クイーン(イギリス、フランス、イタリア合作映画・2006年) |
<敷島シネポップ>
2007年4月29日鑑賞
2007年5月1日記
1回目の「昭和の日」である4月29日に『クイーン』を観たのも何かの縁。また今年退陣予定のイギリス労働党ブレア首相の登場とダイアナ妃の交通事故死から、ちょうど10年目というのも何かの縁・・・?エリザベス女王を演じたヘレン・ミレンのアカデミー賞最優秀主演女優賞受賞はわからないではないが、ソックリさんあるいはソックリ演技にそんなに価値があるの・・・?また、この映画は王室と首相の内面に深く立ち入ったというものの、ダイアナ妃の死亡、王室と国民との対立、そしてそれに対するブレア首相の介入をめぐる物語自体はかなり平凡・・・?私はそう思わざるをえなかったが・・・。
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監督:スティーヴン・フリアーズ
脚本:ピーター・モーガン
エリザベス女王(2世)/ヘレン・ミレン
トニー・ブレア(イギリス首相)/マイケル・シーン
フィリップ殿下(エリザベス女王の夫)/ジェイムズ・クロムウェル
シェリー・ブレア(首相夫人)/ヘレン・マックロリー
チャールズ皇太子/アレックス・ジェニングス
クィーン・マザー(皇太后)/シルヴィア・シムズ
ロビン・ジャンヴリン/ロジャー・アラム
スティーヴン・ランポート/ティム・マクマラン
エイベックス・エンタテインメント配給・2006年・イギリス、フランス、イタリア合作映画・104分
<昭和の日に『クイーン』を・・・>
4月29日は、「天皇誕生日」から「緑の日」に、そして今年から「昭和の日」に変わった祝日。昭和天皇の誕生日は1901年4月29日。したがって、1回目の「昭和の日」の新聞やテレビは、昭和天皇に関する特集がズラリ。
即位した昭和元(1926)年から昭和64(1989)年まで、昭和天皇が在位した64年間は、私の独断と偏見によれば大きく3つの時期に分けることができる。すなわち、第1期は、昭和3(1928)年の張作霖爆殺事件と柳条湖事件以降開始された中国東北地方への進出と満州国の建設、そして太平洋戦争と敗戦という昭和20(1945)年までの時代。第2期は、戦後復興期から昭和26(1951)年のサンフランシスコ講和条約を経て昭和30年代の高度経済成長という昭和の良き時代(池田内閣、佐藤内閣)。そして第3期は、昭和43(1968)年の新都市計画法の制定(近代都市法の制定)と昭和45(1970)年の大阪万博から日本列島改造、地価高騰そして土地バブルの時代(田中角栄内閣、中曽根内閣)。
昭和天皇が亡くなった昭和64(1989)年(平成元年)1月7日は、地価高騰の絶頂期で、昭和62(1987)年の緊急土地対策要綱と昭和63(1988)年の総合土地対策要綱を経て、平成元(1990)年12月に土地基本法が制定されるという時代の真っ只中にあった。
こんな「昭和の日」制定の第1回の日に、イギリス王室のエリザベス女王(2世)を描いた『クイーン』を観たのも何かの縁・・・?
<日本の天皇家VSイギリスの王室・・・>
第1回「昭和の日」はたまたま日曜日だったため、フィットネスクラブでの午前中の20キロ走の後、いつも観ているやしきたかじんの『そこまで言って委員会』も、昭和天皇に関するテーマがメインだった。そこで強調されていたのは、天皇家は権力とは関係なく、「権威の象徴」として2600年間も続いてきたという意味で世界に例がないということ。たしかにそのとおりで、良くも悪くもそれが象徴天皇制を維持していくについての大きな根拠・・・。
ところがこれに対してイギリスの王室は、1066年にウィリアム征服王がイングランドを制圧した以降、約1000年の歴史であるうえ、特徴的なのは国王と武力・権力が同一であったこと。そして日本の神道とは逆に、イギリスでは宗教的権威は国王ではなく、キリスト教の教会にあり、その対立の歴史があったこと・・・。またイギリスは日本と同じ議院内閣制だが、大雑把にいえば立憲君主制で、国王が国家元首となっている点が日本と異なるところ・・・。
<イギリスの王室は離婚ばかり・・・>
もちろん天皇家だってイギリス王室だって所詮人間の集まりだから、結婚、出産、相続(承継)のくり返しをしているが、天皇家は身持ちのいい人が多い(?)のに対し、イギリス王室はエリザベス女王を唯一の例外(?)として、皇太子のチャールズ皇太子も、アン王女もそして妹のマーガレット王女もみんな離婚経験者・・・。そのうえ、チャールズ皇太子がダイアナ妃と離婚したのは、皇太子とカミラ・パーカー・ボウルズとの浮気が原因だし、アン王女の離婚は2度も・・・。まあ自由といえば自由でいいのだが、こういうスキャンダルばかりでは、国民の王室に対する畏敬の念が弱まるのでは・・・?
<あれから10年その1・・・ブレア政権>
さらに今日2007年4月29日は、労働党のトニー・ブレアがイギリスで20世紀最年少の首相として誕生した1997年5月からちょうど10年後。常にそれなりの支持率を保ちながら政権運営を続けてきたブレア政権だったが、2003年にアメリカのイラク政策を全面的に支持し、イラク戦争に参加したことによって、現在はブッシュ政権と同様、大幅に落ち目となり、遂に今年9月には退陣予定・・・?
<あれから10年その2・・・ダイアナ妃の事故死>
ダイアナ妃がパパラッチに追い回されていたのは、あれほど魅力的なプリンセス・ダイアナが1992年にチャールズ皇太子と別居し、1996年には遂に離婚、そしてチャールズ皇太子はカミラ・パーカー・ボウルズと交際していたのに対抗するかのように、ダイアナ妃は恋人ドディ・アルファイドと熱い交際を交わしていたため。王室スキャンダルがパパラッチの格好のターゲットとなったのは、実は国民の関心がそこにあったから・・・。
「パパラッチ」という言葉が世界に定着したのは、1997年8月30日深夜の交通事故によるダイアナ妃の死亡によって。この日、私も1988年に1度宿泊したことのあるパリのホテル・リッツの裏口からダイアナ妃と恋人ドディ・アルファルドが乗り込んだ車が猛スピードで発進したが、それを追跡したパパラッチを無理矢理振り切ろうとしてアルマ橋のトンネル内で交通事故を起こし、死亡するに至った。今年は、このダイアナ妃が事故死した日からもうすぐ10年・・・。
「10年ひと昔」というものの、そう考えてみると、ホントにあっという間の10年。すると、これから先10年後の2017年には・・・?
<この映画のテーマは・・・?>
この映画は、ダイアナ妃の死を契機として起こったイギリス王室の危機と、それをめぐるエリザベス女王(ヘレン・ミレン)と新首相トニー・ブレア(マイケル・シーン)の思惑や駆け引き、そして心の交流を描くもの。もう少し具体的にいうと、既にチャールズ皇太子と離婚したダイアナ妃は民間人となっていたのだから、その死亡は本来王室とは無関係。そう考えたエリザベス女王は、ダイアナ妃の死亡について特にコメントを発せず、無関心を貫こうとしたのだが、それに対して英国民はあからさまなブーイングを・・・。つまり、英国民の圧倒的人気を集めていた(元)プリンセス・ダイアナの事故死を、エリザベス女王や王室が無視することは、国民の気持ちや悲しみを無視することになるというわけだ。
そんな国民世論やムードを敏感に感じ取った若きブレア首相は、エリザベス女王の立場を尊重しつつ、あるアドバイスをした。しかしさて、エリザベス女王にとっては10人目となる、若僧のしかも労働党の党首のアドバイスを誇り高きエリザベス女王が受け入れるのだろうか・・・?ちなみにその4つのアドバイスとは、①バッキンガム宮殿に半旗を掲げ、②ロンドンに早急に戻り、③ダイアナ妃の棺に別れを告げ、④テレビの生放送で声明を発表することだったが・・・?
<舞台の大半はスコットランドのバルモラル城・・・>
この映画で興味深いのは、ダイアナ妃の事故死を聞いたのが滞在先のスコットランドのバルモラル城であったため、そこからバッキンガム宮殿に戻るまでのエリザベス女王のプライベートな空間とプライベートな生活ぶりが大きく描かれること。たとえば、71歳のエリザベス女王が自ら四駆を運転する姿、犬をつれて1人散歩する姿、1人涙する姿、そして最もプライベートな部分である夫フィリップ(ジェイムズ・クロムウェル)との寝室での姿など、実にさまざまなシーンが登場する。したがって、イギリス王室の実情に興味を持っている方には、この映画は是非お薦め。
日本でも『皇室アルバム』のような番組があり、それによって皇室についての広報活動が展開されているが、これはかなり公的で教科書的だから、この映画におけるようなナマの姿は見られないはず・・・。それにしても、象徴天皇である日本の皇室と比べると、キングやクイーンとしてのイギリス王室は財力において大きな違いが・・・。?
<なるほど、こんなドラマが・・・>
ダイアナ妃の事故死をめぐるイギリス国民の動きは、当時日本人でもよく知っているほどの国際的ニュースだった。しかし、エリザベス女王がダイアナ妃の死亡に対して冷たい態度だったことをイギリス国民が怒っており、それをブレア首相が何とか仲介しようとしたなどという内幕の事情は、もちろん全く知らなかったもの・・・。したがって、この映画の焦点は、心ならずも憎まれ役となり苦境に追い込まれることになった老練な(?)エリザベス女王が、いつ、いかなる決断を示すのかという点に絞られていく。しかして、エリザベス女王が下した決断とは・・・?それがこの映画の核心・・・。
<アカデミー賞監督賞と脚本賞は・・・?>
そんなテーマでつくられたこの映画は、スティーブン・フリアーズ監督が2006年度第79回アカデミー賞の監督賞に、脚本のピーター・モーガンが脚本賞にノミネートされた。しかし私の観る限り、この映画は、1997年5月の総選挙で当選したブレア首相とその妻シェリー・ブレア(ヘレン・マックロリー)とエリザベス女王との出会い、そして8月30日から9月5日までのダイアナ妃死去に伴って発生した王室へのブーイングの処理を描くだけのもので、どちらかと言うと割と平凡なもの・・・?したがって私の評価では、なぜこの映画が監督賞と脚本賞にノミネートされたのかが不思議なくらい・・・?
この映画の価値は、若き労働党の党首であるブレア首相のリーダーとしての決断ぶりと、エリザベス女王を襲った予想もしなかった苦悩の姿を真正面から描いたこと。そしてさらに、当時既に71歳となっていたエリザベス女王と若きブレア首相との政治的な葛藤と心の交流を真正面から描いたことだが、さてそのことにどれほどの価値が・・・?
アカデミー賞最優秀監督賞を受賞したのは『ディパーテッド』(06年)のマーティン・スコセッシ、そして最優秀脚本賞を受賞したのは『リトル・ミス・サンシャイン』(06年)となった。監督賞については他にも『硫黄島からの手紙』(06年)のクリント・イーストウッドという有力対抗馬がいたが、私はこの受賞はそれなりに妥当と評価しているが・・・?
<アカデミー賞最優秀主演女優賞にも少し疑問が・・・?>
他方、『クィーン』で第79回アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞したのがヘレン・ミレン。たしかにこの映画におけるヘレン・ミレンのエリザベス女王そっくりの演技は特筆されるが、実は私はエリザベス女王の実際の姿や演説そして立ち居振る舞いについて、テレビで観たことがほとんどないもの。したがって、1997年当時のホンモノのエリザベス女王にそっくりだといっても、そのことだけでアカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞するのはどうかと思うのだが・・・?
ちなみに、ホンモノのエリザベス女王は1926年生まれであるのに対し、ヘレン・ミレンは1945年生まれだから、その違いは約20年。したがって、1997年当時の71歳のエリザベス女王の姿に、2006年につくられたこの映画当時60歳のヘレン・ミレンが似せるのは、俳優としては比較的容易・・・?
『クイーン』でエリザベス女王を演じたヘレン・ミレンが最優秀主演女優賞を受賞したのはわからないわけではないが、私なら『ボルベールー帰郷ー』(06年)のペネロペ・クルス、『あるスキャンダルの覚え書き』(06年)のジュディ・デンチ、『プラダを着た悪魔』(06年)のメリル・ストリープ、『リトル・チルドレン』(06年)のケイト・ウィンスレットら4人の中の誰かに投票していただろう、というのが正直なところ・・・。
2007(平成19)年5月1日記