或る終焉(メキシコ、フランス・2015年) |
<テアトル梅田>
2016年6月11日鑑賞
2016年6月15日記
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監督・脚本:ミシェル・フランコ
デヴィッド(看護師)/ティム・ロス
ナディア/サラ・サザーランド
マーサ(末期ガンの女性)/ロビン・バートレット
ジョン/マイケル・クリストファー
バーナード/デヴィッド・ダストマルチャン
リディア/ビッツィー・トゥロック
2015年・メキシコ、フランス映画・94分
配給/エスパース・サロウ
◆ヨーロッパの映画は、近時の邦画と違ってわかりにくい。説明を極端に省略した本作の導入部分は、とりわけわかりづらい。若い女の子ナディア(サラ・サザーランド)を車で追う本作の主人公デヴィッド(ティム・ロス)。そして、大学構内で友人と歩くナディアに声をかけるデヴィッド。さて、この2人の関係は・・・?
◆終末期患者の看護師として懸命に働くデヴィッドの姿を描き、第68回カンヌ国際映画祭で脚本賞に輝いた本作は、観ていると、とにかくつらい。重く、暗く、かつ・・・。
デヴィッドの患者は①当初の女性患者、から、②末期ガンの女性マーサ(ロビン・バートレット)、③元建築家の老人ジョン(マイケル・クリストファー)へと変わっていくが、その1人1人への献身的な看護ぶりには感心させられる。しかし、「過ぎたるはなお及ばざるが如し」のことわざどおり、ある日、デヴィッドはセクハラで訴えられる羽目に・・・。
◆デヴィッドが糞尿の世話を含めてここまで患者に寄り添うことができるのは、何よりも職業意識の高さのためだが、その他にも、デヴィッドの心の奥底に潜む孤独のせい。それが本作のポイントになる。導入部のシーンもその一つだから、その理解をしっかりと。つまり、このデヴィッドの孤独の原因は、息子ダンの死亡だ。
ダンの死亡を機に、別れた妻や娘とも顔を合わせたくなかったデヴィッドは今、患者の在宅看護とフィットネスクラブでのエクササイズのみに没頭する日々を送っていたが、ある日マーサから「安楽死」を手伝ってもらいたいと言われると・・・。
◆少子高齢化が極端に進んだ現在の日本では高齢者の介護問題が深刻になっているが、本作におけるデヴィッドの働きぶりを見れば、要介護者を抱えた家族の人たちは安心するはず。逆に、介護施設の職員たちは「デヴィッドのような献身的な仕事はできっこない」と反発するはずだ。本作は94分と決して長くはないが、スクリーン上で見るのはデヴィッドの献身的な介護ぶりのオンパレードだから、時間が長く感じてくる。そして、時々トレーニングマシンで走るデヴィッドの姿が登場するが、それを見ていると、この男は毎日こんなことばかりやっていて何のストレスも感じないの?つい考えてしまう。
そんな中、介護の仕事の合間に今日は室内ではなく外をランニングするらしい。たまにはそれもいいだろう。そう思っていると、突然あっと驚く事件が!そして、映画はその瞬間に終わってしまうから、アレレ、これをどう考えればいいの?ホントにこの映画の解釈は難しい。そして、しんどい。あーあ、疲れた・・・。
2016(平成28)年6月15日記