郵便配達は二度ベルを鳴らす デジタル修復版(イタリア映画・1942年) |
<シネ・リーブル梅田>
2017年2月1日鑑賞
2017年2月3日記
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監督:ルキーノ・ヴィスコンティ
原作:ジェイムズ・M・ケイン『郵便配達は二度ベルを鳴らす』
ジョヴァンナ(ブラガーナの妻)/クララ・カラマイ
ジーノ・コスタ(流れ者の男)/マッシモ・ジロッティ
ブラガーナ(レストラン・ドガナの経営者)/フアン・デ・ランダ
アニータ(ジーノの新しい恋人)/ディーア・クリスティアーニ
“ スペイン人”(旅芸人)/エリオ・マルクッツォ
刑事/ヴィットリオ・ドゥーゼ
ドン・レミージョ/ミケーレ・リッカルディーニ
1942年・イタリア映画・126分
配給/アーク・フィルムズ、スターキャット
◆私は『郵便配達は二度ベルを鳴らす』がテレビで放映された時に観た記憶がある。そこでは映画冒頭からの激しいセックスシーンが強烈だったが、調べてみるとそれは1983年11月5日に『ゴールデン洋画劇場』で放送されたジャック・ニコルソン主演の1981年公開のアメリカ映画だった。ジェイムズ・M・ケイン原作の『郵便配達は二度ベルを鳴らす』は過去4度映画化されており、舞台をイタリアに設定したルキーノ・ヴィスコンティ監督の本作は2度目の映画化だ。したがって、ルキーノ・ヴィスコンティ監督の本作を観るのは今回がはじめてとなる。
◆本作はルキーノ・ヴィスコンティ監督のデビュー作で、封切り2日後に上映禁止処分を受けたという問題作だそうだが、そんな「不倫映画」の「サスペンス映画」が1942年にイタリアの「ネオリアリズモ」の出発作として作られていたことにビックリ!
もっとも、ウィキペディア情報によれば、本作がイタリア公開時に数日で上映禁止とされ長らく「幻の処女作」と呼ばれていたのは、「原作者の許諾を得ることなく映画化された違法な作品であるため」と解説されている。また、本作をもって「最初のネオレアリズモ映画」と言われることがあるが、一般に、映画におけるネオレアリズモの端緒はロベルト・ロッセリーニ監督による1945年の映画『無防備都市』であると言われている。この点についてヴィスコンティ監督は、「実際、ネオリアリズモという言葉はこの映画から生れたのだ。内容的にも、スタイルの上でも、この映画は大きなショックを人々に与えた。この時期には、こうしたリアリスティックな手法で人間性を裸にする作品というものは、撮ることができなかったからである。」「ロッセリーニの『無防備都市』など、完全に私の『郵便配達は二度ベルを鳴らす』から生まれたものだと言いきれる。」と主張しているがさてその正当性は?
◆また、ウィキペディア情報によれば、ネオレアリズモ風の作品は本作以前にもいくつか存在するため、何をもって最初の作品とするかは意見が分かれ、現在ではやや控えめに本作は「ネオレアリズモの先駆的作品」と呼ばれることが多いらしい。
さらに、長らく「幻の処女作」とされていたため、本作のアメリカでの公開はヴィスコンティの死後、1976年のニューヨーク・フィルム・フェスティバルだったそうだ。そして日本での公開は1979年だから、私が弁護士として独立した年。当時は映画を観る時間など全くなかったが、話題としては少し覚えているような気はする。今や事前情報としてヴィスコンティ監督の名前とその作品のイメージはすべて頭に入っているが、さて1942年生まれの「ネオリアリズモ」作品の衝撃性は?
◆1942年製作の本作は、カラーではなく当然モノクロ。また、スクリーンサイズもスタンダードで正方形に近いものだから、近時のワイドスクリーンに慣れている私の目には当然違和感がある。しかし、「物語の背景となる現地をオールロケして撮影した」と監督が語っている本作は、その風景だけで「ネオリアリズモ」の香りがプンプンしてくる。
また、冒頭からポー河沿いの軽食堂兼ガソリンスタンドを経営している太っちょの男ブラガーナ(フアン・デ・ランダ)と一回りも年が違う若くて美しい妻ジョヴァンナ(クララ・カラマイ)と、一文無しの流れ者ながらえらくカッコいい男ジーノ・コスタ(マッシモ・ジロッティ)が一目会った時から交わす絡みつくような視線を見ていると、これぞまさにネオリアリズモ!1942年の映画ながら、「さあこれから不倫が始まるぞ」という香りがプンプンしてくる。
もしそうなると、この2人は不倫の果てにつるんで亭主殺しに・・・?そうなるとかつて大人気を呼んだTV番組「火曜サスペンス劇場」の展開と同じだが、まさか「先の大戦」中に日本の同盟国たるイタリアでつくられた映画でそんな展開があるの・・・?
◆1月14日に観た『若者のすべて デジタル完全修復版』(60年)にはアラン・ドロンとクラウディア・カルディナーレが出演していた。そのため、私は同作のことをよく知っていたが、同作のヒロインたるナディア役を演じた女優アニー・ジラルドは全く知らなかった。したがって、本作の冒頭から挑発的な色気(?)を見せる人妻ジョヴァンナを演じるクララ・カラマイはもちろん、後半から突然ジーノの新しい恋人として登場する若い娘アニータを演じるディーア・クリスティアーニも私は全然知らない女優だ。また、冒頭のランニングシャツ一枚で見せる筋骨たくましい労働者風の姿も、中盤以降のパリッとスーツを着こなした姿も両方ともカッコいいジーノ役を演じているマッシモ・ジロッティも、私は全然知らない俳優だ。
その点では本作に愛着を感じられないのは仕方ない。しかし、スリルとサスペンスに富み、背徳的で官能的な火曜サスペンス劇場的なストーリーが進んでいくにつれて、ジーノの意外な単純さと初心さが見えてくるとともに、ジョヴァンナのジーノに対する愛の深さと生きる強さが目立ってくる。だって、ジョヴァンナに嫌気がさしてジョヴァンナから逃げていったジーノは、自分を「密告」したのがジョヴァンナだと確信していたのに、そうではなかったことがわかると再び2人の愛が深まり、ジョヴァンナがリードする形で2人の逃走劇が始まるのだから。そのスリルとサスペンスは相当なものだから、1942年という時代を頭に入れつつそれを堪能したい。
◆本作をテレビで観たときから、私は本作の邦題がなぜ『郵便配達は二度ベルを鳴らす』とされているのかサッパリさからなかった。ネタバレを恐れずにハッキリ言えば、本作のテーマは、第1に不倫。第2に、若い人妻とその愛人2人の共謀による、交通事故を装った金持ちで太っちょの夫殺し。第3に、生命保険金に絡む2人の確執と事件性の発覚、第4に、2人の逃走劇と想定外の交通事故の発生だ。したがって、「郵便配達がベルを鳴らす」シーンは1度も登場しない。それなのに、なぜ原作のタイトルは『The Postman Always Rings Twice』とされ、本作の邦題もそのまま『郵便配達は二度ベルを鳴らす』とされているの?
それはウィキペディア情報によれば、13社から出版を断られ続けた原作者が、14社目で採用が決まった際、出版社からタイトルは何とつけるかと尋ねられたところ、出版社からの返事の手紙を届ける郵便配達が2度ベルをならすので郵便配達だとわかることを引き合いに出してこのタイトルに決めたと言われている。なるほど、なるほど・・・。そんな裏話しも頭に入れれば、本作の楽しみ方は更に深まるはずだ。
2017(平成29)年2月3日記