LIMIT OF LOVE 海猿(日本映画・2006年) |
<ナビオTOHOプレックス>
2006年6月18日鑑賞
2006年6月19日記
北朝鮮からのミサイル、テポドンの発射は本当にあるのか?そんな危機が迫る昨今(?)、海上保安庁の「海猿」たちの役割は重大!それに比べれば大型フェリーの座礁に伴う乗客600名の救出という任務はチョロいもの・・・?しかし現実は・・・?絶望的状況を再三切り抜ける主人公の根性はたいしたもの。しかし『ポセイドン』(06年)と対比すれば、任務中の人生談義やプロポーズの甘さは、いかにも日本的・・・?また、テレビ局と連動させた大ヒットの連続を率直に喜んでいいの・・・?
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監督:羽住英一郎
仙崎大輔(第十管区海上保安本部機動救難隊隊員)/伊藤英明
伊沢環菜(服飾デザイナー)/加藤あい
吉岡哲也(第十管区海上保安本部機動救難隊隊員)/佐藤隆太
本間恵(くろーばー号売店販売員)/大塚寧々
海老原真一(くろーばー号乗客)/吹越満
下川嵓(本庁警備救難部救難課専門官)/時任三郎
乙部志保里(鹿児島テレビ報道局員)/浅見れいな
東宝配給・2006年・日本映画・117分
<テレビ局連動で大ヒットだが・・・?>
5月6日に封切られた『海猿』パート2にあたるこの『LIMIT OF LOVE 海猿』が、驚異的大ヒットを続けていることが、『キネマ旬報』6月下旬号で報じられている(169頁参照)。それによれば、①「5月6日に封切られ、21日までの16日間で263万人の動員、興収35億5375万円をあげた。最終見込みで興収60億円と予測されている」とのこと。そして②「前作の『海猿』(17億4000万円)、昨年のヒット作『交渉人 真下正義』(42億円)、『NANA』(40億3000万円)、『容疑者 室井慎次』(38億3000万円)、『電車男』(37億円)と比べれば、このヒットがどれだけ凄いかが分かる」とのこと。さらに、③「昨年の4本は決して超大作ではないが、テレビ局と連動したプロモーションで興収40億円前後まではいくということが証明された。しかし、興収17億円強に続く今作が興収60億円となると、その作品の持つ力とヒットの関係が、従来の予測の範囲や考え方から大きく離れてしまった」とのこと。しかし、この①~③ってホントにいいことなの・・・?
私に言わせれば、テレビと連動しているだけで映画も大ヒットするというのは、かなり問題では・・・?そう思いながらこの『LIMIT OF LOVE 海猿』を観ていると、そのあまりにも若者向け(若者迎合)のつくり方(?)に、一層その感を強くしてしまったが・・・。
<『海猿』の全体像は・・・?>
本作は第1作の『海猿』(03年)(『シネマルーム4』118頁参照)の続編であり、同時にファイナル編。したがってその登場人物は、仙崎大輔(伊藤英明)と伊沢環菜(加藤あい)の2人は当然同じ。しかし、仙崎の「バディ」は吉岡哲也(佐藤隆太)に変わっているし、今回救助される2人の男女も全くの新登場。もっとも、本庁警備救難部救難課専門官という役割で、事故対策本部で指揮をとる下川嵓(時任三郎)だけは、前回の仙崎の上司役から大きく出世(?)して再登場・・・。
『海猿』1と2を製作するプロジェクトの歩みはパンフレットに詳しく紹介されているが、それを読んでいると、私の目にはどうも柳の下の2匹目のドジョウを狙ったとしか思えない。もっとも、それが前述のように興行的に成功したのだから、ケチをつけては申し訳ないのかも・・・?
<『ポセイドン』とのスピードの違いは一体ナニ・・・?>
『ポセイドン』(06年)は、ローグ・ウェーブを横っ腹に受けたことによって大型客船が瞬間的に転覆した大事故だが、『LIMIT OF LOVE 海猿』の事故は、大型フェリー「くろーばー号」が鹿児島沖3kmの地点で砂利運搬船と接触したことによって座礁し、30mにわたって船底が破裂したという事故。「ポセイドン号」は全長337.1m、乗客乗員数約4000名で、高さは20階建てのビルに相当する超豪華客船だが、「くろーばー号」は1万1245トン、乗客620名、9階建てのビルに相当するもので、その避難に要する時間は約4時間。
当初は、「軽微な事故で沈没することはありません。あわてずに避難して下さい」とアナウンスされていたが、仙崎からの現場報告を聞いた下川には、事態の深刻さが少しずつ見えてきた。そのため本件事故は、事故対策本部によって「大規模海難」と認定され、乗客の救出は「時間との勝負」だと、仙崎は下川から告げられた。したがって、『ポセイドン』における1分1秒を争うスピード勝負とまではいかなくても、以降乗客の救出作業は急速にスピードアップするはず、と私は思ったのだが・・・?
<現場でのこの甘さは一体ナニ・・・?>
「くろーばー号」は鹿児島港と横浜港を結ぶ大型フェリーだから、乗客の他195台の車両が積載されていた。したがって、この車が破壊されてガソリンが漏れ、引火・爆発したりすれば大変なことに・・・。仙崎とそのバディの吉岡は、現場でのそんな危険性や意外に早く各区画に注水している海水を発見したため、直ちにこれを下川に報告。そして、乗客を誘導しているうちに発見したのが、恋人の環菜。彼女がなぜこのフェリーの中に大切なウエディングドレスを入れたトランクを持って乗船していたのかは、私の解説では一切触れないので、それは映画を観てのお楽しみに・・・。
環菜に「早くボートに乗って」と誘導する中で爆発が起こったが、その時仙崎が助けたのが、1人の妊婦の本間恵(大塚寧々)。そこで、恵のケガを確認すると、右のおでこから少し出血している程度。ここで私に不可解なのは、そこでとった仙崎の行動。恵自身が「たいしたキズではないですよ」と言っているにもかかわらず、仙崎は「血を見ると乗客が動揺しますから」と言って、恵をわざわざ船内のレストランまで連れていって「治療」を。といってもよく観ていると、おでこに絆創膏を貼るだけで、後は彼女が「恋愛研究会」のメンバーだったなどと「雑談」をしているだけ・・・。乗客に不安を与えないように精一杯努力していることはわからないでもないが、そんなどうでもいいような手当てをするよりも、早くボートに乗せるのが先決では・・・?一流の「機動救難隊員」にしてこの甘さは一体ナニ・・・?
<海老原もホントにイヤな奴・・・?>
もう1人、この映画には、私に言わせれば今の日本国のダメさを象徴するような男、海老原真一(吹越満)が登場する。何とこの海老原は、みんなが避難している時に、自分の愛車にエンジンをかけようとしていた。そしてこれを止めようとした仙崎に対して、「船は沈まないと言っているのだから、避難する必要はないだろう。この車を潰したら承知しないぞ・・・!」と、何ともナンセンスで場違いかつ身勝手なセリフを・・・。さらに、この海老原は、仙崎と吉岡そして恵とともに船内に取り残され孤立した時も、言うことがあまりにも自己チューそのもので、絶望的な状況に置かれてもなお、「お前らは俺を助ける義務があるんだろう・・・」というもの。そんなセリフを言い続ける奴が1万人のうち1人くらいいても仕方ないと思えるものの、今の日本にはきっとたくさんいるのだろうナと思うから、私は内心ゾッとしてきた。ストーリーの結末に向けてはそれなりの大団円が用意されているものの、こんな危機的状況において、そんな身勝手なセリフを言う日本人が存在すること自体、世も末という感じ・・・?
<鹿児島テレビのレポーターにも失望・・・?>
もう1人失望した(?)のが、たまたま「くろーばー号」に乗り合わせていた鹿児島テレビ報道局員の乙部志保里(浅見れいな)。この乙部という名前のつけ方からして、ライブドアの広報担当の乙部綾子を連想させるもので、まずナンセンス・・・?それ以上にバカバカしいのは、彼女が救助された途端にレポーターとして第一報をやらされた時の対応。もちろん、こんな体験ははじめてだから恐かったことは十分理解できるが、テレビ局の報道局員としてプロの仕事をしている以上、たまたまそんな現場に居合わせて救助され、その直後カメラを向けられれば、そこでは恐さを忘れ、報道局員としてのプロの顔に切り替えてほしいもの。ところが、テレビに映っているはずの乙部レポーターの、その場での「報道」は・・・?
これでは、レポーター失格と言われても仕方ないのでは・・・?
<4人の脱出劇の「迫力」は・・・?>
仙崎と吉岡、そして恵と海老原の4人が船内に取り残されていたのは、実は最悪の位置。そこから脱出するためには、1階通路30mを90秒以上の潜水をして移動するしかない。そんな決断をした下川はそれを仙崎に命令し、仙崎はそれを実行した・・・。ここからの脱出劇が、『ポセイドン』で観た次から次へと続く決死の脱出劇と肩を並べるような迫力、と言いたいところだが・・・?
物語はそこから二転・三転(?)していくので、その「迫力」は是非映画を観てのお楽しみに・・・。絶望状態となっていた彼らは、やっと脱出の可能性を発見。さらにここで、やっと船内に残されていた携帯電話で環菜のケイタイと連絡をとることができ、これが下川に伝わった中、仙崎が下川に告げた脱出計画は・・・?
<こんな時にプロポーズはないだろう・・・?>
それは当然ながら、かなりバクチ性の強いもの。しかしそれは同時に、下川が言うように「本人がやると言ってるんだ。今さらガタガタ言っても仕方がない」もの。「くろーばー号」は既にかなり傾いているうえ、いつ爆発が起きてもおかしくない状態。今やまさに時間との勝負。一刻も早く行動をおこさなければ・・・。ところがここで、何とも意外な「甘さ」が・・・?
それは、私があえてこの映画評論で紹介しなかった仙崎と環菜との恋愛模様がことココに至って急展開し、仙崎は環菜に対する結婚の気持が高まったというわけだ。そこで、仙崎は環菜に対して長々と(?)プロポーズの言葉を・・・。それはそれなりに感動的なもの(?)だが、第1にそれはスピーカーを通して事故対策本部や仲間の潜水士全員に通じていることを仙崎は当然知っているはず・・・?そして第2に、今はそんな愛の告白をするよりも、一刻も早く脱出しなければならないのでは・・・?
いくら何でも、こんな一刻を争う脱出劇の最中に、感動的なプロポーズはありえないのでは・・・?
<極限状態と感動のオンパレードだが・・・>
水の中ばかりで演技をすることの大変さは想像以上。それは『ポセイドン』やこの『LIMIT OF LOVE 海猿』のパンフレットの中にある、撮影の苦労話を読めばよくわかる。映画のストーリー展開上でも、仙崎たちは1度ならず2度、3度と絶望の極限状態となる。1度目は、30mの潜水を無事やり終えて、やっと呼吸することができるようになり、さあ無線で本部の下川に連絡しようとしたにもかかわらず、無線が通じなくなった時。これは本部から見れば、もともと可能性の少ない潜水による脱出が成功しなかったと判断されるのは当然。本部はその直後、すべての船と潜水士に「くろーばー号」から離れるように命じたが、これはすなわち、仙崎ら4人の救出を諦めたということ・・・?
そこから始まる「4人組」の「対話」は1つの人生の縮図として興味深いものがあるが、彼らが置かれた絶望の淵はまさに極限状態。そして、その数度にわたる極限状態を切り抜けていくことができたのは、まさに仙崎の並外れた使命感と根性そして潜水士たちに通じている熱い友情・・・。それはわかっているのだが、わかっているだけに何度も何度も同じテーマがシチュエーションを変えて登場すると、私の目にはつい「感動の押し売り」のように思えてしまうのだが・・・。これって年寄りのひがみ・・・?今ドキの単純な(純粋な)若者たちは、ホントにこれで監督の思惑どおり何度も感動してくれるの・・・?
2006(平成18)年6月19日記