光をくれた人(イギリス・ニュージーランド・アメリカ合作映画・2016年) |
<TOHOシネマズ西宮OS>
2017年5月27日鑑賞
2017年6月2日記
「あの戦争」を契機に世捨て人のような状態で、1人の男がヤヌス島の灯台守を志望!ところが、そこで出会った1人の女性の生命力と魅力によってその男は新たな人生を!そんなラブストーリーは、かつての名作『喜びも悲しみも幾年月』(57年)を彷彿させるが、ある“罪”以降は、全く異質の展開に!
産みの母親と育ての母親は、どちらがより母親にふさわしいの?その答えは難しいが、そこにインチキや誘拐まがいの要素が入ってはダメ!したがって、本作の「親権」を巡る帰趨は明白だが、それとは別の、殺人事件サスペンスの展開に注目!そして、チラシのうたい文句になっている「ラスト10分」をしっかり涙しながら、楽しみたい
本文はネタバレを含みます!!
それでも読む方は下の「More」をクリック!!
↓↓↓
ここからはネタバレを含みます!!
読まれる方はご注意ください!!
↓↓↓
<このイギリス人は、なぜオーストラリアの灯台守に?>
「おいら岬の灯台守は、妻と二人で沖ゆく船の無事を祈って、灯をかざす、灯をかざす」これは、1957年に若山彰が歌って大ヒットした歌(歌謡曲)。私が小学生の時からこの歌をよく知っていたのは、両親が木下恵介監督の『喜びも悲しも幾歳月』(57年)という映画を観て、その素晴らしさを語ってくれたため。同作の主演は佐田啓二と高峰秀子の2人で、海の安全を守るべく、日本各地の辺地に点在する灯台を転々としながら厳しい駐在生活を送る灯台守夫婦の、戦前から戦後に至る25年間を描いた長編ドラマだ。もっとも、いくら辺地の灯台への赴任といっても所詮日本国内のことだから、距離的にはたかが知れている。
しかし、本作の主人公であるイギリス人のトム・シェアボーン(マイケル・ファスベンダー)が、臨時雇いの灯台守として赴く任地は、オーストラリア西部バルタジョウズ岬から160キロも離れた絶海に浮かぶ孤島ヤヌス島だから、メチャ遠い。ヤヌスとは、JANUARY(1月)の語源で、2つの物を見つめ、2つの物事の間で引き裂かれるヤヌス神から取られた名前。住民は誰一人おらず、定期便も3カ月に1度だけというから、何とも孤独な場所だ。
しかして、トムはなぜそんな灯台守の仕事に自ら志願を?それは、本作冒頭に示される1918年、つまり第1次世界大戦が終了した年ということが大きなポイントらしい。つまり、イギリス人のトムは、戦争の英雄として帰国したものの、心に深く負った戦争の傷を癒すことができず、生きていく希望も意欲もないまま、とにかく孤独を求めてヤヌス島の灯台守の仕事を希望したわけだ。なるほど、なるほど・・・。
<それでも、イザベルのようないい女がいれば・・・>
あの悲惨な戦争体験によって生きる希望を失ってしまったトムが、同時に女性に対する意欲も失ってしまったのは仕方ない。そのことは冒頭の面接の際のトムの受け答えによって明らかだ。ところが、臨時採用で赴任した3カ月後、正式採用の契約を結ぶためにバルタジョウズの町に戻ったトムが、カモメに餌をやる若い女性イザベル(アリシア・ヴィキャンデル)を見つけると、たちまちそこで空気が一変するから女性の力はすごい!もっとも、このシーンに説得力を持たせるためには、それまでほとんど死んだ目をして、生きた屍状態だったトムに対して、女性の方がいかにも生命力に満ち溢れていると共に、トムのような男に対しても女性の魅力を感じさせる「いい女」であることが不可欠だ。本作のストーリー構成の中でそんな前提(条件)を満たす魅力的な女性イザベルを演じるのは、『リリーのすべて』(15年)のゲルダ役でアカデミー賞助演女優賞を受賞し(『シネマルーム38』43頁参照)、続く『エクス・マキナ』(15年)であっと驚く美女ぶりを見せつけ(『シネマルーム38』189頁参照)、『イングリット・バーグマン 愛に生きた女優』(16年)で世紀の大女優イングリット・バーグマンになりきった(?)(『シネマルーム39』未掲載)スウェーデン出身の美人女優アリシア・ヴィキャンデルだ。
アリシア・ヴィキャンデル演じるイザベルも「あの戦争」で2人の兄を失っていたから、戦争の悲惨さは十分味わっていたが、若いこともあり、その人間としての生命力と女性としての魅力は今や真っ盛り。そのイザベルの方から積極的にトムにアプローチしていく姿は微笑ましいし、夫を失った妻には「寡婦」という別の呼び名があるのに、兄を失った妹はあくまで「兄を失った妹」というだけで納得できない、と語りかける哲学論争(?)も面白い。もっとも、2人の男の子を失ったため、残った子供がイザベル1人だけになってしまった両親は、イザベルがヤヌス島の灯台守トムの妻になることに抵抗するのでは?私はそう予想したが、本作ではストーリーをシンプルにし、論点を絞るためもあって(?)そこらはスンナリとストーリーを通している。
しかして、本作導入部が終わる頃には、トムとイザベルは夫婦でヤヌス島の灯台守として赴任し、2人だけの楽しくかつ充実した時間を過ごすことになる。もっとも、病気になったらどうするの?また、2人が希望するように、イザベルが妊娠したら定期健診はどうなるの?こんな心配を内包していたのは当然だが・・・。
<ボートの中には何が?2人の決断は?>
ヤヌス島における灯台守の仕事は多岐にわたっているため仕事は大変だと思うのだが、本作中盤では主に2人のラブラブの夫婦生活が描かれ、トムの仕事の大変さはほとんど描かれない。その中で大変だったのは、せっかく妊娠したイザベルが2度も流産したこと。これはきっと、妊娠中の定期健診を含むケアが不十分だったためだろうから、少なくとも2度目の妊娠の際にはイザベルをバルタジョウズに帰して出産に臨むべきだったはず。それをしなかったのは、イザベルはもちろん2人の不注意としか言いようがないが、本作ではそれを責めるよりも、2度の流産が本作最大の論点であるあの「行為」に結びつく最大の動機になったことに注目すべきだ。
「あの行為」とは、ある日、ヤヌス島に一艘のボートが流れ着き、その中に既に死亡した男(父親?)と小さな女の赤ん坊が乗っていたことへの対処法。そんな大事件が発生すれば、灯台守たるトムはこれを直ちに本国に報告し、死体と赤ん坊の処分方針を仰ぐべきだが、それを断固拒否したのがイザベル。つまり、イザベルは男(父親)が死亡していることもあり、この女の子を自分たちの子供として育てることを直感的に決め、断固としてそれを曲げずに主張したわけだ。ここが、「男は大脳で考え、女は子宮で考える」と言われる由縁だが、さあイザベルの強い主張を受けたトムの決断は?
<幸せ組の一方、悲しみ組は?2人の行為の犯罪性は?>
子宮で考えた結論に沿って内々に処理することを主張したイザベルに対して、大脳で考えたトムの主張は、きちんと事実を報告したうえで赤ん坊を養子にするように申請するというもの。誰が考えてもそれが正論だが、それが2人だけしか住んでいないヤヌス島の中では正論とならず、イザベルの異論がまかり通ったため、トムはやむ得ずボートの中で死亡していた男(父親)を丁寧に埋葬することに。それはそれで当然だが、20世紀のイギリスで、大の大人1人が死亡したという事実を無視できるの?また、子供は少し早産で、妊娠していたイザベルが産んだというインチキがまかり通るの?当時のイギリスには母子手帳はないの?血液型の記載はどうするの?さらに、無断で男(父親)の死体を埋葬したトムとイザベルの犯罪性は?そして、赤ん坊を勝手に自分たち夫婦の子供として届け出たトムとイザベルの行為の犯罪性は?
そんな些細な問題(?)はラブストーリーの本筋と無関係かもしれないが、弁護士の私としては、やはり気になるところだ。他方、既に2度も流産し、赤ちゃんにはもう恵まれないのではないか、と心配していたイザベルは、まさに天から降って湧いたようにかわいい女の子が授かったことに大喜び。以降、ルーシーと名付けた子供を中心にトムとイザベルの幸せな家庭生活が回り始めたのは喜ばしい限りだ。しかし、一方でこんな「幸せ組」が誕生すれば、他方で夫と子供を失った妻を中心とする「悲しみ組」は・・・?
本作では、ルーシー(フローレンス・クレイ)を得てから2年後の、ルーシーの洗礼式のためにバルタジョウズを訪れた日に、トムは教会にあるお墓の前でむせび泣く女性ハナ(レイチェル・ワイズ)を見て愕然とすることになる。そのお墓はボートで海に消えたまま行方がわからなくなった彼女の夫と娘の墓だったから、この女性がルーシーの「産みの親」であることが明らかだ。さあ、それを知ったトムのその後の行動は?ここから本作後半のストーリーが始まっていくが、さてその展開に対するあなたの賛否は?
<「戦力の逐次投入」は愚策!この男はなぜそんな策を?>
砲兵上がりのナポレオンが、戦略・戦術ともに秀でていたのは、兵力の集中に優れていたから。敵を叩くには一気に戦力を集中して、一気にそれを投入することが不可欠なわけだ。したがって、それと正反対の「戦力の逐次投入」は愚策とされており、太平洋戦争中の日本軍の作戦はその典型が多いとされている。
ここで何故そんなことを書くのかというと、夫と一人娘のグレースを失った悲しみから立ち直れないハナの存在を知りかつ良心の呵責に苦しむトムが、本作中盤以降にみせる行動がまさにその愚策にあたるからだ。ハナの存在を知ったトムは、何よりもそれを妻のイザベルに報告して善後策を協議すべきだが、それをせず、ハナに対して「夫君は神の御許だが、娘さんは大切にされている」と書いた手紙を出したが、これはまずい。なぜなら、そんな中途半端な情報を提供されたハナがそれに満足するはずはなく、その手紙の送り主に対してより多くの情報提供を求めたり、警察に相談することが想定されるからだ。もっとも、ハナからのアピールを聞いた警察は怠慢にもロクな捜査をしなかったため、ハナ1人がイライラする中で月日は経っていった。しかし、さらにその2年後、バルタジョウズで開催された灯台建設40周年を祝う式典にトムとイザベルがルーシーを連れて出席し、いろいろな会話を交わしていると、イザベルの目にも少しづつ真実が見えてくることに・・・。
その時点では、ハナの方はまだルーシーこそが亡き夫との間で自分が産んだ一人娘グレースだと確信を持つことはできなかったが、イザベルの方は・・・?その後に、トムとイザベルとの間で交わされた会話は、「打ち明けるべきだ」「今さら手遅れよ」「彼女は母親だ」「あの子にとって母親は私よ」等々だが、そんな「会話」の後トムがとった行動も中途半端で、まさに戦力の逐次投入という愚策だった。しかして、それは一体なぜ・・・?
<トムの反省と好対照のイザベルの反省に注目!>
1918年の第1次世界大戦終了直後のヨーロッパで、本作のようなトムとイザベルの行為がどのような犯罪に該当するのかは弁護士の私にもよくわからない。しかし、少なくともハナの存在を知った後は、幼児の誘拐事件に該当する可能性が高い。他方、ハナの夫はボートの中で発見された時は既に死亡していたのだから、トムやイザベルが殺人罪に問われることはあり得ない。そう思っていたが、警察がトムの供述の裏付けを取るべく、ボートの中で男を発見した時に男はまだ生きていたかどうかをイザベルに確認すると、なんとイザベルの供述は・・・?
ここらあたりの女心をどう解釈するのかが本作中盤最大のポイントだが、どうも私にはそのストーリー展開がイマイチ納得できない。イザベルに何の相談もなしにトムが取った行動がいくらイザベルの意思に反するものだったとしても、殺人罪になるか否かという重大な問題について、イザベルが警察に対して虚偽の供述をするというのはいかがなもの・・・?そして、一体なぜ・・・?
「産みの母親」と「育ての母親」のどちらがより母親らしいの?子供はどちらが引き取って育てるべきなの?そんな論点についての正解は難しいし、それを巡る本作におけるイザベルとハナの綱引き(攻防戦)は見応えいっぱい。それはそれとして十分わかるし、かつ、楽しめる(?)のだが、本作に見るトムの反省ぶりと、それと好対照な(?)イザベルの反省ぶりに注目するとともに、なぜイザベルがあんな偽りの供述をしたのかについて、十分掘り下げる必要がある。
<「ラスト10分 もう涙は止められない」の意味は?>
本作は後半を裁判劇仕立てにすれば、それなりの迫力ある面白いストーリーになるかもしれないが、本作はあくまでラブストーリーを貫いている。そのためチラシでも「『きみに読む物語』(05年)(『シネマルーム7』112頁参照)『P.S.アイラヴユー』に続く今年最高の愛の感動作!」「孤島に暮らす灯台守の夫婦。他に誰もいらない。そう願うほど幸福だった。その<罪>に気づくまでは――。」の見出しが躍り、さらに「愛のために、彼らは何を決断するのか。ラスト10分、もう涙は止められない。」と書かれている。しかし、トムが警察に逮捕、収監された以降は、トムの犯罪の行方と罪の重さに焦点が当てられるストーリー展開になっていくから、それほど感動的なシークエンスが登場してくるとは思えない。そして現に、トムの罪が決まると事実上、本作のトムとイザベルを主人公とするラブストーリーとその罪の後始末のストーリーはジ・エンドになってしまう。すると「ラスト10分 もう涙は止められない」というチラシのうたい文句になっているストーリーは?
それは、イザベルが先に死亡し、1人だけまだ生き残っているトムの元をある女性が訪問するシークエンスになるが、この女性は一体誰?そう聞けば誰でも、それが成長したグレース(ルーシー?)(カレン・ピストリアス)だということが想像できるが、さてその女性の名前は?そして、そこで交わされる会話とは・・・?
<メールではなく、やはり手紙!その役割は?>
私が大学生だった時、由紀さおりが歌った「手紙」や、因幡晃が歌った「わかって下さい」等が大ヒットしていた。これらは、人間が自分の手でペンを持ち紙の上に文字を書く行為の中で、人間の気持ちを歌った曲(歌詞)だった。
しかして本作では、①イザベルがトムにはじめて送った手紙を契機として始まった、3カ月に1度の定期便で運ばれるトムとイザベルの間で交わされる手紙、②トムがハナに投函した(中途半端な?)告白の手紙、③イザベルが読まずに机の中にしまっておいたトムからの手紙、がストーリー展開の中で大きな役割を果たしていく。そして、本作はさらに感動のラスト10分間に、読まれるかどうかもわからないまま、イザベルがルーシー宛に書き、引き出しの中に保管していた手紙が登場するので、それに注目!
そこには何が書かれていたの?イザベルのルーシーに対する思いの深さはいかばかりだったの?その手紙の朗読を聞いて涙がどっと溢れ出てくるのは必至だ。なるほど、なるほど、チラシに躍るうたい文句の意味はこういうことだったのか!そんな感動をじっくり味わいながら、良質な時間を過ごせたことを感謝したい。
2017(平成29)年6月2日記