夏物語(韓国映画・2006年) |
<OS名画座>
2007年2月11日鑑賞
2007年2月13日記
時代は1969年夏。当時は日本の学生運動もすごかったが、韓国はそれ以上・・・?そんな激動の時代の流れによって引き裂かれた悲恋をテーマとした社会性の高い映画だが、私はその出来に大いに不満・・・?『ゆれる』でキネ旬脚本賞を受賞した西川美和監督のような、しっかりとした脚本をつくらなければ、せっかくのいいネタが・・・?また韓流四天王の1人イ・ビョンホンも、ホントの自分にマッチした作品を選択しなければ、韓流大型時代劇『太王四神記』が中国で放映禁止とされたヨン様と同じように、その将来が危ういのでは・・・?
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監督:チョ・グンシク
ユン・ソギョン(自由に生きる大学生、老教授)/イ・ビョンホン
ソ・ジョンイン(ソギョンの初恋の人)/スエ
ナム・ギュンス(ソギョンの大学時代の親友)/オ・ダルス
キム(テレビ局のプロデューサー)/ユ・ヘジン
イ・スジン(放送作家)/イ・セウン
キム・マンドク(スネリ村のリーダー)/チョン・ソギョン
エレナ(ジョンインの親友のハイカラ娘)/イ・ヘウン
ソギョンの父/ナ・ギス
エスピーオー配給・2006年・韓国映画・121分
<イ・ビョンホンの選択まちがいでは・・・?>
パンフレットによると、イ・ビョンホンが『甘い人生』(05年)以降数多くあった出演オファーの中から『夏物語』を選んだのは、「『夏物語』のシナリオはまさに、僕の感性を大きく刺激する作品だったのです」とのこと。またイントロダクションによると、「劇中では20代の若き青春時代と著名な大学教授になった60代と、2つの世代を熱演し、新境地を切り開いた」とある。しかし、1970年生まれのイ・ビョンホンは今36歳で、いわば男として1番カッコいい時期。そのうえ、ハンサムで身長が高く、純愛モノばかりではなく、アクションもこなせることは『甘い人生』で明らか。したがって、私はその評論で、「アラン・ドロンの当たり役を韓国風にリメイクすれば最高に適役なのでは、と思っていた」と書いた(『シネマルーム7』231頁参照)。
しかるに、彼は『夏物語』で20代の学生役と60代の老教授役に挑戦したが、残念ながら両方とも全く似合っていない。1969年という激動の時代の中、いいところのお坊っちゃんでありプレイボーイのユン・ソギョンが、何となく仲間たちの学生運動に加わり、農村ボランティア活動に参加した中で、知り合った女性と恋におちていくというストーリーはいいのだが、それは20歳過ぎのまだ未熟な学生だからこそ似合う役。いくら若づくりしても、やはりイ・ビョンホンは36歳の立派なオトナでは・・・?
<ジョンイン役のスエはグッド!>
イ・ビョンホンは全然ソギュン役に似合っていないのに対し、1969年当時まだ電気が通っていないという農村スネリ村で、図書館に勤めている女性ソ・ジョンインを演ずるスエはグッド!『ファミリー』(04年)で観た彼女はまだ24歳。この『夏物語』でスエは、両親が「北」へ行ってしまったため、スネリ村のリーダーであるキム・マンドク(チョン・ソギョン)から何かとつらく当たられているジョンインの役を健気に演じており、実にすがすがしい。
スネリ村は、ソギョンの友人ナム・ギュンス(オ・ダルス)ら多数の学生ボランティアの奉仕活動を受けることによって大きく変わるのだが、朴正煕(パク・チョンヒ)大統領が2年後に迫った1971年の大統領選挙に向けて、「三選改憲」の意思を明確にし、それに反対する学生たちに対して猛烈な弾圧を開始する中、学生ボランティアたちはソウルに帰ることを余儀なくされることに・・・。
その時、ソギョンも友人たちと一緒に帰っていればその後のややこしい問題もなかった(もちろん、そうなればこの映画そのものが成り立たないが・・・)し、ジョンインの1人静かに暮らす生活が奪われることもなかったのだが、列車を降りて1人村に帰ってきたソギョンの姿を見れば、ジョンインの決心が揺らぐのは当然・・・。「一緒にソウルに行こう」とのソギュンの誘いに対し、今度こそ自らソギョンの胸の中に飛び込んでいったジョンインだったが・・・。
<前半があまりにも長すぎ・・・?>
この映画の売りの1つは、1969年当時の農村風景の再現!小ちゃな「スネリ駅」はもちろん、あぜ道や田んぼがいっぱいに広がる農村風景や、ジョンインの父親が村の子供たちのために建てた図書館、そして最初にジョンインが歌を歌いながら洗濯しているところをついソギョンが覗き見してしまうという印象的なシーンに登場する、古風で美しい青雲嶺(チョンウンリョン)などの美しい建築物。青雲嶺は1725年に建築された朝鮮時代の建築文化財で、重要民俗資料107号にも指定されており、敷地内に蓮の花が咲く池があることから、別名“蓮亭”とも呼ばれているとのこと。ジョンインはもともと両親と一緒にここに住んでいたという設定だが、なぜ両親が「北」へ行ってしまったのか、そしてジョンインは今もここを住み家としているのかどうかなど、この映画ではあいまいな点が多いのが気に入らない(?)が、これらの田園風景や建築物等が、スタッフたちの努力と汗で見つけ出されたことはまちがいなし・・・。
<「一緒にソウルに行こう」の裏付けは・・・?>
この映画でソギョンらが農村ボランティアとして活動していた1969年夏、私は大学3回生になって3カ月が過ぎたところ。わが母校大阪大学法学部は、まだ実力封鎖されたままで授業は全くなかったが、その直前の1968年暮れにはいわゆる東大闘争に黄色ヘルメットの日共系として少し参加していた私は、なお学生運動のセクト間における対立の中、忙しい夏を過ごしていた。もっとも、その半年後の翌1970年1月26日の誕生日をもって、我妻栄の『債権総論』の本を購入して、一路司法試験の勉強へ舵を切り換えた私は、以降完全に学生運動との縁を断ち切ったが・・・。
ソウルが朴正煕大統領の三選改憲阻止を叫ぶ学生たちへの弾圧で熱くなっている1969年の夏、ソギョンは一体どんな裏付けをもって、ジョンインに対して「一緒にソウルに行こう」と言ったのだろうか・・・?それについて、映画の中の説明では、「休学届を出してくるから、ここで待っていて」と言うだけ。現実に私たちの学生運動仲間の中には、学生結婚しているカップルもいたが、当然その生活は大変。ソギョンの父親はかなりの有力者らしいが、休学届を出した後、ソギョンは一体どんなビジョンを持って、ジョンインと一緒にソウルで過ごそうとしていたのだろうか?そんな姿が全く見えないことも、この映画の大きな不満・・・?
<『戦争と人間』に見る悲恋とは・・・?>
五味川純平の原作を映画化した山本薩夫監督の戦争大作『戦争と人間』3部作は、強烈な反戦のメッセージをアピールした名作。そして、その第3作のテーマの1つは、軍部による日本共産党への弾圧の中、逮捕され日中戦争の第一線に送られてしまった山本圭扮する標(しめぎ)耕平と、その帰りを待つ吉永小百合扮する五代財閥の次女、順子(よりこ)との切ない恋。今は五代のお屋敷を出て、1人セツルメント活動をしている順子を訪ねてきた憲兵隊が、死んだはずの耕平のことを根掘り葉掘り調べている姿を見て、「耕平さんは生きているのね!」と目を輝かせるシーンは印象的だったが、これこそ、「激動の時代の流れによって引き裂かれた男女の悲恋」というもの。
<何とも情けないソギョンの姿に唖然・・・?>
大学内に突入してきた機動隊によって、ついでに(?)逮捕されてしまったソギョンやジョンインだったが、ソギョンの罪は所詮知れているもので、反省文の1つも書き、父親が身柄引き受けをすればそれでおしまい・・・。しかし、両親が北へ行ってしまったというジョンインの方は、もしスパイ罪や国家反逆罪ともなればえらいこと・・・。そこで、面会に来たソギョンの父親から、とにかく「ジョンインのことは全く知らないと言え」「そうしなければ、スパイ罪に絡んで大変なことになる」と脅されると、ソギョンは・・・?プレイボーイぶりはさっそうとしていても、警察の取調べの前では何とも情けない姿をさらすソギョンの姿に唖然・・・。
<なぜソギョンは60代まで独身を・・・?>
この映画には、放送作家(?)のイ・スジン(イ・セウン)と共にソギョンの初恋の人を探す番組プロデューサーのキム(ユ・ヘジン)が登場するが、それは1969年の夏から37年を経た2006年のこと・・・。したがって、あの時の青年ソギョンも今は60代の老教授・・・。
ソギョンが1度も結婚をせず、ただ1人の女性を思い続けているのは一体なぜ、というのがこの番組の狙いだが、視聴率を上げるためには、2人の別れをできるだけ劇的なものにする必要があるのは、納豆で大問題となった『発掘!あるある大辞典Ⅱ』のケースを考えるまでもなく明らか・・・。
韓国の面積は日本の約4分の1だから、ソギョンが本気になってジョンインのことを調べればわかりそうなものだが、いくら探してもわからず、今日に至っているというのがこの映画の約束ゴト・・・?ところが、スジンとキムの2人がスネリ村に入り、かつての図書館のことなどを調べていくと、比較的容易に今は死亡し、この世にいないジョンインが働いていたという場所へたどり着けたようだから、ソギョンの調査はかなりいい加減だった・・・?
<無理ヤリの別れの設定はいかがなものか・・・?>
ソギョンは父親のコネもあり、すぐに釈放されたようだが、ジョンインの罪がどうなったのかは、この映画では全く不明。また、ジョンインが嫌疑不十分で釈放されたのか、それとも裁判で有罪となり、服役した後出所してきたのかも、この映画では全く不明。しかし、今日は遂にソギョンがジョンインの出所を迎えにいく日・・・。
2人の風貌はほとんど変わっていないから、この間はせいぜい数カ月~数年程度と考えられるが、それも不明。さらに、映画がここから2人をムリヤリ引き裂いていくのは、まるで2人を別れさせなければストーリー構成ができないからと言っているようなもので、全くナンセンス・・・?
<ジョンインの別れの決心はなぜ・・・?>
ソギョンとジョンインが誤認逮捕だったのかそれとも罪を償ったのかは別として、現にこのように釈放されて自由の身になっているのだから、やっと2人はこれから一緒に生きていくことができる状況になったはず・・・。それなのに、なぜジョンインはソギョンにウソをついてまで、ソウル駅でソギョンと別れなければならないの・・・?私の妻の解釈では、それは両親が北へ行ってしまったジョンインが、前途有望なソギョンと一緒にいてはソギョンに迷惑がかかると考えたため、と言うこと。しかし、釈放されて出てきた時点で、ジョンインがなぜそんな決心をする必要があるの・・・?とにかく、私にはサッパリ訳がわからないから、この映画の脚本には決定的な欠陥あり、と思わざるをえない・・・。
ちなみに、『ゆれる』(06年)の西川美和監督が第80回キネマ旬報の脚本賞を受賞したのは、その脚本のすばらしさを評価してもらったため。ところが、この映画のパンフレットには「韓国を代表する実力派製作陣が集結して1969年のノスタルジックな世界を再現!!」と謳いながら、そこでは監督、美術監督、音楽について1人ずつ紹介しているものの脚本のキム・ウニについては一言も記載されていない。それは脚本を軽視しているせいでは・・・?
<バカ高いパンフレットにビックリ・・・>
『夏物語』と同じ韓流の『マルチュク青春通り』(04年)の時も、パンフレットの値段の高さにビックリしたことがあった(『シネマルーム8』39頁参照)が、この『夏物語』のパンフレットも、通常のパンフレットと同じか少し薄いぐらいなのに、1200円とバカ高。そのうえこのパンフレットは、制作・発売・販売元が博報堂DYメディアパートナーズでありながら、何とどこにも定価が印刷されていない。また、普通は誰か1~2人の映画評論家が専門的な解説を載せているものだが、このパンフレットにはそれがないうえ、「Background」として紹介されているこの映画の時代考証については、その文責が誰なのかも記載されていない。
また、この映画に出演している俳優たちの生年月日を誰1人書いていないのは、多分意識的・・・?さらに、イ・ビョンホンとスエに対するインタビューで4頁を占めているが、その質問事項はほとんど共通で、全然工夫のないもの・・・?
こりゃちょっとおかしいよ・・・。こんなパンフレットの売り方をしていると、韓流映画はいつか自分で自分の首を絞めることになるのでは・・・?
<エンディング曲が尻切れ状態に・・・>
パンフレットの末尾に「『夏物語』によせて」という藤井フミヤのサイン入りで短い文章が載っていたので、なぜだろうと思っていると、映画のエンディング曲としてなぜか日本語の曲が流れてきた。それを聴いているうち、「ああ、これはフミヤが歌っているんだ」と気づき、さすがいい声だなと思ったが、なぜこの映画のエンディングを日本語の曲にするのか、私にはサッパリわからない。こりゃ、ひょっとして韓流ブームの人気が落ちてきた昨今、日本人観客に対するゴマスリ・・・?
また、最近の映画、とりわけハリウッドの大作はエンドロールがやけに長く、5分近いものがある(?)が、あれは苦痛。ところがこの映画では、エンドロールがやけに短かったのはいいのだが、その間にフミヤの曲が全部入らず、中途半端なまま。おいおい、そりゃないだろう・・・。
<ヨン様にも大試練が・・・>
ちなみに、2月10日付毎日新聞夕刊によると、ヨン様ことペ・ヨンジュン主演で製作中の韓流大型時代劇『太王四神記』が中国で放映禁止とされたとのこと。この処置には、高句麗政権は「朝鮮民族の古代政権」(韓国側主張)か、それとも「中国東北地方の少数民族であり、中国の地方政権」(中国側主張)かという、歴史観の相違による大論争が絡んでいることは明らか・・・。
韓流四天王の1人で、日本を最大のマーケットにしてきたヨン様にもこんな大試練が・・・。そう考えれば、同じ韓流四天王の1人イ・ビョンホンも、ちょっとでも方針を誤ればたちまち大試練が・・・。
2007(平成19)年2月13日記