隠された記憶(フランス、オーストリア、ドイツ、イタリア映画・2005年) |
<テアトル梅田>
2006年6月11日鑑賞
2006年6月12日記
スクリーンいっぱいに広がる送り届けられてきたビデオテープの再生画面。そこには幸せに暮らす家族の瀟洒(しょうしゃ)な家が。しかし一体誰が?何のために・・・?その後も続くテープが、次第に過去の内面にさかのぼっていく中、家族の心の中には不安といらだちが・・・。そして必然的に6歳の時の「ある記憶」に・・・。カンヌ国際映画祭で最優秀監督賞を受賞したハネケ監督による「隠された記憶」への問題提起は奥深く衝撃的だが、同時にひどく難解・・・?目を皿のようにしてスクリーンを凝視することと、映画鑑賞後のディスカッションが不可欠・・・?
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監督・脚本:ミヒャエル・ハネケ
ジョルジュ・ロラン(人気キャスター)/ダニエル・オートゥイユ
アン・ロラン(ジョルジュの妻)/ジュリエット・ビノシュ
ピエロ・ロラン(ジョルジュの息子)/レスター・マクドンスキ
マジッド(アルジェリア人)/モーリス・ベニシュー
マジッドの息子/ワリッド・アフキ
ジョルジュの母/アニー・ジラルド
ジョルジュの上司/ベルナール・ル・コック
ピエール/ダニエル・デュヴァル
マチルド/ナタリー・リシャール
ムービーアイ、タキ・コーポレーション共同配給・2005年・フランス、オーストリア、ドイツ、イタリア映画・119分
<ミヒャエル・ハネケ監督の理解が不可欠>
私は全然知らなかったが、オーストリア人のミヒャエル・ハネケ監督は、『ファニーゲーム』(97年)や『ピアニスト』(01年)で有名な、問題提起型監督(?)らしい・・・。パンフレットによれば、「揺るぎない自分自身のセオリーを持つヨーロッパ映画界の巨匠として名高い」ハネケ監督は、「多くの人間が期待するようなハッピーエンドを用意するような娯楽映画監督でないのは周知の事実」とのこと。またハネケ監督の映画では、その登場人物の名前が「父親はゲオルグまたはジョルジュ、母親はアンナまたはアン、娘が登場するときはエヴァまたはエヴィ、といった共通の名を与えられている」とのこと。
『隠された記憶』は、第58回カンヌ国際映画祭で最優秀監督賞をはじめとする3部門を受賞した他、数々の映画賞を受賞した作品であることからわかるとおり、人間の本質に深く迫るテーマ性を明確に打ち出したもの。さて、そのテーマとは・・・?
<表のテーマ(?)は、犯人捜し>
そんなハネケ監督の映画だけに、まず映画の入り方からしてかなり変わったもの。大きなスクリーン上には、前面道路上に車を2台駐車させた、ある瀟洒(しょうしゃ)な邸宅が映し出され、その上に静かに文字が記されていく。そして、時々聞こえてくる夫婦の会話。そんな中、ある男性が家の中に入って行ったかと思うと、突然画面が乱れ、スクリーン上は「巻き戻し」の状態に。そう、このスクリーンはビデオテープを再生しているものなのだ。
何者かがスーパーの袋に入れて、ある奇妙な絵とともに送りつけてきたこのビデオテープが、ハネケ監督が描くこの物語の始まり。その後、ビデオテープの内容は次々とエスカレート・・・。こんなことをする奴は、一体誰・・・?どこかのストーカー、それとも何らかの明確な意図を持った行為・・・?この映画の表のテーマ(?)は、そんな犯人捜し・・・。
<「失われた記憶」あれこれ・・・>
人間の記憶は曖昧なものだが、それは人間の内面を映し出すものだけに、映画のテーマとして最適なもの。したがって、「失われた記憶」をテーマとした映画は数多い。『きみに読む物語』(04年)の君とは、認知症の初老の女性(『シネマルーム7』112頁参照)。また、韓国映画『私の頭の中の消しゴム』(04年)は若い女性が(『シネマルーム9』137頁参照)、渡辺謙熱演の『明日の記憶』(06年)は中年サラリーマンが、それぞれ若年性アルツハイマー病になった悲劇と、それを支える彼氏や妻との感動的な生き方を描いたもの。また、『エターナル・サンシャイン』(04年)は、「失恋の記憶だけを消す」というまことに都合のいい現象(?)をテーマとした映画(『シネマルーム7』108頁参照)・・・。
<裏のテーマ(?)は、6歳の時のある隠された記憶>
これらに対して、『隠された記憶』の裏のテーマ(?)は、まさにそのタイトルどおり、6歳の時の隠された記憶。英題は『Hidden』だが、英題でも邦題でも文法上、受動態であるところがミソ。つまり、自分で意識して「隠した記憶」ではなく、意識しないまま自然に頭の中で「隠された記憶」というところが、ハネケ監督がこの映画をサスペンス・スリラーとして取り組んだ理由・・・?
この映画の主人公フランス人のジョルジュ・ロラン(ダニエル・オートゥイユ)は、ニュースキャスターとして成功を収め、美しい妻アン・ロラン(ジュリエット・ビノシュ)と一人息子のピエロ・ロラン(レスター・マクドンスキ)とともに、冒頭に登場したパリ市内の瀟洒な家に住んでいる。アンも出版社の編集者として勤めているため、お互い忙しい毎日だが、中流の上に属する「人種」として、ロラン一家は何不自由ない幸せな生活を送っていた。ところが、送りつけられてくるビデオテープによって、ある「隠された記憶」が次第に呼び戻されていく中、ジョルジュたちは・・・?
<観客への「暗示」もキッチリと・・・>
ビデオテープと奇妙な絵が次々と送り届けられる中、ジョルジュとアン、そしてピエロを巻き込んだ家族たちの不安といらだちは、次第にエスカレート。夫婦の言い争いはもちろん、ピエロの態度にも大きな異変が・・・。これでもか、これでもかと不安を増幅させていくシーンが続く中、突然観客に示されるのが、これまた固定カメラの中で展開されるある暗示。
この映画では、2度、アッと驚く衝撃的なシーンがあるが、その第1がコレ。それはある少年が、大きな包丁でニワトリの頭をはねるシーン。頭を失ったニワトリは残った身体だけで地面を飛び回り、少年は顔に返り血を浴びて恐ろしい顔に。そして、彼はその有り様をジッと見ていたもう1人の少年に向かって、包丁を持ったまま、恐ろしい形相で進んできた・・・。そこで、ハタと目が覚めたのがジョルジュ。そう、これはビデオテープ事件のいらだちが高じているジョルジュが見た恐ろしい夢だったのだ。しかし、そのニワトリの頭をはねた少年こそ、アルジェリア人のマジッド(モーリス・ベニシュー)であり、もう1人の少年こそがジョルジュ自身だった。したがって、これは夢であっても架空の話ではなく、現実に起こった「事件」であり、ジョルジュの頭の中に「隠されていた記憶」。こんな「隠されていた記憶」の1つが、頭の中の引き出しから引き出されると、他にも「隠された記憶」が次々と・・・?
<なぜジョルジュは母親を訪問したの・・・?>
「夢」事件(?)の次には、ジョルジュが病気の母親(アニー・ジラルド)を訪問するシーンが登場する。ニュースキャスターとして成功し、忙しい毎日を過ごしているジョルジュは、常日頃母親のことをほとんど忘れていたし、母親もそれを当然のことと容認していた。しかるに、なぜ今日、突然何の前触れもなく、息子がやって来たの・・・?そう考えた母親は、久しぶりの息子との会話の中で、ジョルジュが何かを隠していることを敏感に感じとった。ジョルジュは「子供の頃、家にいたマジッドのことを覚えているか?」と母親に切り出すが、母親は全然覚えていない。そりゃ、何らかの当事者であったジョルジュは覚えているとしても、直接の当事者でなかった(?)母親が、そんなことを覚えていないのは当然・・・?
<導かれるようにジョルジュはアパートへ・・・>
2本目のビデオテープは、車の中からフロントガラスを通して前方を撮ったもの。その映像はその後、ある安アパートの廊下のシーンに。これは一体ナニ・・・?画面をよく見ると、そこには通りの名前があった。レーニン通り・・・?早速、地図を調べるジョルジュとアン。そしてある日、導かれるようにジョルジュは1人でこのアパートへ。ある1室の呼び鈴を押すと、そこに出てきたのは中年の男。そしてこの男こそが、6歳の時、ニワトリの頭を包丁ではねていたマジッドであることがわかる。
ジョルジュは部屋の中で、「なぜそんなことをするのか?」「目当ては金か?」「2度とこんなことをしたら、許さない」と一方的にまくしたてて帰ったが、なぜか妻には、「アパートを訪ねたが、部屋は空で誰もいなかった」とウソの説明を・・・。ところが、その後送りつけられてきたビデオテープには、何とその部屋の中でのジョルジュとマジッドのやりとりの一部始終が撮影されていた。夫の留守中このビデオテープを観たアンが、そんな夫の行動に不信を抱いたのは当然。さて、ここまで広がり、深まった夫婦間のミゾは、果たして回復できるのだろうか・・・?
<ピエロの態度の急変はなぜ・・・?>
そして奇妙な絵は、息子のピエロの学校にも。そんな中、次第に母親に示す態度がおかしくなっていくピエロ。そしてある日ピエロが家に戻って来なかったため、ジョルジュとアンは大騒ぎ。「誘拐された」と直感したジョルジュが思いつく犯人は、当然マジッド。「ビデオテープ事件」では取りあげてくれなかった警察も、一人息子が誘拐されたとの訴えに対しては、迅速に対応し、直ちにマジッドのアパートへ急行。ドアを開けたマジッドの息子(ワリッド・アフキ)とともに、マジッドを逮捕したが、ホントにマジッドやマジッドの息子がその犯人・・・?
<2度目の衝撃シーンから、本格的サスペンススリラーへ・・・>
映画鑑賞後パンフレットを詳細に読むと、この映画は「サスペンススリラー」と表示してあった。前半はビデオテープによる不安と、それは誰が何のために、という興味に終始していたが、約3分の2を経過した時点で突如登場する2度目の衝撃的なシーンから、この映画は本格的なサスペンススリラーの様相(?)を露わにしていく。
場面は、再びあのマジッドが住む安アパートの廊下。ジョルジュが呼び鈴を鳴らすと、すぐに内側からドアが開き、マジッドがジョルジュを導き入れた。そして、既に1度私たち観客に見せてくれていたマジッドの奥の部屋の中でジョルジュとマジッドが向き合うが、そこでマジッドが言うセリフは「ビデオテープは俺が送ったんじゃない」ということ。それに対して、ジョルジュは「それを言うために私を呼び寄せたのか?」と答えると、その直後、マジッドは「これを見せるためだ」と言いながら右のポケットからナイフを取り出し、「これは・・・」と思う間もなく、そのナイフで自らの喉元を掻っ切ったからビックリ・・・。たちまちマジッドは倒れ込み、床は血の海に・・・。呆然と立ち尽くすジョルジュ・・・。マジッドは一体何のためにこんなことを・・・?そして、ジョルジュはこれに対してどう対処するの・・・?まずは警察へ・・・?それとも・・・?
<何とも難解なReview3題>
ハネケ監督がこの映画で設定した2つのテーマは前述のとおりだが、「隠された記憶」にはある「やましさ」が含まれていたため、そのやましさ=疚しさをめぐって、パンフレットには難解なReviewが3題載っている。第1は、重松清氏(作家)の「6歳の僕は/そして6歳のあなたは/なにをしたー?」と題する、「やましさ」という心の中の問題に絞った解説。第2は、スザンネ・シェアマン氏(明治大学教授)の「裕福な人の恐怖」と題した、1961年10月17日にアルジェリア民族解放戦線(FNL)が行ったデモを解散させるにあたって発生した、約200人の大虐殺事件を素材として、政治的な「やましさ」を説いた解説。そして第3は、北小路隆志氏(映画評論家)の「回帰する亡霊、あるいはブルジョア階級の崩壊」と題する、ブルジョア階級のやましさに焦点をあてた解説。
これらはいずれも難解な文章だが、ハネケ監督のインタビューとプロダクションノートを併せてよく勉強することが必要。ここまで難しく考えていかなければわからない映画というのも珍しいが、さすが文明先進国のヨーロッパ映画だと感心・・・。そして同時に、ハリウッド映画は所詮インチキで、ホントの映画づくりとはこういうことなんだという強いこだわりを感じさせる映画。しかして、あなたのお好みはどっち・・・?
<「衝撃のラストシーン」は目を皿のようにして・・・>
この映画のチラシには、「ラストカットに全世界が震撼」「衝撃のラストカット その真実の瞬間を見逃してはいけない」とあるため、私はそのラストシーンに大いに注目したが、これはピエロが通う学校の玄関のシーン。ジョルジュがピエロを迎えに来たシーンで既に1度登場した風景だが、映画の冒頭と同じように、カメラは固定されたまま、玄関上で動く人たちの姿を映し出すワンカットがかなり長く続いていく。
さて、ここから何が見えるのだろうか?そして、このシーンにはどのような意味があるのだろうか・・・?目を皿のようにしてスクリーンを凝視し、どんな変化が起こったのかを早く見抜かなければ、結局何もわからないまま映像が消え、次にはエンドロールの文字だけが・・・。さてあなたは、このラストカットで何が見えた・・・?そして、ビデオテープを送りつけてきた犯人は、結局ダレ・・・?
2006(平成18)年6月12日記