ムーンライト(アメリカ映画・2016年) |
<TOHOシネマズ西宮OS>
2017年4月8日鑑賞
2017年4月14日記
第89回アカデミー賞での『ラ・ラ・ランド』と『ムーンライト』の読み違えミスは論外だが、「昨年はホワイト!今年はブラック!」は、一体なぜ?それを考え、分析するためにも、本作は必見!
男の成長物語はどこにでもあるが、2人の男の少年期、高校生、30歳頃を別々の俳優が切れ目なく演じるのは大変。しかも、「リトル」だった主人公は30歳代では鍛え上げた肉体美の男に変身!
今や男同士の同性愛の物語も多いが、本作のそれをどう見る?また、主人公たちの「成長」をどう読み解く?そして、それは感動的?それとも、少しは違和感も・・・?
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監督・脚本:バリー・ジェンキンス
エグゼクティブプロデューサー:ブラッド・ピット
シャロン(30歳代頃)/トレヴァンテ・ローズ
シャロン(ティーンエイジャー時代)/アシュトン・サンダース
シャロン(少年時代)/アレックス・ヒバート
フアン(麻薬のディーラー)/マハーシャラ・アリ
ポーラ(シャロンの母親)/ナオミ・ハリス
テレサ(フアンの恋人)/ジャネール・モネイ
ケヴィン(シャロンの男友達、30歳代頃)/アンドレ・ホーランド
ケヴィン(シャロンの男友達、ティーンエイジャー時代)/ジャハール・ジェローム
2016年・アメリカ映画・111分
配給/ファントム・フィルム
<昨年はホワイト!今年はブラック!>
今年のアカデミー賞のトピックスは2つある。1つは作品賞について、『ラ・ラ・ランド』(『シネマルーム39』10頁参照)と『ムーンライト』のまさかの読み上げミス。これはひどかったが、関係者達の冷静沈着な対応によってコトなきをえたから、結果オーライに。第2は「昨年はホワイト!今年はブラック!」になったこと。つまり、昨年の2016年2月28日に発表された第88回アカデミー賞は、演技部門にノミネートされた俳優が白人で占められていたため、「白すぎるオスカー」と呼ばれたが、2017年2月27日に発表された今年の第89回アカデミー賞では、黒人を起用した本作のような映画が話題を集め、また黒人俳優が次々と個人賞を受賞した。
本作のパンフレットには、「LGBTQをテーマにしたラブストーリーが作品賞を受賞したのはアカデミー賞史上初」と書かれている。また、新聞紙評では、「トランプ政権成立で少数派に対する偏見や差別が助長されるなか、ハリウッドの映画人たちが良心の証しとして本作を強く推した結果といえよう」(映画評論家 中条省平 3月31日 日本経済新聞)をはじめとして、「地味だがハリウッドの底力を証明する秀作だ」等の称賛の言葉が並ぶし、キネ旬4月下旬号の「REVIEW 日本映画&外国映画」でも、3氏が星4つ、3つ、4つをつけて称賛している。『Fences』で黒人女優のヴィオラ・デイヴィスが助演女優賞を受賞したのと合わせて、「昨年はホワイト!今年はブラック!」となった第89回アカデミー賞の内容をしっかり検証したい。
<「同性愛」については『ブエノスアイレス』の影響を!>
本作のパンフレットにはバリー・ジェンキンス監督のインタビューがあり、そこでは同性愛を描いた映画をウォン・カーウァイ監督の『ブエノスアイレス』(97年)ではじめて観たし、字幕で映画を観るのもそれがはじめてだったと語られている。さらに、本作でカエターノ・ヴェローゾの「ククルクク・パロマ」を選曲したのは、『ブエノスアイレス』の直接的なオマージュであることをはじめ、『ブエノスアイレス』の影響が大きかったことを告白している。ウォン・カーウァイ監督が、地球上のちょうど香港の裏側にあるアルゼンチンのブエノスアイレスという異国の地を舞台とし、レスリー・チャンとトニー・レオンという香港の二大俳優を起用して同性愛を描いた『ブエノスアイレス』を私は2004年7月4日に観たが、バリー・ジェンキンス監督と同じように私とってもこれはショッキングな映画だった(『シネマルーム5』234頁参照)。
もっとも、『ブエノスアイレス』では男同士の抱擁シーンやキスシーンそしてベッドシーンが再三スクリーン上に登場したが、本作の第1部「リトル」ではそれらしきものは雰囲気だけ。また、具体的な「行為」は、第2部「シャロン」における、月明かりが輝く夜の浜辺で、ほんの少しだけ互いの唇が触れ、互いの手がうごめくシーンだけ・・・。そして、そんなシーンを美しいと感じるかどうかは、『ブエノスアイレス』を観た時と同じように、あなたの感性次第・・・。
<原案は?資金は?>
本作のパンフレットにあるプロダクションノートによれば、本作の原案になったのは、劇作家タレル・アルバン・マクレイニーという黒人が書いた「In Moonlight Black Boys Look Blue」と題する短い戯曲。そして、偶然にも、バリー・ジェンキンス監督もタレル・アルバン・マクレイニーも危険で荒れたリバティシティの公営住宅に育ち、学年は違うものの同じ小、中学校に通い、2人とも重度の麻薬中毒である母親に育てられたらしい。なるほど、なるほど・・・。
他方、ブラッド・ピットはハリウッドを代表とする俳優だが、彼は同時に、「プランBエンターテインメント」という会社の創業者としてプロデュース活動にも力を注いでいる。その「プランBエンターテインメント」がプロデュースした第一作『デイパーテッド』(06年)(『シネマルーム14』57頁参照)は見事にアカデミー賞を受賞し、『ジェシー・ジェームズの暗殺』(07年)(『シネマルーム18』35頁参照)や『ツリー・オブ・ライフ』(11年)(『シネマルーム27』14頁参照)、『そしでも夜は明ける』(13年)(『シネマルーム32』10頁参照)、『グローリー ―明日への行進―』(14年)(『シネマルーム36』162頁参照)、『マネー・ショート 華麗なる大逆転』(15年)(『シネマルーム37』232頁参照)も高い評価を受けている。しかして、本作の脚本が「プランBエンターテインメント」に持ち込まれ、即採用となったことで、本作の資金調達は完了したらしい。なるほど、なるほど・・・。
<出演者は?同一人物を3人の俳優が切れ目なく!>
本作は、「黒人映画」が強調され、さらに「同性愛」がテーマとして大きく浮上しているが、本筋はあくまで自分の居場所を求めて幼少期から30歳代までの人生を歩んできた1人の男の成長物語。その主人公がシャロンで、いつもその側に寄り添っているのが親友のケヴィンだ。
本作はそのストーリーを、第1部「リトル」(月明かりで、お前はブルーに輝く)、第2部「シャロン」(泣きすぎて、自分が水滴になりそうだ)、第3部「ブラック」(あの夜のことを、今でもずっと、覚えている)で構成しているので、少年期、高校生、30歳頃のシャロン役とケヴィン役を演ずる俳優を合計6名キャスティングする必要があったが、それは結構難しい作業。しかして本作には、シャロン役の少年期、高校生、30歳頃を演ずる3人の俳優と、ケヴィン役の少年期、高校生、30歳頃を演ずる3人の俳優が登場するが、途中で俳優がガラリと変わることによって物語に違和感が生まれてはならないのは当然。さあ、本作のその点の出来は如何に?
パンフレットにあるバリー・ジェンキンス監督のインタビューによれば、本作の主人公シャロンとその友人ケヴィン役を演じる俳優を3人ずつ用意するのが大変だったそうだが、本作はたった25日間で撮影した低予算映画だから、大スターを集め、大予算を組む近時のハリウッド大作とは全く異質のハリウッド映画に仕上がっているらしいから、そこに注目!もっとも、本作で第89回アカデミー賞助演男優賞を受賞したのはシャロン役やケヴィン役を演じた6人の俳優ではなく、少年期のシャロンの良き理解者となり、かつ父親代わりとしてシャロンを大人に導いてゆく役割をみごとに果たすドラッグディーラーのフアン役を演じたマハーシャラ・アリなので、その存在感と演技力にも注目!
<30歳代での再会に感動?少しは違和感も?>
男でも女でも10歳代と30歳代の容貌が、ほぼ同じようなケースと全然違ってしまうケースがある。しかして本作では、シャロンもケヴィンも10歳代と30歳代とではそれが全然違っているので、第3部「ブラック」では、まずそこに注目!ちなみに、日本では、ある時ボディビルによる肉体改造の必要性に目覚めた作家の三島由紀夫が肉体的にも思想的にも激変していったが、これは三島が壮年期になってからのことだし、様々な小説を書き、様々な思想を勉強していく中で到達した心境だ。それに対して、30歳代になったシャロンが、往時の三島を彷彿させる(?)筋肉隆々の肉体に改造し、今はアトランタでフアンと同じドラッグのディーラーになったのは、とにかく生きるためにやむを得なかったものらしい。グリルの金歯を装着し、高級車を乗り回して、自分の「シマ」を取り仕切っているシャロンの姿を見ていると、私はつい「このバカが!」と思ってしまうが、シャロンにとってはこれがやっと到達した自分のサクセスストーリーらしい。そしてそこまでのし上がるために不可欠だったのが、身体を鍛え上げてケンカに強くなることだったわけだ。
他方、「リトル」と呼ばれていたシャロンを温かく見守り、高校生になったシャロンと少し怪しげな雰囲気を楽しんでいたケヴィンは、30歳頃にはどんな生活をしていたの?シャロンがワルの世界でのし上がっていったのに対し、ケヴィンは料理人となり、今は結婚して、安月給ながらダイナーで真面目に働いていたから、なるほど、なるほど。小さい頃は掃き溜めのような貧しい街で育っても、それなりに努力すればまっとうな人生もあるわけだ。
本作の第3部の物語が成立するのは、ある日何の前触れもなくケヴィンからシャロンに一本の電話が入ったためだが、なぜケヴィンはシャロンに電話をしたの?そして、シャロンは「一度メシでも食おう」というケヴィンの誘い(?)に応じるの?さて、30歳代になった2人の男の成長は如何に?本作が第89回アカデミー賞で作品賞を受賞したのは、白人俳優による楽しいばかり(?)の『ラ・ラ・ランド』よりも、黒人俳優が演じたこんな厳しい「成長物語」の方がリアリティがあり、作品としての価値があると判断されたからだろうが、さて、この物語はホントに感動的?それとも、少しは違和感あり・・・?
2017(平成29)年4月14日記