ヒトラーの忘れもの(デンマーク、ドイツ映画・2015年) |
<テアトル梅田>
2017年1月3日鑑賞
2017年1月11日記
アメリカ軍の日本本土への上陸を阻止するための作戦の1つが地雷の敷設だったが、ナチス・ドイツはそれを現実に!元の邦題を『地雷と少年兵』とされた本作は、デンマーク本国でもあまり知られていないドイツの少年兵による強制的な地雷除去作業を描く中で、ギリギリの人間性を問うもの。性善説?性悪説?約束は約束?しかし、命令はそれより上位に?
作業を終えればドイツに戻れる。そんな約束を信じて危険な作業に従事した少年兵たちの運命は・・・?そして『人間の條件』(59~61年)の梶と同じように苦悩した、ラスムスン軍曹の最後の決断とは・・・?
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監督・脚本:マーチン・サントフリート
ラスムスン軍曹(デンマーク軍)/ローラン・ムラ
エベ大尉(デンマーク軍)/ミゲル・ボー・フルスゴー
セバスチャン・シューマン(ドイツ軍少年兵)/ルイス・ホフマン
ヘルムート・モアバッハ(ドイツ軍少年兵)/ジョエル・バズマン
エルンスト・レスナー(ドイツ軍少年兵、双子のヴェルナーの兄)/エーミール・ベルトン
ヴェルナー・レスナー(ドイツ軍少年兵、双子のエルンストの弟)/オスカー・ベルトン
2015年・デンマーク、ドイツ映画・101分
配給/キノフィルムズ、木下グループ
<この邦題はイマイチ。『地雷と少年兵』の方がベター!>
本作は2015年の第28回東京国際映画祭に出品され、ラスムスン軍曹役のローラン・ムラと少年兵セバスチャン・シューマン役のルイス・ホフマンが最優秀男優賞を受賞したそうだが、その時の邦題は『地雷と少年兵』。原題は『LAND OF MINE』(地雷の国)だ。『ヒトラーの忘れもの』は、正式に日本で公開するについて新たにつけられた邦題だが、どう考えてもそれはイマイチで、原題や『地雷と少年兵』の方がベター・・・?
『史上最大の作戦』(62年)はフランスの西海岸にあるノルマンディーへの連合国軍の史上最大の上陸作戦を壮大なスケールで描いた映画だったが、ノルマンディー上陸作戦が開始するまでのナチス・ドイツの関心事は専らアメリカを含む連合国が、いつどの地点(海岸線)に上陸してくるかだった。そのため、ナチス・ドイツは連合国軍が上陸してくる可能性のあるすべての海岸線に数多くの地雷を埋めざるをえなかったが、それがデンマークまで及んでいたとは!しかも、その数が何と200万個以上に及んでいたとは!
ナチス・ドイツの闘いは1945年4月30日にヒトラーが自殺したことによって事実上終わりを告げたが、ナチス・ドイツが各地に残した地雷の除去はその後の大変なテーマ。デンマークでも憎っくきドイツ兵を追い出した後にその作業が不可欠となったが、問題はそれを一体誰がやるの?あるいは誰にやらせるの?
<捕虜に強制労働をさせる法的根拠は?>
第二次世界大戦は1939年9月1日に突如ナチス・ドイツが東隣にあるポーランドへの侵攻を開始したことによって始まった。ドイツのすぐ北隣にあるデンマークへの侵攻は1940年4月だが、その主たる目的はデンマークと海を隔てた北側にあるノルウェーの地下資源を確保するため、デンマークをその中継地とすることにあったらしい。小国のデンマークはフランスのようにナチス・ドイツに抵抗できなかったためドイツと戦わず、独立国としての体裁を保ちながらドイツの軍事的保護下に置かれ、ドイツもプロパガンダのためデンマークを「モデル保護国」として扱ったらしい。
すると本作に観るように、ドイツが始めた戦争がドイツの敗戦によって終わった後に、戦争の当事者国でないデンマークがドイツの兵隊を捕虜としたうえ、地雷除去作業に強制的に従事させているのは一体なぜ?それは一体どんな法的根拠に基づいているの?
<捕虜に対するジュネーヴ条約の適用は?>
デヴィッド・リーン監督の名作『戦場にかける橋』(57年)は、第二次世界大戦中に日本軍が占領したタイとビルマの国境付近で、イギリス人捕虜を強制的に泰緬鉄道の建設作業に従事させる物語だった。戦争中に敵国の捕虜をさまざまな作業に強制的に従事させるのは古今東西の常だが、第一次世界大戦の後の1929年には、1864年にはじめて成立したジュネーヴ条約の「捕虜の虐待に関する条項」が強化されているはずだ。
それなのに本作では、終戦後にもかかわらずデンマークはなぜドイツ兵に地雷除去の作業を強制しているの?それは、デンマークがナチス・ドイツの交戦国であればジュネーヴ条約が敗戦国のドイツ将兵に適用され、捕虜となったドイツ将兵を強制的に地雷除去作業に従事させることはできないが、デンマークはナチス・ドイツの交戦国ではなかったので、ジュネーヴ条約は適用されなかったためらしい。しかし、そうだからといってデンマークは一体いかなる権限(法的根拠)で捕虜となったドイツ軍の少年兵達を強制的に命がけの地雷除去作業に従事させることができたの?
本作は「事実に基づく物語」だが、実はデンマーク国内でも本作のような残酷な史実は知られることがなかったらしい。そんな知られざる史実に目を向け、ラスムスン軍曹(ローラン・ムラ)の目を通して人間性のあり方を真正面から問うた本作では、そこらあたりの解説は全くされないので、その点は各自しっかりお勉強を。
<地雷除去の危険性をはじめて実感!>
一昨年の「集団的自衛権」論争では、日本の自衛隊艦船がホルムズ海峡で水面下あるいは海底に敷設された機雷の除去作業に従事する任務の可否やその危険性が議論された。しかし、私たち日本人の多くは機雷除去作業の危険性を具体的にイメージすることはできなかったはずだ。それと同じように、私を含めた今ドキの日本人は、海岸線の砂浜の中に埋め込まれた無数の地雷を一個一個丁寧に除去する作業の大変さとその危険性をイメージすることはできないはずだ。
しかし、本作導入部でデンマーク軍のエベ大尉(ミゲル・ボー・フルスゴー)の命令に従ってドイツ軍少年兵のセバスチャン・シューマン(ルイス・ホフマン)や双子の兄弟のエルンスト・レスナー(エーミール・ベルトン)、ヴェルナー・レスナー(オスカー・ベルトン)たちが一人ずつ地雷除去作業の「実習」に励んでいる姿を見ると、その緊張感と危険性がひしひしと伝わってくる。訓練なのだから本来は練習用の地雷からスタートすべきだが、現場ではそんな悠長なことを言ってられないため、捕虜とされたドイツ人の少年兵たちの「実習」は練習用の地雷ではなくすべてホンモノ。したがって、ちょっとでもミスをすればホントに爆発し、死んでしまうことに。現にエベ大尉が指揮した訓練中には、一人の少年兵が操作ミスによって爆死してしまったし、ラスムスン軍曹が指揮する本番中にも、体調が悪いまま作業に従事した双子の弟・ヴェルナーがちょっとしたミスによって吹き飛ばされ、病院に運び込まれることに。本作導入部では、まずはそんな地雷除去作業の危険性をしっかり実感したい。
<性善説?それとも性悪説?それをじっくりと!>
本作は冒頭、ドイツに帰っていく兵士たちに対して「さっさとデンマークから出ていけ!」と悪態をつくラスムスン軍曹の姿が映し出されたうえ、続いてエベ大尉の命令に従って11名のドイツ人の少年兵を指揮して現場で地雷除去作業に従事するラスムスン軍曹の姿が映し出される。それを見ている限り、ラスムスン軍曹は少年兵達に対しロクな食料も与えず、病気だから少し休ませてくれと言うヴェルナーの願いも無視して作業に駆り立てる、人情味ゼロ、ドイツ兵への憎しみいっぱいの非情な作業マシーンの男と思えてしまう。というより、この任務に就いた当初のラスムスン軍曹はホントにそんな男だったのだろう。
病院へ見舞いに行きヴェルナーが死亡したことを聞かされたラスムスン軍曹はそのことを10名の仲間たちに隠したばかりか、逆に「ヴェルナーは治療を受けている。元気になればお前たちと一緒にドイツに戻れる」と嘘をついて作業を続けさせたが、そんな嘘ってあり?ラスムスン軍曹は歴戦の強者だが、地雷除去作業に従事した当初、11名のチームはみんな15歳から18歳までの初心な少年兵ばかり。いくら一定の期限内に一定の量の地雷を除去しなければならない任務を与えられているとはいえ、こんな嘘をシャアシャアとつけるラスムスン軍曹の人間性に疑問を持つのは当然だ。
ところが、体調不良のまま作業に従事させたため地雷を暴発させてしまった双子の弟・ヴェルナーの姿を見たり、飢えに苦しむ少年兵達の姿を見ているうちに、ラスムスン軍曹の心の中に少しずつ変化が生まれてきたらしい。もっとも、本作は近時の何でも説明調の邦画のようにラスムスン軍曹の気持ちを丁寧に描いてくれないから、ラスムスン軍曹のそこらあたりの気持ちの変化はストーリー展開の中で読み取るしかない。そのため、性善説が正しいのか、それとも性悪説が正しいのかをじっくり考えなければならないことになる。本作ではそれをじっくり観察したい。
<嘘も方便?人間の連帯や信頼関係は?>
人間は年を経ていろいろな体験を重ねてくると、よく言えば「清濁併せ呑む」度量を身につけ、悪く言えば「嘘も方便」と平気で嘘をつけるようになる動物だ。ラスムスン軍曹は11名のドイツ人の少年兵に対して「一人あたり、1時間に6個」の地雷除去作業を命じるについて、命の危険を含むマイナス面を説明すると同時に、すべての作業が終わればドイツに帰してやるというエサをまいて、少年兵達のやる気を促していた。しかし、そんな(口)約束はホントに守られるの?地雷の暴発で重傷を負ったヴェルナーが病院で死亡したことを知りながら、仲間たちには「ヴェルナーは元気だ」と平気で嘘をついて仲間たちのやる気を削がないようにしている姿を見ると、「この嘘つきめ!」とつい舌打ちしてしまったが、この場合は「嘘も方便」とラスムスン軍曹を褒めるべきなのかもしれない。
本作では、導入部から食料の配給をはじめとしてラスムスン軍曹の少年兵達に対する一貫した厳しさが目立っている。これは彼自身のナチス・ドイツへの憎しみを反映しているわけだが、ある意味でそれは当然。ところが人間とは不思議なもので、何か1つの目標に向けて共同作業を続けていると、その中で連帯感、信頼感、達成感が湧き仲間意識が芽生えてくるらしい。ちなみに、『人間の條件』(59~61年)全6部作の第2部では、満州の老虎嶺鉱山にある捕虜収容所の中国人捕虜(特殊工人)たちを強制作業に従事させるうえで、「捕虜を虐待するより、それなりの待遇で処した方が作業の効率がよい」とする論文を書いた梶が、上層部と捕虜(代表)の間に立って苦労する姿が描かれていた。そして、同第2部では大切に扱った捕虜たちが、ある日大量に脱走してしまうストーリーが登場。その結果、7人の脱走者には斬首の刑が処せられたが、梶がそれを「やめてくれ」と叫んだため、第3部では梶は「懲罰召集」とされ、二等兵として戦場に向かわされることになった。
それに比べれば、本作後半の少年兵と一緒にサッカーに興じるラスムスン軍曹の姿を見ていると、いかにも支配者と捕虜の関係がうまくいっているようだが、その実態は?そんな連帯感や信頼感が、ある日、ある事件によって根底から壊れてしまうと、そこまで醸成されていた支配者(ラスムスン軍曹)と捕虜たち(ドイツ人少年兵)との関係の変化は・・・?
<約束は守られるべきものだが・・・>
約束は守られるべきもの。それは当然のことだが、昨年のNHK大河ドラマ『真田丸』を見ていても、真田昌幸はもとより、徳川家康も豊臣秀吉も平気で約束を破る姿が目立っていた。約束は約束。約束は守らなければならないと主張し、やむをえず約束を破らなければならなくなった時に苦渋していたのは、遠藤憲一演じる上杉景勝ただ一人だった。
さらに、朴槿恵(パク・クネ)大統領が弾劾決議を受けた韓国では、2015年12月の「慰安婦問題日韓合意の成立」によって、日本から10億円を受領するかわりに韓国は慰安婦像を撤去する約束になっていたにもかかわらず、その後なかなか慰安婦像が撤去されないばかりか、日本総領事館前に新たな慰安婦像が設置されるという重大な約束違反が発生した。そのため、日本政府はその対抗措置の一つとして駐韓大使を「一時帰国」させたが、さて韓国側の今後の対応は?
そんなこんなを考えながら、本作に見るラスムスン軍曹が少年兵たちと交わした約束の履行の行方をしっかり見定めたい。
<約束よりも命令の方が上位に?>
この区域におけるすべての地雷除去作業を終えれば11名の少年兵たちをドイツに帰してやるという約束を、ラスムスン軍曹がホントに守ろうとしていたのかどうかは本作の展開からはわからない。また、ラスムスン軍曹の顔色からもそれはわからない。しかし、少なくとも少年兵との間に連帯と信頼関係が芽生えた時には、その約束を果たそうと考えていたことは間違いないようだ。ところが、すべての地雷が除去できたはずの砂浜に走って行ったラスムスン軍曹の愛犬が地雷で爆死すると、その責任は一体誰に?それを少年兵に向けても仕方ないことはわかっていても、以降少年兵に対する扱いを180度転換したラスムスン軍曹の心の中では、そんな少年兵に対する約束はもはやどうでもよくなっていたのかも・・・?
他方、ラスムスン軍曹の持ち場は海岸の一定区域と11名の少年兵だけだったが、エベ大尉はもっと広い観点からの持ち場を持っていたから、ラスムスン軍曹の持ち場での地雷除去の実践を経て、いわば初年兵から古参兵に昇格したセバスチャンたちは他の区域の地雷除去作業をさせる上で喉から手が出るほど欲しい人材。したがって、そんな人材をむざむざドイツに帰す必要はない。そう考えた上層部からエベ大尉に対して、彼らを次の区域の指導官として再配置せよという命令が下ったのはむしろ当然かもしれない。しかし、上層部からの命令を受けたエベ大尉からそんな命令を聞かされたラスムスン軍曹の心境は?心の中の葛藤は?
<ラスムスン軍曹の最後の決断は?その結末は?>
エベ大尉は「上層部からの命令だから」と言うだけで、『ハンナ・アーレント』(12年)(『シネマルーム32』215頁参照)で見たアイヒマンのように無機質に上層部からの命令をラスムスン軍曹に伝えていたが、すべての人間がそう割り切れるわけではない。少なくとも『人間の條件』第2部に見た民間人の梶はそうだったが、本作に見るラスムスン軍曹もそうだったようだ。
すべての作業を終え、嬉々として帰国しようとしていた少年兵たちのトラックに、ある偶然による大爆発事故が起きたのは「神様のいたずら」としかいいようがないが、無事帰国のトラックに乗ったセバスチャンたち生き残りの4人が、再び別の地雷除去の現場に強制的に連れ戻されたのは人為的な問題だ。約束は約束。約束は守られるべき。それが正論だが、それ以上に命令は命令。命令は絶対。そちらの命題の方が上位にあるのは当然だ。
しかして、そんな葛藤の中でラスムスン軍曹が下した最後の決断とは?梶のさまざまな決断もすべて「人間の條件」を守るためのものだったが、本作に見るラスムスン軍曹の決断もまさにそれ。しかし、そんな決断とその実行の後にラスムスン軍曹を待つ運命は?その結末は?その余韻(波及)の大きさをしっかり噛みしめ、考えながら、本作ラストに見るラスムスン軍曹の決断に注視し、拍手を送りたい。
2017(平成29)年1月11日記