ジャスミンの花開く(茉莉花開/Jasmine Women)(中国映画・2004年) |
<シネ・リーブル梅田>
2006年7月2日鑑賞
2006年7月5日記
上海を舞台に、1人の女優が茉(モー)・莉(リー)・花(ホア)という三世代の女性役を。描く時代は、激動する中国の1930年、1950年、そして1980年という3つのポイント。そんな主役を張れる女優は、アジアンビューティーの代表、章子怡(チャン・ツィイー)をおいて他にいない。長年、張藝謀(チャン・イーモウ)作品の撮影監督をつとめた侯咏(ホウ・ヨン)が10数年温め、やっと実現させた監督デビュー作は、章子怡の、章子怡による、章子怡のための映画・・・。1人3役による「百変化」の演技をじっくりと鑑賞するとともに、雨の中での出産シーンをはじめとする熱演と彼女の女優魂に拍手!
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監督:侯咏(ホウ・ヨン)
製作総指揮:田壮壮(ティエン・チュアンチュアン)
原作:蘇童(スー・トン)『婦女生活』
茉(モー)/章子怡(チャン・ツィイー)
莉(リー、茉の娘)/章子怡(チャン・ツィイー)
花(ホア、莉の養女)/章子怡(チャン・ツィイー)
茉の母、莉の母(中年の茉)/陳冲(ジョアン・チェン)
花の祖母(晩年の茉)/陳冲(ジョアン・チェン)
孟(モン)(茉の恋人)/姜文(チアン・ウェン)
傑(ジェ)(莉の夫)/陸毅(ルー・イー)
杜(トゥ)(花の夫)/劉燁(リィウ・イェ)
日本スカイウェイ配給・2004年・中国映画・129分
<舞台は上海ー上海租界の始まりは南京条約>
私が今年3月16~20日の上海・杭州・烏鎮・無錫・鎮江・揚州・蘇州・周庄旅行で見学した上海の外灘(ワイタン)には、西洋の名建築が立ち並んでいる。黄浦江を隔てた東側の浦東地区には近代国家中国の威容を誇るかのように、高さ468mのテレビ塔東方明珠がそびえ立っているが、西側の外灘には「あの時代」の面影がいっぱい。「あの時代」とは、阿片戦争でイギリスに敗れた中国が、1842年に締結した(させられた)南京条約によって、上海など5つの港の開港を余儀なくされた時代。これによって、いわゆる「上海租界」が成立したわけだ。
そんな現在の観光地「外灘」だが、1842年以降上海は「東洋の摩天楼」と言われる大都会に発展し、日中戦争とその後の新中国建国を中心とする、中国の激動を刻んできた。この映画は、そんな大都市上海にある1軒の写真館を舞台として、1930年、1950年、1980年という3つの時代にわたる、三代の女性の生き方を描くもの・・・。
<章子怡の、章子怡による、章子怡のための映画・・・>
この映画の監督は、『あの子を探して』(99年)、『初恋のきた道』(00年)、『HERO(英雄)』(02年)で、長年張藝謀(チャン・イーモウ)監督の下で撮影監督をつとめてきた侯咏(ホウ・ヨン)。そして原作は蘇童(スー・トン)の『婦女生活』で、侯咏が10年以上にわたってその映画化構想を温めてきたもの。ここで侯咏が思いついたのは、3つの時代を生き抜く三世代の女性を、1人の女優が演じたら面白いだろうということ。すると、そんな役を演じきれる女優は、章子怡(チャン・ツィイー)をおいて他にいないことは明らか・・・。
ここに、張藝謀監督による章子怡の鮮烈なデビュー作『初恋のきた道』の撮影監督で、「兄さんのような存在」であった侯咏による、今やアジアンビューティーの代表となった章子怡を起用した初監督作品が誕生したわけだ。ちなみに、2004年のこの作品で章子怡は2004年に中国電影金鶏賞の最優秀女優賞を見事に受賞!
<ストーリーと役柄構成はきわめて異例・・・>
ここで長々とストーリー紹介をするつもりはないのだが、この映画を評論するについては、最低限の時代背景と登場人物、そして物語のポイントを把握しておかなければダメ。しかも章子怡が演じるのは「女の一生」ではなく、茉(モー)、莉(リー)、花(ホア)という異なる時代を生きた10代から30代の別々の女性。
他方、その茉と莉の母そして花の祖母を演ずるのは、私が6月9日に観た『胡同のひまわり』(05年)に登場した陳冲(ジョアン・チェン)。この母と娘との確執が、この映画の最初2つのストーリーでは大きなテーマとなっており、章子怡と陳冲の演技によって、それが見事に浮かびあがっていく構成となっている。つまりこの映画は約2時間の間に3つのストーリーがあり、章子怡と陳冲がそれぞれ時代を超えた3人の女性の役柄を演じ分けるという、いわば3話のオムニバス劇ともいえるようなつくり方。そして、そんな構成はきわめて異例。
<張藝謀と田壮壮のアドバイスは・・・?>
ちなみに『人民中国』(2006年7月号)にある水野衛子氏の「名作のセリフで学ぶ中国語31 ジャスミンの花開く(茉莉花開)」によれば、「実は脚本段階では三つのエピソードで物語を語るのは危険だという『HERO』の轍を踏まえた張藝謀の警告」や「それぞれの時代で一本の映画にして3部作にしたらという田壮壮のアドバイスもあった」そうだと書かれている。しかし、「3人の女性を描きつつ、総体として一人の女性像を描きたいという意図が侯咏にはあり、それが『茉』と『莉』と『花』が『茉莉花』となって『開く(咲く)』という原題の『茉莉花開』に、よく現れていると思う」とのこと。さて、そんな大胆な侯咏監督が採用したストーリーと役柄構成の成否は・・・?
<1930年、茉(モー)の物語>
写真館を女手ひとつで切り盛りしている母親(陳冲)に対して、18歳の娘、茉(章子怡/チャン・ツィイー)は写真館の仕事には全く興味を示さず映画スターになることに憧れる日々。ある日写真館を訪れてきた、やけに英語を多用するキザな男、孟(モン)(姜文/チアン・ウェン)は、実は映画会社の社長。この孟は茉をかわいがり、女優への道筋をつけてくれたため、茉はたちまち夢見心地に・・・。孟社長が、大した演技力はなくともアイドル路線で活用すればと考えたのかどうかは知らないが、孟社長の後ろ楯によって茉はスターへの道をまっしぐら・・・。
そんなある日、パーティーの席で『茉莉花』の歌を歌っていた茉は突然つわりに襲われ、歌を中断。孟社長の勧めどおりに身ごもった子供を中絶すればコトはおさまったのだが、堕胎の恐怖に怖じ気づいた茉は子供を産むことを決意。しかしそんな中でも、時代は大きく変わっていた。上海に日本軍が入り込んでくる中、孟社長はいち早く全財産を持って香港に逃走。ちなみにパンフレットにある水野衛子氏の「『ジャスミンの花開く』をめぐる話」によれば、この孟社長モデルは、第二次上海事変の直後(1938年)に香港に移った邵氏兄弟(ショーブラザーズ)の兄の邵酔翁(ランジュー・ショウ)だろうか、と書かれている。
それはともかく、孟社長の後ろ楯を失った茉は定宿としていたホテルからも追い出され、やむなく写真館へ戻り娘を産んだが、そこには母親の新しい男が・・・。彼は理髪店の店主だが、どうも女にはダラシなさそうで、美しい娘が帰って来ると茉にもモーションをかけ始め、ある日ついに写真館の中で・・・。その結果、男に裏切られたうえ、娘にも裏切られたと考えた母親は置き手紙を残して命を断ってしまうという悲惨な結末に・・・。さて、茉はこれからどのように生きていくのだろうか・・・?
<1950年、莉(リー)の物語>
それから10数年後、美しく成長した茉の娘、莉(章子怡/チャン・ツィイー)は、バスケ部のキャプテンの青年、傑(ジェ)(陸毅/ルー・イー)に一目惚れ。1930年から20年経った1950年は、1949年の新中国建国の直後だから、中国共産党の力が絶大。そして傑は学校の中でただ1人の共産党員。他方、上海で写真館を経営している莉の母親(陳冲/ジョアン・チェン)は、いわばブルジョア階級(プチブル)だから、労働者階級の前衛党を標榜する共産党とは異質で根本的な価値観が異なるもの。しかし若い莉にはそんなことは問題ではなく、ただ傑と結婚できることが幸せ・・・。母の反対を押し切って強引に結婚し、傑の家に入ったものの、その生活実態は・・・?
これについても「中国通」の水野衛子氏の評論はさすがで大いに参考になるから、是非それを勉強してもらいたいもの。食べ物の違い、簡易トイレ馬桶(マートン)の使い方をはじめとする地方の労働者階級と上海のプチブルとの習俗の違いは実に興味深い・・・。それはともかく、傑の実家での生活に耐えきれず、写真館へ戻った莉は、何とか傑が写真館に来てくれたから良かったものの、なかなか子供が生まれなかった。そんな苛立ちの中、病院で検査を受けた莉は不妊症だと告げられると、以降、次第に精神を病んでいくことに・・・。
そんな莉も養女、花(ホア)を迎えたことによって平穏を取り戻し、一家3人と祖母を交えた生活は、しばらくの間幸せを享受していた。しかし花が成長するにつれて、夫の傑が娘と関係をもっているという幻覚に襲われる莉の病状は、ある日、「あなたを党に訴える!」と叫ぶまでに深刻化していた。その結果、傑は列車に身を投げて自殺。「あれは本気ではなかった!」と線路の側で泣き叫ぶ莉だったが、既に後のまつり。正気を失った莉は写真館を飛び出していったが・・・。
<1980年、花(ホア)の物語>
第3話は、姿を消した母、莉に変わって、祖母(陳冲/ジョアン・チェン)に育てられ、今やかわいいメガネっ子に育った花(章子怡/チャン・ツィイー)。時代は既に1980年代になっていた。第3話で花が恋をし、祖母の反対を押し切って勝手に「結婚届け」を提出するお相手は、地方の大学に合格した青年杜(トゥ)(劉燁/リィウ・イェ)。『山の郵便配達』(01年)では、寡黙で実直な息子役を演じて注目された劉燁が、第3話ではちょっと女にだらしのない学生役を。さすがに1980年ともなれば彼が留学するのは日本だが、長期休暇になってもなかなか花の元へ帰ってこず、帰ってきた時には既に女のカゲが・・・。ところが例によって(?)、花は妊娠。
第3話の注目点は、章子怡の迫真の出産シーン。既に祖母とも死に別れた花は臨月を迎えて万全の出産体制をとっていた。ある日のタクシーチェック(?)では、病院までにかかる時間もきっちりとチェック。これで準備は万全のはず、だった・・・。しかし、突然始まった陣痛は何と夜中。これでは外に出てタクシーを拾おうとしても全然ダメ。雨の中を必死に歩いて病院に向かう花だったが、遂に倒れこんだ花は、何と路上で自らの力だけで出産。この出産シーンの迫力は、彼女の女優魂の真髄を見る思いで、誰もが圧倒されるはず・・・。そんな中で生まれた娘と花は数年後の今日、郊外の真新しい団地へお引っ越し。3世代続いてきた母と娘の確執も今は消え、やっと未来に向かって新しい希望に満ちた生活が・・・・。
<疑問点その1 中国における電影黄金時代とは?>
第1話から第3話まで非常によくできた物語だが、そのそれぞれの歴史背景や時代考証については私なりの疑問が・・・?その第1は1930年=電影黄金時代なのか、ということ。『玲玲の電影日記』(04年)では、中国西北部の田舎町寧夏(にんしゃ)で、映画俳優を夢見る女性が主人公だったが、その時代は1972年の文革時代。ニクソン大統領が中国を訪れ、周恩来とともに革命現代バレエ『紅色娘子軍』を鑑賞したのがこの1972年だ。ここでニクソン大統領が観たという『紅色娘子軍』は、1930年頃の海南島を舞台とする共産党軍女性舞台の物語らしいが、この『紅色娘子軍』や『娘灯記』などは、日中戦争期における抗日の姿を描いたもので、文革中にくり返し上映されていたもの。
他方、私が『中国映画の明星 女優篇』(石子順・2003年・平凡社)などで勉強した限りでは、中国映画の誕生は1905年。そして1931年9月18日の柳条湖事件以降、日中戦争が拡大する中、「抗日」をテーマとした映画がたくさんつくられ、その中でたくさんの映画スターが生まれてきた。
したがって、それが広がり中国の「電影黄金時代」と言えるのは1930年ではなく、1940年前後では・・・?ちなみに『中国映画の明星 女優篇』によれば、于藍(ユイ・ラン)が中国共産党の聖地、延安に入ったのが1938年。そして于藍は既に大スターとなっていた田方と1940年に結婚したが、その田方が出演していた映画が『海葬』(35年)、『紅羊豪俠伝』(35年)、『壮志凌雲』(36年)など・・・(『中国映画の明星』23頁)。
<疑問点その2 文革時代とは?>
第2の疑問点は1950年=文革時代とされていること。しかし、文化大革命の嵐が吹き荒れたのは1966年から1976年までの10年間であって、1950年ではない。第2話に登場する莉の結婚相手、傑はたしかに労働者階級の出身で忠実な共産党員だが、決して文革時代における紅衛兵などではない。ちなみに第3話では、杜は文革時代の「下放政策」によって高卒後、僻地に下放されていたため、やっと地方の大学に入れるようになったのが1980年という設定。文革時代の「下放政策」から開放されたことによって、やっとそれまで迫害を受けていた知識人や文化人たちそして学生たちも元の学校や職場に戻ることができたのだから、この時代考証はほぼ正しいもの。しかるになぜ第2話ではこんなに時代考証をまちがえているのか、私には不思議だが・・・。
<疑問点その3 上海の近代化は・・・?>
第3話の出産シーンでの章子怡の迫真の演技は前述のとおりだが、いくら上海が開放されたまちであっても、鄧小平による改革開放政策が始まったのは1987年。したがって、1980年にはいくら上海でもこんなにタクシーが行き来していることはないはず・・・?また雨の中で生まれた女の子の手を引いて、花が真新しい団地に入ろうとするのがその数年後、というのも少し変。日本でも4~5階建ての公団住宅が生まれたのは、昭和30年代後半の高度経済成長時代が始まってから。最後のスクリーン上に登場するようなシャレた団地が上海に生まれたのは1990年前後のはずだから、ここでも約10年、時代考証がズレているのでは・・・?ちなみに、この第3話の時代のズレについては、水野衛子氏もしっかりと指摘しているとおり・・・。
<『茉莉花(ジャスミン)』の歌についてのお勉強その1>
この映画では、ヒロインの章子怡が自ら歌う、中国江蘇地方の民謡『茉莉花』にも注目したい。江蘇地方とは、私が今年3月16~20日に旅行した、美しい水郷のまちが多い地方であるとともに、長江の恩恵によって経済発展のめざましい地方。この歌についてのパンフレットや前述の『人民中国』における水野衛子氏の解説は、実に興味深いのでここで少し紹介しておきたい。
第1は、この『茉莉花』は、今年のトリノ・オリンピックの女子フィギュアスケートで荒川静香が金メダルを獲得した試合で使った曲、プッチーニのオペラ『トゥーランドット』でそのメロディの一部が使われたため、欧米人にも馴染みの深い曲となっているということ。
ちなみに、私が江蘇省旅行で訪れた美しいまちである揚州は、前中国国家主席江沢民の出身地(写真参照)。したがって、第2に、江沢民はこの『茉莉花』の歌を愛し、香港復帰やクリントン訪中、APECの上海会議の式典で使われたため、中国でよく知られるメロディーになったとのこと。
<『茉莉花(ジャスミン)』の歌についてのお勉強その2>
さらに私たち日本人は中国語が聞きとれないから、わかりづらいのだが、第1話から第3話にかけて章子怡が歌うこの歌の歌い方にも大きな意味が・・・。すなわち第1話では歌の途中で茉は急につわりのため歌を中断。第2話では莉がこの歌を歌っている途中に、子供が歌詞をまちがって入り込んできたため、歌は中断するのだが、その意味は・・・?
水野衛子氏の指摘は、その歌詞をよく理解すれば、この歌の中断の意味がよくわかるというもの。すなわち、第1話では「『庭中のどの花もジャスミンには及ばない』という歌詞が女優としてこれから花咲こうとする茉自身を暗喩、ところがこの歌が突然こみあげてくる悪阻の吐き気で途中で歌えなくなることで夢半ばにして絶たれた茉の人生の絶頂期をも暗示している」わけだ。また第2話では「結婚式で花嫁の莉が歌う場面で『来年もまた芽が出るかしら』という歌詞が使われ、居合わせた子供がつい「芽が出ない」と間違って唱和して莉の歌を中断させ、のちの不妊とこの結婚との不吉な前途を図らずとも予言した形になっている」ということだ。
さらに「エンディングでは花の明るい笑顔にかぶさって、この曲が初めて最後まで通して歌われることにより、自立した女性として人生をまっとうする3代目のヒロインへの賛歌になっている」ということなのだ。なるほど、この歌の歌い方にもそんな深い意味があったわけだ。なお、この『茉莉花』は、スローバラードで簡単に覚えられる曲だから、私も是非覚えてどこかで歌ってみたいものだ。
<今、韓流に変わり、中国映画が静かなブーム・・・?>
「韓流ブーム」が叫ばれて久しいが、昨今の韓流映画の興行収入は低調。『キネマ旬報』(2006年7月上旬号)によれば、『力道山』(04年)、『タイフーン』(04年)、『連理の枝』(06年)に続き、『DAISY』(06年)も期待を下回ったとのこと。もっとも、そこに書かれているように、「マスコミはこれで”韓流”は終わったと書き立てるだろうが、それは個々の作品の問題である」という意見に私も同感。今年秋に公開される『トンマッコルヘようこそ』(05年)などの作品に期待したいもの。
それはともかく、陳凱歌の『PROMISE』(05年)という超大作の後、私が観た最近の中国映画は、①『ココシリ』(04年)(4月26日鑑賞)、②『玲玲の電影日記』(5月22日鑑賞)、③『緑茶』(02年)(5月29日鑑賞)、④『我愛你』(03年)(6月7日鑑賞)、⑤『胡同のひまわり』(05年)(6月9日鑑賞)、⑥『ジャスミンの花開く』の6本だが、すべて素晴らしい作品。ちなみに6月23日付け毎日新聞の映画のページには、このうち『玲玲の電影日記』『ジャスミンの花開く』『ココシリ』『胡同のひまわり』の4本が紹介されている。ひょっとして張藝謀、陳凱歌という世界的に有名な第5世代監督の時代はボチボチ終わり、第6世代監督中心に軸足が移っているのかも・・・?最近の中国映画の特徴は『HERO(英雄)』『LOVERS』(04年)、『PROMISE』のようなハリウッド型の超大型映画ではなく、中国本来の姿をじっくりと見つめる作品が多くなっていること。私はその傾向を大いに歓迎したいし期待しているわけだが、そういう観点からもこの『ジャスミンの花開く』は是非、日本でも大ヒットしてもらいたいものだ。
2006(平成18)年7月5日記