ビッグ・リバー(日本・アメリカ合作映画・2006年) |
<テアトル梅田>
2006年7月14日鑑賞
2006年7月18日記
2001年の9・11テロ以降、アメリカの秩序や価値観は大きく転換したが、日本人にはその意識は希薄。しかし、舩橋淳監督と1人自由にアメリカを旅する日本人青年には、混沌とした社会になったからこその新たな人間の結びつきを追及する意欲が・・・。日本人青年とパキスタン人の中年男性そしてアメリカ人の若い女性という奇妙な取り合わせによるアメリカ大陸横断の旅は、果たして何を求めるもの・・・?そしてその行きつく先は・・・?一風変わったロードムービーから、さてあなたは何を学ぶことができるだろうか?
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監督・脚本:舩橋淳
哲平(バックパッカー)/オダギリジョー
アリ(パキスタン人)/カヴィ・ラズ
サラ(アメリカ人女性)/クロエ・スナイダー
東京テアトル、オフィス北野配給・2006年・日本・アメリカ合作映画・105分
<理解のための第1のポイントーアメリカ地図>
この映画を理解するための第1のポイントは、アメリカ地図の概略を理解すること。この映画を強く印象づけるのは、アメリカのアリゾナ州に今でもある砂漠の風景。この映画のストーリー上の主人公は、哲平(オダギリジョー)、アリ(カヴィ・ラズ)、サラ(クロエ・スナイダー)の3人だが、その前提となる第1の主役はこの風景といっても過言ではないほど、大きなウエイトを持っている。
アリゾナ州はアメリカ西南部の州で、その西には西海岸に面するカリフォルニア州が、そしてその東にはニューメキシコ州がある。パンフレットによれば、この映画が撮影されたのはアリゾナ州にあるフェニックスというまちの近郊とのこと。砂漠のど真ん中に忽然と存在するフェニックス市は、市内から車を1時間も飛ばせば、西部劇に登場するような砂漠の風景が目の前に開けるとのこと。映画のラストに登場するのは、モニュメント・バレーにある砂漠の風景。これは予算の都合上、B班のクルー6名が命がけ状態でセスナ機から撮ったらしいが、その出来はすばらしいもの。残された最後のフィルムの最有効利用ができたことをともに喜びたい。
この美しい砂漠を見た時の感動は、私が2001年8月の中国の敦煌旅行の際、飛行機から砂漠を見た時や、鳴沙山でらくだに乗って砂漠の上を歩いた時の感動と同じ。もちろん、その雰囲気は中国とアメリカで大きく異なるが、心に覚える感動は全く同じ。そこで、まずはアメリカ地図を理解し、アメリカ西部劇時代の砂漠の風景をイメージしてからこの映画を観ることをお薦め。
<理解するための第2のポイントー「アメリカ人気質」>
この映画を理解するための第2のポイントは、西部劇の時代から2001年9・11テロに対するアメリカ(人)の対応に示されたように、今日まで綿々と続く「アメリカ人気質」を理解すること。自由と民主主義を最大の価値とするアメリカ(人)は、1941年12月8日のハワイの真珠湾に対する日本(軍)からの攻撃に対しても、「リメンバー・パールハーバー」を合言葉として徹底的に反撃したのと同じように、2001年の「9・11テロ」に対しても猛然と反撃した。
パンフレットの中で舩橋淳監督が、「9・11テロ直後にアリゾナで発生したイスラム教徒でもないのに、ただターバンを巻いていただけで、『アメリカを断固支持する』と叫ぶ男に撃たれたという事件が、この映画をつくるきっかけになった」と語っているように、「アメリカでは西部開拓時代のメンタリティーが回復した、または、本当はずっと失われていないのではないか」というわけだ。この映画でも、サラの行動の中にそのアメリカ人気質がモロに現れるシーンがあるので、お見逃しないように・・・。
<全編英語でしゃべる日本人は・・・?>
この映画は、舩橋淳第1回監督作品だが、登場人物は主人公の1人以外はすべて外国人で、舞台もすべてアメリカ。そして、オダギリジョー演ずる哲平は、1人目的のない旅を続けている日本人バックパッカーだから、当然のことながら英語は達者。それも日常会話を不自由なくこなすというレベルではなく、かなり人間の深層心理に踏み込んだ微妙な感情を理解し、表現できるレベルのよう・・・。
大きなバックパックを背負って歩くそんな哲平が、今越えようとしているのは、メキシコからアメリカへの国境線。その国境線を越えてアメリカに入り、ヒッチハイクで大陸横断に挑み始めた彼が、砂漠のど真ん中で見たものは・・・?
<もう1人の主人公はパキスタン人>
砂漠の中で車を前に立ち往生していたのは、パキスタン人の中年男のアリ。必死で助けを呼ぶ声に気づいた哲平が、簡単に修理できたくらいだから大した故障ではなかったのだろうが、そんなちょっとした出来事から哲平はアリの車に乗せてもらうことに・・・。アリがアメリカに来たのは、母親の看病のためにアメリカに戻ったまま連絡がとれなくなった妻ナディアを捜し出し、パキスタンに連れ戻すため。そのために行くべき場所はわかっているようだが、果たしてその結果は・・・?
<もう1人の主人公はアメリカ人女性>
哲平がガソリンスタンドに向かって歩いていた時に出会い、ガソリンスタンドまで車で送ってくれた若い女性がサラ。サラはアル中の祖父とともに移動式トレーラーの中に住んでいたが、自由に旅する哲平を見て言った言葉は、「私もあなたみたいに自由に旅できたらいいのに」ということ。超保守的なコミュニティの中で暮らすサラにとって、哲平の生き方が対極にある1つの理想に見えたのは当然。そんな中、アリの車が故障して、レンタカー会社に引きあげられてしまった状況をみて、サラはアリに対して「私があなたを奥さんのところに連れていってあげるわ」ということに。そしてそうなれば、哲平も当然のようにこれと行動を共にすることに・・・。日本人男性とアメリカ人女性ながら、やはり魅力的な若い男と女。そこには何かしらお互いに惹かれあう面も。しかし、これから始まる車の旅の中、若い2人とアリにはどんな出来事が待っているのだろうか・・・?
<ナディアとの再会とその結末は・・・?>
3人の乗る車は順調にナディアの家の前に到着。しかし、車から降りて家の中に入るナディアの側には、彼女が寄り添うアメリカ人男性がいた。これにショックを受けたアリは、モーテルを1人出て悶々と夜を明かし、翌日ナディアを尾行して郊外の店の駐車場でナディアと対面した。そして、「俺と一緒にパキスタンに戻るんだ」と迫るものの、ナディアは「何を今さら・・・」と反撃。どうも、この交渉の出口は見つかりそうもなく、決裂が明らか・・・。
<哲平とサラの恋愛模様とその進展は・・・?>
アリがナディアとの再会に悶々としている間、2人きりでモーテルに残った哲平とサラは・・・?アメリカ娘は誰でもこんなに大胆なのか、と思うほど、2人きりの部屋の中でのサラの行動は大胆。長い素足を露出したジーンズパンツにおヘソ丸見えのビキニトップの姿でベッドに横たわりながら、若い女性が語りかけてくれば、若い男なら誰でも「女にその気あり」と思うのは当然。こうなれば、別に男からムリに誘わなくても、自然に女の方から徐々にモーションをかけてくるため、その流れにスムーズに乗ればコトは簡単・・・?
アリがナディアのことを考えながら悶々と1人川辺で一夜を明かしてくれたことも、2人には超ラッキー・・・?そんなわけで、翌朝焦燥感いっぱいでモーテルに戻ってきたアリを迎えた2人が、充実感・幸せ感いっぱいだったことは何とも大きな運命の皮肉・・・。しかし、哲平とサラのその後の恋愛模様は・・・?「しばらく2人で一緒に旅しよう」と提案するサラに対して、あいまいな返事しかしない哲平の態度からも、その行く末に不安があることは明らかだが・・・?
<空白の3日間とその中で深まる奇妙な友情・・・>
ナディアとの交渉がうまくいかなかったことを率直に哲平とサラに伝えられないアリは、とっさに「ナディアは3日後にパキスタンに一緒に戻ると約束してくれた」とウソの説明を。哲平もサラもそれを信じているわけではないが、人間関係を保っていくうえで難しいのが距離感。つまり、本当の親友なら「よくそんなウソをつくね。本当は○○だったのだろう」と詰問できるが、今の2人はアリとそこまでの人間関係に至っていないことは明らか。
そこで、空白の3日間を有効活用しよう(?)と、今日はゴーストタウンのアミューズメント・パークに行って、西部劇の実演(?)を見たりするものの、3人の心は晴れないまま。さらに、夜中にハイウェイで警察官から手厳しい尋問を受ける中、アリはもちろん、哲平も切れかかることに。そんな状況下、三者三様に精神的なイライラとストレスが募る中、アリは車の外にいる哲平を残して車を発車させるというとんでもない行動を・・・。それによって、サラはアリを車から追い出し、哲平を捜し求めたが・・・。こんなにバラバラになってしまった3人は、果たして再会できるのだろうか?そしてバラバラになった心も・・・?
<テーマは人間同士の心の結びつき>
これ以上、この映画のストーリーを書くことはやめておこう。この映画が、哲平とアリそしてサラという、本来であれば絶対に出会うことのない全く異種の人間を登場させて描こうとしたテーマは、人間同士の心の結びつき。アリゾナの砂漠で偶然知り合った3人は、いったん共同での旅を始めたが、今はアリの心はボロボロになるとともに、哲平の態度があいまいなために、サラの気持も不安定。そして、3人のつながりの根幹であった車は、今サラが運転しているが、哲平は1人取り残されたうえ、アリも車から放り出されることに・・・。
しかし、こんなにバラバラになってしまった人間同士の心の結びつきも、最悪の事態を迎えた後はあるきっかけから徐々に回復していくことに。それがこの映画後半の見どころであり、舩橋監督の狙い。そんな監督の狙いをしっかりと頭に置きながら、クライマックスをじっくりと・・・。
<クライマックスの舞台は長距離バス乗り場>
アリがパキスタンに戻るために行くのはフェニックス空港。したがって、クライマックスの舞台となるのは、フェニックス空港行きの長距離バスターミナル。バスに乗り込んだアリを見送った哲平とサラの2人は、さてどうするのか・・・?やはり予想どおり、哲平はバックパックを背負い、1人次の旅へと向かうため、サラに別れを告げて、バスの向こう側に向かっていった。そして、バスは出発。サラはバスを追って車を走らせるが、実は哲平は・・・?そして、その後哲平がとった行動は・・・?このクライマックスのラストシーンは、強くあなたの印象に残ること確実。やはり名作のラストシーンはこうでなくっちゃ・・・。
2006(平成18)年7月18日記