愛より強く(ドイツ映画・2004年) |
<東映試写室>
2006年7月31日鑑賞
2006年8月1日記
2004年ベルリン国際映画祭の金熊賞をはじめ数々の賞を受賞したのは、32歳のトルコ系ドイツ人である新鋭監督のこの作品。舞台は前半がドイツのハンブルク、後半がトルコのイスタンブールだが、それは主役の男女が2人ともトルコ系ドイツ人であるため・・・。移民問題に悩むドイツという社会問題を前提として、キリスト教(ドイツ)とイスラム教(トルコ)の違い、そしてまた、偽装であっても結婚することでしか解放されない女性という難しい問題のお勉強が必要。ここで描かれる大人のラブストーリー(?)は日本人にはかなり疲れる内容だが、真実の愛があれば、必ずハッピーエンドになるわけではないこともわかるはず・・・。
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監督・脚本:ファティ・アキン
ジャイト・トムクル(妻を亡くした40歳の男)/ビロル・ユーネル
シベル・グネル(自由奔放な若い女性)/シベル・ケキリ
マレン(ジャイトのかつての恋人)/カトリン・シュトリーベック
セルマ(シベルの姉)/メルテム・クンブル
セレフ(ジャイトの叔父さん)/グーヴェン・キラック
エレファント・ピクチャー配給・2004年・ドイツ映画・121分
<ドイツの移民受け入れ問題の重大性>
日本は島国、そして日本人はノー天気な国民(?)だから、外国人受け入れ問題について全然深刻に考えていない。したがって、ヨーロッパ特にフランスやドイツの移民受け入れ問題の重大性については、ほとんど理解できていない。しかし、ヨーロッパでは現実にそれが大問題。
さらに、もっと本質にさかのぼると、2004年ベルリン国際映画祭の金熊賞をはじめ、2004年ヨーロッパ映画賞・最優秀作品賞、ドイツ映画賞など数々の賞を受賞した弱冠32歳のファティ・アキン監督がトルコ系ドイツ人であることの意味や位置づけ、そしてこの映画が自らの体験を元にドイツ(キリスト教)とトルコ(イスラム教)の宗教・文化・結婚観・人生観等の違いや、その価値観の衝突を描こうとしていることについて、私たち日本人が理解するのはかなり大変。こんな映画をじっくりと観ることによって、自然にそれを学習することができることはまちがいないが、かなりしんどいことも事実・・・。
<暗い主人公その1ー人生に絶望した中年男・・・>
この映画の冒頭、生きる望みを失いヤケクソ気味の中年男が登場する。彼が40歳になるトルコ系ドイツ人のジャイト・トムクル(ビロル・ユーネル)だが、1人酒場でビールをラッパ飲みしている姿を見ると、完全に人生に絶望し、生きる希望を失っている様子。そして、グデングデンに酔っぱらった状態で車を運転しているが、かなり暴走気味であるうえ目はうつろだから、こりゃヤバイと思っていると、案の定、車は壁に激突。さて彼は・・・?
<暗い主人公その2ー自由に生きたい女・・・>
ジャイトはノーブレーキで壁に激突したため、交通事故ではなく自殺しようとしたのだろうと指摘されているが、それはどうも精神科の医師からの様子。少し足を引きずっているうえ、コルセットで首を固定しているから、交通事故によるキズの治療が必要なことは明らかだが、そのキズよりもどうも心のキズの方が大きそう・・・。
そんな治療を終えて病院の外に出ようとしたジャイトに、突然声をかけてきたのは若く美しい女性シベル・グネル(シベル・ケキリ)。彼女がいきなり言うのは、何と「私と結婚してくれ」ということ。ジャイトが「俺をバカにしているのか」と思ったのは当然だが、シベルはこれを冗談で言っているのではなかった。ジャイトの名前が呼ばれるのを聞いていた彼女は、ジャイトがトルコ系ドイツ人であるとわかったため、「偽装結婚」の申し出をしようと決心したわけだ。
彼女もトルコ系ドイツ人だが、イスラム教の信仰心の厚い家族から逃がれて自由に生きていくためには、結婚するしかない。そんな彼女のちょうど目の前におあつらえ向きのトルコ系ドイツ人であるジャイトが登場したというわけだ。同居はするが、お互いに行動は自由で、もちろんセックスもなし。そんな奇妙な結婚でも、要するに結婚することに意義があるというのだが・・・。さて、こんな申し出を受けたジャイトは・・・?
<舞台はハンブルクからイスタンブールへ>
島国ニッポン、ノー天気な日本人(?)は、ヨーロッパの宗教や文化に疎いだけではなく、地理や都市についても疎いから、この映画の舞台となるハンブルク(ドイツ)とイスタンブール(トルコ)という都市についても、ほとんど知識がないはず・・・。ちなみに、ドイツ第2の都市ハンブルクは人口170万人の文化都市で、ドイツの若者が1番暮らしたい都市のNO1にランキングされているとのこと。また、イスタンブールは8000年の歴史を誇る都市で、イスラム教にとって大切な信仰の中心地。
この映画の前半はハンブルクで過ごし、ある事件によって別れを余儀なくされた2人の姿を描き、後半は刑期を終えて出所したジャイトが、イスタンブールで新しい生活を営むシベルを求めてさまよう姿を描いているが、それを理解するためには、この2つの都市の特徴や位置づけを学ぶことが不可欠・・・。
<「偽装」で満足できなくなったのはなぜ・・・?>
昨年10月の耐震強度偽装マンションの発覚を含めて、ホリエモン、村上ファンド騒動、公認会計士による粉飾決算問題等、日本国は偽装のオンパレードだが、この映画が描くような偽装結婚も、実は日本国内では昔から蔓延しているもの。日本国内でのそれは、外国人が観光や短期就業ではなく、日本に永住するための手段であることが多く、その斡旋をするための秘密のルートもあるらしい・・・?
しかし、ジャイトとシベルの場合は、一方的なシベルの希望を、ジャイトが人助けになることならと軽く聞き入れたため(?)に、偽装結婚が実現したもの。したがって、これによって自由を得たシベルは、毎晩のように遊び歩いては男との関係をもち、ジャイトもかつての恋人マレン(カトリン・シュトリーベック)と適当に情事をもっていた。それはお互いの了解事項だから、そこには何のトラブルも生じなかったが、全く予想もしなかった問題点が・・・。
それは、1つのアパートの中でともに生活をしていると、セックスはなくとも会話をしたり料理の得意なシベルの手料理を楽しんだりしているうちに、お互いが惹かれあい、愛し合いはじめたこと。そんな中、遂に2人はある日ベッドをともにし、行きつくところまで行きそうになったが・・・?
<偽装結婚と真実の愛との矛盾が・・・>
2人が、とりわけシベルがジャイトと率直にセックスできなかった理由は、「そうなればホントの結婚になってしまうから」という理屈・・・?なぜホントの結婚になってしまうとダメなのか、それはもうひとつわからないが、私の想像では、そうなれば今度はホントの結婚による束縛が生まれ、彼女が求める自由がなくなるということだろう。しかし、それって少しヘン・・・?まあ、ここはその価値観を議論する場ではないので、それ以上突っ込まないが、この点についてのあなたの評価は・・・?
少なくとも、ここで大切なことは、ジャイトは自分がシベルを愛しているとはっきりと気づいたこと。そして、それによって彼には生きる希望が再び湧いてきたということ。他方、シベルもジャイトに対して、そんな気持を抱いてきたことはたしかだが、やはり自由を求める気持が強いのか、他の男たちとの一夜の関係は適当に・・・?そうなるとよく起こるのは、嫉妬心を原因とする事件。ある日、酒場の中でシベルに対して露骨に一夜の関係を迫る男を目の前にしたジャイトは・・・?
<シベルの本性は、遊び好きで自由奔放な女・・・?>
冒頭のジャイトの荒れ様は、人生に望みを失った中年男の典型的な姿だからよくわかる(?)し、シベルを愛するようになってからのジャイトの変貌ぶりもよくわかる。そしてまた、嫉妬に狂って男に殴りかかったジャイトの気持も・・・。しかし他方、いくら自由が欲しいからといって、ジャイトを愛していることに気づいた後も、他の男と関係を持ち続けるシベルの姿はよく理解できない。さらに、ジャイトが刑務所に入った後、姉のセルマ(メルテム・クンブル)の部屋に同居させてもらい、しかもちゃんと堅気の仕事につけてもらいながら、いつしかまた酒やドラッグに溺れていく姿も理解できないし、納得できないもの・・・。ジャイトへの永遠の愛を誓いながらも、ジャイトに会えない寂しさから・・・、というのは、ちょっと甘すぎるのでは・・・?
映画後半は、トルコのイスタンブールを舞台として、そんな彼女の再生と堕落の姿が描かれていく。そしてある日、まるで「殺してくれ」と訴えるような罵り合いのケンカの挙げ句、ナイフで腹を刺されて倒れ込んだシベルだったが、これによって自らの「望み」は実現できたのだろうか・・・?
<再会とその後の展開は・・・?>
この映画は、こんな2人の風変わりなラブストーリー(?)をきっちりと描いたことによって数々の賞を受賞したもの。したがって、終盤に向けてはジャイトがイスタンブールへ飛び、シベルを捜し求めるストーリーが展開される。
ジャイトがまず訪れたのはセルマの家。しかし、セルマからは「シベルは既に子供もいるし、落ち着いた静かな生活をしているのだから、会うのはダメ」というつれない返事・・・。そんな状況の変化に驚くジャイトだったが、そう言われて引き下がることなど到底できないもの。そして、シベルと再会したジャイトは、当然のように「子供を連れて俺と一緒に新しい生活を始めよう」と提案したが・・・。
ナイフで腹を刺されて路上に倒れ込んでいたシベルを発見したのは、タクシーの運転手。多分(というのは、スクリーン上ではそんなストーリーは描かれていないから・・・)シベルは、この運転手に助けられ、この2人は結婚し子供が生まれ、今は安定した生活を営んでいるという設定下にある(?)ところに、出所したジャイトが登場したというわけだ。そんなジャイトの提案にうなずき、トランクに身の回りのものを詰め込むシベルだったが、さてその後の展開は・・・?ハッピーエンド、それとも・・・?それは映画を観てのお楽しみに。
<22歳の新星はポルノ女優・・・?>
この映画の一方の主人公ジャイトはファティ・アキン監督の長年の友人で、トルコ系ドイツ人という監督と同じバックグラウンドを持つ俳優。しかし、パンフレットによれば、ヒロイン(?)のシベルを探すのはかなり苦労したらしい。だって、演技力はもちろんだが、流暢にトルコ語を話せるうえ、カメラの前で堂々と裸になる覚悟のある若い女性を探し出すのだから・・・。その結果、探し当てたのが、ケルンのショッピングセンターで働いていた当時22歳のシベル・ケキリで、延べ350名のキャスティング面接を経て抜擢されたとのこと。それはそれでよくある話だが、何と彼女は、ベルリン国際映画祭金熊賞の発表後にポルノ女優であったことが発覚したとのこと。したがって、この映画の中におけるシベルと同じような波瀾万丈でスキャンダラスな彼女の実生活が、ドイツやトルコで大変な話題になったとのこと。映画も面白いが、実際の人生も面白いネ・・・。
2006(平成18)年8月1日記