カフェ・ソサエティ(アメリカ映画・2016年) |
<TOHOシネマズ西宮OS>
2017年5月6日鑑賞
2017年5月15日記
山田洋次監督が80歳を超えてなお毎年「喜劇」の演出に意欲を燃やせば、さらにその上を行くウディ・アレン監督だって「恋愛」の演出に意欲を!
本作の舞台は、前半はハリウッド(西海岸)、後半はニューヨーク(東海岸)に分けられているが、共通するのは「カフェ・ソサエティ」。しかし、それって一体ナニ?昨年の大統領選挙と対比しながら、1930年代の古き良き(?)アメリカをしっかり想像し、かつ楽しみたい。
もっとも、「二股かけ」は今も昔も厳禁だったはずだが、恋愛の達人ウディ・アレン監督の手にかかると、それもドロドロ劇とはならず、甘く切ない結末に。なるほど、なるほど・・・。
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監督・脚本:ウディ・アレン
ボビー(ユダヤ人青年)/ジェシー・アイゼンバーグ
ヴォニー(フィルの秘書)/クリステン・スチュワート
フィル(ボビーの叔父、映画のエージェント)/スティーヴ・カレル
ヴェロニカ(ボビーの妻)/ブレイク・ライブリー
ベン(ボビーの兄)/コリー・ストール
マーティ(ボビーの父)/ケン・ストット
ローズ(ボビーの母)/ジーニー・バーリン
ラッド/パーカー・ポージー
2016年・アメリカ映画・96分
配給/ロングライド
<日本なら山田洋次!アメリカならウディ・アレン!>
日本の山田洋次監督が1931年生まれなら、ウディ・アレン監督は1935年生まれ。山田洋次監督が近時80歳を超えて『家族はつらいよ』(16年)(『シネマルーム37』131頁参照)、『家族はつらいよ2』(17年)を作り続けているなら、ウディ・アレン監督だって毎年のように諸作を次々と。また、山田洋次監督が日本アカデミー賞の常連なら、ウディ・アレン監督は本家のアカデミー賞の常連だ。このように共に長生きしている両監督は多くの点で共通点があり、共に人生ドラマを追求してきたのも同じだが、全然違うのが映画の切り口。ハナ肇を起用した、かつての『馬鹿』シリーズや、渥美清を起用した「男はつらいよ」シリーズ、そして近時の「家族はつらいよ」シリーズで明らかなように、山田洋次監督はあくまでも人生を喜劇として描くのに対し、ウディ・アレン監督の興味はあくまでも男女の恋に向けられているから、その映画は一貫してすべてラブストーリーだ。
私は観ていないが、2011年のドキュメンタリー『映画と恋とウディ・アレン』(11年)に自ら出演した彼は、その中で「ロマンスを過去のものとする年齢には達していない」と語っていたそうだが、本作を観ればまさにそのとおり。今なお、若者たちの恋をストーリーの軸として、その愛と人生の選択、夢と現実を映画にしている彼の感性と若々しさはすごい。
本作で、ウディ・アレン監督が起用した女優は、『トワイライト~初恋~』(08年)(『シネマルーム』22未掲載)で大ブレイクした女優クリステン・スチュワート。ペネロペ・クルスやスカーレット・ヨハンソン等、毎回旬の女優を主役に起用して映画を作っていれば、監督自身が若返るのは当然かもしれないが、何ともうらやましい限りだ。
<舞台の前半はハリウッド、後半はニューヨーク>
ウディ・アレン監督はニューヨーク生まれだから、当初の作品はニューヨークを舞台にした恋愛劇がほとんどだった。私が映画評論を始めた2000年以降、彼の作品の舞台はロンドンやスペインのバルセロナにも広がったが、あくまで彼の本拠地はニューヨークだ。しかして、本作は彼がもっとも得意とする1930年代のアメリカ、とりわけハリウッドとニューヨークを舞台にするもの。そして、前半がハリウッド(西海岸)、後半がニューヨーク(東海岸)とハッキリ二分されているから、その対比も面白いし、前半と後半に二人のヴェロニカが登場するもの面白い。さらに、ウディ・アレンは、ブルックリンのユダヤ人家庭で育ち、そのルーツと混沌とした幼少期のさまざまな体験がのちに生み出す幾多の映画の作風に多大な影響を及ぼしたそうだが、本作の主人公ボビー(ジェシー・アイゼンバーグ)はユダヤ人青年だから、まさにウディ・アレンその人。『ソーシャル・ネットワーク』(10年)(『シネマルーム26』18頁参照)でマーク・ザッカーバーグ役を演じ、早口で大量のセリフを喋ることを最大の売りとした俳優ジェシー・アイゼンバーグが演じるボビーが本作で見せる恋愛模様も、きっとウディ・アレン監督の体験にもとづくものだろう。1930年代のアメリカといえば、一方では「世界恐慌」、「禁酒法」、「ギャング」等をキーワードとする嫌な時代だったが、他方ハリウッドやニューヨークではプール付きの大邸宅に住み、日夜パーティーに明け暮れるセレブな人たちもたくさんいたらしい。
さて、ウディ・アレン監督はそんな時代のハリウッドやニューヨークを舞台に、そしてまた、ユダヤ人青年を主人公にどんな恋愛映画を?
<昔は公私混同もOK?仕事より恋?>
ボビーは、ニューヨークのブロンクスで小さな宝石店を営む父マーティ(ケン・ストット)、母ローズ(ジーニー・バーリン)の下での生活に満足できず、ハリウッドで映画のエージェントとして大成功を収めている叔父フィル(スティーヴ・カレル)に憧れ、そこに活躍の場を求めたが、それは当然。「青雲の志」を描いた五木寛之の長編小説『青春の門』の主人公・伊吹信介は、九州の筑豊から上京し、早稲田大学の中で恋と勉強と学生運動そしてボクシングに熱中したが、さて、ニューヨークからハリウッドにやってきたボビーは?
エージェントとの約束でいっぱいのため、わざわざ自分を訪ねてきたかわいい甥のボビーに会う時間すらとれないフィルの姿を見ていると、ひょっとしてフィルは身内の若者が自分を頼ってハリウッドに来たことを迷惑に思っているのかナ、とつい勘ぐってしまったが、一度面会した後のストーリー展開を見ていると、その逆。つまり、フィルは周りに少しは気を遣うものの、甥っ子のボビーをいとも簡単に身の回りを世話する社員として採用し、雑用一切を委ねたから、ビックリ!こんな公私混同は今なら完全にアウトだが、1930年代ならOK!
ボビーが忙しいフィルのために仕事上どのように役立ったのかは本作では一切描かれないが、ボビーの気の遣い方とおしゃべりのうまさは天性のようだから、それなりに仕事はこなしていたのだろう。もっとも、本作ですぐに明らかにされるのは、ボビーの女への手の早さ。これはウディ・アレン監督と全く同じなのだろうが、フィルの秘書として有能ぶりを発揮し、ボビーにも親切に対応してくれた美人のヴォニー(クリステン・スチュワート)に一目惚れしたボビーは、直ちに猛アタックを開始。普通は、「私には恋人がいる」と言われると一歩引いてしまうものだが、それは気の弱い日本人男性特有のもので、ユダヤ人青年のボビーは全然違うらしい。しかして、ヴォニーは本来の恋人とは別に、完全な「二股状態」を楽しんでいた(?)が・・・?
<男の二股はゲスだが、女なら?ヴォニーの選択は?>
近時日本では「ゲスの極み乙女。」のボーカル・川谷絵音の「二股かけ」が暴露され、ゲス野郎と言われてしまった。また、宮崎謙介氏も国会議員の育休取得を掲げながら妻の妊娠中に不倫していたことが暴露され、衆議院議員の辞職を余儀なくされた。さらに、中川秀直元内閣官房長官の息子で衆議院議員だった中川俊直氏も不倫プラス重婚(?)スキャンダルが報じられ、こちらも議員辞職を余儀なくされた。
それらと同じように(?)、本作前半に見るヴォニーの「二股かけ」も、見方によってはかなりヤバイ。①ヴォニーの恋人が自分の直接の上司であるフィルだという設定も、②フィルが25年間も連れ添ってきた妻に対してなかなか離婚を切り出せず日々悩んでいるという設定も、さらには、③ヴォニーの二股かけの相手がフィルと甥のボビーだという設定も、かなりリアルでドロドロしているが、それを軽妙かつロマンティックにスクリーン上に描くのがウディ・アレン流。そして、それに寄与するのがボビーの早口のしゃべりだから、本作前半では、下手をするとドロドロ劇になりがちなニューヨークでのヴォニーの「二股かけ」のラブストーリーに注目!
ヴォニーの二股かけのお相手を知らないボビーは、幸せの絶頂の中で強引にヴォニーに対して「結婚してニューヨークに住もう」と迫ったが、ヴォニーの二股かけのお相手がボビーと知ったフィルの方も遂に妻との離婚を決意した上で、ヴォニーとの結婚を迫ったから大変。さあ、ヴォニーはこの究極の局面でどちらを選ぶの?青春ドラマものなら当然セレブで金持ちのフィルではなく、今は貧乏でも将来性のあるボビーを選ぶはずだが、80歳を超えたウディ・アレン監督の恋愛劇では、ヴォニーの愛と人生の選択、夢と現実の選択はどちらに・・・?
<カフェ・ソサエティとは?>
私は本作を鑑賞している最中も、本作のタイトルとなっている「カフェ・ソサエティ」の意味が全くわからなかったが、鑑賞後にパンフレットを読んではじめて「なるほど」と理解。「作品紹介 Introduction」には、「ちなみに、《カフェ・ソサエティ》とは、1930年代に夜ごと都会のお洒落なレストランやクラブに繰り出すライフスタイルを実践したセレブリティたちの社交界のこと」と説明されている。
他方、海野弘氏の「華やかで、はかない世界の恋物語」と題する「Review」には、「《カフェ・ソサエティ》は、1930年代にできた新しい〈社交界〉である。第一次世界大戦で、古きよき時代の貴族的な〈社交界〉が崩壊してしまったので、それに代わる新興の〈社交界〉が出現した。豪華な館の大広間を舞台とする〈社交界〉ではなく、カフェでくりひろげられる気楽な〈社交界〉といった意味で、ニューヨークのゴシップ・コラムニストなどがいい出した用語らしい。《カフェ・ソサエティ》の特徴は、トランスアトランティック、つまり、大西洋をはさむヨーロッパとアメリカにまたがる風俗文化だったことである。1929年からの世界大恐慌、そしてヒトラーによるナチズムに追われて、ヨーロッパのアーティストたちがアメリカにやってきた。それを吸収して、アメリカはモダン・アートの中心となってゆく。それらのアーティストを後援したのが《カフェ・ソサエティ》であった」と説明されている。なるほど、なるほど・・・。
昨年のアメリカ大統領選挙では、民主党のヒラリー・クリントン候補がニューヨークのセレブリティを代表するものだと批判されて、白人労働者の立場に立つ(?)共和党のドナルド・トランプ候補に敗れたが、「大不況」「禁酒法」「ギャング」をキーワードとした1930年代のアメリカでも、ハリウッドやニューヨークにはこんなセレブの世界があったわけだ。
<2人の男のカフェ・ソサエティは?>
ハリウッドの映画界の中でエージェントをしているフィルの生活が、まさに「カフェ・ソサエティ」であったことは当然。そして、ボビーもそんなフィルに憧れてその世界に飛び込んだわけだが、ボビーがヴォニーにプロポーズするについて「ニューヨークに帰る!」と宣言したのは、一見華やかな「カフェ・ソサエティ」の虚偽性と空虚性に辟易したためだ。しかし、そんな決心とヴォニーへのプロポーズにもかかわらず、ヴォニーが絶望的な選択をしてしまうと、ボビーは失意の中、一人ぼっちで故郷のブロンクスに帰ることに・・・。
ところが、失恋の痛手を引きずったまま、ギャングの兄ベン(コリー・ストール)が経営するナイトクラブで働き始めると、ボビーは再び持ち前の社交性を発揮して、気配り上手な店長になったばかりか、ある夜来店したブロンド美女ヴェロニカ(ブレイク・ライブリー)に魅了され、あっさり結婚することに。
そして、ベンがある事件で死刑にされてしまう不幸が襲う中、生バンドを取り入れたクラブの経営は順風満帆で、ボビーはどっぷりとニューヨークの「カフェ・ソサエティ」の中に浸り切ることに。
<カフェ・ソサエティ同士の男女の再会は?>
これは見方によれば、ボビーの堕落ともいえる変化だが、そんなお店をハリウッドからフィルとヴォニーが訪れてくるところから本作のラストのストーリーが展開していくことになる。フィルはヴォニーの「二股かけ」のお相手がボビーだったことを知ったため急いでヴォニーに求婚したのだから、ヴォニーと結婚した後も甥っ子に対するこだわりをもっていたはずだが、そんなことはおくびにも出さないのが「カフェ・ソサエティ」のルール。それはヴォニーも心得たものだった。しかし、ヴォニーが自分ではなくフィルを選んだことに今なお納得できていないボビーは、すっかりハリウッドの社交界に染まった様子のヴォニーを批判したが、「あなただって、昔とは違うでしょ」と切り返されるとギャフン。そりゃ確かにそうだ。
もっとも、フィルがニューヨークにやってきたのは仕事のためだが、なぜヴォニーはそれに同行し、しかもフィルと一緒にボビーの店までやってきたの?懐かしさで一目会うだけなら問題ないが、ひょっとして焼けぼっくりに火がついたり、再び「二股かけ」が始まる危険はないの?そんなことを考えながら結末に向けてのストーリーを注目したいが、ウディ・アレン監督の映画は2時間以内に抑えるのが原則。また、ドロドロした人間ドラマとせず、コメディ風にサラリと仕上げるのが原則だ。しかして、96分に編集された本作の、甘く切なくかついかにも大人の雰囲気に満ち溢れた結末に注目!なるほど、なるほど・・・。
2017(平成29)年5月15日記