22才の別れ Lycoris 葉見ず花見ず物語(日本映画・2006年) |
<角川映画試写室>
2007年6月22日鑑賞
2007年6月23日記
1975年の伊勢正三の名曲『22才の別れ』をモチーフとして描かれるのは、葉子(母)、花鈴(娘)の2人と交際することになる幸運な(?)44歳の男の物語・・・。今、男の目の前にいるのは、22歳で娘を生みすぐに死んでしまった葉子の娘花鈴。その口からは「援交して・・・」という思いがけない言葉が・・・?2人の新人女優の活用と「22才の別れ」というテーマのため、多少作為的な物語になるのはやむをえないが、仕事観、人生観はもとより、同棲、恋愛、結婚をめぐる世代観がくっきりと・・・。団塊世代、60年代生まれ、そして今20代の、世代を超えた議論の素材として最適だが・・・。
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監督:大林宣彦
川野俊郎/筧利夫
藤田有美/清水美砂
田口花鈴(かりん)/鈴木聖奈
北島葉子/中村美玲
浅野浩之/窪塚俊介
若き日の川野俊郎/寺尾由布樹
松島専務/峰岸徹
杉田部長/三浦友和
花鈴の父/村田雄浩
やきとり屋甚平/長門裕之
角川映画配給・2006年・日本映画・119分
<昔の日活青春歌謡映画は・・・?>
この映画は、大林宣彦監督が、1975年に発売されて大ヒットした伊勢正三と大久保一久のデュオ「風」の『22才の別れ』をモチーフにしてつくった映画で、2002年の『なごり雪』に続くもの。
最近はヒット曲をモチーフにした映画は少ないが、私が中学・高校生の時代、1960年代は橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦の「御三家」の歌を中心とし、それに三田明、山内賢らの歌が加わった青春歌謡映画がたくさんあった。毎週日曜日にテレビ放映されていた『ロッテ 歌のアルバム』に登場するヒット曲の数々が次々と映画化されていたものだ。たとえば、『いつでも夢を』(63年)、『学園広場』(63年)、『仲間たち』(64年)、『遙かなる慕情・星のフラメンコ』(66年)等々・・・。ちなみに、三田明が歌って大ヒットした『美しい十代』(64年)でデビューした新人が西尾三枝子・・・。これらの映画は、夢・希望・仲間そして青春をテーマとして、あくまで明るく前向きにつくられており、それはまさに1960年代の高度経済成長時代の日本を象徴するものだった。
しかし、バブル崩壊、失われた10年を経験した今の日本は、小泉改革によって(?)デフレスパイラルだけは何とか脱し、株価も1万8千円台になってきたものの、かつての元気は失われ、先行き不透明な時代となっている。したがって、そんな時代につくられた名曲をモチーフにした映画も『22才の別れ』だから、そのテーマは何とも複雑・・・?
<なぜ今も歌い継がれているの・・・?>
私は1949年生まれ。戦後、ベビーブームの中で大量に生まれた私たちを「団塊の世代」と名づけたのは堺屋太一氏だが、その団塊の世代は今や続々と定年を迎える時代となっている。『22才の別れ』を作曲し歌った伊勢正三は1951年生まれ、またかぐや姫のリーダーであった南こうせつも1949年生まれだから、彼らもスレスレの団塊の世代・・・。そのため、『神田川』『赤ちょうちん』『妹』そして『22才の別れ』などの名曲・ヒット曲は、色濃く団塊世代のカラーが出ているはず・・・。したがって、それを共有できるのは団塊世代の私たちだけ・・・?
ところがこの『22才の別れ』は、2005年にNHKが実施した「スキウタ~紅白みんなでアンケート~」で白組71位にランクされたとのこと。また、大阪北新地からの帰り道、道端に座り込んでギターを弾きながら歌っている若者たちの歌にもこれらの曲がよく登場している。それは一体ナゼ・・・?
ちなみに、映画の冒頭、主人公川野俊郎(筧利夫)が立ち寄ったコンビニのレジで『22才の別れ』を口ずさんでいたのがレジ係の若い女性。思わず「その歌は・・・?」と質問すると、「お父さんがよく歌っていたから・・・」との答えが・・・。こんなシーンを見れば、この歌が世代を超えて歌い継がれてきたことはたしか。しかし、この歌は『神田川』『なごり雪』『妹』などと同じようにストーリー性の強いものだから、果たしてこんな若い娘がどこまでその意味をわかって歌っているの・・・?あなたがそんな疑問をもてば、それは大林監督の狙いにピタリとはまったということ・・・。この若い女性田口花鈴(鈴木聖奈)は、その後何とも意外な行動を・・・。
<60年代生まれは・・・?>
この映画の主人公川野は、1960年代生まれで現在44歳。商社マンとして福岡で働いているが、専務の松島(峰岸徹)から「3年間上海へ行け。そして東京本社に戻って出世コースだ」と言われていることや、住んでいるマンションがえらく高級なことから、年収はかなり高そう・・・。また雰囲気からすると、秘書課に勤めている37歳の藤田有美(清水美砂)から好意を寄せられているようだが、本格的に交際しているわけではなく、何となく中途半端。
こんな2人が行きつけの焼きとり屋甚平(長門裕之)で交わす会話を聞いていると、60年代生まれの男女の中途半端さを自覚していることがよくわかる。恋愛、結婚、子づくり、仕事その他すべてにおいて優柔不断で中途半端、と自ら嘆いているが、豊かな1960年代に生まれ育った世代と、がむしゃらに働いてきた戦後生まれの団塊世代とは、大きな世代ギャップがあることはたしか・・・?
<44歳の男と22歳の娘が・・・>
花鈴は、コンビニのすぐ前に立つ立派なマンションの中に消えていく川野をよく知っていたらしい。翌日の夜、公園でローソクをいっぱい並べて火をつけていた少女をみた川野が傍に寄って見ると、それはコンビニで見た花鈴。この大量のローソクはこの映画全編を通じて大きな意味をもってくるが、それはともかく、ここで花鈴が川野に言った言葉は、何と「援交して・・・」「部屋代を払ったらおカネが全部なくなっちゃったの」とのこと。そこで、「君、いくつ・・・?」「名前は・・・?」と聞き、その次に「いくら・・・?」と聞けば完全な援交契約の成立だが、川野の3番目の質問は「お母さんは・・・?」というものだった。
花鈴は「まるで尋問ね」と笑いながら、川野が自分のことをしゃべり始めると、自分は22歳で名前は花鈴ということ、そして母親は自分を生んですぐに死んでしまったことなどを率直に話し始めた。そこで、「援交ではなく、結婚しようか」と言いながら、川野は万札を数枚渡したが、これは一体どういう意味・・・?
いずれにしても、ここではじめて44歳の男と22歳の娘が出会い、以降奇妙な関係が続いていくことに・・・。
<今のオレと、あの時のオレ・・・>
この映画は、川野のナレーションから始まりナレーションで終わる。そしてその間、何度もくり返しくり返し『22才の別れ』の曲がバックで流れてくる。ナレーションを多用するのは、今のオレがあの時のオレ、すなわち高校生そして大学生のオレを思い出し、その物語をスクリーン上に映し出すためのテクニック・・・?
今のオレが奇妙なつき合いを始めたのが22歳の花鈴なら、東京で過ごしていた大学時代のオレ(寺尾由布樹)が卒業を間近にして別れたのが、もうすぐ22歳になる北島葉子(中村美鈴)。オレが「東京に残れ!」「結婚しよう!」と言わなかったため、東京で疲れ果ててしまった葉子は、1人故郷の津久見に戻り、そこで結婚して花鈴を生むと同時に死亡してしまったのだった・・・。
スクリーンはさらに遡り、高校時代の川野と葉子とのほほえましい交際の様子も描かれる。高校生の葉子は「ノストラダムスの大予言」を半分信じていたよう(?)だが、同時に「結婚したら女の子を1人生み、その名前を花鈴とするの」という意外に現実的(?)な一面も・・・?
<この映画のサブタイトルは・・・?>
『キネマ旬報』7月上旬号の「ロングインタビュー 大林宣彦監督」によれば、この映画の『Lycoris 葉見ず花見ず物語』という奇妙なサブタイトル(?)は、大林監督の奥さんである大林恭子プロデューサーが書いた脚本から生まれたもの。つまり、「彼岸花は“死人花”とも“墓花”とも呼ばれ、非常に毒性も強い妖しい花だが、“葉見ず花見ず”とも呼ばれ、1つの命なのに、葉のあるときは花が咲かず、花が咲くときは葉がないという不思議な花」らしい。そこで、「これを、葉子と花鈴という名前の2人の母娘とし、2人の世代の違う女が1人の男を愛し、しかもお互いが知り合えないという話をつくったら面白いのではないかと」考えたらしい。
私は花の知識に疎いのでこういう話はサッパリわからないが、スクリーン上で場面を変えて何度も彼岸花のことが語られると、なるほどと納得する面も・・・。でもやっぱり、どうみても、ちょっとつくりすぎと思う面も・・・?
<「同棲時代」の今昔・・・>
1967年から1971年までの私の大学時代は、上村一夫の『同棲時代』が大ヒットしていた。ちなみに、この主人公も22歳の若いデザイナー・・・。また私の周りには現実に同棲生活をしている学生もチラホラ・・・。私なりに、同棲している男女の関係を定義すれば、それは事実婚(内縁)の一歩も二歩も手前で、継続的な性関係を伴う恋愛だが、いつでも別れられるという関係・・・?
そういう視点で考えると、60年代生まれの川野と葉子の、東京での大学時代はきわめて微妙。スクリーン上で観る限り、この2人は同じ部屋に住んでいるのではないらしいが、ほとんどそれに近い様子。ところがこの2人の間に性的関係がないことは明らか。それは一体ナゼ・・・?それはきっと、川野が自分に自信がないためだが、それだけではない。多分それは、性的関係をもってしまうと、自分と葉子の関係が一般的な男女関係と同じになってしまうという気持があるため、無理矢理自分の欲望を抑え、そのことが葉子を大切にしていることだと思い込んでいるため・・・?そんな川野の気持がわかっているだけに、葉子も渋々(?)それに従っていたが、やはり我慢には限界が・・・?
他方今の時代。川野に対して援交をもちかけてきた花鈴は、偶然町中で花鈴を見かけた有美が追跡調査した結果判明したのは、男と同居しているということ。これを聞いて驚愕した(?)川野が調べてみると、たしかに花鈴は浅野浩之(窪塚俊介)と同居していたが、これは幼なじみ同士がおカネの節約のためにルームシェアリングしているだけ。そして、この2人も性的関係は全くないし、恋人同士でもないというからビックリ。
男と女がずっと同じ部屋に一緒に生活していて・・・と思ってしまうのは、おやじ的発想なのかもしれないが、そんな事ってホントにあるの・・・?前記『キネマ旬報』7月上旬号のインタビューによると、「今の愛の形は、抑制ではなく関わらないほうが責任を持ち合わなくていいという意味での距離感」だそうだ。なるほど、そうなのかと思う面もあるが、幼なじみの女の子から「高収入の44歳のおじさんと結婚する」と言われ、「俺は年収100万しかないフリーターだから仕方ない」と言って諦めてしまったり、甚平の「焼き鳥」を食べて「こんなおいしいもの、食べたことがない」と涙ぐんだり、挙げ句の果てに、同居相手にすぎない(?)花鈴を失うだけで自殺しようとする浅野クンをみていると、ついイライラ・・・?
<無精子症宣告の影響力は・・・?>
映画の冒頭、川野が医師から「無精子症ですね。つまり・・・」と宣告され、とっさに「これからは遊び放題ということですね・・・」と川野が切り返すシーンが登場する。結婚の予定もなく、また妻の不妊で悩んでいるわけでもない川野が、なぜそんな診察を受けたのかというヤボな追及をするつもりはないが、今44歳の川野にとって無精子症の宣告がどんな意味をもち、人生設計にどのように影響を及ぼすのかは興味深い。
高校生の葉子が「結婚したら女の子を生み、その名前を花鈴とするの」と語り、今37歳の有美が「私これでもモテるのよ。子持ちおばさんになって、公園デビューするの・・・」と語っているように、女性にとっては子供を生むことが人生設計の重要な部分を占めているだろうが、男にとってのそれは・・・?
大林監督は、川野との出世争いに敗れた杉田部長(三浦友和)に、しんみりと世話の焼ける息子たちの苦労話を語らせたり、また「子育てはしんどい。しかし楽しいぞ」と語らせたりして、知らず知らずのうちに川野の心にグサリと突き刺さるような演出をしているが、さてそれは実際どこまで川野の心にこたえているのだろうか・・・?
この映画の結末を観ていると、何となく収まるところに収まってしまい、「なあ~んだ・・・」と拍子抜けに感じる面もあるが、そこらあたりのあなたの評価はいかが・・・?
<2人の新人女優は・・・?>
前記インタビューによると、「実はこの作品、『なごり雪』があったから次はこれ・・・といった企画の成り立ちではなかった」とのこと。つまり、「ダイナックスという会社が新しい文化事業として、自社の鈴木聖奈、中村美鈴という2人の女優さんの卵を活かした映画をつくろうということになり」、前述の「彼岸花」の発想が生まれ、この映画がつくられたとのこと。したがって、この映画づくりでは、鈴木聖奈と中村美鈴という2人の新人女優をどう活かすかが大きなポイント・・・?そんな目でこの2人の新人女優を見ると・・・?
前記『キネ旬』にある渡辺武信氏の「作品評」によれば、鈴木聖奈も中村美鈴も好演と評価。さらに、「若い女優を育てるのが上手な大林の手腕が、リメイク版『転校生』の蓮佛美沙子と共に量産体制に入った感がある」と書かれている。しかし私の目には、5月18日に観た『転校生ーさよなら あなたー』(07年)における蓮佛美沙子がすごく良かっただけに、この映画における2人の新人女優はイマイチ・・・。葉子を演ずる中村美鈴のしゃべり方はあまりに単調すぎるし、花鈴を演ずる鈴木聖奈は、メガネをかけてむさ苦しい格好をしている面を差し引いてもあまり魅力なし・・・。「援交」をもちかける女の子にピッタリの雰囲気というのは、それだけ演技力があると言えるのかもしれないが、私には渡辺氏のようには評価できなかった。さて、あなたは・・・?
<津久見の美しい風物詩をタップリと・・・>
大林監督は、生まれ故郷の尾道市が『男たちの大和/YAMATO』(05年)のためにつくった戦艦大和のロケセットを観光事業化したことに猛反発して、尾道と縁を切った(?)らしい。そこで、『転校生ーさよなら あなたー』では舞台を尾道から信州へ移し、そして『22才の別れ』では、『なごり雪』の舞台臼杵に続いて津久見を全面的に押し出すことに・・・。
私は全然知らなかったが、津久見はセメントのまちとして栄え、その進出を拒んだ隣りの臼杵とは好対照な生き方をしてきたまち。そして、ローソクをいっぱい立てた行事や「野焼き」が名物らしい・・・?そんな津久見の美しい風物詩がこの映画にはタップリ登場するので、それもお楽しみに・・・。
2007(平成19)年6月23日記