憑神(日本映画・2007年) |
<東映試写室>
2007年4月25日鑑賞
2007年4月28日記
「苦しい時の神頼み」は誰しもあるものだが、三囲稲荷と三巡稲荷は一字違いで大違い・・・?貧乏神、疫病神、死神と取り憑かれたら、普通はそれだけでジ・エンドだが、昌平黌の秀才、彦四郎の場合は・・・?戦後62年を経た今のニッポン国は、価値観が大きく変わり、構造改革の中、不安が拡大した幕末の時代と同じ・・・。そんな今を生きる彦四郎のような若者たちが、この映画を観て、悲劇を喜劇とし、死ぬことの意味と生きることの意味をしっかりと見つける一助になれば幸いだが・・・。
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監督・脚本:降旗康男
原作浅田次郎『憑神』(新潮社刊)
別所彦四郎/妻夫木聡
別所イト(彦四郎の実母)/夏木マリ
別所左兵衛(彦四郎の実兄)/佐々木蔵之介
別所千代(彦四郎の兄嫁)/鈴木砂羽
おつや(死神)/森迫永依
井上八重(彦四郎の元妻)/笛木優子
小文吾(井上家の使用人)/佐藤隆太
九頭龍(疫病神)/赤井英和
甚平(蕎麦屋の親父)/香川照之
伊勢屋(貧乏神)/西田敏行
勝海舟/江口洋介
東映配給・2007年・日本映画・107分
<「鉄道員」コンビが今目指すものは・・・?>
高倉健が主演し、浅田次郎原作・降旗康男監督のコンビによる『鉄道員』(99年)は、第23回日本アカデミー賞において最優秀作品賞、最優秀監督賞、最優秀脚本賞、最優秀主演男優賞など主要9部門を独占した名作。8年ぶりに復活したそんな浅田次郎・降旗康男監督のコンビが今回描くのは、やっとデフレ経済を脱却しながら将来に明確なビジョンを持つことが出来ず、混沌とした時代状況にある現在のニッポンを、1968年の幕末から明治維新の時代になぞらえながら、主人公別所彦四郎と彼にとりついた3人(?)の憑神たちの悲劇と喜劇が入り混じった姿。
そして、別所彦四郎に扮する妻夫木聡を含めた浅田と降旗の3人が目指したものは、そんな姿を通して見えてくるはずの、人間の生き方と死に方の美学・・・?
<時代劇へチャレンジしたのは・・・?>
映画冒頭の白黒画面の中、縦書き文字で「時代は幕末・・・」という字幕が流れてくると一瞬これから、鞍馬天狗でも登場してくるのかなと思ってしまったが、これはいかにも1934年生まれで、映画人生50年を迎える降旗康男監督らしいお遊び・・・?
山田洋次監督がはじめて時代劇に挑戦したのは、藤沢周平原作の『たそがれ清兵衛』(02年)だった。ところがこれが大好評で、第26回日本アカデミー賞において助演女優賞を除く、作品、監督、脚本、主演男優、主演女優等、全13部門の最優秀賞を受賞した。そのため、以降彼は、『隠し剣 鬼の爪』(04年)、『武士の一分』(06年)と立て続けに時代劇に凝っている・・・?
したがって降旗康男監督が『憑神』で時代劇に挑戦したのは、ひょっとしてその影響を受けたのかも・・・?
<影武者の家系がホントに260年間も・・・?>
時代劇の名作中の名作は『七人の侍』(54年)だが、その黒澤明監督が、主役を予定していた勝新太郎の降板劇という大問題を引き起しながら監督した名作が、『影武者』(80年)。これは、甲斐の武田信玄の影武者の物語だが、浅田次郎が『憑神』で主人公とした別所彦四郎は、東照大権現すなわち徳川家康の影武者・・・。
しかし幕末の1868年は、徳川幕府260年の歴史の終末期。徳川家が260年間も続いたのは、ものすごい努力があってのことだから、徳川家康の影武者をつとめたという別所家がそれと同じように、260年間もお家を断絶させることなく続いたというのは、ちょっと信じられない話。しかしまあそれは、浅田次郎が描く、『憑神』のテーマやストーリーには関係ないことなので、この際、無視・・・?
<「昌平黌(こう)」って知ってる・・・?>
『憑神』を観た4月25日の日経新聞夕刊には、「日本の史跡101選 出かけよう日本の記憶をたどる旅へ」という記事のNO7として、湯島聖堂が紹介されていた。私が司法修習生時代の1973~74年に、寮のあった松戸から通ったのは、司法研修所のあった文京区湯島。その湯島にある学問のメッカが昌平坂学問所(通称・昌平黌)であり、それが今は「史跡・湯島聖堂」となっている。
これは、上記記事によれば「もともとは儒学者の林羅山が上野・忍ヶ丘に開いた林家の私塾であったが、1690(元禄3)年、儒学好きの5代将軍綱吉が孔子廟とともに現在の地に移した。幕府直轄となったのはその8年後。創立後180年ほどで明治維新を迎え、学問所は廃止され、1871(明治4)年に文部省が置かれることになった」とのこと。かつて、そんな昌平黌でのライバルだったのが、彦四郎と榎本武揚の2人だが、今榎本は軍艦頭取にまでなっているのに対し、彦四郎は・・・?
<彦四郎は今・・・?>
昌平黌で秀才の誉れ高かった彦四郎だが、婿養子に入った井上家からは、もともと種馬目的にすぎなかったという理由(?)で離縁され、今は兄左兵衛(佐々木蔵之介)の家に居候の身分。したがって、仕事は何もなく、無為の毎日を・・・。
彦四郎は、別れた妻井上八重(笛木優子)と一人息子の市太郎を今なお愛しているものの、会うこともままならず、彦四郎の良き理解者は、屋台をひいている蕎麦屋のおやじ、甚平(香川照之)と母親イト(夏木マリ)くらい・・・?
彦四郎は昌平黌で学んだだけあって、文武両道に秀でているが、兄の左兵衛はあの時代においてちょっと変わった自由な発想の持ち主のようで、武士の世はもうおしまいと見切っている様子。妻千代(鈴木砂羽)はそんな夫の頼りなさを嘆いているが、この左兵衛は、新しい国づくりにとさかんに弟の彦四郎を誘っている榎本武揚や勝海舟(江口洋介)らと同じように、意外に先見の明の持ち主かも・・・?
<一字違いで大違い・・・>
落ち込んでいる彦四郎に対して、蕎麦屋の甚平がアドバイスしたのは、向島にある「三囲(みめぐり)稲荷」へのお参り。それは、榎本武揚が大出世したのはそのご利益のおかげらしいという理由からだが、昌平黌の秀才がそんな話を信じるはずがないのは当然・・・。
ところが、酔って転げ落ちた土手のふもとにあったのが、「三巡(みめぐり)稲荷」と書かれてあるお稲荷様。そこで彦四郎がああここにも三囲(みめぐり)稲荷はあるのかと思って、つい「よろしくお願いします」と神頼みしてしまったのが運の尽き・・・?一字違いで大違いというのはよくある話だが、これは災いの神を呼び寄せるお稲荷様だったから大変・・・。
<これは悲劇、それとも喜劇・・・?>
シェイクスピアの4大悲劇は、『ハムレット』『マクベス』『オセロ』『リア王』だが、この『憑神』も、別所彦四郎に①貧乏神の商人、伊勢屋(西田敏行)、②疫病神の力士、九頭龍(赤井英和)、そして③死神のかわいい少女おつや(森迫永依)が取り憑くという物語だから、当然悲劇・・・?
彦四郎にそんな3人の災いの神様が取り憑いたのは、ある日、酔ったところで出世を願って、つい「よろしくお願いします」と言ってしまったせい。自らの「神頼み」で災いの神様を呼び寄せたのだから、いわば自業自得の悲劇だが、それを単なる悲劇に終わらせず、喜劇のような展開にさせていくところが、この物語のミソ・・・?
「人生はあざなえる縄の如し」ということわざどおり、何が悲劇で何が喜劇かなんて、そう単純に割り切れるものではないはず・・・?
<「現代のニートの物語」、には違和感が・・・?>
この映画のプレスシートには、「今を生きる、日本すべての人に、幸せを贈る映画」「現代のこれはニートの物語!?閉塞状況の現代ニッポンをスッキリ爽快にさせる水先案内人」という見出しの文章がある。しかし、私には前者はオーケーだが、後者には違和感が・・・。
戦後62年を経た現在のニッポン国は、2001年4月以降の小泉改革の中で、デフレ経済からの脱却と多少の構造改革を実現できたものの、格差の広がり、少年犯罪の増大・凶悪化など問題点は多い。そんな中、後者の見出しで書いてある文脈は、「『働く意味がわからない』とニートやフリーターになる若者たち。定職についていても『自分のやりたいこと』が見つけられず、自分探しを続けている人たちもたくさんいる」と指摘したうえで、そんな人たちに「生きる目的を見つけることの大切さや、信じる道を命がけで突き進む、彦四郎たちのカッコよさを伝えたい」ということ。しかし、果たして今ドキの若いニートやフリーターに、この彦四郎の生きザマがそう簡単に伝わるのかどうか、あるいはそんな行動を自らとることができるのかどうか、私には大いに疑問。
なぜなら、彦四郎は文武両道に秀でた超エリートの師弟であって、今のニッポン国に溢れているニートやフリーターとは全く違う素材なのだから。つまり、潜在的能力は抜群だが、たまたま今は運に見放されている者と、もともと何の能力もないアホバカや落ちこぼれとは全く人種が違うわけだ。そんな彦四郎だからこそ、この映画で観るようなヒーロー的な行動をとることができたのであり、そもそも「最近何もかもうまくいかない」「ツキがほしいと感じている人たち」では、この彦四郎のような行動をとれるはずがなく、最初の貧乏神のご到着によって首吊り自殺でもしてしまうのがミエミエでは・・・?
神頼みをするもよし、ツキを求めるもよし。しかしそれは、あくまで限界ギリギリまで自分を磨き、最大限の努力をしたうえでのお話だということを、くれぐれもお忘れなく・・・。
<徳川慶喜ってバカ殿サマ・・・?>
浅田次郎の小説がさすがだと思うのは、東照大権現の影武者として働いた武勲に、260年後の今もしがみついて生きている別所家のイトや彦四郎を、単なるアナクロリズムと皮肉るのではなく、真正面からその価値を認める舞台を用意したこと・・・。考えてみれば、影武者は動乱の時代にこそ必要で、天下泰平の世には無用の長物。したがって、幕末の動乱期ならば、ひょっとして影武者として別所家の登場場面があるかも・・・?
ご承知のとおり、14代将軍徳川家茂(いえもち)が21歳で死亡した跡を継いだのは、「最後の将軍」となった水戸徳川家の徳川慶喜(よしのぶ)。幕末と明治維新を描いた面白い映画やドラマはたくさんあるから、慶喜像もいろいろだが、1866年の第二次長州征討に出かけていった幕府軍が敗北し大阪に敗走してきたところ、将兵を大阪に残したまま1人さっさと海路江戸に戻ってしまったというのはホントの話・・・。また、江戸に向けて東海道、中山道、北陸道の三方から攻め寄せてきた西郷隆盛を総大将とする錦の御旗を掲げた倒幕軍に対して、ひたすら恭順の意を表したのが慶喜。
勝海舟と西郷隆盛との直談判によって江戸城の無血開城が実現し、それによって江戸のまちが戦火にさらされるのを避けることができたのだから、慶喜は天下の名君という説もあれば、逆に臆病者という説やバカ将軍という説も・・・?さて、この映画に登場する降旗監督が描く将軍慶喜像は如何に・・・?
そしてそんな中、代々徳川将軍の影武者として仕えてきた別所家の、今や兄左兵衛に代わって当主となった彦四郎が、やっと見つけた生きる意味とは・・・?そして死ぬ意味とは・・・?悲劇か喜劇かわからない面白いつくりの中、浅田次郎の主張はしっかりと、そして降旗監督の主張もきっちりと・・・。さすがだねえ・・・。
2007(平成19)年4月28日記