ブラックブック<その2>(2006年・オランダ、ドイツ、イギリス、ベルギー合作映画) |
<東映試写室>
2007年1月31日鑑賞
2007年2月1日記
故国オランダに戻ったポール・バーホーベン監督の渾身作がコレ!ナチス・ドイツに対するオランダ人レジスタンスの抵抗がテーマだが、主人公をユダヤ人女性とし、ナチス諜報部の将校との恋を主軸に据えたのがミソ・・・?人間には表と裏があり、本音と建て前があるが、戦争末期と終戦直後にはそれが露骨に現れるもの・・・。本当のヒーローは誰?そしてホントの裏切り者は誰?そんなスリルとサスペンスに富んだストーリーは、息をもつかせぬ迫力であなたに迫ってくるはず・・・。諜報戦に疎い日本人は、こういう映画を観て学ばなければ・・・。私にとって、今年のベスト10の1本に入ることまちがいなしの超お薦め作だ。
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なお、今回の評論は本文が長いので前半と後半に分けています。
<その1>と合わせてお楽しみください!
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ここからはネタバレを含みます!!ご注意ください!!
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※本文が長いので前半と後半に分けています。前半を読みたい方は<その1>をどうぞ!
<脱出行が悲劇の始まり・・・>
世界的に有名な『アンネの日記』は、この映画におけるラヘルと同様、ナチス・ドイツの追及を逃れてオランダのアムステルダムの隠れ家に潜んでいたアンネ・フランクの物語だが、少なくともこの映画の冒頭では、陽気に歌を歌っているラヘルの姿を見ると、ラヘルにはアンネ・フランクほどの深刻さはなさそう・・・?しかし、隠れ家がドイツ機による爆撃で炎上し、湖で知り合ったオランダ人青年ロブ(ミヒル・ホイスマン)と新たな隠れ家に潜んでいたところに、レジスタンスのメンバーで脱出の手引きをしているオランダ人男性ファン・ハイン(ピーター・ブロック)から「早く逃げろ」と告げられるあたりから、がぜん緊張感が・・・。
脱出するには金が必要。そう聞かされたラヘルは公証人のスマール(ドルフ・デ・フリース)を訪れ、スマールがラヘルの父親から預かっていたという金を渡してもらい、ハインの手引きによって脱出行へ・・・。途中、両親や兄弟たちと出会うという幸運に恵まれたラヘルは喜んで船に乗り込んだが、スクリーンを観ている私には何となくイヤな予感が・・・。すると案の定、突如目の前にドイツ軍兵士を乗せた船が現れ、情け容赦ない銃撃によって、乗客は次々と倒れていった。かろうじて水の中に飛び込み、1人だけ九死に一生を得たラヘルの目には、死体から金目のものを引き剥がす兵士たちの姿が・・・。ラヘルはそれを指揮するナチス親衛隊将校の顔をしっかりと頭に刻み込んだが、後日ドイツ軍諜報部の中でその将校と顔を合わせることになろうとは・・・。
ラヘルにとってこんな脱出行が悲劇の始まりだった・・・。
<本格的なレジスタンス組織との出会いと、最初の任務は・・・?>
ラヘルは今、レジスタンスのリーダーであるヘルベン・カイパース(デレク・デ・リント)の無料食堂で働いていた。ラヘルがチフスで死亡した死体に化けて検問をくぐり抜けてくることができたのは、ヘルベンの息子ティム(ロナルド・アームブラスト)たちレジスタンスに協力する農民のおかげだった。
ここで彼女はブルネットの髪を金髪に染め、また名前もエリス・デ・フリースに変えてユダヤ人色を一掃したから、全く別人のよう・・・?それから5カ月後、つまり年が1945年に変わり2月の寒い頃(すなわち、ナチス・ドイツ崩壊の3カ月前)、エリスにもレジスタンスとしての任務が与えられることになった。もちろん、レジスタンス運動に参加するかどうかは「民主主義国オランダ」では本人の自由意思だから、ヘルベンは「命を失うかもしれない任務だが・・・」とちゃんと説明したうえで参加の意思確認をしたのは当然。これに対するエリスの答えは「私にはもはや守るべきものは何もない」という明快なものだった。
エリスの最初の任務は、連合軍の爆撃機から投下される武器・物資を回収・移送するについて、指揮をとるハンス・アッカーマンス(トム・ホフマン)の恋人役を演じて、ドイツ兵の目を欺くこと。計画が周到に練られ準備されていることはスクリーン上に展開される鮮やかな連携プレーを見れば明らかだが、もしその計画の一部がドイツ諜報部に漏れていたら・・・?
<エリスの機転とムンツェ大尉との出会いは・・・?>
映画の冒頭、湖で知り合った青年ロブと過ごす1コマの中で、エリスが実はレコードまで出している歌手だったことが示されるが、これはその後のストーリー展開の中で重要なポイント。また、ここまでのストーリー展開の中で、エリスがいかに勇敢で機転がきく女性か、またその判断力がいかに正確かということにも観客は十分納得できるはず。そして、それも今後の重要なポイント。
武器・物資回収の任務中に発生した想定外のハプニングについては、ハンスの見事な射撃の腕前によって何とか切り抜けたが、帰路の列車の中で起こった想定外の荷物の一斉検査にはどう対処するの・・・?そこで発揮されたのがエリスの機転。すなわち、ハンスの恋人だったはずのエリスは、いきなりハンスを罵り、平手打ちを食わせたかと思うと、ヤバイ物資の入った大きなトランクを2つとも持って別の車両へ移動して行った。そして堂々と入り込んで行ったのは、何とナチス親衛隊将校ムンツェ大尉の客室だった。
やはりこういう場合、美しい女性はトク・・・。エリスはレジスタンスの闘士ではないが、本能的に女の魅力の使い方を知っているようで、エリスはその武器を巧みに使ってムンツェ大尉との会話をつなぎ、無事荷物検査をパスすることができたのだった。ちなみに、この時の会話のネタは、ムンツェ大尉が収集している趣味の切手の話。若く美しい女性と楽しい趣味の話をしているから、という理由だけでいきなり入ってきた女性が持つ大きな2つのトランクの検査をパスさせるとは、ナチス親衛隊将校にあるまじき「脇の甘さ」という批判も当たっているが、別の目で見ると、それがこのムンツェ大尉の人間味、温かさというもの。ポール・バーホーベン監督とこの映画のすばらしさは、この緊張感溢れる出会いの中に、将来2人が恋に落ちていく運命を暗示しているところ・・・?立場の違いは当然としても、やはり根本は人間性の問題。映画はそれを描かなければ・・・。
<ここに、ユダヤの「マタ・ハリ」が誕生・・・>
レジスタンスにとって喉から手が出るほどほしいのが情報。もっとも、ユダヤ人狩りやレジスタンス退治を重要な任務としているナチス親衛隊の諜報部でもそれは全く同じ。したがって、ある行動が成功するかどうかは、その根拠となった情報の正しさにかかってくることになる。だからこそスパイが必要になるし、場合によればニセ情報を流してみたり、陽動作戦をとってみたりと、さまざまな策謀戦が展開されるわけだ。
「東洋のマタ・ハリ」と呼ばれたのは川島芳子だが、本物のマタ・ハリは、第一次世界大戦時に活躍した実在の女スパイのこと。ちなみに、伝説の女優グレタ・ガルボ主演の『マタ・ハリ』(31年)やジャンヌ・モロー主演の『マタ・ハリ』(64年)は有名。
エリスがムンツェ大尉に気に入られていることを知ったヘルベンが、エリスに対してムンツェ大尉への接触(スパイ)の任務を切り出したのは、息子のティムや仲間2人が武器の移送中、ドイツ兵に見つかり連行されたため。回りくどい言い方でエリスの意向を尋ねるヘルベンに対して、エリスは、ムンツェ大尉に抱かれることを含めて「要請されることは何でもするわよ」と答えたが、その潔さは立派なもの。さあここに、オランダのレジスタンスに協力する、ユダヤのマタ・ハリが誕生することに・・・。
<カリス・ファン・ハウテンの大胆な演技に、目がテンに・・・>
ポール・バーホーベン監督は『氷の微笑』でシャロン・ストーンを一躍大スターに押し上げたが、それにはあのビックリするようなエロティシズムが大きく寄与したはず・・・。そんなポール・バーホーベン監督がこの映画のヒロインに起用したカリス・ファン・ハウテンは、「抜けるように白い肌が際立つオランダのクール・ビューティ」と形容されているが、既にオランダ映画祭で本作品を含めて3度も主演女優賞を受賞している、美しさと演技力を兼ね備えた大女優。
そんなカリス・ファン・ハウテン演ずるエリスが、いよいよ女の武器を駆使してスパイとしてムンツェ大尉の元へ乗り込んでいくについては、さまざまな覚悟が必要だが、観ている観客からは、多少不謹慎ながらそれが楽しみ・・・?そんな「クール・ビューティ」の大胆な演技に驚くのは、彼女の毛染めのシーン。といっても、豊かなブルネットの髪は既にブロンドに染めているから、今必要なのは下のヘア染め・・・。だって、これからは頭を使うことはもちろんだが、下半身も十分に活用しなければならないのだから・・・?そんな作業の中に、きっとあなたの目がテンになるシーンが登場するからお楽しみに・・・?
<遂に諜報部の中枢部に・・・>
エリスが諜報部のムンツェ大尉を訪ねるについて、持参したのはたくさんの切手。小学生時代に切手収集をしていた私は、日本の切手ならどれがいくらくらいというのはすぐわかるが、オランダの切手はわかるはずがない。エリスの話を聞いていると、よくわからないままたくさん持ってきたという感じだが、後でプレスシートを読んでみると、ムンツェ大尉が喜んでいるのはヴィルヘルミナ女王の貴重な切手らしい。なぜあの列車で出会った女がわざわざ切手を持ってきたのか、そう疑って当然だと思うのだが、ムンツェ大尉が再会を喜んだうえ、パーティーに彼女を誘ったのはやはりエリスの美しさに負けたせい・・・?ドイツ人はさすがバッハやベートーヴェンを産んだ国だけあって、音楽的素養の高い人が多いとみえて、映画によく登場するのは、ナチス・ドイツの将校のパーティーで誰かがピアノを弾くシーン。そんなシーンがこの映画にも登場するが、何とそこでピアノを弾いていたのは、エリスがあの水の中でしっかりと頭に刻み込んだ、ムンツェ大尉の部下フランケン中尉(ワルデマー・コブス)だった。そんな動揺を隠して彼女は将校たちの前でドイツ語の歌を艶かしく歌い、その夜遂にムンツェ大尉とベッドを共にすることに・・・。
<ロニーはお飾りではなく、重要な役割を!>
そんなパーティーに1人だけいた女性が、諜報部で務めているロニー(ハリナ・ライン)。オランダ人女性でありながら、ドイツ諜報部に務めているのはどうかと思ううえ、彼女はフランケン中尉の愛人も兼ねているようだから、ナチス・ドイツが敗れれば「売国女!」と呼ばれても仕方のない女性・・・?
しかし、そんな彼女がエリスの今後の生き方について、大きな役割を果たすことになる。その第1は、互いにフランケン中尉そしてムンツェ大尉とのコトが終わった後のトイレ会議(?)において、ロニーがエリスの就職の口添えを約束したこと。その第2は、ロニーがフランケン中尉から得ている情報を、気安くエリスにしゃべったこと。
その他彼女は、映画全体のストーリー構成においても、重要な役割を果たしている。その第1は、終戦から11年後の1956年10月、イスラエルの聖地観光ツアーにおけるエリスとの偶然の再会シーン。その第2は、終戦直後の解放されたオランダの中、彼女が「売国女」にならず、ちゃっかりと解放兵士のボーイフレンドをつくって、仲良くジープの中に乗り込んでいる姿。レジスタンスの闘士たちの生き方やナチス・ドイツ将校たちの生き方と対比して、このロニーの生き方をあなたはどう理解する・・・?
<後半からは、少しずつ真実が・・・>
エリスはロニーからの情報によって、フランケン中尉がユダヤ人を殺して奪った大量の現金や宝石を金庫の中に隠していることを知ったが、エリスがムンツェ大尉の部屋に仕掛けた盗聴器によって、さらに驚愕の真実が・・・。それは、エリスやエリスの両親・兄弟を含めた多くのユダヤ人逃走の手引き役をしていたあのファン・ハインが、何とフランケン中尉と組んでいたということだ。
ナチス諜報部のすぐ近くでヘルベンを責任者とするレジスタンス組織が活動していることも驚きだが、あの公証人のスマールもその一員だったのは更なる驚き。彼の要請でエリスが盗聴器を仕掛けたのだが、スマールは近々ナチス・ドイツの敗戦を見込んで、囚われているレジスタンス仲間の助命を秘かにムンツェ大尉と交渉していたのだった。さあ、ファン・ハインがフランケン中尉と組んでいたことが明らかとなった今、犠牲者の増大を防ぐためファン・ハインを殺すべきか、それともそんな行為に及べば囚われているレジスタンスたちが処刑されることは明らかなうえ、今動いているレジスタンス組織も危うくなることも明らかだから、慎重に構えるべきか・・・?ヘルベンの決断によって、方針は後者と決定されたが、それに納得のいかないハンスは数名の仲間と共にファン・ハイン誘拐の実行行為に及んだが・・・。
<団結の乱れは失敗のもと・・・?>
ハンスは射撃の名手だから、いつぞや発生した武器・物資の回収・移送作戦の時の、不意のドイツ軍の攻撃を何とかかわすことができたが、こんなにレジスタンス組織の団結が乱れて大丈夫なの、と思っていると案の定・・・?
いつぞやハンスが手際よく治療を施している姿を見て、エリスが「あなた医者?」と尋ねた時、ハンスは「そういうことは知らない方がいい」と確答しなかったが、どうも彼はホンモノの医者のよう。そんな彼が数人の仲間と共に、クロロホルムを染み込ませたマフラーでファン・ハインの口を覆ったのだから誘拐は大成功と思ったら、なぜかいったんぐったりとなった大柄のファン・ハインが再び暴れ始め、逃走しながら銃を発射してきたから大変。後でわかったところでは、その原因は使用したクロロホルムがとうの昔に期限切れになっていたという笑えない話・・・。
何とか反撃して、結果的にファン・ハインを撃ち殺すことができたものの、こんなマズい結果は決定された方針に背いたハンスの行為によって生じたことは明らか。ハンスの独断専行を怒るヘルベン、そして潔く自分の罪を謝罪して自首すると言うハンスだったが、今さらハンスが自首しても何の解決にならないことは明らか。そこで再度決定された方針は、危険を承知で諜報部の建物に乗り込み、地下牢に閉じ込められているレジスタンス仲間たちを処刑前に救出すること。そんな計画を実行するについて必要不可欠なものは建物の図面だが、いつもクールで緻密な頭脳を持つ公証人スマールがそれを入手したから、救出作戦は一気に具体化したが・・・。
<エリスとムンツェ大尉の愛は既にこの高みまで・・・>
こんなレジスタンスの行動にはすべてエリスが絡んでいたから、次々と起こる出来事を見ていたムンツェ大尉が、エリスをスパイではないかと疑ったのは当然。レジスタンス組織が仲間たちの救出作戦を決定した夜、エリスはムンツェ大尉の気を引くように艶かしく服を脱ぎ、ムンツェ大尉が待つベッドに入ろうとしたところ、おあつらえ向きに(?)シーツの中のムンツェ大尉の下半身はテント状態に・・・。ポール・バーホーベン監督のスケベ心もかなりのものだナと思って観ていたところ、エリスがお楽しみはこれからとばかりにシーツをめくると、そこには何と右手に持ったホンモノの拳銃が・・・。既にエリスがレジスタンス組織から送り込まれているスパイであると確信しているムンツェ大尉だったから、それを自白させて逮捕したり殺すことはきわめて簡単なこと。ところが、ここでムンツェ大尉がエリスに対して「要請」したのは、「すべてを正直に話してくれ」ということ。果たしてそれは何のため・・・?そして、そんな要請に対しエリスは答えるのだろうか・・・?
エリスの乳房に拳銃を突きつけた中で展開される、この何とも悩ましいベッドシーン(?)は、エリスとムンツェ大尉の愛が既にここまでの高みに達していることを雄弁に物語るもの。ここでも私は、ポール・バーホーベン監督の演出のうまさに大いに感心・・・。
<狡さにかけてはムンツェ大尉よりフランケン中尉の方が上手・・・?>
いくら鉄の規律を誇ったナチス・ドイツ(?)であっても、敗戦必至という局面においては、意見の対立やさまざまな混乱が生じていたよう・・・。ちなみに、フランケン中尉による、ユダヤ人から奪った現金や宝石のピンはね行為は重大な軍規違反だが、囚人たちの助命をネタにレジスタンス組織と交渉しているムンツェ大尉の行為も軍規違反であることは明らか・・・。囚人の取扱いをめぐって、上司のムンツェ大尉と意見が対立していたフランケン中尉は、既にいろいろな手を打っていたよう・・・。
エリスからすべてを聞き出したムンツェ大尉は、フランケン中尉の軍規違反をカウトナー将軍(クリスチャン・ベルケル)に告げたため、直ちにカウトナー将軍はフランケン中尉に対して金庫を開けるよう命じたから、フランケン中尉は大変・・・。さあ、ここからのシーンは緊張の連続。さて金庫の中に、大量の現金や宝石はホントに入っているの・・・?万一それが存在しなければ、ムンツェ大尉は誤った情報によって部下を陥れようとしたことになるうえ、逆にフランケン中尉からレジスタンス組織との交渉を密告されたら、ムンツェ大尉の立場はたちまち危ういことに・・・。
その展開はあなた自身の目で確認してもらいたいが、欲深だけの男と思っていたフランケン中尉は、ピアノの才能だけではなく、かなりの知恵者だったよう・・・。したがって、狡さにかけては、ムンツェ大尉よりフランケン中尉の方が上手・・・?
<囚人たちの救出作戦は・・・?そしてムンツェ大尉とエリスの運命は・・・?>
この映画の評論は今までになく長くなってきたが、私としてはさらに書きたいことがいっぱい。それほどこの映画には山がたくさんあるというわけだ。しかし、それをこんな調子で1つ1つ評論しているとさらに何頁にも膨れていくため、ここからはテーマだけを示すことにしよう。
まずは、ヒトラーの誕生日を祝うパーティーが始まり、赤いドレスに身を包んだエリスが舞台で歌っている中、決行された囚人救出作戦の行方。結論だけ言っておくと、フランケン中尉の緻密な先読み作戦のおかげで、これも最悪の結果に・・・。そして、既に独房に入れられたムンツェ大尉に続いて、エリスも独房の中に・・。
さらに事態は悪化していく。すなわち、既に盗聴器の存在を知っているフランケン中尉は、これを逆活用したのだった。エリスの苦労をねぎらうフランケン中尉の声を盗聴マイクを通じて聞くことになった、生き残ったハンスや責任者のヘルベンたちのエリスに対する怒りは一体どれほどに・・・?
こんな状態で、明日に迫った処刑を待つムンツェ大尉とエリスだったが、そんな中にも歴史は大きく動いていた。そう、遂にナチス・ドイツは降伏したのだ。そうすると、現在の最悪の混乱状態はこれからどうなっていくの・・・?
<終盤20分がこの映画のハイライト>
ここまで約2時間、集中してスクリーンを観てきたが、ここまでで既にスリルとサスペンスは十分に堪能。いよいよナチス・ドイツの敗戦によってこの映画の結末が見えるはず、と思っていたら、それは大まちがい。実は終盤20分がこの映画のハイライトなのだ。
解放されたオランダでは、市民たちが心の底から喜びを発散させていたし、連合軍の兵士たちはパレードの連続。しかしそんな中、この映画の登場人物たちは、戦後を迎えてそれぞれ戦争中の行為を総括しなければならないのは当然。その基準は、最後までレジスタンス活動を続けた者は報われて英雄となり、逆にナチス・ドイツに協力した者は戦犯として裁かれるというのが理の当然。ところが、戦争終了直後では、その正当な評価が難しいことが大問題・・・。
2時間じっくりとこの映画を観てきた私には、誰は○○、誰は△△とすぐに採点表が思い浮かんだが、実はポール・バーホーベン監督が描いたこの映画のレジスタンス運動の本質は、そんな単純なものではなかった。きっとあなたも、戦争という極限状態の中で、それぞれの立場にいる人間が示す行動の複雑さを思い知らされるはず。
また、この評論の冒頭に書いた、レジスタンスの知られざる暗部とは何か、ということもしっかり頭の中に入ってくるはずだ。さらに敗戦時に生き残っていた登場人物たちが、敗戦直後の混乱の中で、誰が生き残り、誰が死んでいくのか、それについても更なる集中力を持って鑑賞してもらいたいものだ。
そして最後に、映画の冒頭の1956年10月、イスラエルの「キブツ・シュタイン」(キブツとはイスラエルの共同体のこと)で、子供たちに教えているエリス、いや今はユダヤ名のラヘル・ローゼンタールの姿を見て、あなたは何を思うだろうか・・・?本当にこの映画はプレスシートやパンフレットをしっかり読みこなしながら、2度、3度と観て、深く味わってもらいたい名作だ。
2007(平成19)年2月1日記