LION/ライオン ~25年目のただいま~(オーストラリア映画・2016年) |
<TOHOシネマズ西宮OS>
2017年4月8日鑑賞
2017年4月13日記
インドのスラム街に住む5歳の少年が、回送列車に閉じ込められたまま大都会へ!インドにはそんな孤児が何万人といるそうだから、サルーがオーストラリアに住む夫妻の養子となり、大学生まで成長できたのはラッキー!
本作の感動の「TRUE STORY」は、それだけでは弱いから、後半の産みの母親との面会になる。本作では警察の無能ぶりとGoogle Earthの有能さが目立つが、それはちょっと・・・。さらに、ラストに明かされる本作の「タイトル秘話」も、私にはイマイチ・・・。
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監督:ガース・デイヴス
原作:サルー・ブライアリー著 船山むつみ訳 『25年目の「ただいま」 5歳で迷子になった僕と家族の物語』 原題『A Long Way Home』(静山社刊)
出演:サルー(青年期)/デヴ・パテル
ルーシー(サルーの恋人)/ルーニー・マーラ
スー(サルーの養母)/ニコール・キッドマン
ジョン(サルーの養父/デヴィッド・ウェンハム
サルー(幼少期)/サニー・パワール
グドゥ(サルーの兄、幼少期)/アビシェーク・バラト
カムラ(サルーとクドゥの母親)/プリヤンカ・ボセ
ミセス・スード(施設の世話係)/ディープティ・ナバル
マントッシュ(ジョンとスーの2番目の養子、サルーの義兄、成人)/ディヴィアン・ラドワ
2016年・オーストラリア映画・119分
配給:ギャガ
<こんな迷子、失踪ってあり?解決は容易では?>
1980年代のインドが発展途上国だったことは、本作冒頭におけるインドのスラム街に住むクドゥ(アビシャーク・バラト)とサルー(サニー・パワール)兄弟、そしてその母親カムラ(プリヤンカ・ボセ)の暮らしぶりを見ればよくわかる。5歳の弟サルーが夜中に働く兄クドゥと一緒に働くのが無理なことは当然だが、それでも弟の熱意に負けた兄が、弟を連れて列車に乗って職場に出かけた際、ある「手違い」によってサルーが回送列車に閉じ込められてしまい、はるか遠くのコルカタまで運ばれてしまったから、さあ大変。
1980年代の日本なら、九州の端っこから北海道の端っこまで仮に5歳の少年が一人ぼっちで回送列車に閉じ込められたまま運ばれても、自分の名前と住所さえ言えれば警察が自宅まで送り戻してくれるはず。しかし、サルーは自分の家の正確な住所や自分の名前すら正確にわかっていなかったうえ、サルーの「方言」では言葉すら通じなかったから、コルカタの大都会で孤立し、お手上げ・・・。
ええっ?今ドキそんな迷子物語がホントにあるの?そう疑うのは当然だが、本作は「原作に基づく実話の映画化」で、第74回ゴールデングローブ賞や、第89回アカデミー賞にノミネートされている作品だから、必見!
<大都会の中で、5歳の孤児はどう生きるの?>
大都会の中で孤児として過ごす物語は、イギリスの作家チャールズ・ディケンズの小説『オリバー・ツイスト』(映画は『シネマルーム9』273頁参照)等たくさんあるが、本作導入部では、孤児達が自発的に集まっている団体や、孤児をたぶらかして何らかの目的に利用しようとする大人達の姿が登場する。インドではサルーのように行方不明になる子供(幼児)が毎年8万人もいるそうだから、まだ5歳だったサルーが、そんなシステムの中で何らかの餌食になってしまっても不思議ではない。しかし、スクリーンを見ているとサルーはいかなるケースにおいても意外な「自衛能力」を発揮するので、導入部ではそこに注目!
もっとも、格差の大きいインドの大都会コルカタにも、当然親切な人や善意の人がいたから、そういう人達の協力の中で警察がちゃんと迷子や失踪者を調査すればサルーの迷子事件ごときはすぐに解決!私はそう思うのだが、インドの現実はそうではないことを、本作でじっくりと。
<本作はオーストラリア映画!なるほど、なるほど>
本作はインド映画?そう思っていたがそうではなく、実はオーストラリア映画。そのため、途中から私の大好きな女優ニコール・キッドマンが、夫と共にサルーの「養親」として登場してくることになる。なぜオーストラリアの「金持ち」夫婦が、わざわざインドの孤児を養子にもらうの?私にはそれが疑問だが、それは本作中盤から終盤にかけて少しずつ明らかにされていくので、それに注目!
意外だったのは、このジョン(デヴィット・ウェンハム)とスー(ニコール・キッドマン)夫妻は、肉体上の問題や欠陥で子供に恵まれなかったからやむなく養子を望んだのではなく、2人の合意で自分達の子供を作らず貧困国から養子をもらうことに決めたことが語られること。なるほど、そうすればたしかに地球上のこれ以上の人口増加を防ぐことと、貧困国の子供を救うことが同時にできるからそんな価値観もわからないではないが、ちょっと不自然な考え方では・・・?私にはそう思えたが、本作ではそんな価値観を前提としたうえで、養子サルーの養親下での順調な成長ぶりをしっかり確認したい。立派な青年に成長したサルーが25年後に産みの母親に再会するのが本作で描かれる「TRUE STORY」の核だから、その結末に注目!
<大学生になってから「出自」の探求を?>
本作後半は趣がガラリと変わり、ジョンとスー夫妻の申し分のない養子として成長し、今や立派な大学生になったサルー(デヴ・パテル)が登場する。大学のゼミには各国の学生が集まっていたが、インド系の彫りの深い顔はモテモテらしく、サル―にはたちまち恋人のルーシー(ルーニー・マーラ)ができたうえ、直ちにベッドインだから、サルーもなかなかのヤリ手・・・?
そう思っていたが、自己紹介のシーンを見ていると、やはり自らの「出自」にこだわりがあり、インドで別れた母や兄のことは気になって仕方ないらしい。そこで友人に勧められてやり始めたのが、Google Earthによる調査だが、ここで私が不思議に思ったのは、なぜサル―は物心ついた時からGoogle Earthはもちろん、警察を使ってインドの母親と兄を探さなかったのかということ。本作にみるサルーのGoogle Earthでの調査はどれほどのもの?その実態が全くわからないのが本作の根本的欠陥だし、逆にサルーがインドまで出かけて行って自分の足で各地を調べているかのような描写もちょっとワケがわからない。いくらインドが人口12億人の国で大都会の混沌やスラム街の未整備がひどいとはいえ、またインドの戸籍制度も中国と同じように未整備な面があるとはいえ、大人になったサルーなら自分の「出自」を調べ、故郷にいるはずの母親と兄を探すくらいのことは容易にできるのでは・・・?
<出自の探求に何か負い目が?それがイマイチ・・・>
ルーシーとの交際が始まる中で、急に故郷にいるはずの母や兄への思いにとりつかれてしまったサルーが、なぜそれを率直にルーシーに説明しないのかも私にはさっぱりわからない。また、インドにいるかもしれない産みの母親を探す作業に没頭することは、何も養子として自分を25年間育ててくれた養親を裏切ることになるわけではない。したがって、サルーは自分の今の気持ちを率直にスーに説明すればいいだけのことで、これまで順調だった養親との関係に何も波風を立てる必要はない。ところが、本作後半に展開していくスクリーン上の物語をみていると、そこらあたりにさまざまな問題と波乱が・・・。おいおい、なぜそんなややこしい問題を発生させなければならないの・・・?
さらに本作では、ジョンとスー夫妻が2番目の養子として迎え入れたマントッシュ(ディヴィアン・ラドワ)が、サルーとは違って「問題児」に育っていくストーリーを登場させ、サルーとの確執や2人の養子と養親との確執を描いていくが、ハッキリ言ってこれは「余分」だったのでは・・・?
<感動の再会にケチをつけるつもりはないが・・・>
本作のラスト10分間では、サルーがGoogle Earthを頼りに調べ上げた故郷に1人で戻り、無事母親と25年ぶりに再会するシーンが登場する。なるほど、このクライマックスは感動的だが、スクリーン上でみる限り、サルーが5歳まで生活していたスラム街がほぼそのまま残っていたようだし、2人の再会を祝う街の人々も大勢集まっていたから、これなら街(村)のコミュニティは25年間ずっと続いていたことになる。しかし、それも私にはイマイチ納得できない。つまり町(都市、スラム)の変化が激しければそれを辿るのは大変だが、こんな形でコミュニティが残っているのなら、サルーが警察やGoogle Earthを使ってそれを調べ上げることは容易だったのでは、ということだ。
本作が「実話に基づく物語」であることは、ラストにホンモノのジョンやスーそしてサルーの母親の姿が登場することからも明らかだ。したがって、25年目にサルーが実の母親と故郷で涙の再会ができたことの喜びに水を差すつもりは毛頭ないが、こりゃちょっとした話を大きく持ち上げすぎでは・・・?さらに、本作は最後に『LION/ライオン 25年目のただいま』とタイトルされていることの意味が明かされるが、それもイマイチ。いくらインドのスラム街では子供の教育が不十分とはいえ、自分の正式の名前くらいはしっかり言えるように教育しておかなくっちゃ・・・。
ちなみに森鴎外の小説『山椒大夫』は、人買いに騙されて離ればなれにされてしまった安寿と厨子王の幼い姉弟の物語と、成長した厨子王と盲人となった母親との再会の物語だったが、あの時代と21世紀では根本的に違うのでは・・・。
2017(平成29)年4月13日記