王の男(韓国映画・2005年) |
<試写会・そごう劇場>
2006年10月2日鑑賞
2006年10月3日記
「王を笑わせなければ死刑」。李王朝史上最悪の燕山君(ヨンサングン)の時代に生きた2人の旅芸人を主人公としたそんな物語は、大鐘賞最多10部門を受賞!演技力はもちろん、脚本の精緻さ、登場人物のキャラの面白さ、綱渡りをはじめとする芸そのもののすばらしさ、どれをとっても2時間たっぷりと楽しむことのできる超感動作。中国に『さらば、わが愛/覇王別姫』があり、韓国に『王の男』があるのなら、日本でも女形に松田龍平を起用して、日本版『将軍の男』をリメイクしてもらいたいものだが・・・?
本文はネタバレを含みます!!
それでも読む方は下の「More」をクリック!!
↓↓↓
ここからはネタバレを含みます!!ご注意ください!!
↓↓↓
監督:イ・ジュンイク
脚本:チェ・ソクファン
チャンセン(旅芸人一座の花形芸人)/カム・ウソン
コンギル(旅芸人一座の女形芸人)/イ・ジュンギ
燕山君(ヨンサングン)(李王朝第10代の王)/チョン・ジニョン
ノクス(王の愛妾)/カン・ソンヨン
チョソン(王の第一の側近)/チャン・ハンソン
ユッカプ(チャンセンを兄貴と慕う芸人)/ユ・ヘジン
角川ヘラルド映画、CJ Entertainment配給・2005年・韓国映画・122分
<遂に観た!>
『王の男』は2006年、韓国で4人に1人が観た(1300万人動員)という大ヒット作で、7月の第43回大鐘賞では最優秀作品賞、監督賞、主演男優賞など最多10部門を受賞したという超話題作。その後、ポン・ジュノ監督の『グエムル 漢江の怪物』(06年)に観客動員数は抜かれたが、「王を笑わせなければ死刑」という史上最悪の暴君、燕山王(ヨンサングン)の時代を生きた、2人の旅芸人の物語というだけで興味津々。
前々から観たかった作品を、遂に今日観ることに。その試写会場は、新装開店された大阪心斎橋のそごうデパートの14階につくられたそごう劇場。新しい劇場は気持ちいいものだが、スクリーンが小さいのが少し難点。なぜもっと大きくできないの・・・?
<燕山君の時代とは・・・?歴史認識の大切さ・・・>
朝鮮半島では李王朝の時代が長いが、日本の歴史教育ではその方面の勉強が非常に弱い。もっとも、人気テレビドラマ『宮廷女官チャングムの誓い』によって、少しは李王朝時代の宮廷の姿が身近になっているらしいが・・・。
この映画に登場する暴君燕山君は、朝鮮王朝第10代の王で、在位は1494~1506年。彼は王権を利用した凶暴な独裁政治を行ったため、王としての称号「祖」「宗」を与えられず、「君」という王の兄弟としての名前で呼ばれるとのことで、その暴君ぶりの詳細はパンフレットに紹介されている。また彼は、この映画のラストにも登場する臣下のクーデターによって王位を剥奪され30歳で死亡するが、その跡を継いだ燕山君の異母弟が、宮廷女官チャングムが仕えている王とのこと。
9月26日に安倍新政権が発足し、国会での論戦が始まる中、「総理大臣が歴史認識をどこまで明確にするべきか」が1つの論点となっているが、この映画を観るにあたっては、まずあの時代の朝鮮半島、李王朝についての歴史認識を勉強し明確に位置づけることが大切・・・。
<原作の舞台を大胆に書き換え!>
この映画の原作となったのは、『爾(イ)』という数々の賞を総ナメにした舞台劇とのこと。そして、「爾」とは朝鮮王朝において、王が寵愛する者を呼ぶ時に使われた呼び名とのこと。韓国の宮廷モノ映画があまり面白くないのは、ヨン様ことペ・ヨンジュン主演の『スキャンダル』(03年)で実証済み(?)だが(『シネマルーム4』192頁参照)、宮廷内の人間模様を描いて大ヒットしたのがこの『爾』という舞台。そして、その舞台の魅力を活かしつつ、それを映画向けに大胆に書き換えたのがチェ・ソクファンの脚本とのこと。さて、その狙いは・・・?
といっても、映画をはじめて観た私たちはごく自然にそのストーリーを受け入れてしまうため、原作の舞台と対比して観なければホントの違いはわからないのだが・・・。
<主人公チャンセンの魅力は・・・?>
舞台と映画の違いは、舞台では脇役にすぎなかったチャンセンを映画では主人公にもってきたこと。チャンセンは旅芸人の一座に属する芸人だが、李王朝のあの時代、旅芸人が賤民とされていたのは、日本で木の実ナナや菊川怜が演じた「阿国」たち旅芸人が「かわら者」と呼ばれ、賤民扱いされていたのと同じ・・・。
映画の冒頭、朝鮮特有のハデな太鼓とドラの音が鳴り響く中、チャンセンが綱の上で披露する芸が展開されるが、もうそれだけで観客はワクワクしながらスクリーンに集中していくことに・・・。このチャンセンを演ずるカム・ウソンは、『スパイダー・フォレスト/懺悔』(04年)に出演していた俳優で、私はその評論で「もちろんハンサムだが、『ヨン様』のような甘さだけ(?)ではなく、かなりワイルドな感じもあり、たしかにこれからの成長株のよう」と書いた(『シネマルーム7』391頁参照)。その評価どおり、この映画での堂々とした演技は主演男優賞も当然と納得できるもの。舞台の脚本を大きく書き換えて、新たな生命を吹き込まれたチャンセンという力強いキャラをカム・ウソンが魅力いっぱいに演じているので、まずはそれに注目!
<主人公コンギルの魅力は・・・?>
主演男優賞はカム・ウソンに譲ったものの、この映画を他と大きく「差別化」する原動力になり、新人男優賞を受賞したのが、紅顔の美少年コンギルを演じたイ・ジュンギ。旅芸人の一座でコンギルは女形を演じているが、その美しさは私が見てもアッと驚くほどだから、その魅力に燕山君がハマったのはある意味で十分納得・・・?
そこで日本人である私がパッと思い浮かべたのは、『御法度』(99年)と先日観た『46億年の恋』(05年)に登場した日本版の紅顔の美少年、松田龍平。日本でも織田信長の時代に「男色」があったのと同様に、朝鮮半島の李王朝の時代にもそれがあったのは当然。したがって、旅芸人一座の女形で、男から見てもその美しさで魅力いっぱいのコンギルに対して、スケベな金持ちの観客からお呼びがかかったのは当然。旅芸人一座のボスは、それもコンギルのお役目の1つとばかり、「男色」でお金を稼ぐのは当然と考えているのだが、コンギルと幼なじみでいつもコンビを組んでいるチャンセンはどうしても我慢できない。そこで今日は、「それだけはやめてくれ」と身体を張って必死にコンギルが売られていくのを阻止しようとしたが・・・。
<『恋におちたシェイクスピア』VS『王の男』>
『恋におちたシェイクスピア』は1998年にアカデミー賞作品賞、主演女優賞など7部門を受賞した名作だが、それと大鐘賞10部門を受賞した『王の男』との共通点は、劇中劇だということ。劇中劇の物語が面白いのは、劇中劇とホンモノの劇とが時々ごっちゃになり、互いに刺激を受けあうこと。『王の男』では主に3つの劇中劇が展開されるが、そのたびに宮廷内は大騒動に・・・。
その第1は、「王を笑わせなければ死刑」というプレッシャーの中で演ずるチャンセンとコンギルたちの芸。チャンセンを兄貴と慕い、2人の弟分と共にチャンセン、コンギルと行動を共にしてきたユッカプ(ユ・ヘジン)たちは、緊張のあまり身体が動かずセリフも出てこないという状態だが、さすがチャンセンは百戦錬磨・・・。しかし、苦虫をかみ潰したような王の頬はピクリとも動かず、じりじりと追い詰められていくチャンセンたち・・・。そこで飛び出したのがコンギルの何とも軽妙かつ色気いっぱいの芸・・・。
根はスケベなくせに(?)、普段は上品な宮廷芸しか見ていない燕山君が、これを見て吹き出したからチャンセンたちの命は助かり、ヤレヤレ・・・。ところがその後、燕山君は、チャンセン、コンギルたち旅芸人を宮廷に住むことを許したから、さらに事態は複雑に・・・。
<第2の劇中劇は・・・?>
第2の劇中劇は、三代の王に仕えてきた重臣中の重臣チョソン(チャン・ハンソン)のアドバイス(ヒント)にインスパイアされた「重臣モノ」・・・。なぜチョソンが「王をからかったお前たちがなぜ重臣をからかわない?」とチャンセンたちを挑発した(?)のかは、それぞれじっくりと考えてもらいたいが、そのヒントを脚本化したチャンセンが演ずるのは、役人からのワイロを受けとる重臣の役。もちろん、当初は「厳しい国の定めがあるからダメ」と言っていたのだが、言葉巧みな誘惑の中、当然のように重臣はワイロの中に飲み込まれていくことに・・・。
あまり芝居が巧すぎて現実感がありすぎてもいけないのかもしれない・・・。このチャンセンたちの芝居を見ていた重臣たちが、何か落ち着かないしぐさを始めたかと思うと、遂に法務大臣が現実にワイロを受けとっていたことを自白させられる羽目に・・・。
<第3の劇中劇は・・・?>
第2の劇中劇は、法務大臣の罷免とそれに伴うむごい刑罰という大変な結果を生んだが、第3の劇中劇はもっとすごいもの。これは、チャンセンとコンギルたちが宮廷を出る前の最後の芝居として演じたものだが、そのテーマは王の母親が毒を飲むことを強要されて死亡したという、何とも生臭いもので、王の興味をそそるもの。なぜなら、燕山君は幼い頃に母親を殺されていたから・・・。
したがって、仮に私が王の弁護人の立場で王を弁護すれば、そのトラウマをずっと引きずって生きてきたために、現在のようなねじ曲げられた性格になってしまったというわけだ。芝居の進行を固唾を呑みながら見据える王の傍では、女官たちが身体を震わしはじめ、なぜか王の祖母も不安な眼差しに・・・。そして遂に、王の母親に毒を盛ったのがこの女官たちであることがわかった燕山君は、女官たちを自らの手で刺し殺し、それを止めようとした祖母もショックのあまり息絶えることに・・・。こんな迫力ある劇中劇、今まで観たことない・・・。
<女の嫉妬は恐い・・・>
燕山君は暴君だったらしいが、コンギルを部屋に招き入れてコンギルの人形劇を楽しんでいる様子などを見ると、根は単純そう・・・?そんな燕山君の愛妾がノクス(カン・ソンヨン)だったが、ノクスは元売れっ子の妓生だった女。賤しい身分ながら王に見初められて王に仕え、次第に権力を握っていく女というパターンは、古今東西を問わずよくある話だが、今やノクスがその盛り。
ところが、そんな中に突然割り込んできたのが女以上に美しい男コンギル。少し興味を示すくらいならまだよかったのだが、次第にコンギルの魅力に溺れていく(?)燕山君の姿を見て、腸が煮えくり返るような思いをさせられたノクスがとった行動とは・・・?
昔から女の嫉妬心が恐いことはよく知られているが、この映画でノクスがとった行動はかなり手の込んだもので、旅芸人にしては字を書くのがうまいコンギルが王を批判する檄文を配っているという濡れ衣を着せようとするもの。いったんはノクスを排斥し、コンギルべったりになっていた燕山君だったが、巧みに計算されたワナにはめられたコンギルが絶体絶命の危機に追い込まれる中、燕山君が命じた処置は・・・?そんなコンギルの身代わり役を買って出たのがチャンセンだったがそこから物語は急転回していくことに・・・。
<「失うものは何もない」という言葉は・・・?>
「失うものは何もない」という言葉は一般によく使われている。野球をはじめスポーツの世界でも「我々はチャレンジャーだから失うものは何もありません」との発言はよく聞くものだし、政治や外交の世界でもよく使われている。そんな言葉を燕山君に向かって吐いたのがチャンセン。たしかに、ワナにはめられたコンギルに処刑が命じられた状況下、コンギルを失ってしまえばチャンセンもすべてを失うことになると考えたのはわかるが、そうだからといって「代わりに俺を殺せ」「どうせ失うものは何もないのだから」と言ったのはまずかった・・・。言葉尻を捉えるのがうまい燕山君はこれを聞き、「それならば・・・」と死刑とは別の残酷な処置を命じたが、その処置とは・・・?
これ以上のネタバレは避け、これ以降の感動は映画を観てのお楽しみとしていただこう。ただ1つだけ言っておきたいことは、これ以降のカム・ウソンの熱演には鬼気迫るものがあり、それを見れば誰でもカム・ウソンが主演男優賞に選ばれたことを納得するはずだということ。そんなカム・ウソンの熱演と感動的なフィナーレに向けた物語を堪能しよう。
<チャンセンとコンギルの仲は・・・?>
『王の男』におけるチャンセンとコンギルの仲とよく似た関係の主人公が登場したのが、陳凱歌(チェン・カイコー)監督の『さらば、わが愛/覇王別姫』(93年)。幼い頃から京劇を仕込まれた張豊毅(チャン・フォンイー)扮する段小楼と張國榮(レスリー・チャン)扮する蝶衣との、芝居を通じた固い友情が2人の間を貫く感情だったが、この2人に男女の愛に似た感情が芽生えてきたことは、段小楼が鞏俐(コン・リー)扮する菊仙にホレた後、微妙な三角関係になってきたことから明らか。しかし『王の男』を見る限り、全体を通してチャンセンとコンギルは幼なじみで芝居を通じて固い友情で結ばれたと解説されているとおり、男女間の雰囲気は全くない。それは物語の焦点を別のところに置いたためだが、全く別の視点から、主人公2人に絡むもう1人別の女性を登場させた物語にすることも可能だが・・・?
<綱渡りの演技はホンモノ・・・?>
大鐘賞でカム・ウソンが主演男優賞を、イ・ジュンギが新人男優賞を、そしてユ・ヘジンが助演男優賞を受賞したのは当然と思えるほど、この映画ではそれぞれ三者三様の個性ある演技を披露しているが、心から感心するのは、ホントに旅芸人がつとまるのではないかと思うほど達者な芸。小泉政権下で格差が広がったことが問題視される中、安倍新政権は「再チャレンジ」を旗印に掲げたが、正直なところ私はそういう政策はあまり好きではないし、半分インチキだと思っている。「再チャレンジ」などと声高に叫ばなくても、この3人を見れば、もし俳優業をお払い箱になったとしても自分で旅芸人として再チャレンジし、成功するであろうことは明らか・・・?
まず感心するのは、太鼓とドラの音に合わせて踊る軽妙ないかにも旅芸人風の下品な芝居だが、これが実に見事に決まっている。そしてビックリするのが、高い地上での綱渡りの芸。右手に扇を持ち、いろいろと講釈をたれながら綱の上を歩いたり、トランポリンのようにジャンプをくり返したりするわけだが、「こりゃ一体どんな風に撮影したの?」と思うほど迫真の演技。まさにこれは演技ではなく、演技を超えて旅芸人になりきったうえで観客に見せたホンモノの芸・・・?
<絶対、今年のイチオシ!>
韓国では観客動員数が大ヒットの指標とされているから、ヒット作には何百万人動員という数字がいつもついて回っている。そんな中、今年の夏話題となったのは、『グエムル 漢江の怪物』の大ヒットで、7月末の封切りからわずか1カ月余で1240万人を突破し、過去最高記録を更新した(2006年9月17日付日経新聞)。しかし、昨年の『トンマッコルへようこそ』に続いて大ヒットしたのが昨年韓国で公開されたこの『王の男』。パンフレットによれば2006年7月現在1300万人で、「歴代動員NO.1」と書かれている。この数字の競い合いはいかにも競争社会韓国を象徴しているが、全国民の4人に1人が観るというレベルになれば、それだけで脅威的・・・。
ちなみに、この3作品について私があえて順位をつければ、やはり『王の男』がトップで、続いて『トンマッコルへようこそ』となり、『グエムル 漢江の怪物』はやはり3位というところ。その理由は、『グエムル 漢江の怪物』は単なる娯楽作、『トンマッコルへようこそ』は単なる感動作、しかし『王の男』は娯楽作かつ感動作だということ・・・。詳しく対比していけば大変だが、3作品とも観た人は、何となくこの坂和流対比と順位づけを納得してくれるのでは・・・?どちらにしても、この『王の男』は絶対今年のイチオシ!
2006(平成18)年10月3日記