ブラック・ダリア(アメリカ映画・2006年) |
<試写会・リサイタルホール>
2006年8月28日鑑賞
2006年8月31日記
1947年にロサンゼルスで発生したのが、腰で切断された若い女性の殺人事件。それがブラック・ダリア事件と呼ばれた所以は・・・?『L.A.コンフィデンシャル』(97年)に続いて、ジェイムズ・エルロイ原作の「LAノワール4部作」の傑作を、今年のアカデミー賞ノミネートまちがいなし(?)というサスペンス色いっぱいの傑作に仕上げたのは、ハリウッドの異端児ブライアン・デ・パルマ監督。ファイアとアイスの異名をとる2人の刑事が主人公だが、犯罪の影に女あり!今をときめくスカーレット・ヨハンソンとヒラリー・スワンクの2人が「ファム・ファタール」として登場。その怪しげな魅力と存在感にも大注目!このサスペンスを理解し楽しむためには、決して集中力を切らさずスクリーンを凝視し続けることが必要だよ・・・。
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監督:ブライアン・デ・パルマ
原作:ジェイムズ・エルロイ『ブラック・ダリア』(文春文庫刊)
ボビー・デウィット(服役中の銀行強盗犯)/リチャード・ブレイク
リー・ブランチャード(ロス市警、ミスター・ファイア)/アーロン・エッカート
バッキー・ブライカート(ロス市警、ミスター・アイス)/ジョシュ・ハートネット
ケイ・レイク(ボビーの元情婦、リーの恋人)/スカーレット・ヨハンソン
マデリン・リンスコット/ヒラリー・スワンク
エメット・リンスコット(大富豪、マデリンの父親)/ジョン・カバナー
ラモーナ・リンスコット(マデリンの母親)/フィオナ・ショウ
マーサ・リンスコット(マデリンの妹)/レイチェル・マイナー
エリザベス・ショート(被害者、ブラック・ダリア)/ミア・カーシュナー
ローナ(エリザベスのルームメイト、15歳の少女)/ジェミマ・ルーパー
ラス・ミラード(セントラル署警部補)/マイク・スター
エリス・ロウ(地方検事補)/パトリック・フィッシュラー
バクスター・フィッチ(タレ込み屋)/ジョン・ソラーリ
ジョージィ・チルデン(ラモーナの元愛人)/ビル・フィンレイ
東宝東和配給・2006年・アメリカ映画・121分
<孫引きその1ーブラック・ダリアとは・・・?>
この映画は今年1、2を争う話題作で、私の予想ではアカデミー賞にノミネートされることまちがいなしの力作!しかし、私にはこの作品を理解するうえでの基礎知識がなく、パンフレットで勉強しただけ。そこで、ほとんどパンフレットからの孫引きとなるが、自分の確認の意味を含めて3つの最低限必要な基礎知識だけ紹介しておこう。
まず第1は、「ブラック・ダリア」とは何か?これについては、柳下毅一郎氏(翻訳家)の「ブラック・ダリアの彫刻」から・・・。
1947年1月15日の朝、ロサンゼルスのクレンショー地区、ノートン通りと39丁目の角で、胴体で真っ二つに切断された若い女性の全裸の変死体が発見された。死体は切断された後、丹念に洗い清められており、顔は口の両端から耳まで大きくまるで笑い顔のように切り裂かれてあった。その身元は、エリザベス・ショート(ミア・カーシュナー)、22歳と判明。映画スターを夢見てハリウッドに出てきた黒髪の美人だったが、そんな女の子はハリウッドには一山いくらでいる。エリザベスはたちまち安ホテルのバーにたむろし、男に酒をたかる女になっていた。豊かな黒髪を高く結い上げた髪型が目立ったおかげで、彼女には「ブラック・ダリア」の渾名がつけられた。ヴェロニカ・レイク主演のフィルム・ノワール『青い戦慄(ブルー・ダリア)』にちなんだのである。
なるほど、「ブラック・ダリア」とはそういうことだったのか・・・?
<孫引きその2ーアメリカ文学界の狂犬、ジェイムズ・エルロイとは・・・?>
第2は、この映画の原作者ジェイムズ・エルロイは「アメリカ文学界の狂犬(マッド・ドッグ)」と呼ばれているらしいが、それは一体なぜか・・・?それについては、滝本誠氏(評論家)の「ジェイムズ・エルロイはブラック・ダリアと熱く『交わった』」から・・・。
この映画の原作は、ジェイムズ・エルロイのマッド・ドッグな文才が暗く弾けた金字塔LAノワール4部作の第1作にして、アメリカでもっとも有名な女性死体を世界的なものにした『ブラック・ダリア』(原書1987年刊行)。
ちなみに、「LAノワール4部作」の第3作を映画化したのが『L.A.コンフィデンシャル』(97年)で、これがアカデミー賞を受賞した後、彼の小説すべての映画化権が売れたとのこと。
自分自身が10歳の時に実母を殺されながら、「ブラック・ダリア」と同じように迷宮入りとされてしまった経験を持つジェイムズ・エルロイが、1947年に起きたこの「ブラック・ダリア事件」に興味をもって、丹念に調べ上げて完成させた小説が1987年の『ブラック・ダリア』というわけだ。
ちなみに、ジェイムズ・エルロイの「LAノワール4部作」は1940年、50年代のロス市警の内部を描いているが、それはジェイムズ・エルロイ自身が警察学校にいた経験があるから。それは第2作目の『秘密捜査』(原書1982年刊行)で「私が警察学校にいた頃、<ブラック・ダリア>捜査作戦がおこなわれていた・・・」と書かれていることでわかるが、「この時既に、5年後に書く運命的な『ブラック・ダリア』が見えていたのだろうか?」と滝本誠氏が分析しているのが興味深い。
<孫引きその3ーハリウッドの異端児にして巨匠、ブライアン・デ・パルマとは・・・?>
この映画の監督ブライアン・デ・パルマは、過去『殺しのドレス』(80年)や『ファム・ファタール』(02年)等たくさんの監督をしているサスペンスの巨匠だが、パンフレットのイントロダクションでは「ハリウッドの異端児」と紹介されている。そのパルマ監督論を、新田隆男氏(ライター)は、「選んだのか、選ばれたのか『ブラック・ダリア』への道のり」というタイトルで詳細に論じている。
残念ながら、私はパルマ監督の作品をあまりきちんと観ていないから、そこに書かれていることをすべて実感することはできないが、こんな異端派のパルマ監督がアメリカ文学界の狂犬が書いた原作に挑むまでの道のりはよく理解できる。パルマ監督が「異端」と呼ばれるのは、当時台頭しつつあったジョージ・ルーカス、スティーヴン・スピルバーグなどの若手監督たちと肩を並べるに至ったにもかかわらず、彼らのようにメガ・バジェットのメジャー作品に向かうことなく、極端に自分の道を貫いたところとのこと。私としては、そのようなパルマ監督の生き方には、大いに魅かれるものがある。
<主人公は2人の刑事>
この映画の主人公となる2人の刑事すなわち、リー・ブランチャード(アーロン・エッカート)とバッキー・ブライカート(ジョシュ・ハートネット)は2人とも元ボクサー。アメリカでは何ゴトもPRが大切・・・?したがって、2人の上司であるセントラル署警部補のラス・ミラード(マイク・スター)や地方検事補のエリス・ロウ(パトリック・フィッシュラー)が、元ヘビー級ボクサーのリーと元ライトヘビー級ボクサーのバッキーをリング上で対戦させたのは、ロス市警のPRのため、らしい・・・。
試合はリーの勝利で終わったが、これが契機となってリーとバッキーはセントラル署特捜課の一員としてコンビを組むことに・・・。リーの異名がミスター・ファイアであるのに対し、バッキーのそれはミスター・アイス。この2人はロス市警の名コンビとして数々の手柄をあげ、1947年1月の今は、指名手配中の凶悪犯レイモンド・ナッシュの捜索任務についていたが・・・。
<ブラック・ダリア事件の発生!>
レイモンド・ナッシュの張込み任務中に発生した銃撃戦で危うく命を落としかけたバッキーは、リーのおかげで命拾いできたが、現場にいたタレ込み屋のバクスター・フィッチ(ジョン・ソラーリ)は死亡した。そんな事件に遭遇した直後、現場のすぐ近くの空き地で発生したのがブラック・ダリア事件。その捜査にあたるのはもちろん殺人課であって特捜課ではないにもかかわらず、なぜかリーはこの事件に執念を燃やし、殺人課への出向を願い出た。レイモンドを1日も早く逮捕しなければ新たな犠牲者を生むと心配するバッキーは、どっちつかずのまま捜査を続けていたが・・・。
<ファム・ファタールその1は、ケイ・レイク>
映画検定の公式テキストで学んだ知識によると、ファム・ファタールとは「フィルム・ノワールなどに登場して男を惑わせ、道を誤らせたり破滅させたりする運命の女」とのこと。また、ここでいうフィルム・ノワールとは「フランスの評論家ニノ・フランクがアメリカの犯罪映画の中でも、『マルタの鷹』(41年)のように男女の欲望、陰謀、心理、不安に根ざしたものを特に“黒い映画(Film Noir)”と名づけたことに由来している」とのこと。
そして、前述の新田隆男氏の解説によると、パルマ監督の『殺しのドレス』は一人の女の性的生活に関する映画で、シュールでエロティックな映像を追及している」とのこと。このシュールとは「シュールレアリスムの略で、非日常的なさま、奇抜なさまをいう」とある(広辞苑)。そんなシュールでエロティックなファム・ファタールが、この映画では2人登場する。その第1が、ケイ・レイク(スカーレット・ヨハンソン)。
<こんな微妙な「三角関係」は・・・?>
ケイは現在リーと一緒に夫婦同様の同棲生活を送っているが、何と彼女はリーが逮捕し刑務所へ送り込んだ銀行強盗犯ボビー・デウィット(リチャード・ブレイク)の情婦だった女。そんな女とリーがなぜ今そんな生活を、と思うのが当然だが、それはパルマ監督がこの映画にたくさん設定している秘密の引き出しや伏線のうちの1つ・・・。
リーを命の恩人だと考え、パートナーとしても絶大の信頼を置いているバッキーは、今やこんな2人の生活の中になくてはならない存在として入り込み、きわめて居心地のいい雰囲気を満喫していた。しかし、もしここでバッキーとケイとの間に友情以上のものが芽生えたら・・・?そう考えるのは当然で、観客席から観ていてもこれがかなり不自然な「三角関係」であることは明らか・・・。したがって、ここにもパルマ監督の敷く伏線が・・・?
リーがブラック・ダリアの捜査に昼夜の別なくのめり込んでいく中、ケイとバッキーとの雰囲気は次第に微妙となり、ケイからは「私たちどうなるの?」という問いかけも・・・?
こんな複雑なファム・ファタールの1人ケイに扮するのは、『ロスト・イン・トランスレーション』(03年)、『真珠の耳飾りの少女』(03年)以降、メキメキと頭角を現し、現在ウッディ・アレン監督の『マッチポイント』(05年)が注目されているスカーレット・ヨハンソン。アカデミー賞助演女優賞にノミネートされる可能性大の彼女の演技とその重大な役割に是非注目を!
<ファム・ファタールその2は、マデリン・リンスコット>
もう1人のファム・ファタールは、死亡したエリザベスそっくりの黒ずくめのドレスを着て、レズ・バーを徘徊している美女マデリン・リンスコット(ヒラリー・スワンク)。彼女は、ハリウッドの土地開発で莫大な財産を築いたエメット・リンスコット(ジョン・カバナー)の娘だが、大金持ちの令嬢であるにもかかわらず、夜な夜な徘徊して、レズビアンのみならず男を誘惑してベッドを共にする毎日を送っていた。さて、それはなぜ・・・?それはもちろん自らの性的欲望もあるが、それ以上に自虐・自傷性癖のなせるワザ・・・?
なぜ彼女がそんな性癖を持つようになったのかが、この映画の、そしてブラック・ダリア事件を解くポイントだが、それはどうも、マデリンの両親たちが何ともパルマ監督好み(?)の異常な人たちであるせい・・・?
<マデリンとバッキーは・・・?>
レズ・バーで最も目立った美しい女マデリンを発見したバッキーは彼女の後を追い、エリザベスとの関係を職務質問したところ、マデリンは1度だけエリザベスと会ったことを認めた。しかし、彼女はブラック・ダリア事件については明確なアリバイを主張した後、今度は何とバッキーを食事に誘うという意外な行動に・・・。もちろん、そんな誘惑に乗ることは警察官として厳禁だが、職務への情熱とスケベ心が併存するのがオトコ・・・?ところが、招かれた夕食の席では、父親から紹介された母親のラモーナ(フィオナ・ショウ)や妹のマーサ(レイチェル・マイナー)らとの会話の中で、何とも異様な姿を見せつけられることに・・・。そしてさらにその後、マデリンに誘われるままバッキーはモーテルの中へ・・・。
こりゃヤバイことは明らかで、今後何らかの異常な展開になること必至・・・。『ミリオンダラー・ベイビー』(04年)で見せたヒラリー・スワンクとは180度異質の、ヒラリー・スワンク演ずる魔性の女マデリンのファム・ファタールぶりにも注目を!
<エリザベスの登場する一編のフィルムは・・・?>
バッキーの捜査は、女優志望の少女ローナ(ジェミマ・ルーパー)を発見し、彼女が持っていた一編のフィルムを押収したことによって一挙に進展した。このフィルムは、エリザベスとローナが絡み合うポルノ映画。この映画はいつ、誰が、どこで、何のためにつくったのだろうか・・・?
ここでまた不思議なことが・・・。それは、捜査のため関係者が集まってこのポルノフィルムを試写している途中、なぜか急にリーが激昂し、外に飛び出してしまったのだ。それは一体なぜ・・・?ブラック・ダリア事件の捜査に異常な執念を燃やしていたリーのこんな行動は不可解なものだったが、同時にチームとして許されるはずのないもの。リーのこの行動に激昂した地方検事補エリス・ロウは直ちにリーを捜査班から外したが、それがさらなるリーの悲劇を生むことに・・・。
<リーとバッキーの「対決」は・・・?>
そんな中、続いて大変な事件が発生した。それは、凶悪犯レイモンド・ナッシュが陰惨な強盗殺人事件を起こし、射殺されたこと。この指名手配中のレイモンド・ナッシュの逮捕は、もともとリーとバッキーに与えられていた任務。ところが、リーがブラック・ダリア事件に異常な執念を燃やす中、バッキーもそれに仕方なく従っていたためレイモンド・ナッシュの捜査がおろそかになり、こんな事件を引き起こしてしまったわけだ。バッキーはそんな自分に罪悪感を覚え、リーに対して食ってかかったが、このリーとバッキーとの対決もさらなる次の事件を生むことに・・・。
<ケイが語る驚くべき真実は・・・?>
リーを罵倒し殴りつけ、疲れ果てたバッキーが帰ってきたのは、ケイが住むリーの家。そこで、ケイの口から新たに語られた驚くべき真実は、リーが15歳の時に年の離れた妹が殺され、その事件が未解決のままになっているということ。したがって、リーはその悔しさをブラック・ダリア事件に重ね合わせながら、犯人逮捕に執念を燃やしていたわけだ。そう聞けば、一応なるほどと納得できるものの、バッキーも私もそれだけが隠された真実ではないだろうということが直感的にわかるはず・・・?したがって、ここから終盤に向けて展開されるストーリーは想像を絶するもので、その精緻な構成には惚れ惚れするはず・・・?
<あとは映画をじっくりと・・・>
「絶対にストーリーの結末を教えないで下さい」という触れ込みは、M・ナイト・シャマラン監督の『シックス・センス』(99年)以降、大はやり。そしてこの映画のパンフレットにも、「ブラック・ダリアの真相に迫る!」という封のされた小冊子が・・・。
私は、あまりにも人為的につくられた感が強い謎解きストーリーは、ちょっとバカにされたような気になる面があってあまり好きではないが、この映画に関しては、それも十分容認できる。それは、この映画に関しては、先に真相を知ってしまったのでは面白さが激減してしまうことまちがいなしだから・・・。したがって、皆さんもここまでの評論を読んだその後は、映画を観てのお楽しみに・・・。きっと大きな驚きがあなたを待っているはず・・・。
2006(平成18)年8月31日記