ファウンテン 永遠につづく愛(アメリカ映画・2007年) |
<東映試写室>
2007年5月22日鑑賞
2007年5月23日記
愛する妻の死をテーマとした心を揺さぶるラブストーリー。タイトルとチラシが与えるそんなイメージは誤りではないが、妻の死を受け入れず、あくまで「生命の泉」を求め続ける主人公の姿は、ある意味哀れで滑稽・・・?旧約聖書の『創世記』にある「生命の泉」をモチーフとした不思議な物語は、死へ向かう黄金の星雲、黄金色に輝く樹木など、ばらしい映像美を実現したが、その好みも人それぞれ・・・。だから、この映画の評価は難しい・・・?
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監督・脚本・原案:ダーレン・アロノフスキー
トミー(医師)、トマス(中世の騎士)、トム・クレオ/ヒュー・ジャックマン
イジー(トミーの妻)、イザベル(中世の女王)/レイチェル・ワイズ
リリアン・グゼッティ博士(トミーの上司)/エレン・バースティン
20世紀フォックス映画配給・2007年・アメリカ映画・97分
<ダーレン・アロノフスキー監督に注目!>
アメリカは巨匠も多いが、インディペンデント映画で名を馳せる若手監督も次々と登場してくる国。この映画が監督3作目となるダーレン・アロノフスキーもその1人で、彼は1969年ニューヨークのブルックリン生まれで、高校卒業後ハーバード大学に進学し、実写とアニメーションを学んだとのこと。
彼の劇場用の長編映画初監督作品は、脚本も手がけ批評家に高い評価を受けたインディペンデント映画『π』(99年)。そして2作目は、1999年にカンヌ国際映画祭でプレミア上映され、大絶賛された『レクイエム・フォー・ドリーム』(01年)とのこと。
もちろん、私はそんな初期の作品を観ていないが、2007年の今38歳となっている彼の経歴と受賞歴を見ただけでも、その才能の突出ぶりがよくわかる。そんな彼の3作目がこの『ファウンテン 永遠につづく愛』だが、製作のエリック・ワトソン、撮影監督のマシュー・リバティーク、美術のジェームズ・チンランド、編集のジェイ・ラビノウィッツ、音楽のクリント・マンセルなど、3作目にして既に「黒澤組」や「山田組」などと同じように「アロノフスキー組」というスタッフが確立しているよう・・・?そんな若手インディペンデント映画の旗手が描いたちょっと変わったラブストーリー(?)をはじめて鑑賞したが・・・。
<「知恵の樹」と「生命の樹」を知ってる・・・?>
日本人がよく知っている旧約聖書の『創世記』にあるアダムとイブの物語は、食べることを禁じられていた「エデンの園」にあった2本の樹のうちの1つ「知恵の樹」の実を、邪悪な蛇にそそのかされてアダムとイブが食べたために、エデンの園を追放されたというもの。ちなみに、これが渡辺淳一の小説で有名な『失楽園』の由来・・・。
他方、ほとんどの日本人が知らないのは、この「知恵の樹」と対をなすもう1本の「生命の樹」で、神は「知恵の樹」の実を食べた人間が、さらに「生命の樹」の実も食べるのではないかと恐れて、アダムとイブを追放したという事実・・・?
さらにネット情報によれば、この「生命の樹」については、神秘思想のカバラにおいて「セフィロトの樹(Sephirothic tree)」とも呼ばれ、さまざまな解釈がなされているらしい。ちなみに、①アインは無と訳され、0で表される、②アイン・ソフは無限と訳され、00で表される、③アイン・ソフ・アウルは無限光と訳され、000で表されるとのこと。そして、アインからアイン・ソフが生じ、アイン・ソフからアイン・ソフ・アウルが生じたとのこと。さて、私が一体何の話をしているのか、あなたは理解できる・・・?
<永遠の愛VS永遠の命>
プレスシートによると、この映画はダーレン・アロノフスキー監督が「数多くの文化の中に、永遠の命の探求についての物語が存在するのに、<生命の泉>の探索について描かれた映画がほとんどないことに気づいた。聖書の『創世記』によれば、<生命の泉>とはアダムとイブが実を食べてしまった<知識の樹>と対をなす<生命の樹>の源となるもので、世界を創造するほどの力をもっている。そこから今回のアイディアを思いつき、脚本を書いた」とのこと。そこでなぜ、私がこんな訳のわからない(?)聖書の話を紹介したのかというと、キリスト教的素養に乏しい日本人には、せめてこの程度の基礎的情報を提供することによって、若手インディペンデント監督ダーレン・アロノフスキーの問題意識を理解する必要があると思ったため。実際にこういう前提知識をもたなければ、この映画は一体何が言いたいのかサッパリわからないはず・・・。アロノフスキー組の撮影監督や美術陣の大奮闘によって、映像美の追求は徹底的になされているが、映画ってそれだけでは面白いものではなく、やはりストーリーやアピール力がなくっちゃ・・・。
<1人三役は大変・・・>
1人二役は映画ではよくあるが、この映画でヒュー・ジャックマンは何と1人三役をやっている。しかも、現代に生きる医師のトミーと、イジー(レイチェル・ワイズ)が書いた中世のスペインを舞台とした物語『ファウンテン』に登場する高潔な騎士トマスは、姿や衣装を変えれば比較的簡単・・・?しかし、もう1人、すなわち坊主頭の修行僧のようなトム・クレオは、ちょっとミステリアスな存在で、これを同じヒュー・ジャックマンが演じているとは思えないようなキャラクター。
私はフィットネスクラブに通っているにもかかわらず、股関節や膝関節が固いため、きちんとあぐらをかくのがしんどいが、トム・クレオ役を演ずるヒュー・ジャックマンは14カ月も太極拳とヨガを学んだというだけあって、その座禅の組み方はパーフェクト・・・。『プレステージ』(06年)では天才マジシャンの役を完璧にこなし、この『ファウンテン 永遠につづく愛』では1人三役と、一流俳優の能力ってホントにすごいもの・・・。
<注目のレイチェル・ワイズも二役>
この映画はヒュー・ジャックマンとレイチェル・ワイズの共演だが、全体のウエイトは1人三役を演ずるヒュー・ジャックマンが70%でレイチェル・ワイズが30%程度・・・?とはいっても、1人二役を演ずるレイチェル・ワイズの存在価値は、「永遠の愛」を求められる女性としての美しさが必要だから、レイチェル・ワイズでなければならないもの・・・?
最初に私がこのレイチェル・ワイズに注目したのは、『スターリングラード』(01年)でのジュード・ロウとのベッドシーン(『シネマルーム1』8頁参照)。『コンスタンティン』(05年)では1人二役で出演したが、これはやはり主演のキアヌ・リーヴス中心の映画だったため、彼女の存在感は弱かった(『シネマルーム7』42頁参照)。しかし、『ナイロビの蜂』(05年)での演技力と存在感は圧倒的で、アカデミー賞助演女優賞などを受賞したのは当然(『シネマルーム11』285頁参照)・・・。
しかして、この映画でのレイチェル・ワイズの役は、重篤な病に冒され、明日の命をも知れないトミーの妻イジーがメイン。容易に最愛の妻の死を受け入れず、あくまで永遠の愛を求めるトミーと葛藤するイジーの役を、レイチェル・ワイズは見事に演じている。他方、イジーが書いた物語『ファウンテン』に登場する中世スペインの女王イザベル役は、どちらかというとチョイ役・・・?
さて、あなたはこの映画におけるレイチェル・ワイズの演技力とその存在感をどのように評価する・・・?
<死をテーマとしたラブストーリーだが・・・?>
韓流ラブストーリーの1つの典型はヒロインの不治の病。そして、日本でもそのパターンのラブストーリーは多い。この手のラブストーリーは、筋の展開がある程度見えていても安心してその中に入り込み、涙を流すことができるという安心感がある・・・?
しかして、この『ファウンテン 永遠につづく愛』も死をテーマとした現代のラブストーリー。すなわち、医師トミーの最愛の妻イジーは病に冒され、残り少ない毎日を生きている状態。ところが、ダーレン・アロノフスキー監督が旧約聖書の『創世記』に着想を得たラブストーリーの筋立ては、病による死という運命を受け入れ、残りわずかな時間をトミーと共に大切に過ごしたいと願うイジーに対し、トミーはあくまでイジーの命を救うための特効薬の研究に没頭するため、2人の間に大きな食い違いが生じるというやっかいなもの・・・?
優秀な医師であればあるほど、医学の本質として人間の能力の限界を理解するものだが、トミーの場合はあまりにもイジーへの愛が強すぎるためか、イジーの病の治療から死をも克服する薬の開発というレベルへ研究の対象が進んでしまったから、ちょっと異常気味・・・?したがって、そんなトミーを上司のリリアン(エレン・バースティン)が押し止めようとし、数日間の休暇を言い渡したのは当然だったが・・・。
<「シバルバ」とは・・・?>
この映画は、幻想的で小難しいテーマ(?)と、1人三役で展開していくストーリーの目まぐるしさが最大の特徴。そしてもう1つの特徴は、この抽象的なテーマをスクリーン上に表現するについて、アロノフスキー組の撮影監督と美術陣が一体となった映像美。
スクリーン上の映像美の表現方法については、人によっては好き嫌いがあるが、この映画に再三登場するのは金色に輝く星雲。これは、イジーが屋根の上から望遠鏡で見たもので、イジーの説明によると、これはマヤの人々が“シバルバ”(黄泉の国)と呼ぶ、死に向かう星らしい。そんな神秘の小宇宙をいかに表現するか、そしてこの「死に向かう星雲」にイジーが乗っていくのを、トミーが阻止しようとする姿をいかに映像として表現するかは、かなり難しい作業・・・。そんな「シバルバ」の映像美を、あなたはどう評価・・・?
<あなたは『ファウンテン』をどう解釈・・・?>
『ファウンテン』とは、ベッド上のイジーからトミーに手渡された未完成の物語のタイトル。それは、中世スペインを舞台とし、高潔な騎士トマスが美しい女王イザベルの命を受けて永遠の命を約束すると信じられている伝説の<ファウンテン>を探す旅に出かけていくという壮大な物語。ところが、それは第11章で途切れていた。そして、いよいよ病が重くなったイジーは、トミーに対してペンとインクをプレゼントし、「あなたが完成させて」と言い残したまま・・・?
「ファウンテン」とは「生命の泉」だから、ある意味、トミーが現在没頭中の新薬開発の研究にさらに一層励んでくれというメッセージにもとれたが・・・。さて、あなたはこの「ファウンテン」をどう解釈・・・?
<トミーの価値観の是非は・・・?>
あの親しかった人が亡くなった・・・。そんな悲しい体験は誰もがもっているはず。昨日まで話をしていた、あんな親しかった人がいなくなるというのは実に不思議なことだが、生き残った人間は意外にスンナリそれを上手に忘れていくもの・・・?
他方、最高裁判所が、無期懲役とした2審広島高裁判決を破棄した、山口県光市の母子殺害事件の差し戻し控訴審の初公判が5月24日に広島高裁で開かれ、残された遺族木村洋さんは被告人の死刑への強い期待を表明していた。また、神戸市須磨区の児童連続殺傷事件の被害者の1人、土師淳君が殺害されて丸10年となる5月24日、父親で医師の守さんは心境を綴った手記を報道各社に書面で寄せた。これらのニュースは実に重いもの。
これと同じようにトミーにとって、イジーの死は絶対に受け入れることのできないものであったよう・・・?そのため、死までの残り少ない時間を一緒に過ごしたいと願うイジーの期待に沿うことよりも、新薬の研究に没頭したが、それを徹底すれば、その価値観と行動は異常な方向に向かう危険性のあるもの。現にこの映画の中でトミーがとる行動には納得できない点がたくさんあると私は思うのだが、さてあなたの価値観は・・・?
<後半は驚きの映像が続出!>
イジーの死を受け入れることができず研究に没頭する医師トミー、女王の命令に忠実に従い「ファウンテン(生命の泉)」を求めていく騎士トマス、そして頭を剃った修行僧のような姿で懸命に悟りを開こうとしているトム・クレオ、この3つの世界が交差しながら物語が進んでいくが、後半のスクリーン上には驚きの映像が続出。
枝を広げた永遠の樹木、その樹木から溢れ出る永遠の樹液、さらに人間の生死をはるかに超越した植物達の生命力、そんな「死」の対極にある「永遠」をイメージする映像が美しい色彩の中、次々と映し出されるから、後半はそれに大注目。もっとも、それをじっと見つめていると、この映画については物語を聞くというよりも、一連の色彩画と巨大な叙事詩を鑑賞したような不思議な気持に・・・。さて、こんな不思議なラブストーリーを観たあなたのご感想は・・・?
2007(平成19)年5月23日記