ニュー・シネマ・パラダイス(イタリア、フランス合作映画・1989年) |
<OS名画座>
2007年3月21日鑑賞
2007年3月22日記
『海の上のピアニスト』『マレーナ』のジュゼッペ・トルナトーレ監督33歳の名作がこれ。彼の生まれ故郷はイタリアのシチリア島。その小村にあるパラダイス座を舞台としたこの映画は、そのタイトルどおり、映画に対する愛がいっぱい。また、映画技師アルフレードと少年トトとの映画を通じた友情は、ユーモアたっぷり感動たっぷり、そしてラストに向けては涙たっぷりとなるはず・・・。「あの名作を映画館で!」、そんなキャッチフレーズを団塊の世代に贈りたいものだ。
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監督・脚本:ジュゼッペ・トルナトーレ
アルフレード(映写技師)/フィリップ・ノワレ
サルヴァトーレ(トト)(現在)/ジャック・ペラン
サルヴァトーレ(少年時代)/サルヴァトーレ・カシオ
サルヴァトーレ(青年時代)/マルコ・レオナルディ
エレナ(青年時代のトトの憧れの女性)/アニェーゼ・ナーノ
アンナ/イザ・ダニエル
マリア(年老いたトトの母親)/プペッラ・マッジオ
マリア(若き日のトトの母親)/アントネッラ・マッティーリ
アデルフィオ神父/レオポルド・トリエステ
広場の男/ニコラ・ディ・ピント
アスミック・エース配給・1989年・イタリア、フランス映画・123分
<見逃していた名作を、今>
株式会社講談社の『週刊 20世紀シネマ館』50巻+別巻(10冊)は私の大の愛読書。その「別巻5」(1989年 平成元年)の表紙と本文トップを飾るのが、ジュゼッペ・トルナトーレ監督の『ニュー・シネマ・パラダイス』。1989年のカンヌ国際映画祭審査員特別グランプリとアカデミー賞外国語映画賞を受賞した名作で、数々の名シーンの写真と要領よくまとめられた解説が魅力的・・・。もちろん既にテレビで何回も放映されているはずだから、私もビデオに録画しているはずだし、断片的にはテレビで観ているかもしれないが、やはりこういう名作は映画館でじっくりと鑑賞しなければダメ。
といっても、こんな旧名作の上映回数は少ないから、よほど時間の都合がつかなければダメ。今日はたまたま祝日だったため、朝10時から1回だけのモーニング上映でこれを観ることができた。私のような映画ファンが多いとみえて、劇場はほぼ8割の入り。そして、ラストが近づくにつれて、あちこちから鼻をすする音とすすり泣きの声が・・・。
<ジュゼッペ・トルナトーレ監督の今は?>
イタリアのシチリア島で生まれたジュゼッペ・トルナトーレ監督は1956年生まれだから、1989年当時33歳という若さ。この『ニュー・シネマ・パラダイス』で世界に飛躍した彼はその後、「映画は麻薬だ。私はこの麻薬がないと我慢できない」と語りながら製作活動を続けたらしい。そして私が今日やっと確認できたのは、近時の『海の上のピアニスト』(99年)と『マレーナ』(00年)が彼の作品だったこと。やはり1作ごとにきちんとパンフレットを読んで、勉強しなければ・・・。
<舞台はシチリア島のジャンカルド村、そしてパラダイス座>
「日独伊」三国同盟を結んでいたこともあって、ドイツは日本人にとって親しみのある国だが、イタリアはあまり親しみのない国・・・?したがって、シチリア島と聞いてもそれが長靴の形をしていることで有名なイタリア半島のすぐ南西にある地中海最大の島であることを知っている人は少ないのでは・・・?とはいっても、、ナポレオンが生まれたコルシカ島と同じように、『ゴッドファーザー』(72年)で有名なシチリア・マフィアの名のためにシチリア島は有名かも・・・?
この映画は、トルナトーレ監督の生まれ故郷であるそんなシチリア島にあるジャンカルドという小さな村が舞台。さらに突き詰めれば、パラダイス座という村で唯一の映画館が舞台。小さな村でも西欧の都市には必ず広場があり、そこが公共空間の中心地。そんな広場を見下ろす2階建ての大きな映画館がパラダイス座だが、連合軍から徹底的な爆撃を受けたシチリア島に、よくこんな映画館が生き残っていたもの・・・。
<時代は第2次世界大戦直後>
第2次世界大戦では、「日独伊三国同盟」の中でイタリアが1番最初に降伏してしまったが、トルナトーレ監督が戦争前後の時代状況を対比しながら、モニカ・ベルッチ扮する1人の美女の生きざま(?)を描いた映画が『マレーナ』だった。また1月31日に観た『ブラックブック』(06年)も、ナチスドイツが崩壊してオランダが解放された後、レジスタンスの闘士たちの真贋が検証されていくというすごい映画だった。しかし、『ニュー・シネマ・パラダイス』は、そんなお固い話は御免とばかり、政治的テーマは全く持ち込まず、底抜けに楽しくて明るい人間讃歌の映画。
日本国の敗戦後1949年に生まれた私の小学生時代、映画は日本国民最大の娯楽だったが、それは第2次世界大戦終了直後(多分1945年)のシチリア島の村民たちも同じ。村で唯一の映画館パラダイス座は、連日村民たちであふれ返り、観客たちの熱気に満ちあふれていた。ちなみに日本でも、1950年代の映画館は軒並みこれと同じ・・・。
<冒頭はおなじみの(?)回想シーンから>
私の大好きな、張藝謀(チャン・イーモウ)監督の名作、『初恋のきた道』(00年)は回想シーンから始まったが、『ニュー・シネマ・パラダイス』もそれは同じ。
映画の冒頭、さかんに電話で連絡をとろうとしている老いた母親と、「どうせ兄とは連絡はつかないワ」と言いながら、それを傍で見守る中年女性が登場する。他方、妻が既にベッドで眠っている部屋に戻ってきた中年男に対して、目を覚ました妻からは、ある男の訃報があったことが伝えられた・・・。その男の名はアルフレード。その名前を聞いた中年男の脳裏によみがえってきたものは・・・?
<2人の主人公は・・・?>
この映画の一方の主人公は、今はローマで映画監督として大成功をおさめているサルヴァトーレ・ディ・ヴィータ(ジャック・ペラン)。そして他方の主人公は、村で唯一人の映写技師であったアルフレード(フィリップ・ノワレ)。幼少期(サルヴァトーレ・カシオ)はトトという愛称で呼ばれ、青年期(マルコ・レオナルディ)まではシチリア島のジャンカルド村に住んでいた少年トトは、いつもアルフレードの職場である映写室の中に入り浸っていたため、アルフレードにはこれが大迷惑・・・?
また、トトの母親マリア(アントネッラ・マッティーリ)はトトの映写室通い(?)を禁ずるものの、やんちゃなトトにはまるで効き目なし。ちなみに、この映画で母親はさかんに自分の息子をぶっているが、今ドキあんなことをしたら大問題・・・?
母親の要請を受けて、アルフレードも映写室へのトトの入室を厳禁したが、実際にはそれもなかなか効き目なし。そんなある日、突然発生した大事件によって、トトの運命には大きな変化が・・・。
<トトにとっての魔法のメカは・・・?>
蓄音機にビックリし、動く写真にビックリしたはずの人類は、今やパソコンやケイタイを使いこなすまでに・・・。しかし、敗戦直後のシチリア島のジャンカルド村で暮らす少年トトにとって、映写室内でアルフレードが操る映写機はまさに魔法のメカ・・・。
映画検定4級、3級の受験勉強をし、これに合格した私にとって、『公式テキストブック』に書いてある映画に関する専門知識は十分頭に入っているつもり。ところが、そんな私にとってもこの映画を観て新鮮だったのは、まず第1に頭の固いアデルフィオ神父(レオポルド・トリエステ)が検閲するシーン。1人スクリーンを観ながらキスシーンになると鈴を鳴らし、その都度アルフレードがフィルムのその場所に紙を挟み後からその部分をハサミでカットするわけだ。もっとも同じようなシーンは、トトと同じような映画大好き少女の玲玲(リンリン)を主人公とした中国映画『玲玲の電影日記』(04年)にも登場していたが・・・?
第2は、あの当時のフィルムは可燃性フィルムだったということ。したがって十分注意していなければ、摩擦で熱を帯びたフィルムが火を噴く恐れがあるということで、これは全く知らなかったこと。ホンマかいな、と思いながら観ていると、実はそれがこの映画最大のドラマを生み出すことに・・・?
<映画への喜びと愛が満載!>
この映画はそのタイトルどおり、素朴な村人たちの映画への喜びと愛が満載で、観客席からは笑いの声が2度、3度と・・・。この映画には、ジョン・ウェインが主演したジョン・フォード監督の名作『駅馬車』(39年)を観た観客が、思わず一斉にインディアンの真似をするシーンが登場するが、日本だってかつて「鞍馬天狗」が登場すれば、観客が拍手喝采していた(?)のだから、映画の楽しみ方は万国共通・・・?
さらに、めったにないヌードシーンでは、少年たちが思わず手を股間にもっていったり、何十回と同じ映画を観ている大人たちは、大好きなシーンになると大声でセリフを叫んでみたり、そりゃ、今ドキの映画館の行儀の良さに比べればハチャメチャだが、それこそ観客と作品が一体となった映画の楽しみ方・・・?
問題が発生したのは、映写機の反射をうまく利用するというアルフレードの機転とサービスによって、広場に面した家の白壁に映像を映し出したとき。これを観た村人たちは大喜びで、さらに音声も要求。そこでアルフレードはスピーカーを広場に向けると共に、自らも観客と共に壁上のスクリーンを楽しんでいたのだが、その時可燃性のフィルムを回し続けていた映写機は・・・?
<子供でも立派な映写技師!>
パラダイス座が火事で燃えてしまい、アルフレードも生命だけは助かったものの失明してしまった。しかし、今やっとパラダイス座は再建された。そこで映写技師として採用されたのは、何と少年トト。アルフレードは、トトが学校にも行かずそんな仕事に就くことに反対だったが、トトは水を得た魚のようなもの。ちなみにトトが映写技師の仕事を続けている間も映画人気はさらに高まると共に、検閲が無くなったうえ、フィルムも不燃性のものに改善。
そして、アルフレードの世話をしながら毎日を楽しく映写室で過ごしてきたトトも、今や立派な青年に成長。すると、そこで起こってきた問題は・・・?
<純愛物語もいい味つけで・・・>
青年になれば誰でも美しい女性に恋するもの・・・。映画少年から青年期に達したトトにとっても、それは同じだった。トトが一目で恋に落ちたのは、髪の長い上品な顔立ちの美女エレナ(アニェーゼ・ナーノ)だったが、エレナが裕福な銀行家の娘だったことが、トトの不幸。身分違いの恋の成就が難しいのは世の習いで、いったんは2人の間に愛の炎が燃え上がったものの、結局はジ・エンドに・・・。
もっともエレナは当初からトトに男性としての魅力を感じていなかったようだが、それをぐっと引き寄せたのは、アルフレードから聞いたある映画のストーリーをトトが実践したため。すなわち、その物語では、ある青年は「100日間ずっと私の元に通い続けたら、身も心も捧げます」と言う美しい娘のために、雨の日も風の日もそして夜も昼も、99日間彼女の家の前に立ったそう・・・。
ジュゼッペ・トルナトーレ監督は、トトとエレナの純愛物語についても、今ドキの韓流純愛ドラマ風の仕立てではなく、あくまで『ニュー・シネマ・パラダイス』というこの映画のタイトルにふさわしく、ちょっとひねった面白い味つけに・・・。
<「それから30年」という設定に、しんみり・・・>
映画前半の幼少期のトトとアルフレードとの、映写室と映写機を媒介とした友情物語は楽しさいっぱい。また、中盤の青年トトとエレナとの恋愛物語は、最終的にはエレナがトトの前から消えてしまうというつらさはあるものの、十分に青春を謳歌したと言いうるもの・・・?
ところが、「それから30年」経った映画後半は、一転して客席のあちこちからすすり泣きの声が聞こえてくる展開に・・・。その最大の原因はもちろんアルフレードの死。トトは村を離れるとき、アルフレードから絶対に村に帰ってきてはダメだと言われ、それを頑に守ってきたが、それは一体なぜ・・・?そして今日、跡地を駐車場にするべくダイナマイトで解体される、今は廃館となって荒れ果てたパラダイス座を見つめる村人たちの思いは・・・?さらに、アルフレードからトトへの形見にと託されていたフィルム缶の中に入っていたフィルムには一体何が・・・?
幼少期のトトのやんちゃで元気のいい演技から一転して、青年期から30年後を迎えた現在のトトの演技は、静かで落ち着いたもの。しかし、いくらセリフが少なくても、その頭の中をよぎっている思いは、じっとスクリーンを観ていた私たち観客の思いと全く同じはず。3月末をもって弁護士登録満33年となる私にとっても、「それから30年」という設定に思わずしんみり・・・。
2007(平成19)年3月22日記