マンチェスター・バイ・ザ・シー(アメリカ映画・2016年) |
<テアトル梅田>
2017年5月16日鑑賞
2017年5月22日記
ベン・アフレックの弟のケイシー・アフレックがアカデミー賞主演男優賞を受賞した本作は、同時に脚本賞も受賞!
兄の死亡をきっかけに始まった後見人と被後見人とのぶつかり合いがストーリーの本筋だが、多くの人間関係が絡むエピソードがテンコ盛りのため、ずっと見ているのはしんどい面も・・・。
しかし不器用な男同士でも、最後には何とかなるもの。そこにマンチェスター・バイ・ザ・シーという土地がいかなる役割を果たしているのかを考えながら、よく練られた2人の男の再生物語をじっくり味わいたい。
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監督・脚本:ケネス・ロナーガン
プロデュース:マット・ディモン他5名
リー・チャンドラー/ケイシー・アフレック
ランディ(リーの元妻)/ミシェル・ウィリアムズ
ジョー・チャンドラー(リーの兄)/カイル・チャンドラー
パトリック・チャンドラー(ジョーの16歳の息子)/ルーカス・ヘッジズ
エリーズ(ジョーの元妻)/グレッチェン・モル
シルヴィー(パトリックの恋人の1人)/カーラ・ヘイワード
ジョージ(ジョーの仕事仲間)/C・J・ウィルソン
2016年・アメリカ映画・137分
配給/ビターズ・エンド、パルコ
<ベン・アフレックの弟が主演男優賞を!>
本作最大の話題は、私もはじめて観るベン・アフレックの弟であるケイシー・アフレックが本作で第89回アカデミー賞主演男優賞を受賞したこと。これは、もともと本作に主演するはずだったベン・アフレックの盟友マット・ディモンが、諸般の事情でプロデューサーに回り、ケイシー・アフレックを大抜擢したためらしい。「ボーン」シリーズはもとより、『パッセンジャー』(16年)(『シネマルーム39』未掲載)や『グレートウォール』(17年)等にみる近時のマット・ディモンの活躍に比べて、少し影の薄い感があったベン・アフレックは、近時の『ザ・コンサルタント』(16年)で巻き返しを図った(『シネマルーム39』285頁参照)が、さて、その成否は?
ケイシー・アフレックは顔も体型も兄ベン・アフレックによく似たイケメンだが、彼は本作の主人公リー・チャンドラー役を演じるについては、本来持っているであろう陽気さをすべて隠し、終始陰気な顔で、この世の不幸を代表する男のような表情と態度を見せてくれる。しかも、そのセリフ回しがぶっきら棒(投げやりな態度?)だから、どちらかというとお友達にはしたくないタイプ・・・?それは、リーの死亡した兄ジョー(カイル・チャンドラー)の16歳の息子であるパトリック・チャンドラー(ルーカス・ヘッジズ)も同じらしい。死亡した父親に代わって、突如こんなうっとうしい叔父さんが後見人になると宣言し、あれこれ指図されるのは迷惑千万だ。
本作を監督したケネス・ロナーガンが完全オリジナルで書いた脚本では、リーはそんな嫌なキャラで重たいキャラだが、俳優にとってはむしろそれはチャンス。こんな難しい役を立派に演じれば、プロの視線が集まり評価が高まるはずだ。ケイシー・アフレックが主演男優賞を受賞したのは、そんな計算がドンピシャにハマったためで、マッド・ディモン、ベン・アフレック、そしてケイシー・アフレックの思惑通りだ。さらに、よく練られた男の再生物語となっている本作の脚本も、見事に脚本賞をゲット!
<主人公のキャラは?兄の死亡から物語が始動>
冒頭、寒空の下、アメリカのボストン郊外でアパートの雪かきをしている便利屋リー(ケイシー・アフレック)の姿が登場する。その後も、トイレ掃除、ゴミ出し、ペンキ塗りなど便利屋の仕事は大変そうだ。リーはそんな仕事を嫌がらず、ちゃんとこなしているにもかかわらず、無愛想なため注文主とよく言い争いになるらしい。それに対してリーは一切謝らないし、仕事を終えて夜一人で飲みに行ったバーではカウンターの隣に座る女にも興味を示さず、向かいの男客に「俺にガンをつけたな」とケンカを売っていく始末だから、タチが悪い。ケネス・ロナーガン監督の脚本とそれを自らが演出した本作は、冒頭こんな風にリーのキャラを紹介してくれるので、極めてわかりやすい。
続いて、この日も便利屋として働いていたリーの携帯に、マンチェスター・バイ・ザ・シーにいる兄のジョーが倒れたという知らせが入ったため、急いで駆けつけたが、既にジョーは1時間前に息を引きとっていた。そこに立ち会ったのは、医師の他、ジョーの仕事仲間だったジョージ(C・J・ウイルソン)だけだったため、リーはジョーの息子でリーにとっては甥にあたるパトリックに父親の死亡を知らせるため、ホッケーの練習試合をしていたパトリックの元に向かうことに・・・。
<なぜ甥っ子の後見人に?それが物語の主軸に>
そこで私が持った疑問は、何故、父親の死亡がリーより先に妻や息子のパトリックに伝えられていないの?ということ。しかし、待て待て、そういえば、リーが病院に向かう車の中の回想シーンで、ジョーの病状がリーやジョーの父親、そして、ジョーの元妻エリーズ(グレッチェン・モル)に対して伝えられた時、エリーズはジョーと既に離婚していたはず。であれば、ジョーが死亡した病院にエリーズが来ていないのは当然だ。しかし、息子のパトリックに電話がされていないのは一体なぜ?
その疑問を含んだまま、スクリーン上にはジョーの死亡に伴うさまざまな動きの一方で、さまざまな回想シーンが登場してくる。そのため本作全体のストーリーを追っていくのはかなり大変だが、本作の本筋の物語になるのは、弁護士の元でパトリックを伴ったリーが、ジョーの遺言を聞くシーン。つまり、ジョーはパトリックの後見人としてリーを指名していたわけだ。
しかし、ここでも弁護士の私が不思議に思うのは、リーを後見人に指名することを中核として、パトリックの養育費の問題やジョーの家や船の処理の問題、さらにはジョーの死亡後は後見人になって、リーにマンチェスター・バイ・ザ・シーに移り住んで欲しい、ということまで遺言するのなら、ジョーはなぜそれを事前にリーに説明していないの?ということだ。この遺言を聞いてビックリするリーの様子をみればそれは当然だが、続いてスクリーン上には、なぜリーがこのマンチェスター・バイ・ザ・シーという町を去っていったのか?また、なぜ今ボストン郊外で一人寂しく心の荒れた状態で便利屋の仕事をして生きているのか、についての重大な「回想シーン」が登場するので、それに注目!
<エピソードがテンコ盛り!微妙な会話も・・・>
アメリカもフランスと同じように「離婚大国」。そのため、16歳の息子パトリックがジョーと離婚したエリーズとの間の子供なら、リーが今マンチェスター・バイ・ザ・シーを離れボストン郊外に一人で住んでいるのは、元妻のランディ(ミシェル・ウィリアムズ)と離婚したためだ。また、リーはランディとの間に3人の子供がいたそうだが、その子供たちを含むリーの家族を襲ったエピソードは、そりゃ悲しいもの。それによってリーは自殺を試みるほどの大きな痛手を受けると共に妻ランディとの離婚を余儀なくされ、以降ずっと心の中に罪の意識を背負ったまま、今を生きているわけだ。
しかして、本作後半には、ランディが再婚し、ベビーカーに乗せた子供を連れた姿も登場する。さらに、そこでは、再会したリーとランディとの間にかなり微妙な会話も・・・。本作はこのように一方の主人公リーをめぐる展開だけでも一本の映画になりそうなエピソードがテンコ盛りになっているので、人物関係をしっかり確認しながら、会話劇によるストーリー展開をじっくり味わいたい。
<エピソードがテンコ盛り!しかし本筋はあくまで・・・>
他方、パトリックにとっては、突然父親を失ったうえ、リーから突然「俺が後見人だ」と言われたことに戸惑ったのは当然。そして、全く自分に理解を示さず、「上から目線」で命令ばかり下す後見人のリーよりも、離婚したとはいえ、母親のエリーズに連絡を取りたいと願ったのも当然だ。しかし、そのエリーズも敬虔なキリスト教信者であるジェフリーを新たな婚約者としていたため、パトリックがその家に招かれ3人で食事をしても会話が弾まず、気まずさが残るばかりだった。本作にはそんなエピソードを含め、パトリックをめぐるさまざまなエピソードも登場する。しかも、それらのエピソードはリーの側もパトリックの側も重たいものばかりだから、ハッキリ言って、それらをスクリーン上で1つ1つ追っていくのはつらいところがある。本作の脚本を書いたケネス・ロナーガンはそんなことを意識したためか、意外にもパトリックを、女の子やスポーツや音楽に熱心な明るいキャラに設定し、「二股かけ」に悩む姿や、初の「ベッドイン」に悪戦苦闘する姿をユーモラスに描いているので、それにも注目!
前述のとおり、本作はたくさんのエピソードがテンコ盛りで、ついていくのが正直しんどいが、ストーリーの本筋は、あくまでリーとパトリックとの間の、当初は最悪だった「後見」と「被後見」の関係にある。つまり、さまざまなエピソードの中で、後見人リーと被後見人パトリックの2人が次第に打ち解け、互いに信頼し合っていくと共に、その中でリーの「再生」が実現していくというストーリーが本筋であることを、しっかり押さえておきたい。
<覚えにくい地名だが、一度覚えると・・・>
私は本作がアカデミー賞の作品賞、監督賞、主演男優賞等にノミネートされていると聞いても、そのタイトルからは何の映画かサッパリわからなかった。また、本作を鑑賞するについては、それは地名だとわかっていたが、それがどこにある町なのか、またその町がストーリーの中でいかなる役割を果たすのかは全くわからなかったが、たくさんのエピソードが続いていくかなりうっとしい物語(?)の中では、マンチェスター・バイ・ザ・シーという町が、リーとパトリックにとって大きなポイントになってくることがわかる。。
またマンチェスター・バイ・ザ・シーという町の中で、ジョーが仕事仲間のジョージらと共に生きていくについては、船が大きな役割を果たしていたのは当然だが、本作では、ジョーが使っていたオンボロ船を修理するのか売りとばすのかについても、リーとパトリックの間で意見の対立が生まれてくるので、それにも注目!マンチェスター・バイ・ザ・シーという土地は憶えにくい名前だが、一度覚えると忘れられない名前になるはずだ。
<後見と被後見の最終案は?2人の賛否は?>
他方、マンチェスター・バイ・ザ・シーという土地はリーにとってとんでもなく悪い思い出のある町だったから、いくら後見人の役割を果たすためとはいえ、リーがそんな町に戻っていくのはイヤなはず。しかし、リーが後見人としての務めを果たすためには、どうすればいいの?本作を観ている限り、リーとパトリックは立場が違うだけではなく、性格の違いもあって意見の対立はかなり顕著。そのため、その溝は容易に埋められそうになかったが、それでも少しずつ2人の間に信頼が芽生え、打ち解けていくところが本作の焦点になるので、それに注目!その結果、長い冬が終わり、マンチェスター・バイ・ザ・シーに遅い春がやってくる中で、やっとリーは、①パトリックをジョージの養子とし、②お金はすべてジョージに引き継ぎ、③パトリックは今後ジョージの家に住むこと、を骨子とする今後の後見のプランを示したが、それに対するパトリックの賛否は?
それがベストのものかどうかは、弁護士の私にもわからないが、その案では、リーはボストンで便利屋の仕事を続けるものの、住居はマンチェスター・バイ・ザ・シーに定めるらしい。また、そこでのリーの説明は、その住居は狭くてもいいが、予備の部屋が不可欠だというもの。しかし、それは一体何のため?パトリックがそんな疑問を持ち、それを質問したのは当然だが、それに対するリーの答えは、「パトリックが遊びにくる部屋を用意しておくため」ということだったから、なるほど、なるほど・・・。ここまで心が打ち解けあえば万々歳のハッピーエンドに・・・。男の再生とはかくもややこしいものであることを再確認するとともに、やっと訪れてきたハッピーエンドに大きな拍手を送りたい。
2017(平成29)年5月22日記