カルテル・ランド(メキシコ、アメリカ・2015年) |
<シネ・リーブル梅田>
2016年5月22日鑑賞
2016年5月28日記
鬼才・園子温監督を追った大島新監督の『園子温という生きもの』(16年)は演出色が目立ったが、メキシコ麻薬戦争と自警団の実態に迫った本作のドキュメント性はすごい。
まずは、マシュー・ハイネマン監督が命懸けで迫った、麻薬カルテルVS自警団の闘争に注目!次に「正義の味方」と思われていた自警団内部の腐敗ぶりや内部の権力闘争の実態に注目!続いて、自警団の正当性は?という本質的問題に切り込み、メキシコ麻薬戦争の本質をじっくり考えたい。
そこではきっと、日本のマスコミが垂れ流すようなキレイごとでは割り切れない、人間や社会のワルの実態が見えてくるはずだ。
本文はネタバレを含みます!!
それでも読む方は下の「More」をクリック!!
↓↓↓
ここからはネタバレを含みます!!ご注意ください!!
↓↓↓
監督・製作・撮影・編集:マシュー・ハイネマン
製作総指揮:キャスリン・ビグロー
ホセ・マヌエル・ミレレス(メキシコ・ミチョアカン州自警団のリーダー、医師)
エスタニスラオ・ベルトラン“パパ・スマーフ”(メキシコ・ミチョアカン州自警団の幹部)
ニコラス・シエラ・サンタナ“エル・ゴルド”(メキシコ・ミチョアカン州自警団の幹部)
ティム・“ネイラー”・フォーリー(アメリカ・アリゾナ国境自警団のリーダー、退役軍人)
エル・チャネケ(テンプル騎士団の地域のボス)
エンリケ・ペニャ・ニエト(メキシコ合衆国大統領)
アルフレド・カスティージョ(ミチョアンカ州警察長官・治安担当責任者、ペニャ・ニエト大統領の側近)
2015年・メキシコ、アメリカ映画・100分
配給/トランスフォーマー
<『エスコバル 楽園の掟』とのセットがおすすめ!>
本作は、2013年2月頃に結成された、①メキシコ中西部、ミチョアカン州の自警団、②米国アリゾナ州のアルター・バレー、メキシコ国境沿いのアリゾナ国境自警団と麻薬カルテルとの、まさに「麻薬戦争」の実態を描いたドキュメンタリー映画。
本作のパンフレットには、「メキシコ麻薬戦争・年表」があり、そこでは、ジョン・ウェイン主演の『アラモ』(60年)で有名な「米墨戦争」に敗れたメキシコが、1848年に国土の約半分をアメリカに割譲してから今日までの「メキシコ麻薬戦争」の年表がまとめられている。この年表によると、コロンビアの麻薬カルテルのボスであり、かつ国会議員で、フォーブス誌の長者番付にも名を連ねるなどの権勢を誇っていたパブロ・エスコバルが殺害された1993年を契機として、アメリカ合衆国やコロンビア政府の圧力によりコロンビアのカルテルは徐々に弱体化し、メキシコのカルテルが台頭してきたらしい。このパブロ・エスコバルの名前を私は『エスコバル 楽園の掟』(15年)(『シネマルーム37』未掲載)を観てはじめて知ったが、それはなんとも信じられなようなコロンビア版『ゴッド・ファーザー』の物語だった。
したがって、ドキュメンタリーと劇場映画との違いはあっても、『エスコバル 楽園の掟』と本作の両者をセットで観れば、「メキシコ麻薬戦争」の全体像はバッチリ!
<2つの自警団の2人のリーダーに注目!>
黒澤明監督の『七人の侍』(54年)は、盗賊に苦しむ農民たちが「用心棒代」を支払うことによって「七人の侍」を雇ったが、メキシコ麻薬戦争で苦しむメキシコとアメリカの2つの町の住人たちはそうではなく、2人のリーダーの呼びかけに応じて自警団を結成した。メキシコのリーダー、ホセ・マヌエル・ミレレスはミチョアカン州で医師として働いていたが、2013年に各地で数々の自警団が生まれる中、堪能な弁舌でカリスマ的リーダーとして注目を集めた。また、アリゾナのリーダー、ティム・“ネイラー”・フォーリーは米国陸軍の戦闘工兵を務めたキャリアを持つ男だ。まずは、第1にそんな2つの自警団が共に2013年に結成され、しかもそのリーダーが同年齢だということに注目!
第2に、メキシコはともかく、アリゾナの自警団結成は、よくも悪くも「お上意識」や「士農工商の身分差別」が定着していた江戸時代の日本と違い、西部開拓史に象徴されるフロンティア精神に富むアメリカならではのものだという点に注目!ちなみに、メキシコから米国へ渡る不法移民を、麻薬や暴力を流入させる「侵略」とみなし、日夜、武装してメキシコ国境沿いをパトロールしているネイラーの自警団の考え方は、泡沫候補と言われながら遂に共和党の大統領候補となり、今やヒラリー・クリントンと互角の闘いができるまでに急成長した、ドナルド・トランプ候補の考え方に通じるものがある。
<政府VS自警団の関係は?自警団は正義の味方?>
メキシコのミチョアカン州で自警団が次々と生まれたのは、住民に対する麻薬カルテルの横暴に対して、政府(国)が何もしてくれなかったため。そこでやむをえず住民自らが武器をとって立ち上がり、文字どおり「自警」したわけだ。しかし、近代国家、法治国家、民主主義国家の下で、それは許されるの?大方の素人の予想に反して、その答えは否。つまり、法治国家、民主主義国家では、国民は軍事権はもちろん警察権もすべて国(政府)に委ね、自ら自衛する権利を放棄したのだから、国(政府)の警察が頼りないからといって、自ら自衛する権利もその正当性はないわけだ。したがって、麻薬カルテルの横暴に対して有効に対処できなかった国(政府)は、当初こそ自警団の活動を事実上黙認、容認していたが、次第に自警団の力が大きくなり、彼らが国の警察力に代わる存在に近づいてくると、「こりゃヤバイ!」ということに・・・。
それを助長させたのが、自警団内部の腐敗と内部闘争(権力闘争)だ。武器を持つことによって自分が他人よりも優位にあることがわかると、たちまち人間が変質していくのはよくあるパターン。また、組織が大きくなると、リーダーの座をめぐって権力闘争が起きるのもよくあるパターン。両者とも人間の性(さが)だ。マシュー・ハイネマン監督のカメラは、当初「正義の味方」として出発したミレレス率いる自警団が次第に変質していく姿を情け容赦なく捉えていくから、それに注目!
そんな中、メキシコ連邦政府は2014年1月に至り、本来違法な存在である自警団を、メキシコ軍規にもとづいた民兵組織「地方防衛軍」として合法化することを決定したが、さてミレレスはどうするの?自警団の幹部の一人でミレレスの腹心だったエスタニスラオ・ベルトラン“パパ・スマーフ”と、同じく自警団の幹部ながら、実は武装グループのリーダーで、長年麻薬密輸に携わる地元マフィアだったニコラス・シエラ・サンタナ“エル・ゴルド”は地方防衛軍に参加したが、ミレレスは断固拒否。ミレレスはいつまでも自警団にこだわり、いかにも彼流の「男の美学」を貫いたわけだが、さてその当否は?
<命を懸けた監督と製作総指揮の女性に注目!>
本作の予告編では、「私がスクリーンに登場する頃には、私の命はなくなっているかもしれない」とミレレスが語っているのを観てビックリしたが、本作を観ていると、それが決して冗談でもなく誇張でもないことがわかってくる。
導入部では、ミレレス率いるメキシコの自警団の活動とネイラー率いるアリゾナ国境自警団の活動がほぼ平等に放映されるが、中盤で飛行機事故(?)に遭ったミレレスが「あわや死亡?」という事態になると、マシュー・ハイネマン監督のカメラは次第にミレレスの活動に重点が移っていく。近時、イランやイラクまたシリア等の紛争(危険)地帯に入った日本人の戦場カメラマンの犠牲が伝えられているが、麻薬戦争の真っ只中で、写真ではなく、ドキュメンタリー映像を撮るのに命の危険が伴うのは当然。しかして本作では、ホントに車に乗って撮影中のマシュー・ハイネマン監督に爆弾事件が発生するので唖然!もちろん、それもしっかりカメラに収められているが、これぞまさに命懸けの撮影であることは明らかだ。
他方、そんな命の危険が伴うドキュメンタリー映画の製作総指揮をしたのは、女性の映画監督、プロデューサーとして有名なキャスリン・ビグロー。彼女は監督と製作を務めた『ハート・ロッカー』(08年)(『シネマルーム24』15頁参照)でアカデミー賞最優秀監督賞と作品賞を受賞した女性監督だ。ビンラディン追跡の一部始終をCIAの女性情報分析官の目で観客に見せつけた彼女の監督した『ゼロ・ダーク・サーティ』(12年)もすごかった( 『シネマルーム30』35頁参照)。女性監督ながらそんなテーマに切り込む勇気を持った監督だからこそ、若いマシュー・ハイネマン監督が監督・製作・撮影・編集する本作の製作総指揮をとる決断をしたのだろう。
本作を鑑賞するについては、そんなマシュー・ハイネマン監督と製作総指揮のキャスリン・ビグローに注目!
<アレレ、こんな姿もカメラにしっかりと!>
「従軍慰安婦」問題は戦場における「男の性」の問題の一つの象徴だが、そこに行きつく前に、戦場や紛争地帯では組織的な殺人の他レイプが発生するのは当然。本作ではその実態にはアプローチされていないが、「メキシコ麻薬戦争」の一つの側面としてレイプ問題があるのは当然だ。
そんな中、マシュー・ハイネマン監督のカメラが捉えるのは、ミレレスが若い美女をやさしく口説く姿。弁舌さわやかで行動力のあるミレレスが、自警団のリーダーとしてのし上がってきたのは、ある意味当然。実際に起きた飛行機事故(?)は、そんなリーダーの暗殺を狙ったものかもしれない。彼が自警団の活動を始めたのは、「家族を守るためだ」ということはハッキリしている。また、ミレレスが医師としても自警団のリーダーとしても立派な男だということはハッキリしているが、そうだからといって彼が聖人君子か?というと、そうではない。彼にそれを求めるのは酷というものだ。そこまでは求めないとしても、マシュー・ハイネマン監督のカメラに収められた、ミレレスが若い美女の太ももに手を伸ばしている姿を見ていると、アレレ・・・?日本の政治家でも女性問題で失敗した例は多いが、ミレレスにとってもこれは大きなイメージダウンになるはずだ。
<冒頭とラストにも注目!続編を期待!>
朝日新聞をはじめとする日本のマスコミは何事につけてもキレイごとを求めるが、弁護士稼業を40年以上やってきた中で私がつくづく思うのは、キレイごとだけでは紛争は解決しないし、人間の本質や事件の本質は見えないこと。借りた金は返さなければならない。浮気をするのはダメ。人を傷つけたり、殺したりしてはダメ。そして、戦争はダメ。核兵器はダメ。舛添東京都知事の行為が政治資金規正法違反になるか否かは別として、公私混同はダメ。誰だってそんなことはわかっているが、そんなキレイごとをくり返し述べるだけではほとんど意味がない。「二分法」をとって、「麻薬(カルテル)は悪」、「自警団は善」と割り切ってしまえば単純だが、コトはそれほど単純でないことは、本作を観ればわかるはずだ。
しかして、本作の冒頭とラストに登場する、麻薬製造の第一線で働いている若者たちのナマの発言に注目!彼らも麻薬が人間(の健康)にとって良くないものであることはわかっているが、それを製造するのは自分たちが生きていくために仕方がないことだ、とハッキリ割り切っている。私がテレビのコメンテーターとして「正論」をぶつ識者たちを信用できないのは、彼らだって、ミレレスと同じような「人間として、アレレと思う面」を持っていると確信しているからだ。何も悪いことをしたことのない聖人君子なんて、この世にいるはずはないわけだ。もちろん、そんな人間の悪しき面をすべて容認するかどうかは別問題だが、少なくとも人間が持つその部分(本質)をしっかり認識しておく必要がある。
そう考えると、戦後はじめてアメリカの現職大統領が被爆地たる広島を訪れて核の廃絶を訴えても、きっと核はなくならないはず。そして、麻薬や麻薬カルテルもなくならないはずだ。そこで必要なことは、あくまで実態をきっちりウォッチングすることだから、私が期待するのは、近い将来本作の続編がつくられること。マシュー・ハイネマン監督はまだ若いし、幸いミレレスもまだ生きている。また、女性監督のキャスリン・ビグローのバイタリティーもまだまだ続くはずだ。5年以内での続編の製作を期待したい。
2016(平成28)年5月28日記