僕とカミンスキーの旅(ドイツ、ベルギー映画・2015年) |
<テアトル梅田>
2017年5月4日鑑賞
2017年5月10日記
マティスやピカソ、藤田嗣治やフェルメールなど有名な画家はたくさんいるが、さてあなたは盲目の画家カミンスキーを知ってる?
『交響曲第1番“HIROSHIMA”』を作曲したのは新垣隆氏で、盲目の作曲家・佐村河内守氏はフェイクだった。そんな「真相」に日本中が驚いたのはつい最近だが、さて本作は?
85歳の盲目の画家と31歳の自称新進の美術ジャーナリストが織り成す「弥次喜多道中」ならぬロード・ムービーは、ハチャメチャ。何がホントで何がウソ?それを見極められるのはよほど人生の達人だ。
2人の俳優の怪演ぶりを楽しみながら、本作の怪作ぶりをタップリ味わいたい。
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監督・脚本・プロデューサー:ヴォルフガング・ベッカー
原作:ダニエル・ケールマン『僕とカミンスキー』(三修社刊)
ゼバスティアン・ツェルナー(美術評論家、31歳)/ダニエル・ブリュール
マヌエル・カミンスキー(盲目の画家、85歳)/イェスパー・クリステンセン
ミリアム・カミンスキー(カミンスキーの実の娘)/アミラ・カサール
カール・ルートヴィヒ(ホームレスのバイオリン弾き)/ドニ・ラヴァン
エルケ(ゼバスティアン・ツェルナーの恋人)/ヨルディス・トリー・ベル
テレーゼ・レッシング(カミンスキーの若き日の恋人)/ジェラルディン・チャップリン
ホルム/ヤン・デクレール
ドミニク・シルヴァ/ジャック・エルラン
ヤーナ/ルーシー・アロン
アンナ/ヴィヴィアーネ・デ・ムンク
電車の乗務員/ヨーゼフ・ハーダー
ゴーロ・モーザー/ブルーノ・カトマス
ボゴヴィッチ/シュテファン・クルト
老婦人/アンネ・モーメヴェック
双子の作曲家/カール・マルコヴィクス
ホーホガルト/ペーター・クルト
オイゲン・マンツ/ミラン・ペシェル
2015年・ドイツ、ベルギー映画・123分
配給/ロングライド
<あなたは、盲目の画家カミンスキーを知ってる?>
私は去る4月18日、丸4時間かけて、徳島県鳴門市にある大塚国際美術館を見学した。これは大塚製薬グループが創立75周年記念事業として1998年に建てた世界初の巨大な陶板名画美術館。本作に登場する①パブロ・ピカソ(1881年~1973年)、②アンリ・マティス(1869年~1954年)、③クレス・オルデンバーグ(1929年~)、④アンディ・ウォーホル(1928年~1987年)、⑤サルバドール・ダリ(1904年~1989年)等のすばらしい絵画がすべて展示されていたかどうかは知らないが、そこには原寸大で1000余の作品が展示されていた。しかして、さて大塚美術館に「盲目の画家」カミンスキーの絵は?
1920年代にポーランド人の母親と共にパリに渡り、アンリ・マティスの弟子となって、パブロ・ピカソにも一目置かれたカミンスキーは、1960年代にポップアート 花盛りのニューヨークを訪れるや、「盲目の画家」として時代の寵児となった。ところが突然、表舞台から姿を晦まし、スイスでの隠遁生活に入ってしまったらしい。なるほど、そんな事情のため、大塚美術館にはカミンスキーの絵画の展示はなかったの・・・?
本作冒頭に登場する若き日のカミンスキーの活躍ぶりをスクリーン上で鑑賞しながら、私はそう納得していたが、画家の名前や絵画の知識に詳しいあなたなら、盲目の画家カミンスキーの名前やその作品名、そしてその活躍ぶりを知ってる?本作のスクリーンを見ている限り、彼はあのビートルズやあのヒッチコック監督と一緒に写真に写っていたが、これって・・・?
<「盲目の作曲家」はフェイクだったが、こっちは?原作は?>
かつて日本では、『交響曲第1番“HIROSHIMA”』を作曲した盲目の作曲家・佐村河内守氏の人気が沸騰した。そのため、この佐村河内守氏を特集したドキュメンタリー、NHKスペシャル『魂の旋律~音を失った作曲家~』も大きな反響を呼んだ。ところが、これがすべてフェイクだったことが判明したから、さあ大変!すると、今度は佐村河内守氏に代わって『交響曲第1番“HIROSHIMA”』の「ゴースト作曲家」だったという新垣隆氏が登場し、その人気が沸騰したから、さらにビックリ!これは何とも言えない日本のマスコミの底の浅さを暴露する世紀のニュースだった。このように「盲目の作曲家・佐村河内守氏」はフェイクだったが、ひょっとして本作に登場する「盲目の画家・カミンスキー」もフェイク?
本作には原作があるらしい。それがダニエル・ケールマンの『僕とカミンスキー』で、2003年に発表され、世界26か国語に翻訳されて、18万部のベストセラーになったらしい。そして、日本では2009年に、『僕とカミンスキー』(三修社刊)として刊行されたらしい。もちろん、私は、そんな原作を読んだことはないし、本作を観るまで「盲目の画家」カミンスキーの名前すら知らなかった。しかして、その原作の内容は?
<このコラム、あのコラムは必読!>
本作のパンフレットには、森達也氏(作家・映画監督・明治大学特任教授)の「世界はかつて美しかった。そして今も美しい。」と題するコラムがある。そこで、森達也氏は、盲目の画家カミンスキーの存在も、ダニエル・ケールマンが書いた原作『僕とカミンスキー』の存在も、さらに本作の監督が『GOOD BYE LENIN!(グッバイ、レーニン!)』(03年)を撮ったヴォルフガング・ベッカー監督であることも全く知らなかったことを「告白」しているから、このコラムは必読!
さらに、本作を鑑賞するについては、パンフレットにある瀬川裕司氏(明治大学教授・ドイツ文学者)の「若き天才小説家ケールマンと老練なる監督ベッカーの対決─インチキ評論家と盲目の老画家との滑稽なるバトル─」と題するコラムも必読だ。ドキュメント映画にウソを取り入れることは厳禁だが、ドキュメントでない映画は所詮フィクションだから、そこにウソや虚構の世界を取り入れることはOKだし、観客を騙すことも、フェイク映像をスクリーン上に流すこともすべてOKだ。
したがって、本作ではよほど絵画の専門家で、「盲目の画家カミンスキーなど存在しない」と言い切れる人以外は、少なくとも本作導入部で「盲目の画家カミンスキー」の存在を信じてストーリーに見入ったはずだ。
<監督は?主演は?>
「ベルリンの壁」が崩壊したのは、中国で「天安門事件」が起きたのと同じ1989年の11月9日。そのため、1989年は1950年代後半から始まった「東西冷戦」の終わりを告げる年となり、以降、世界は大きく変化していくことになった。そんな世紀の「大事件」を映画の面白い題材に取り上げたのが『GOOD BYE LENIN!(グッバイ、レーニン!)』で、それを監督したのがドイツ人のヴォルフガング・ベッカー監督だ(『シネマルーム4』212頁参照)。ヨーロッパのウッディ・アレン監督や日本の山田洋次監督のように、毎年次々と作品を発表する多作の監督もいるが、本作はそのヴォルフガング・ベッカー監督が12年ぶりに発表した作品だ。彼は、ちっとも小説らしくない二幕しかない演劇のような、ダニエル・ケールマンの原作『僕とカミンスキー』を映画化するのに大変な苦労をし、12年間も悪戦苦闘を続けたらしい。
そんな本作で「僕」ことゼバスティアン役を演じる俳優は、何と『GOOD BYE LENIN!(グッバイ、レーニン!)』で、東ドイツやレーニンの信奉者で、病床にある母親のために、ずっと「ベルリンの壁は存在する」とウソをつき続けた主人公アレックスを演じたダニエル・ブリュールだ。あの時はまだ若かったダニエル・ブリュールが、本作では、自分で「経験豊富なジャーナリスト」と称し、盲目の画家カミンスキーへの突撃取材を敢行する、31歳の無名の美術評論家ゼバスティアン・ツェルナーを演じているが、その演技はすばらしい。今ならスマホをはじめとするSNSの活用で、ゼバスティアンが取材したネタをすぐに全世界に発信することが可能だが、ダニエル・ケールマンの原作を発表した2003年の時点ではそれは無理。ゼバスティアンが日々の取材を記録するのは録音テープやカメラだから、そんな時代のあり方にも注目!
<カミンスキー役は誰が?その他のキャストは?>
他方、本作で「盲目の画家」カミンスキー役を演じるのは、『007』シリーズの『007/カジノ・ロワイヤル』(06年)(『シネマルーム14』14頁参照)、『007/慰めの報酬』(08年)(『シネマルーム22』88頁参照)、『007 スペクター』(15年)(『シネマルーム37』208頁参照)でミスター・ホワイト役を演じ、また、『メランコリア』(11年)(『シネマルーム28』169頁参照)等にも出演している、デンマークのコペンハーゲン生まれの俳優イェスパー・クリステンセンだ。彼は1948年生まれだから私と同年代だが、本作では、次から次へと人を食った行動をとる85歳のカミンスキー役を見事な演技で怪演している。ちなみに、私はこの怪演を見て、日本の映画で次々と怪演を見せている名優リリー・フランキーを思い出した。ひょっとして、本作やダニエル・ケールマンの原作を日本版で映画化することになれば、カミンスキー役は絶対リリー・フランキーが最適だ。すると、ゼバスティアン・ツェルナー役は、さしずめ、これも怪演をさせれば日本一の俳優・香川照之だろう。
さらに本作では、ラスト近くになってチャールズ・チャップリンの8人兄弟の長女ジェラルディン・チャップリンがカミンスキーの元恋人テレーゼ・レッシング役で登場するので、それにも注目!私は高校時代に観た『ドクトル・ジバゴ』(65年)で、ヒロイン役のラーラを演じたジュリー・クリスティと共にドクトル・ジバゴの妻トーニャを演じたジェラルディン・チャップリンの名前と顔を記憶した。しかし、その後彼女は泣かず飛ばず(?)で、『トーク・トゥ・ハー talk to her』(02年)(『シネマルーム3』208頁参照)等いくつかの作品でチラチラと見ているだけだ。本作でも、ジェラルディン・チャップリンの登場は少しだけだが、その存在感と名前の懐かしさに、ついうっとり・・・。
<ゼバスティアンの狙いは?初日の収穫は?>
無名の美術評論家であるゼバスティアンが、そもそも美術に対する知識も情熱も乏しかったのは仕方ない。しかし、31歳になった今、そんなゼバスティアンが狙うのは、カミンスキーの謎に満ちた人生の真実を彼自身の口から聞き出し、センセーショナルな伝記を発表して、ひと山当てること。カミンスキーは今85歳で隠遁生活中だから、仮に突撃取材中にポッコリ死んでくれたら、それもまた好都合!
本作冒頭は、そんな思惑で列車に乗り、牧歌的ムード漂うスイスの村のホテルに入り、徒歩で30分もかけてカミンスキーの屋敷にたどり着くゼバスティアンの姿が描かれる。早速、ゼバスティアンは、美人だが愛想のない実の娘ミリアム・カミンスキー(アミラ・カサール)と共に暮らしているカミンスキーのインタビューを試みたが、カミンスキーは体調が芳しくないため、初日の収穫はゼロ。仕方なく、その日はホテルに戻ったゼバスティアンは、恋人のエルケ(ヨルディス・トリー・ベル)に電話をし、状況を報告したが、逆にゼバスティアンの身勝手さに幻滅したエルケからは一方的に別れ話を宣告されることに。
<突撃取材は大成功!その後の旅は?>
これによって心のよりどころばかりか、経済的な支えと住み家まで失ったゼバスティアンは、逆に開き直って、翌日もカミンスキーの屋敷を訪れ、突撃取材を敢行。そこでゼバスティアンは、ミリアムが外出した際に、カネを払ってメイドを追っ払い、一人で屋敷内をじっくり探索。その結果、地下のアトリエでカミンスキーの自画像らしい未発表の連作絵画を発見したから、すごい収穫だ。もっとも、その絵にはカミンスキーの署名がなかったが、もし署名があれば、これは数億円の価値が?そして今、アトリエには誰もいないのだから、額縁さえ取ってしまえば、これらの絵はお持ち帰りも可能!もちろん、それは刑法上の窃盗罪だが、今や失うものは何もないゼバスティアンにとって、そんなことは関係なしだ。
さらに、ゼバスティアンは屋敷に戻ってきたカミンスキーに対して、自分の持っている切り札である「テレーゼは今も生きています。住所も知ってますよ。」というネタを打ち明けたから、さあカミンスキーの反応は?テレーゼとはカミンスキーの若き日のミューズで、彼が人生において最も愛した女性テレーゼ・レッシングのこと。テレーゼは交際開始から1年後、理由も告げずに去ったため、悲しみのどん底に沈んだカミンスキーは当時自殺まで考えたらしい。そんなテレーゼが今も生きているとゼバスティアンから聞かされたカミンスキーはその話に興味を示し、サングラスにガウン姿でゼバスティアンが運転する車に乗り込むことに。さあ、ここから本作のメインストーリーである、カミンスキーとゼバスティアンの凸凹コンビによるロード・ムービーが始まっていくが・・・。
<旅の主導権はどちらに?2人の行きつく先は?>
男2人の、しかも凸凹コンビによるロード・ムービーの日本代表は、『東海道中膝栗毛』で有名な「弥次喜多道中」だが、85歳の盲目の画家カミンスキーと31歳の無名の美術評論家ゼバスティアン・ツェルナーの凸凹コンビが織り成す本作中盤のロード・ムービーも、2人の怪演もあってメチャ面白い。とりわけ、カミンスキーがカール・ルートヴィヒと名乗るホームレスのバイオリニスト(ドニ・ラヴァン)と意気投合する物語や、古めかしいホテルにカミンスキーが若い娼婦を呼び込む物語に注目!ベッド上のカミンスキーは若い娼婦のひざ枕でご機嫌だったが、85歳の彼は今なお「あの方面」は現役なの?
他方、ゼバスティアンは、一刻も早くカミンスキーをテレーゼの元に連れて行って、何十年かぶりの再会をさせ、そこから生まれてくるであろう現実の物語をしっかり取材する計画だったが、カミンスキーのように自由奔放で行動のメカニズムが全くわからない老人を連れて旅行するのは至難のワザ。そんな気遣いに疲れ果てていたためか、ゼバスティアンは、ある日、ガソリンスタンドで買い物をしている途中に、とんだ食わせ者だったカール・ルートヴィヒに車を盗られてしまったからアレレ・・・。あの車には、ゼバスティアンの生活用具一式はもちろん、カミンスキーの地下のアトリエから盗んだ2枚の貴重な絵も入っていたのに・・・。
しかして、二人の凸凹コンビよるロード・ムービーの中で、いつしかカミンスキーに主導権を奪われたうえ、有り金もわずかとなったゼバスティアンは、やむなくドイツのデュッセルドルフに住む恋人のエルケの元に転がり込むことに・・・。
<どこまでがホント?あの絵は誰が?>
愛想をつかして別れを宣告した男ゼバスティアンが今、エルケの目の前に。しかも、そのゼバスティアンはサングラスをかけた盲目の老人カミンスキーと一緒。そんな状況にエルケが驚いたのは当然だが、「人道的見地」からそんな2人を見放せなかったのは仕方ない。エルケ宅での2人(3人?)の生活も奇妙だが、そこでは、ゼバスティアンがエルケから「彼はあなたのことが好きみたいよ。唯一の友だちだって。」と聞かされたことがせめてもの救いだった。さらに、カミンスキーが今なおホントに目が見えないのかどうかについて確信を持てないゼバスティアンが、ある日、あるところで、カミンスキーの言うとおり目を閉じたまま、手に持った鉛筆で線を引いていくとアレレ・・・?目を開けてみると、何とそこには鉛筆でのデッサンながら、見事なゼバスティアンの自画像が!こりゃ一体ナニ?カミンスキーの言うとおり、絵は指や腕が描くのではなく、心が描くものなの?するとホントに盲目でも、カミンスキーのようにすばらしい絵がホントに描けるの?
ヴォルフガング・ベッカー監督のオリジナリティあふれる本作は、どこまでがホントで、どこまでがウソかがわからないところがポイント。ホントに心の中で思うだけで、見事な自画像が描けるのなら、ぜひ私も実践したいものだが、さて・・・?ちなみに、私は4時間も連続して世界の名画を鑑賞したのは大塚美術館での経験がはじめてだが、中学・高校時代にはたくさんの油絵の宗教画を描いていたから、私もそれなりの絵画の知識と技術を持っている。したがって、①フェルメールが描いた「真珠の耳飾りの少女」をテーマにしたピーター・ウェーバーの映画『真珠の耳飾りの少女』(02年)(『シネマルーム4』270頁参照)や②光の画家ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーが描いた「吹雪―アルプスを越えるハンニバルとその軍隊」「戦艦テメレール号」「吹雪―港の沖合の蒸気船」等を作中に散りばめた『ターナー 光に愛を求めて』(14年)(『シネマルーム36』156頁参照)、③フランスで有名になった日本人画家・藤田嗣治を主人公にした『FOUJITA』(15年)(『シネマルーム37』未掲載)、④『ビッグ・アイズ』(14年)(『シネマルーム35』231頁参照)等の絵画映画は結構興味深かった。
そんな私の目には、ゼバスティアンがカミンスキーの地下のアトリエで鑑賞し、そのうちの2枚を盗み出したカミンスキーの自画像は、ムンクの「叫び」に似たような、絶望的な雰囲気いっぱいのすばらしい絵だった。いくら何でも盲目の画家にこんなに凝った油絵が描けるとは思えないが、さて、あの自画像は誰が・・・?
<達磨大師とその弟子の寓話は?西洋と東洋の融合は?>
中国の高僧としては、①中国の伝記小説『西遊記』で有名な「三蔵法師(玄奘三蔵)」、②奈良時代の帰化僧で日本における律宗の開祖となった「鑑真」、③平安時代初期の僧で、真言宗の開祖となった弘法大師こと「空海」が有名。さらに、④「達磨大師」も有名だが、達磨大師は、中国禅宗の開祖とされているインド人仏教僧だ。
しかして、ドイツ人であるダニエル・ケールマンの『僕とカミンスキー』を原作とし、ドイツ人のヴォルフガング・ベッカー監督が監督した本作には、何とその達磨大師とその弟子の寓話が登場するので、それに注目!
カミンスキーとゼバスティアンの凸凹コンビによるロード・ムービーは、車でも列車でも、わかったようなわからないような、子どものようで哲学的な(?)、ホントのようなウソのような(?)会話に満ち溢れているが、そこで面白いのは、列車の中でカミンスキーがゼバスティアンに語る達磨大師とその弟子の寓話だ。その内容は、あなた自身の目と耳で確認してもらいたいが、もちろんそこでは、何の結論も答えも出してくれない。その語りは一種の禅問答であり、問いが答えであり、答えがまた次の問いになっている。
本作には前述した2つのコラムの他、森村泰昌氏(美術家)の「絵画と旅をして人生を知る映画」と題する面白いコラムがあり、そこでは、カミンスキーが達磨大師で、ゼバスティアンがその弟子という位置付けで、そのエピソードについて詳しく論じているので、これも必読だ!
<ラストの舞台はベルギーへ!テレーゼとの再会は?>
本作ラストの舞台は、ベルギー北部の海にほど近いまち。ゼバスティアンに連れられたカミンスキーがそこで奇跡の再会を果たすのは、何十年も前に理由も告げないままカミンスキーの前を立ち去った女性テレーゼだ。もっとも、カミンスキーが盲目だとしたら、今カミンスキーはテレーゼの姿を見ることができないはずだから、あの時のテレーゼが今目の前に立っていると言われても困るのでは・・・?
そんな疑問もあるが、そんな現実的で夢のないことを言っていたのでは、本作ラストが作り出す不思議な満足感と充実感、そして人生最高の幸せ感を満喫することはできない。ヴォルフガング・ベッカー監督が本作のラストのために用意したこのシークエンスをどう解釈するかはあなた自身の自由だから、それをあなたなりに自由に解釈してタップリとその余韻に浸ってもらいたい。ちなみに、前述した森達也氏のコラム「世界はかつて美しかった。そして今も美しい。」は、そこらあたりの「虚実」についても、そのタイトルどおり詳しく書いているので、ぜひそれも参考に・・・。
2017(平成29)年5月10日記