ハクソー・リッジ(アメリカ、オーストラリア映画・2016年) |
<TOHOシネマズ西宮OS>
2017(平成29)年6月24日鑑賞
2017(平成29)年6月28日記
自ら兵役を志願しながら銃を持つことを断固拒否!なぜなら、俺は衛生兵だし、イエス・キリストは「汝殺すなかれ」と教えているから・・・。アメリカではそんな理屈が通るの?また「良心的兵役拒否」が認められるの?
『パッション』(04年)でものすごい問題提起をしたメル・ギブソン監督が沖縄戦の「ハクソー・リッジの戦い」を描いた本作では、そんな論点をじっくりと!
本作にみる日本軍の反撃能力にはびっくりだし、主人公が「良心的兵役拒否者」としてアメリカ史上はじめて名誉勲章を授与されたことにもびっくり!しかし、たった1人で日本兵を含めた75人の負傷者を救ったという実話は、ホントにホント・・・?
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監督:メル・ギブソン
デズモンド・ドス(衛生兵)/アンドリュー・ガーフィールド
グローヴァー大尉(部隊長)/サム・ワーシントン
ドロシー・シュッテ/テリーサ・パーマー
ハウエル軍曹(新兵の教育係)/ヴィンス・ヴォーン
スミティ・ライカー/ルーク・ブレイシー
トム・ドス(デズモンドの父親)/ヒューゴ・ウィーヴィング
2016年・アメリカ・オーストラリア映画・139分
配給/キノフィルムズ・木下グループ
<本作に見るメルギブソンの問題提起(1)>
『アポカリプト』(06年)(『シネマルーム14』19頁参照)以来10年ぶりのメル・ギブソン監督作品となる本作には、大きく3つの問題提起がある。第1は、『パッション』(04年)(『シネマルーム4』261頁参照)でイエス・キリストへの迫害についてものすごい問題提起をしたメル・ギブソン監督らしく、「汝殺すなかれ」と教えるキリスト教の敬虔な信者であるため、兵器を持つことを完全拒否しながらも兵役を志し、衛生兵として生きる信念を貫いた1人の兵士の実話に焦点を当てたこと。本作の公式サイトのIntroductionには、次の通り書かれている。すなわち、
銃も手榴弾もナイフさえも、何ひとつ武器を持たずに第2次世界大戦の激戦地〈ハクソー・リッジ〉を駆けまわり、たった1人で75人もの命を救った男がいた。彼の名は、デズモンド・ドス。重傷を負って倒れている敵の兵士に手当てを施したことさえある。終戦後、良心的兵役拒否者としては、アメリカ史上初めての名誉勲章が授与された。
なぜ、彼は武器を持つことを拒んだのか?なんのために、命を救い続けたのか? いったいどうやって、奇跡を成し遂げたのか? 歴戦の兵士さえひと目見て言葉を失ったという〈ハクソー・リッジ〉の真に迫る戦闘シーンが、“命を奪う戦場で、命を救おうとした”1人の男の葛藤と強い信念を浮き彫りにしていく─実話から生まれた衝撃の物語。
しかし、そんなことってホントにありうるの?
かつての世界ヘビー級チャンピオンだったカシアス・クレイ(モハメド・アリ)は、良心的兵役拒否のため禁固5年と罰金1万ドルを科せられたうえ、ボクサーライセンスも剥奪され、3年7カ月ものブランクを余儀なくされた(なお、1971年7月には合衆国最高裁で無罪となった)。しかし、ドス(アンドリュー・ガーフィールド)にはそれと同じようなペナルティはなかったの?また、第2次世界大戦中の日本では兵役拒否は到底考えられないが、同じ時期にアメリカではなぜ「良心的兵役拒否」が認められていたの?また、「良心的兵役拒否」をしたドスは、なぜ「俺は、銃を持たない」と主張したまま衛生兵として実戦に配置されたの?さらに、アメリカではホントにドスのようなケースがあったとして、それは英仏独等のヨーロッパでも可能なの?また、韓国では・・・?メル・ギブソン監督の第1の問題提起に対して私はそんな疑問を持ったが、本作はあくまで実話に基づいた物語らしい。するとアメリカって、やっぱりすごい国・・・?
<本作に見るメルギブソン監督の問題提起(2)>
本作のタイトルになっている「ハクソー・リッジ」とは、第2次世界大戦の激戦地、沖縄の前田高地のことで、多くの死者を出した壮絶な戦いの場として知られているらしい。ハクソーはのこぎりで、リッジは崖の意味。150メートルの断崖絶壁の崖がノコギリのように険しくなっていたことから、最大の苦戦をしいられたアメリカ軍が、「ハクソー・リッジ」と呼んだそうだ。本作は第1の論点を丁寧に描く前半と、壮絶なハクソー・リッジの戦闘シーンをリアルに描く後半にはっきり分けられる。沖縄戦を描くアメリカ映画は珍しいが、本作にみる問題提起の第2は、その「ハクソーリッジの戦い」の壮絶さをメル・ギブソン監督流にリアルに描いたことだ。
戦争シーンをリアルに描いた近時のハリウッド製の戦争映画には、①スティーヴン・スピルバーグ監督の『プライベート・ライアン』(98年)と②クリント・イーストウッド監督の『硫黄島からの手紙』(06年)(『シネマルーム12』21頁参照)、『父親たちの星条旗』(06年)(『シネマルーム12』14頁参照)がある。前者は近時公開されるクリストファー・ノーラン監督の『ダンケルク』(17年)や、古くは『史上最大の作戦』(62年)等のヨーロッパ戦線(対ナチスドイツ)との戦いを描いたもので、後者は太平洋にある「硫黄島の戦い」を敢えて2部作にしてアメリカ側の目と日本側の目の双方から描いた異色作だった。戦争映画はややもすれば一方の視点が強調される嫌いがあるが、このように2部作にして双方の視点から描けば硫黄島の戦いを平等かつ客観的に評価することが可能・・・?
そんな狙いが成功して、同2部作は大ヒットしたが、さて本作のタイトルに出てくるハクソー・リッジの戦いを知っている日本人はどれくらいいるの?沖縄では毎年6月23日に沖縄全戦没者追悼式(慰霊の日)が開催され、激しかった沖縄戦の回顧がなされているが、多くの日本人はひめゆり部隊は知っていてもハクソー・リッジの戦いは知らないのでは・・・?そう考えると、メル・ギブソン監督の第2の問題提起はよくわかるが、本作が日本人に受け入れられる余地は少ないかも・・・?
<「汝殺すなかれ」の教えをどう考える?>
ハンムラビ法典に記載されている有名な「目には目を、歯には歯を」を単純に信じる人間なら、戦争に参加し武器を取り敵兵を殺すことに抵抗がないかもしれない。しかし、「汝殺すなかれ」「汝の敵を愛せよ」「右の頬を打たれたら左の頬を出せ」と教えるキリスト教(ユダヤ教も同じ?)の信者は、本来戦争に参加し武器を持ち敵兵を殺すことに矛盾を感じるのは当然だ。したがって、スペイン、ポルトガル、オランダ、イギリス、フランス等の西洋キリスト教諸国が十字軍や植民地獲得戦争をはじめとする多くの戦争を仕掛け、多くの「敵」を殺してきたのは、本来キリスト教の教えに矛盾する行為のはずだ。
そう考えると、敬虔なキリスト教徒であるドスが、「汝殺すなかれ」の教えを教条的に(?)信じ、いかに戦争といえども武器を持ち敵兵を殺すことを拒否したのはむしろ正論。戦争ともなればキリスト教徒でも敵兵を殺すのが当然だ、という米軍主流の考え方こそおかしいのでは。したがって、もし本当にアメリカでは「良心的兵役拒否」が許されているとすれば、それは素晴らしいことだ。
もっとも、ドスが「汝殺すなかれ」の信念を持ち、それを貫くのは自由。また、ドスが軍隊に入り衛生兵として働きたいと希望するのもOK。しかし、軍隊に入れば軍隊のルールがあるのは当然だ。そして、自衛隊は軍隊か否かという議論を考えれば軍隊の定義は難しいが、少なくとも、どこの国でも軍隊に民主主義的自由は存在せず、「上官の命令は絶対服従」等の軍隊特有のルールがあるの当然だ。そう考えると、ドスが衛生兵として軍隊に入ることと、軍隊の中で「汝殺すなかれ」の信念を貫き通すことの両立は到底無理だと思うのだが・・・?
<本作にみるギブソン監督の問題提起(3)>
しかして、本作にみるメル・ギブソン監督の問題提起の第3は、「汝殺すなかれ」と信じるドスの主義・主張(信念)と、敵兵を殺すことを基本任務とする軍隊のルールとの関係だ。スクリーン上にはドスたち一人一人に銃が与えられるシーンが登場し、「銃は自分の命であり、恋人だ」と教えられる。ところが、そこで1人だけ銃を受け取らない男ドスがいたから、これでは組織の秩序が成り立たないのは当然だ。最初にドスたち新兵の訓練にあたるのはハウエル軍曹(ヴインズ・ヴォーガン)。そこで描かれる教育ぶりは、仲代達矢主演の『人間の條件』全6部作(59年~61年)や、勝新太郎主演の『兵隊やくざ』シリーズ(65年~72年)等で描かれた旧日本陸軍の新兵しごきとは全く異質だが、その厳しさは同じ。また、徹底的に体力と気力(根性)を鍛え、上官の命令への絶対服従を教え込むのも同じだが、どこかに自由の雰囲気があるのはやっぱりアメリカ流・・・?
本作前半では、そんな新兵の訓練風景の中で様々な問題提起がされる。たとえば、「お前は右の頬を殴られたら、本当に左の頬を差し出すのか?」と質問されると、ドスはどう答えるの?さらに「銃は敵を殺すためだけではなく、自分を守るためにある。だから必要だ」と言われると、ドスはどう反論するの?それらに対してドスは十分答えられないまま、それでも自分の主義主張を貫き通そうとしていたから、こりゃある意味タチが悪い。これでは、ドスの信念はともかく、ドスの理論武装が不十分なことは明らかだ。本作前半ではそこらの「理論闘争(?)」が面白いので、それに注目。
結局、ドスは軍法会議にかけられるが、その容疑は上官の命令への不服従。軍法会議でハウエル軍曹や部隊長のグローヴァー大尉(サム・ワーシントン)らがドスを支持しなかったのは当然。また、軍法会議の裁判長も、弁護人も付けず理論武装も不十分なままのドスの言い分を認めなかったのは当然だ。ところが、そこにドスの父親トム(ヒューゴ・ウィーヴィング)が登場(乱入?)し、ある手紙を裁判長に手渡したところ、その「威力」によって、裁判長はドスの衛生兵としての軍隊入りを認めてしまったから、アレレ・・・?トムと裁判長は第一次世界大戦を戦った時の戦友だそうだが、その手紙には一体何が書かれていたの?日本では今、森友学園や加計学園問題での「忖度」が問題になっているが、アメリカの軍法会議はホントにこれでOKなの・・・?
<本作に見るハクソーリッジの戦いの疑問⑴>
本作後半から始まるハクソー・リッジの戦いでは、まずアメリカの戦艦からの艦砲射撃の激烈さに注目!これは『硫黄島からの手紙』と同じだ。続いて米軍兵士がよじ登るのは、高さ150メートルの崖にかけられた縄梯子から。しかし、兵士の登り降りはこれで十分だろうが、大量の武器・弾薬も、これを使って人間の手作業で運ぶの?いくら太平洋戦争の時代といえども、大量の武器弾薬を昇降させるエレベーターのような装置くらいはあったのでは?
他方、艦砲射撃の間に日本軍が深い壕の中に籠っていたのも『硫黄島からの手紙』と同じ。高台によじ登った米軍はそこから進撃を開始したが、それに対する日本軍の反撃は予想以上だ。しかし、あれほど強力かつ組織的な日本軍の反撃は本当に可能なの?しかも、夜が明けた後には、より大量の兵力の日本軍が反撃してきたから、米軍は一斉に撤退し、縄梯子を使っての退却を余儀なくされることに。しかし、これもホントの話しなの?そして、そうなれば高台に残された傷ついた米兵を日本軍が一人ずつ殺していくのはごく簡単だから、そこで傷つき倒れているハウエル軍曹や傷ついたドスの戦友たちは一人残らずアウト・・・。そう思うのが当然だが、そこからスクリーン上は意外な展開に・・・。
ここで私が疑問に思ったのは、なぜ日本軍はあの縄梯子をそのまま残しておくの?ということ。ちなみに、ハクソー・リッジへの6度目のチャレンジに臨んだドスたち米軍兵士は、傷ついて撤退していく先行部隊を見ていたのに、何故目の前のハクソー・リッジには米軍の縄梯子がそのまま残されていたの?本作はドスの手記に基づいて脚本を書いたものらしいが、こんな疑問を持つと、この戦いは本当?本作に見るハクソーリッジの戦いにはそんな疑問すら湧いてくるが・・・?
<本作に見るハクソーリッジの戦いの疑問⑵>
日本人にとって、沖縄戦は硫黄島の戦いと同じく悲惨な戦いというイメージしかない。ところが、本作にみるハクソー・リッジの戦いは、少なくとも高台の上では日本軍が圧勝!150メートルの崖下に米軍を敗退させた日本軍が縄梯子をそのまま残しているのはご愛嬌(?)だが、高台の上にはもはや走り回れる米兵が1人もいないのだから、この後日本軍は傷ついた米兵を1人ずつ殺し放題!そう思うのが当然だが、何の何の。そこには未だた傷つかず、看護と救護活動に従事できる衛生兵ドスが1人残っていた。それが、本作ラストのストーリーの核になる。
しかして、ドスは日本兵の目をかすめて穴から穴を駆け巡り、傷ついたハウエル軍曹や戦友たちに対して1人また1人と救急措置を施したうえ、肩に担いで崖まで運び、その後は1人ずつ縄梯子を使って高台から降ろしていったからすごい。しかし、ホントにこんな事が可能なの?本作ラストでは、「神様、もう1人救わせてください」と唱えながら、1人また1人とそんな作業を続け、結局75人もの日本兵を含む負傷兵を救い出したという物語になるが、そのストーリーは本当?ひょっとして、これはマユツバ・・・?私にはそう思えてきたが・・・?
<作品賞・監督賞は無理だが、撮影賞・美術賞なら…>
『史上最大の作戦』は第35回アカデミー賞で5部門にノミネートされ、撮影賞と特殊効果賞を受賞した。また、『プライベート・ライアン』は第71回アカデミー賞で11部門にノミネートされ、監督賞、編集賞、撮影賞、音響賞、音響編集賞5部門を受賞した。それに対して、「メル・ギブソン流の戦争大作」という前評判の高かった本作は、第89回アカデミー賞で計6部門にノミネートされたが、結局作品賞、監督賞を受賞できず、録音賞と編集賞という2部門の受賞にとどまった。たしかに戦闘シーンの描き方の激しさでは本作は『プライベート・ライアン』と並ぶものがあり、録音賞と編集賞の受賞には納得だが、作品賞、監督賞の受賞が無理なのは私の評論を読めば明らかだろう。
日本人がほとんど知らない沖縄戦における「ハクソー・リッジの戦い」なるものを教えてくれた点で、本作は大いに貢献したことは間違いない。しかし、その戦いの内容と、本作でヒーローとしてまつり上げられている衛生兵ドスの奮闘ぶりには、いくつかの疑問がある。さて、皆さんはどうだろうか・・・?
2017(平成29)年6月28日記