汚れたミルク あるセールスマンの告発(インド=フランス=イギリス映画・2014年) |
<テアトル梅田>
2017(平成29)年4月2日鑑賞
2017(平成29)年4月2日鑑賞
某巨大企業がパキスタンで大量販売していた粉ミルクで、乳幼児たちが下痢、脱水症状を起こし、次々と死亡!こりゃ、「森永ヒ素ミルク事件」のパキスタンでの再来!私は一瞬そう思ったが、それは誤解だった。しかして、あるセールスマンは一体ナニを告発したの?何が論点なの?
ボスニア・ヘルツェゴヴィナ出身のダニス・タノヴィッチ監督の問題提起は貴重だが、『スノーデン』(16年)に観た元CIAのスパイ、スノーデンと同じように、本作のセールスマンの評価は難しい。世界に先駆けて日本で本作を初公開した関係者の英断に拍手しつつ、本作の問題提起の意味をしっかり検証したい。
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監督・脚本:ダニス・タノヴィッチ
脚本:アンディ・パターソン
アヤン(巨大グローバル企業 ラスタ社のセールスマン)/イムラン・ハシュミ
ザイナブ(アヤンの妻)/ギータンジャリ
アレックス(映画監督)/ダニー・ヒューストン
ナディーム/カーリド・アブダッラー
ビラル(ラスタ社のアヤンの上司)/アディル・フセイン
ファイズ医師(ラスタ社の粉ミルクを告発する医師)/サティヤディープ・ミシュラ
マギー(人権支援組織の職員)/マリアム・ダボ
ミヒャエル/ハイノ・フェルヒ
フランク/サム・リード
ムスタファ/ヴィノード・ナグパル
アヤンの母/スプリヤ・パタク
2014年・インド=フランス=イギリス映画・94分
配給/ビターズ・エンド
<ボスニア生まれのダニス・タノヴィッチ監督に注目!>
私は『鉄くず拾いの物語』(13年)を見逃していたが、実際の当事者を出演させるという斬新なアプローチを試みた同作で、第63回ベルリン国際映画祭銀熊賞(審査員グランプリ)、主演男優賞、エキュメニカル賞特別賞の三冠を手にしたのが、1969年にボスニア・ヘルツェゴヴィナで生まれたダニス・タノヴィッチ監督。パンフレットによると、彼は01年にボスニア紛争を描いた『ノー・マンズ・ランド』(01年)で監督デビューし、アカデミー賞外国語映画賞、ゴールデン・グローブ賞外国語映画賞、カンヌ国際映画祭脚本賞など数々の賞を受賞。その後は『美しき運命の傷痕』(05年)、『戦場カメラマン 真実の証明』(09年)、『Circus Columbia』(10年)を発表したそうだ。
そんな彼の2014年製作の本作が、今般日本で「世界初」の公開となるそうだが、それは一体なぜ?また、第66回ベルリン国際映画祭銀熊賞(審査員グランプリ)と国際批評家連盟賞をW受賞し、本年度アカデミー賞外国語映画賞 ボスニア・ヘルツェゴヴィナ代表に選出された彼の最新作『サラエヴォの銃声』(16年)も本作とほぼ同時に日本で公開されるが、それも一体なぜ?
<パキスタンでは乳児たちが次々と死亡!その原因は?>
1997年のパキスタン。そこでは、ラスタ社という大手グローバル企業(多国籍企業)が大量に販売していた粉ミルクを毎日飲んでいた乳児たちが、それを溶かす水が不衛生なために激しい下痢に襲われ、脱水症状となり、次々に死亡するという大事件が起きていた。そんな事実を突き止めたのは、ラスタ社でセールスマンをしていた本作の主人公アヤン(イムラン・ハシュミ)の友人のファイズ医師(サティヤディープ・ミシュラ)と、人権支援組織の職員マギー(マリアム・ダボ)だった。
ラスタ社で粉ミルクのトップセールスマンとなっていたアヤンはそんな事実を全く知らなかったから、2人からそんな現実を見せつけられてビックリ!2016年12月23日に観た韓国映画『フィッシュマンの涙』(15年)は衝撃的な映画だったが、そこで見たフィッシュマン(魚人間)の誕生は病気ではなく、自らの意思で臨床実験に臨んだ者が臨床実験で飲んだ薬の副作用のために発症したものだった。それに対して、今パキスタンで乳幼児たちが次々と死亡しているのは、アヤンが販売した粉ミルクによるもの。そんな現実を突きつけられたアヤンが大いに悩んだのは当然だが、さて悩んだ末にどんな行動を?
<理想の就職で理想の生活を築いていたはずだが・・・>
もともと国産の製薬会社に勤めていたアヤンは、ラスタ社という多国籍企業が台頭してきたために貧乏暮らしを余儀なくされていた。そんな中、妻ザイナブ(ギータンジャリ)を養うため一念発起してラスタ社の面接試験を受けた結果、何とか合格できたことに大喜び。しかし、スクリーン上で見るラスタ社でのアヤンの販売戦略はコネを駆使したワイロ攻勢だから、そのやり方はいかがなもの?もっとも、日本人の私はそう考えるが、中国やパキスタンではそれはごくあたり前なのかも・・・?
それはともかく、アヤンはその誠実な人柄と日々の熱心な仕事ぶりで友人(得意先?)のサリーム医師や陸軍病院の新医長・マリク大佐等に気に入られ、今やラスタ社のトップセールスを誇っていた。上司のビラル(アディル・フセイン)は「お前は医師ウケがいい。この地域一帯をラスタ社一色にしろ」と更にハッパをかけ、ポンと新車のバイクをプレゼントしたから、アヤンは大喜びし一層セールスに励むことに。
そんな好循環の中、ザイナブには2人目の子供が生まれようとしていたから、今やアヤンはラスタ社への就職で理想の生活を築いていたはず。ところが、ファイズ医師から、ラスタ社の粉ミルクのせいで次々と死亡していく乳児たちの姿を見せられると、アヤンは・・・。
<ラスタ社の責任は?森永ヒ素ミルク事件と対比すると>
私が弁護士登録をした1974年当時大問題になっていた「森永ヒ素ミルク中毒事件」は、日本の大企業である森永乳業が製造・販売した粉ミルクにヒ素が含まれていたため、大量の被害者が出たという大事件。後に住宅金融債権管理機構の初代社長として大活躍する中坊公平弁護士を団長とする、大阪の弁護団が当時大活躍していた。私は本作のタイトルとその問題提起を見て、「森永ヒ素ミルク中毒事件」と同じような事件がパキスタンでも起きたのかと思ったが、本作をよく見ているとそうではないことがわかる。
本作でラスタ社と呼ばれている巨大グローバル企業は、実はスイスのヴヴェイに本社を持つネスレのことらしいが、実名を使ってこのような映画をつくることの危険性を避けるため本作ではそれをラスタ社という架空の名前にしたらしい。乳児死亡事件問題が表面化し、社会問題化する中で展開されるラスタ社の主張は、「乳児死亡の原因は粉ミルクに何らかの欠陥があるためではなく、不衛生な水で溶かして飲んでいることが原因だ」「水が不衛生なのは国に言ってくれ。そこまで責任はとれない」というもの。この弁解を聞くと弁護士の私は「なるほど、そのとおりだ」と考え、森永ヒ素ミルク中毒事件との違いをハッキリ認識させられることに。
しかして、弁護士の私が整理するラスタ社の法的論点は、水道水が完備していないパキスタンでは不衛生な水に溶かしてラスタ社の粉ミルクを飲んでいるという実情をラスタ社が知っていれば、そのような事態を回避するべく、ラスタ社には水道が完備するまで粉ミルクの販売を中止することを含め、何らかの適切な措置をとるべき義務が認められるか否か、ということになる。そう整理すると、「水が不衛生なのは国に言ってくれ。そこまで責任はとれない」というラスタ社の主張は無理筋だが、他方、本作の邦題のように、ラスタ社の粉ミルクを「汚れたミルク」と決めつけるのもいかがなもの・・・?
<アヤンの「内部告発」という選択は?>
本作冒頭は、映画監督、プロデューサー、弁護士、人権組織の職員が集まり、アヤンの「内部告発」を受けて、ラスタ社の不法行為を映像化するべくスカイプでアヤンにインタビューし、その会話を録画する風景が描かれる。ラスタ社の粉ミルクのトップセールスを誇っていたアヤンはファイズ医師とマギーから被害の実態を聞いたことで、思い悩んだ末、敢然とラスタ社を「辞める!」と宣言したうえ、今はその映像化を試みるスタッフたちと協議を重ねているわけだ。アヤンがラスク社を退職し、ラスク社を「内部告発」したことにファイズ医師は驚き、その決断の無謀さを説いたが、アヤンの決心は揺るがなかったから立派なものだ。しかし、アヤンに対するラスタ社からの反撃、報復は?
本作中盤はアヤンがラスタ社を内部告発する姿と、それに対する硬軟織り交ぜたラスタ社の反撃、報復が描かれる。アヤンの生命まで危うくするようなラスタ社の反撃、報復はアヤンの想像を絶するものだったが、それはラスタ社が強大な多国籍企業であることを考えればある意味当然。しかして、それはアヤンの決断にいかなる影響を・・・?
<後半はあっと驚く展開が!なぜアヤンはこんな行動を?>
本作後半以降は、ややもすればブレようとするアヤンを「信念に背く夫を尊敬できない」と述べて支える妻・ザイナブの姿と、命の危険を感じたアヤンが避難する間、妻と子供を自分の故郷へ避難させるアヤンの父親の確固たる姿勢がすごい。本作は「実話に基づく物語」だが、どこまでホントの話を入れ込み、どこまで脚色するかは監督の自由。したがって、本作後半には、ある時アヤンがラスタ社と「金銭による解決」を試みていたことを示す、あっと驚く「録音テープ」が登場する場面を含めて、ダニス・タノヴィッチ監督の演出力に注目したい。
アヤンの内部告発に信憑性を認めたうえ、それを映画化するのはきわめてリスクの高い作業だから、アヤンの説明に対して監督やプロデューサーたちがあらゆる観点からチェックを入れたのは当然。したがって、本作後半に至って突如暴露される、アヤンの「裏切り行為」ともいえるような「金銭による解決」を了解する旨の録音テープの出現に、関係者はビックリ!現在日本では、森友学園理事長である籠池泰典氏の国会証言の真偽を巡って大騒動だが、この録音テープの声はアヤンに間違いないの?もしそうだとすれば、ホントにアヤンはこの金額での和解交渉にOKしたの?万一そうであれば、アヤンの内部告発の映画化などとてもムリ。さらに、マギーの努力によってドイツでドキュメンタリー映像化されていた企画もボツになってしまうのも明白だ。さあ、そんな危機的状況下で見せるアヤンの行動は?そして、映像化の道は・・・?
<本作の終り方は少し中途半端だが・・・>
社会的大事件となった「森永ヒ素ミルク事件」は被害者側の勝訴=和解で終わったから万々歳。それに対して『フィッシュマンの涙』では、一度終わったように思えたストーリーがラスト数分間で再び始動し、あっと驚く「ホントの結末」を迎えることになった。この両者の終り方に比べると、アヤンが敢行したラスタ社の内部告発はかなり中途半端な形で終わることになるので、それに注目!つまり、アヤンがテープに残した「6万ドルで手を引く」という言葉がマスコミに公表されたことによって、「正義の味方」としてのアヤンの内部告発は、ほとんど無意味になってしまったわけだ。
それは『スノーデン』(16年)で見た、CIAを内部告発したスノーデンと同じで、スノーデンは英雄?それともスパイ?という評価は、今なお分かれている。さらに、ロシアに亡命したスノーデンが今なおロシアに住んでいるのと同じように、アヤンは7年間も家族と別れて過ごすことを余儀なくされたうえ、7年後にやっと家族と再開できたものの、その後はカナダに難民申請をし、今はカナダのトロントで家族5人で暮らしているそうだ。
そんな結末(現状?)を聞くと、私は本作のタイトルを『汚れたミルク あるセールスマンの告発』とするのはいかがなもの?と改めて考えてしまったが、ダニス・タノヴィッチ監督が本作に込めた問題提起はしっかり受け止めたい。そして、2014年に製作されながらずっと公開されていなかった本作が、世界に先駆けて2017年に日本で公開されたことを誇りに思いたい。
2017(平成29)年4月5日記