観て感動した体験があった(『シネマルーム22』264頁参照)ため、再度そんな経験ができるのでは・・・?そう期待したが・・・。
◆導入部にみるアリエル・ホームズ扮するハーリーの悩みは、「恋人」というより自分が生きている理由そのもののような男イリヤ(ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ)から嫌われ、疎んじられていること。その理由はハーリーが他の男とイチャイチャしていたためらしいが、どのようにすればイリヤに反省の気持ちが伝わるの?また、どのようにすればイリヤに再度気に入ってもらえるの?それを求めてイリヤにつきまとっていると、残念ながら余計にイリヤから疎んじられるばかり。その挙げ句、「俺の目の前で死ねば許してやる」と言われると、ハーリーは早速購入してきたカミソリで現実に・・・。
冒頭から、なるほどこれがマンハッタンのストリートでジャンキーとして生きるホームレスの若者たちの生態かがよくわかるシークエンスの連続で、いささかうんざり気味。そんな中、私にはイリヤの目の前で自らの手首をカミソリで切るハーリーの姿が登場すると、衝撃的というよりちょっとバカバカしさが・・・。これは純愛ではなく、単なるバカなのでは・・・。
◆ストーリーの展開につれて、ハーリーのバカさ加減を助長しているのが、もはやイリヤ以上に切っても切れない関係にあるヘロインだということがわかってくる。しかし、それがわかってくると、そんな少女期の体験をもとに「この恋は罪か、それとも純愛か」と大上段に振りかざした問題提起の意味が本当にあるのかどうかが、私には疑問に思えてくる。
思春期とりわけ少女の思春期は不安定で、どんな人生になるかの大きな分岐点だから、映画の素材としては興味深い。邦画でも、吉永小百合主演の『キューポラのある街』(62年)をはじめ、和泉雅子が主演した『非行少女』(63年)や、主演の関根惠子が美しいヌード姿を披露した『朝やけの詩』(73年)等の名作がたくさんある。本作のアピール点は、そんな映画はすべて作りもので、偽善にすぎない、本物のジャンキー少女の生き方はこうなんだ!と主張することだが、それならドキュメンタリー映画にすればいいのでは・・・。
冒頭から、手持ちカメラによっていつも動いている不安定な映像が、ストリート生活でその日暮らしをしているハーリーやイリヤたちのバカさ加減を強調するし、不協和音を強調した冨田勲の音楽がそれを更に助長するから、観ていて疲れることおびただしい。
◆イリヤと別れた後にハーリーが近づいたのは、マイク(バディ・デュレス)という薬の売人をしている若い男。私に言わせればハーリーは健康な19歳の女なのだから、スーパーのレジ係でも何でも働く気があれば、まともな仕事ができるはず。しかし、彼女がやっている仕事は「物乞い」だから呆れてしまう。しかも、「今日は仕事をやりたくないので、とりあえずヘロインをくれ」とねだるハーリーをみていると腹が立ってくる。そんなハーリーに、マイクが「俺は警察に捕まるリスクを冒して仕事をしているのに、お前は道路に座って物乞いをしているだけだ」と文句をつけたのは当然。しかして、それに対するハーリーの反論は・・・?
弁護士をしていると、利害が対立する当事者の言い分が全く違うのはやむをえないことがよくわかるが、そこで何より大切なことは、その主張にどの程度合理性、論理性があるかということだ。そんな目でハーリーの主張(反論?)を聞いているととにかくハチャメチャで、最後には大きな声でわめくだけになってくるので、この点でも、いささかうんざり・・・。
『キネマ旬報』1月下旬号の「REVIEW 鑑賞ガイド」では、「ドラッグにひたって失踪する彼女をとりまく若い男女の青春群像の結末は、まるで嵐の去った後の晴れた空のようなさわやかさを感じてしまうほどだ。」と称賛した小野耕世氏は、4点をつけている。それに対して、「社会派的な視点もないし、罵りだけぶつけられても不快。」と書いた中西愛子氏は1点、「とりあえずこれだけは云っておこう。いいかい兄弟、もうハーモニー・コリンやドグマ95は忘れるんだ!」と書いた萩野亮氏は2点と、その評価は極端に分かれている。そして、私は中西愛子氏、萩野亮氏の意見に大賛成!
◆アメリカ映画には「アメリカン・ニューシネマ」が全盛期を誇った時代がある。その代表が『俺たちに明日はない』(67年)で、学生運動全盛時代の1960年代後半から1970年にかけて「反体制」をキーワードとした若者たちの人気を集めていた。その結末はほとんどが悲惨なものだったが、少なくとも「アメリカン・ニューシネマ」に登場した若者たちは、自分たちが生きている社会に対して問題提起をするという「社会性」があった。しかし、本作に見るハーリーやその恋人のイリヤ、そしてヘロインの売人のマイクたちの存在やその生き方は、まさに社会のクズとしか言いようがない。
ハーリーとイリヤがヨリを戻す展開にはそれなりのストーリーはあるものの、およそ「純愛」という言葉は不似合だ。そして、ラストに見る、ハーリーとイリヤの長距離バスに乗ってのフロリダへの逃避行(?)に私は一瞬希望を見い出したが、残念ながらこれも全く違う展開になっていく。それにしても、マンハッタンの下町のスーパー(コンビニ)では、今でもあんな万引きがまかり通っているの?そもそも、ハーリーとイリヤはヨリを戻した2人の再出発のために食料品を万引きで集めることで幸せになれると考えているの?
本作の衝撃度はたしかにすごいが、私には単に不良少女のアホバカ行状記を映画にしただけとも思えてくる。そんな本作が、なぜ東京国際映画祭でグランプリと監督賞をW受賞をしたの?それは、平和で安心安全な国に住んでいる今の日本人の心に潜む、ちょっとした「ないものねだり」の気持ちを刺激したため・・・?
2016(平成28)年1月8日記