ラ・ラ・ランド(アメリカ・2016年) |
<TOHOシネマズ西宮OS>
2017年2月26日鑑賞
2017年3月2日記
第89回アカデミー賞は「『ラ・ラ・ランド』の独走か?」「やっぱり!」「いや、間違 い」という前代未聞のハプニングの他、「白人偏重」が一変し、「トランプ風刺」が満載に!
今は不遇でも、自分の夢を持ち、その実現のために努力を重ねる若者の生きザマはすばらしい。そんな男女が出会い恋に落ちる物語は多いが、そこでは、ぶつかり合いがベスト?それとも妥協がベスト?本作は明るく楽しいだけのミュージカル映画ではなく、夢のようなシーンの合い間に(?)そんなシリアスな物語が展開していくのでそれに注目!
しかして、本作の結末は悲恋ものに?それとも達成ものに?そこらをじっくり楽しみながら、本作がアカデミー賞6部門を受賞した意味をしっかり考えたい。
本文はネタバレを含みます!!
それでも読む方は下の「More」をクリック!!
↓↓↓
ここからはネタバレを含みます!!
読まれる方はご注意ください!!
↓↓↓
監督・脚本:デイミアン・チャゼル
セバスチャン(セブ)(ジャズピアニスト)/ライアン・ゴズリング
ミア(女優を夢見る女性)/エマ・ストーン
キース(セブの友人、バンドのリーダー)/ジョン・レジェンド
ローラ(セブの姉)/ローズマリー・デウィット
トレイシー(ミアのルームメイト)/カリー・ヘルナンデス
アレクシス(ミアのルームメイト)/ジェシカ・ローテ
ケイトリン(ミアのルームメイト)/ソノヤ・ミズノ
ビル(レストランの店長)/J・K・シモンズ
グレッグ(ミアの恋人)/フィン・ウィットロック
2016年・アメリカ映画・128分
配給/ギャガ/ポニーキャニオン
<独走か?やっぱり!いや、間違い!>
アカデミー賞でこれまで最多部門を受賞したのは、『ベン・ハー』(59年)、『タイタニック』(97年)、『ロード・オブ・ザ・リング(第3部)ー王の帰還ー』(03年)(『シネマルーム4』44頁参照)の11部門。そんな中、第89回アカデミー賞で最多13部門で14ノミネート(主題歌賞候補に2作品)され、「『ラ・ラ・ランド』独走か」と期待されたのが本作だった。また、『タイタニック』も『ロード・オブ・ザ・リング(第3部)ー王の帰還ー』も11部門を受賞したものの俳優賞はなかったから、本作が作品、監督、主演男優、主演女優、脚本または脚色の主要部門5冠なら、『羊たちの沈黙』(91年)以来だ。しかして、2017年2月26日(日本時間2月27日)に発表されたアカデミー賞の結果は?
主演男優賞は『マンチェスター・バイ・ザ・シー』(16年)のケイシー・アフレックに譲ったものの、主演女優賞は対抗馬だった『ジャッキー/ファーストレディ 最後の使命』(16年)のナタリー・ポートマンを抑えて、見事本作のエマ・ストーンが受賞!さらに、監督賞も本作が!そして、注目の作品賞でプレゼンターのウォーレン・ベイティとフェイ・ダナウェイが受賞作品の名前が書かれている紙が入った封筒をあけて「ラ・ラ・ランド!」と発表すると、会場には「やっぱり」という納得した雰囲気が。ところが、檀上にデイミアン・チャゼル監督や、キャストらが登場し、関係者が「本当にありがとうございます」と喜びのスピーチを始めると、その直後檀上の一人が「間違いだ!」と叫び、『ムーンライト』(16年)に訂正されることに。これには会場が騒然となり、主演女優賞を獲得したエマ・ストーンも呆然とした様子だったが、本作のキャストらが檀上を『ムーンライト』に譲り、『ムーンライト』の関係者は戸惑いながらも喜びの心境を語ったから、事なきを得たのはさすがだが、こんな前代未聞のハプニングに関係者は猛反省すべきだ。
結果的に本作は作品賞と主演男優賞等は逃したものの、監督賞をデイミアン・チャゼルが 、主演女優賞をエマ・ストーンが受賞。その他、撮影賞、美術賞、作曲賞、歌曲賞もゲットし、見事合計6部門を受賞することに。
<白人偏重一変!トランプ風刺満載!>
昨年と一昨年のアカデミー賞では、主演男女優賞と助演男女優賞にノミネートされた俳優20人が白人ばかりで黒人が一人もいなかったことが強く批判され、米映画芸術科学アカデミーは、賞の投票に参加する会員の多様化を余儀なくされた。ところが、今年の作品賞を受賞した『ムーンライト』のメガホンを取ったのは37歳の黒人監督バリー・ジェンキンスで、その物語はある黒人男性の成長を静かに追うものだった。また、今年のアカデミー賞では助演男優賞を『ムーンライト』のマハーシャラ・アリが、助演女優賞を『フェンス』(16年)の黒人俳優ビオラ・デイビスが受賞した。このように、今年ノミネートされた俳優20人のうち黒人が6人を占め、主演男女優賞は白人が受けたものの、助演男女優賞は黒人が受賞した。多様性に関するアカデミーの改革が早くも効果を表したわけだ。
他方、2017年1月20日にアメリカの大統領に就任したトランプ大統領が1月27日に署名した「入国制限令」は、世界中に大反響を引き起こした。その一例として、外国語映画賞にノミネートされていた『セールスマン』(16年)の監督であるイランのアスガー・ファルハディは、その大統領令に抗議して式典の欠席を表明していたが、同作は見事に外国語映画賞を受賞し、アカデミー賞に壁はないことを立証した。
さらに、今年のアカデミー賞はトランプ風刺満載となり、司会のコメディアン、ジミー・キンメルは「この国は今、分断されています。でも授賞式を見ている人たちが、リベラルか保守かではなく、アメリカ人として互いに前向きな会話をすれば、もう一度米国を偉大にできるのではないですか?」「ハリウッドは国籍で差別しません。年齢と体重では差別がありますが」等と訴えた。また、名女優メリル・ストリープに対しても「過大評価された演技」「すてきなドレスですね。イバンカ(トランプ氏の長女の服飾ブランド)ですか?」とネタにし、さらに、ノミネートが白人俳優だけだった昨年も引き合いにして、「アカデミー賞は昨年人種差別と批判されたが、トランプ大統領のおかげですっかりなくなった」と皮肉った。このように、2017年の第89回アカデミー賞は、白人偏重一変!トランプ風刺満載!
<若い男女の夢と恋の物語は不滅!>
私はミュージカル映画が大好き。そのため、生涯のベスト1作品にジュリー・アンドリュースが主演したロバート・ワイズ監督の『サウンド・オブ・ミュージック』(65年)を挙げているが、それ以外にもすばらしいミュージカルはたくさんある。本作は冴えないジャズピアニストのセバスチャン(セブ)(ライアン・ゴズリング)と女優の卵のミア(エマ・ストーン)という2人の若い男女が主人公だが、ミュージカル映画においては「若い男女の夢と恋の物語」というテーマは不滅!
シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』は若い男女の究極の悲恋物語だが、それを現代版に置き換えた『ウエスト・サイド物語』(61年)はすばらしいミュージカル映画だった。また、1950年代の『巴里のアメリカ人』(51年)や『雨に唄えば』(52年)等のアメリカのミュージカルはリアルタイムでは観ていないが、私が高校生の時にリアルタイムで観た1960年代のフランスのミュージカル映画『シェルブールの雨傘』(64年)は若い男女の夢と恋の物語を描いたすばらしいミュージカル映画だった。
しかして、そこから時代が大きく変わった2016年の今、本作がアカデミー賞で13部門14ノミネートされるほど観客に受けたのは一体なぜ?それは、偉大なジャズピアニストになり自由にジャズのセッションができる自分の店を持つという夢を追っているセブと、イングリッド・バーグマンのような大女優になるという夢を追っているミアがトコトン自分たちの夢を追い求める姿と、その中で惹かれ合い恋に落ちる2人の恋物語のすばらしさのためだ。しかし、同時にそこには、前作『セッション』(14年)(『シネマルーム35』40頁参照)で世界中に興奮と熱狂を呼び起こしたデイミアン・チャゼル監督の脚本のすばらしさと、さまざまな映画製作上のテクニックのすばらしさも!
<ラ・ラ・ランドとは?2人のデートスポットは?>
東京には「東京ディズニーランド」があるが、本作のタイトルになっている「ラ・ラ・ランド」って一体ナニ?「ラ・ラ・ランド」とは何か特定の場所や施設を指すものではなく、「ロサンゼルス、主にハリウッド地域の愛称、また陶酔し、ハイになる状態。夢の国。」を指す言葉らしい。本作を鑑賞するについては、まずそれを押さえておく必要がある。しかして本作には、セブとミアが歌い踊るデートスポットとして①マウント・ハリウッド・ドライヴ、②ワーナー・スタジオ、③コロラド・ストリート・ブリッジ等が登場するが、残念ながらアメリカ旅行に行ったことのない私には、それらは全くなじみがない。ところが、ミアの演技指導のためジェームズ・ディーン主演の名作映画『理由なき反抗』(55年)を観た2人が、そのスクリーン上に登場した「グリフィス天文台」を2人のデートスポットに選んだのは実にグッドタイミングでベストの選択。私は中学時代に3本立て55円の映画館で『理由なき反抗』を観たが、その時にスクリーン上で観た「グリフィス天文台」は今でも強く印象に残っている。そこで2人が歌い踊る幻想的なデートシーンはまさにこれぞミュージカル!
本作冒頭に登場する、渋滞した高速道路上で長回しされる群舞のシーンは、スティーヴン・スピルバーグ監督の『プライベート・ライアン』(98年)の冒頭約20分の戦闘シーンと同じように圧巻だが、本作中盤に見る「グリフィス天文台」での2人のダンスシーンもしっかり味わいたい。今の若い人たちは『理由なき反抗』を知らない人が多いだろうが、本作の鑑賞のためには同作は必見!
<ぶつかり合い?それとも妥協?セブの夢は?>
男女の出会いと恋の展開は全く予測がつかないもの。本作冒頭に見る、セブとミアとの高速道路上で互いに車に乗った状態での「出会い」は最悪だったが、その後の偶然の出会いの中で言葉を交わし合ううち、2人は自然に魅かれ合うことに。それは、どちらかというと2人とも頑固者だが、互いに自分の夢を追い求める姿に共感し合ったためだ。
そんな2人が、セブのアパートで、昔風の言葉で言ういわゆる「同棲」を始めたのは自然の成り行き。この時の2人は幸せの絶頂期を迎えたが、カネもレギュラーの仕事もないという現実の中でセブが生活のために親友のキース(ジョン・レジェンド)の誘いに乗り、彼のバンドに参加したことが2人の「すれ違い」の始まりになった。つまり、セブは2人の生活のためには多少の「妥協」はやむなしという選択をしたわけだが、それを恩着せがましく(?)「君のために自分の夢を諦めた」風に言われると、ミアが納得できなかったのは当然だ。ちなみに、私が大好きだった岡村孝子の大ヒット曲「夢をあきらめないで」でも、ZARDの「マイ フレンド」でも、男は不器用に自分の夢を追い続けることが大切なことが、女性の目線から切なく歌われている。
キースのバンドに参加したセブは一定の収入を確保しそれなりの人気も得たが、そのバンドではかつてセブが夢見た自由なピアノ演奏はなかったから、セブはそれでいいの?また、セブは自分の店を持ちそこで自由にピアノ演奏をするというかつての夢も失っていたがホントにそれでいいの?
<ぶつかり合い?それとも妥協?ミアの夢は?>
それに対してミアは今、自分が書いた脚本によるオリジナルの「一人芝居」の稽古に夢中になっていたがその成否は?2人の間で微妙に広がり始めていた溝の中で、ミアは懸命に自分の夢の実現に取り組みその発表日を迎えたが、客の入りはまばら。さらに、終演後は「演技も脚本もイモだ」とけなす声が聞こえてきたから、その時点でそれまで持ち続けてきたミアの緊張感がプッツリと切れてしまったのは仕方ない。互いの夢を模索し、その実現に向けて努力し合う姿が、互いの支えで生き甲斐だったのに・・・。
そこで、先日の2人の「口論」を思い起こしながらミアの口から出た言葉が「終わりよ。何もかも」というものだったのも仕方ないだろう。私は高校生の時にオードリー・ヘプバーンが出演した『戦争と平和』(56年)を観たが、そこではアンドレイから求婚を受けながら1年間の猶予期間を待つことができず、若いプレイボーイの誘惑に負けてしまったナターシャが「ALL IS OVER」とくり返して絶望するシーンが印象的で、私はそこからそんな英語の使い方をマスターしたものだ。しかして、本作でもそれと全く同じセリフが使われていることに妙に納得!
男でも女でも、夢を持つことが大切。しかし、生きていくためには多少の妥協も必要だ。しかして、2人の若い男女が互いの夢を追い求めて同棲生活を送る中、ぶつかり合いがベスト?それとも妥協がベスト?
<悲恋もの?それとも達成もの?>
私が高校生の時に『シェルブールの雨傘』を鑑賞した時は、はじめて経験するその不思議な世界に陶酔してしまった感が強く、ストーリーはあまり覚えていなかった。しかし、その後何度もテレビ放映を観た中で、そこには悲惨なアルジェリア戦争の現実が描かれていたことを知ったし、シェルブールの恋人たちは約6年後に再会しながらもそれぞれの人生に戻っていくという悲恋ものになっていることを知った。その他、若者たちの夢と愛をテーマにしたミュージカルの名作では、夢が叶う「達成型」よりもやはり「悲恋もの」が多いが、さて本作はどっち?それまでの、ぶつかり合う中で高め合っていた互いの夢を追い求める同棲生活が、現実を見据えたセブの妥協によって歯車が狂い始め、ミアの一人芝居の失敗によってミアも自分の才能の限界を痛感すると、2人は必然的に別れてしまうことになったがさて本作の結末は?
本作導入部では、ミアが映画スタジオのコーヒーショップでバリスタとして働きながらオーディションを受ける日々を送っている風景が描かれる。そこにある日、運転手付きの車で乗りつけた有名女優がコーヒーを注文しそれを持ち帰っていくと、店中の客がその女優の話しで持ち切りに。これこそ、ミアが目指している大女優の姿だ。しかして、明るく楽しいミュージカル仕立ての中で展開された夢追い物語も恋模様も結局は叶うことなく終わってしまうが、本作ラストには『シェルブールの雨傘』と同じように、「それから数年後」の2人の姿とそんな2人が再会するシークエンスが登場する。ネタバレを恐れずに書いてしまえば、そこで2人はそれぞれの夢を立派に実現させているのでそれに注目!なるほど、2人は別々の道を歩むことになったものの、互いの努力が報われ、それぞれの夢を多少の変形こそあれ実現させることができたわけだ。
そんな本作の結末に拍手を送る人も、異論を唱える人も、本作をじっくり鑑賞する中で本作が第89回アカデミー賞で6部門を受賞したことの意味をしっかり考えたい。
2017(平成29)年3月2日記