緑茶(中国映画・2002年) |
<東映試写室>
2006年5月29日鑑賞
2006年5月31日記
中国第六世代監督、張元(チャン・ユアン)が描く、現代北京を舞台とした一風変わった恋愛模様は、フランス映画『昼顔』風・・・?メガネをかけた勝ち気なインテリ女とバーでピアノを弾く悩ましげな高級娼婦は、雰囲気は正反対だが顔はうり二つ。そんな2人の女(?)に翻弄される男を演ずるのは、中国随一の名俳優、姜文(チアン・ウェン)。「緑茶」占いは、ホントそれともインチキ・・・?それを見定めるためには、本場中国茶のお勉強と、三里屯をはじめとするオシャレな北京のまちを散策する「緑茶ツアー」が必要かも・・・?
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監督:張元(チャン・ユアン)
陳明亮(チン・ミンリャン)/姜文(チアン・ウェン)
呉芳(ウー・ファン)、朗朗(ランラン)/趙薇(ヴィッキー・チャオ)(1人2役)
陳明亮の友人の画家/方力鈞(ファン・リジュン)
キネティック配給・2002年・中国映画・89分
<『ジキルとハイド』か『昼顔』か・・・?>
人間は必ず相矛盾する2つの性格を持つものだということを、最も鮮明に教えてくれるのは「ジキル博士とハイド氏」の物語。また、いわばその「女性版」で、女の二面性、すなわち夜は貞淑な妻、昼は娼婦という2つの顔をもつ女、セリーヌを主人公としたフランス映画が、カトリーヌ・ドヌーブ主演の『昼顔』(67年)。
この『緑茶』はタイトルこそえらく抽象的で絵画的雰囲気だが、物語のポイントは、『昼顔』と同じく女の二面性。すなわち、メガネをかけた知的な大学院生、呉芳(ウー・ファン)と、バーのラウンジでピアノを弾いているが、実は高級娼婦で金さえ払ってくれれば誰とでも寝る朗朗(ランラン)は、単に顔が似ているだけで別人・・・?それともホントは同一人物・・・?
<監督は第六世代の旗手、張元>
そんな面白いテーマをスクリーンに描いたのは、「中国第六世代監督」の旗手の1人である張元(チャン・ユアン)(1963年生まれ)。1989年に北京電影学院を卒業した張元は、1990年代以降、ドキュメンタリー作品でその成果を世に問い、ロカルノ国際映画祭などで高く評価されていたが、それらの作品は中国国内では上映禁止処分に・・・。第五世代監督の田壮壮(ティエン・チュアンチュアン、1952年生まれ)(『青い凧』(93年))や第六世代監督の劉冰鑒(リュウ・ビンジェン、1963年生まれ)(『涙女』(02年))、そしていわば第七世代監督ともいうべき賈樟柯(ジャ・ジャンクー、1970年生まれ)(『世界』(04年))などと同じく、中国ではあまりに刺激的な問題提起作品はダメという、「とばっちり」を受け続けてきたわけだ。しかし、張元は1999年の『ただいま』がベネチア国際映画祭銀獅子賞・監督賞などを受賞する中、これでやっと上映禁止処分が解かれたとのことだ。ちなみに監督デビュー作ながら『鬼が来た!』(00年)で同じく上映禁止処分を受けた姜文(チアン・ウェン)も1963年生まれだから第六世代監督の1人・・・。
そんな張元監督が除静蕾(シュー・ジンレイ)を起用した『我愛你』(03年)に続いて発表したのが、趙薇(ヴィッキー・チャオ)を起用した『緑茶』。両作品とも「愛」をテーマとしたものだが、そのアプローチの仕方は全然異なるもの。しかしたまたま日本では、この両作品が第七藝術劇場で今年7月続けて公開されることに・・・。
<私の愛読雑誌の1つ、『人民中国』!>
私が東京の西新宿八丁目成子地区市街地再開発組合についての設立認可処分取消請求事件の件で、依頼者の黄さんが経営する台湾レストランを訪れたのは2005年5月。この店に約10名の第59期修習生を招いて、この事件の勉強会をするとともにおいしい台湾料理をたっぷり味わったが、その時、目についた雑誌が『人民中国』。パラパラとめくっていると面白い記事がたくさん載っているうえ、何よりも私の目を引いたのは「名作のセリフで学ぶ中国語」というページ。これは中国映画字幕翻訳業をしている水野衛子氏が連載しているもので、中国映画と中国語の勉強にすごく役に立つと思ったため、即座に定期購読をすることを決め、以降毎月楽しくこれを読んでいる。
<『人民中国』に学ぶ>
その『人民中国』2006年6月号の「名作のセリフで学ぶ中国語」30回目の連載がこの『緑茶』。さすが中国通(?)の水野さん、そこでのお茶の解説はさすが専門的・・・。そしてまた、『緑茶』のスクリーン上に登場するレストランやバー、そしてホテルについての詳細な解説(紹介?)も大いに参考になるもの。
ちなみに、「味もいけるし値段も手頃でお薦め」と書いてある呉芳と陳明亮(チン・ミンリャン)(本では張元と書かれてあるが、これはきっと印刷ミス)が見合いをした「為人民服務」というタイ料理屋は、「三里屯」近くにあるとのこと。この三里屯は私も2003年の北京旅行の際に訪問した「洋街」で、そのにぎやかさにビックリしたところ。『北京ヴァイオリン』(02年)を観て、北京駅のエスカレーターの見学に行ったように、次回の北京旅行の際は、水野氏が薦めるように『緑茶』ツアーを是非実現したいものだ。
<姜文登場!>
姜文は張藝謀(チャン・イーモウ)監督の『紅いコーリャン』(87年)で、鞏俐(コン・リー)とともに強い印象を残した俳優で、今や中国を代表する俳優になると同時に、『鬼が来た!』では監督業にも進出したマルチ的才能の持ち主(『シネマルーム5』206頁、『中国映画の明星』129頁参照)。そんな姜文がこの映画では、呉芳と朗朗に翻弄される誠実で善良な男(?)を味わい深く演じている。
姜文が張藝謀監督と2度目のコンビを組んだのが1997年の北京を舞台とした『キープ・クール(有話好好説)』(97年)。『キープ・クール』の役柄は『緑茶』の役柄とは全く違う雰囲気だったが、現代の北京を舞台として、不毛な男女の恋愛模様を描こうとしている点は、両者ともほぼ同じ。姜文は、『キープ・クール』ではさかんに大声を出してわめいていた(?)が、この『緑茶』では、最初のお見合いで呉芳からビンタをくらって以降、一貫して「骨抜き状態」となりながら必死に呉芳を追いかけていく、よくしゃべるけれども静かな男(?)を演じている。皆さんも、これを対比してみれば面白いのでは・・・?
<撮影に注目!>
この『緑茶』の撮影は杜可風(クリストファー・ドイル)。彼は『欲望の翼』(90年)、『恋する惑星』(94年)、『花様年華』(00年)、『2046』(04年)など多くの王家衛(ウォン・カーウァイ)作品に、撮影監督として参加している有名なカメラマン。『花様年華』における張曼玉(マギー・チャン)のチャイナドレス姿の撮影は生ツバモノ(『シネマルーム5』251ページ参照)。そして、それが再現されたのが『愛の神、エロス』(04年)(『シネマルーム7』306頁参照)。
彼は1952年生まれだから、1963年生まれの張元監督とは10歳以上も年が離れている。よほど張元監督の才能を認めたからこそ、この映画製作に参加したのだろう。
『キープ・クール』は、ハンドカメラを多用し、かなり不安定な映像が展開されていく中で、主人公の心の不安定さが表現されていた。しかし、この『緑茶』のカメラワークはそれとは全く逆で、しっとりと落ち着いたもの。したがってこの映画では、そんなカメラワークのあり方にも大いに注目してみよう・・・。
<趙薇の代表作に・・・?>
呉芳と朗朗の2役を演じているのは、中国四大女優の1人、趙薇。メガネをかけ、ツンとすました勝ち気で知的な女、呉芳と、美しい肩をいっぱい出したドレスを着てピアノを弾き、男を魅きつける女、朗朗をうまく演じ分けているが、ご両人に共通するのは「美人」だということ・・・。演技力ももちろん大切だが、やっぱり女優はそれ以上に、顔とスタイル・・・?『小林サッカー』(01年)で大ブレイクした彼女は、「01年には中国圏における30歳以下の女優収入ランキングでケリー・チャンやチャン・ツィイーなどを押さえトップになる」とのことだが、その後の映画は『ヘブン・アンド・アース』(03年)でも準主役扱い。したがって、1人で2役を演じ、その美貌のみならず演技力を見せつけたこの『緑茶』は、きっと彼女の代表作に・・・。
<明亮と呉芳はなぜ見合いを・・・?>
明亮が今日はじめて見合いをしたのは、数年来つき合っていた女性が二股をかけていることがわかり、失恋したため。これはよくわかる。しかし、呉芳がなぜ見合いをくり返しているのかは、実はよくわからない。本人の説明によると、「自分に合う男性を求めているため」ということだが、どうもその言葉を額面どおりに受け止めることができない雰囲気・・・?
なお、「お見合い」といっても、この映画で見る限り、中国式の「お見合い」は当事者の男女が喫茶店で待ち合わせているだけだから、そこに至るまでのプロセスはサッパリわからず、これではふつうの「デート」と同じようなもの。したがって、そのお見合いの席で、明亮が少し失礼なこと(?)を言うと、呉芳はたちまち席を立ってしまうような安易さ・・・?
<男が女を殴るのは絶対ダメ・・・?>
呉芳の「緑茶」占いの話に興味を持った明亮が、席を立った呉芳の後を追ったのはいいものの、いきなり「ホテルに入ってもう1度話をしよう」と言うのは、ちょっとやりすぎ・・・。あきれ顔の呉芳は黙って明亮と別れたが、何を思ったか、数歩歩くとまた戻ってきて、いきなり明亮の頬を平手打ち・・・。
そんな呉芳の持論は、「前の女と別れる時、女をぶった」という明亮に対して言う、「どんな理由があっても男が女を殴るのはよくない」ということ。自分が男をぶつのはオーケーだが、その逆は絶対ダメだということ・・・。ところが、なぜかこんな身勝手で勝ち気な呉芳に対して明亮がホレてしまったから、男女の仲はわからないもの・・・?
<呉芳と朗朗は同一人物・・・?>
呉芳との恋(?)に悩む明亮に朗朗を紹介したのは、友人の画家(方力鈞/ファン・リジュン)。画家の話によると、バーのラウンジでピアノを弾く美しい女性、朗朗は、金さえ払えば誰とでも寝る高級娼婦・・・。そんな朗朗に花束を渡した明亮だったが、朗朗の顔を見てビックリ。それは服装や雰囲気は全く違うものの、その顔は呉芳とうり二つだったから・・・。そんな朗朗に向かって、明亮は「君は呉芳だろう・・・?」と再三確認するが、朗朗は否定するばかり・・・。その後も全く呉芳に受け入れてもらえない明亮は、呉芳に対する想いを朗朗に対して語ることによって、次第に心の安らぎを得ることに・・・。さて、こんな朗朗はホントに呉芳とは別の女・・・?それとも呉芳と朗朗は同一人物・・・?
<ある時、ある場所、あるハプニングが・・・?>
画家の友人たちと一緒に食事をすることを呉芳から断られた明亮は、朗朗に大学院生のふりをして、呉芳の代わりに行ってもらうことにしたが、そこで1つのハプニングが・・・。それは、呉芳に扮した朗朗がした「緑茶」占いに対して、画家の彼女がイチャモンをつけたこと。そのため、急にその場の雰囲気は険悪な状態に・・・。そんな彼女のあまりの行動に見かねた画家は、彼女の頬をぶったのだが、そこで朗朗が画家に対してとった行動は・・・?
その後の展開は皆さんのご想像におまかせしよう・・・。「緑茶」占いという、いかにも中国的な小道具(?)をバックに、呉芳と朗朗という全く「雰囲気」の異なる2人の女(?)に翻弄された明亮は、最後にその思いを遂げることができるのだろうか・・・?そして、果たしてそれは、「緑茶」占いの結末と一致しているのだろうか・・・?
2006(平成18)年5月31日記