ひなぎく(チェコスロヴァキア映画・1966年) |
<GAGA試写室>
2007年8月14日鑑賞
2007年8月15日記
「プラハの春」に一役買ったであろう1966年のチェコスロヴァキア映画は、ハチャメチャな2人の若い女の子が大暴れ!アートやファッションに関して、この映画が「60年代女の子映画の決定版!!」と言われた意味を、歴史のお勉強とともにじっくりとかみしめたいもの。しかして、価値ありVS価値なし、そして好き嫌いの評価はその後で・・・。
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監督・原案・脚本:ヴェラ・ヒティロヴァー
マリエ/イヴァナ・カルバノヴァー
マリエ/イトカ・ツェルホヴァー
チェスキー・ケー配給・1966年・チェコスロヴァキア映画・75分
<なぜ今、1966年のチェコ映画が・・・?>
この映画のチラシには、「岡崎京子、野宮真貴、カヒミ・カリィ、小泉今日子、Kiiiiiiiなど、アートやファッションに敏感な女性達が『大好きな映画』と絶賛する60年代女の子映画の決定版!!」と書いてある。しかし、よく見るとこれは1966年のチェコスロヴァキアの映画。なぜ今、1966年のチェコ映画が・・・?そのためには、まずチェコスロヴァキアの歴史を勉強することが必要。
<チェコスロヴァキアの歴史のお勉強>
チェコスロヴァキアという国は、ナチスドイツが崩壊した1945年以降ソ連による共産化が進められ、1948年にはソ連の影響を強く受けた共産党体制が成立した。そして、1960年に発布された憲法によって国名はチェコスロヴァキア社会主義共和国となった。
チェコで有名なのは、1960年代以降の共産党政権に対する知識人・学生などからの批判を受け、1968年には「人間の顔をした社会主義」が唱えられ、いわゆる「プラハの春」と呼ばれる状況になったこと。ところが、このプラハの春は、1968年8月チェコの「西側化」を危うんだソ連によるワルシャワ条約機構軍の介入によって鎮圧され(チェコ事件)、終わりを告げた。
その後、1989年11月のビロード革命によって共産党体制が崩壊し民主化が進んだが、その中でチェコとスロヴァキアとの対立が深まり、1993年1月にはチェコとスロヴァキアはそれぞれチェコ共和国とスロヴァキア共和国に分裂・独立することになった。そして今では、両国とも経済協力開発機構(OECD)、北大西洋条約機構(NATO)、欧州連合(EU)に加盟し、完全に西側の一員となっている。
<一体どんな監督がこの映画を・・・?>
2人のおバカな女の子がおバカな遊びを楽しむだけの映画なら、1980年代の日本のバブル時代が最も最適な舞台かも・・・?しかし、歴史の勉強で理解できたように、1966年のチェコといえば「人間の顔をした社会主義」が唱えられはじめたように、少しは共産党独裁体制が緩んでいたものの、やはり自由は相当抑圧されていた時代。そんな時代に、よくもまあこんな映画を・・・。
すなわち、国家のことも社会のことも秩序のことも何も考えず、おしゃれをして男を騙し、気の向くまま好きなことをすればいいじゃないという2人の女の子の生き方を肯定するというこの映画は、それだけで共産主義国家からは反国家的・反体制的と見なされたのは当然。したがって、「プラハの春」を謳歌するのに一役買っていたであろうこの映画を監督したヴェラ・ヒティロヴァーという女性監督は、当然のように1969年から1976年まで活動を停止させられることになったとのこと。
そこであらためて、このヴェラ・ヒティロヴァー監督の経歴を見てみると、彼女は1929年生まれというから今や80歳に近いが、1966年当時は40歳直前の働き盛り。また、最初に字幕と交互に爆弾投下のシーンが何回も何回も映し出されるうえ、ラストでは戦争で破壊されたまちが映し出される中、「踏み潰されたサラダだけを可哀相と思わない人々に捧げる」という字幕が流れるところをみると、ヴェラ・ヒティロヴァー監督がこの映画で伝えようとしているメッセージも、強烈に理解できるはず。しかしそれにしても、こんなケッタイな映画があの時代のチェコでよくもまあつくられたもの・・・。
<2人の主人公は・・・?>
この映画は、金髪のボブの上にひなぎくの花輪をのせた白いワンピースの女の子と、こげ茶の髪をうさぎの耳のように結んだ黒いワンピース姿の女の子の2人が主人公。というより、唯一の意味のある登場人物。映画の冒頭とストーリー展開の中でも、再三派手なビキニ姿の2人が登場するが、そこで2人が交わしている会話の内容は、中年男の私には全く意味不明・・・?
そんな彼女らは2人ともマリエと名乗り、21世紀初頭の日本で言うところの援助交際以上にタチが悪いと思われる、中年男騙しの常習犯のよう・・・?つまり、うさぎの耳のマリエのちょっとした色気で期待をもたせながら中年男に食事をご馳走させ、その後登場してくるひなぎくの花輪のマリエと共にたらふく食べた後で、中年男を列車に乗せてドロンという手口。
さて、彼女らは何のためにそんな行動を・・・?そして、彼女たちの両親はどこに住み、何をしているの・・・?そんなことにこの映画は全く触れていないのは当然。ヴェラ・ヒティロヴァー監督はただひたすら、この若い2人の女の子の無軌道でハチャメチャな行動を描いていくだけ・・・。
<「ひなぎく」とは・・・?>
この映画のタイトルがなぜ『ひなぎく』なのかと考えると、誰もが姉(?)のマリエの方が頭の上にのせているひなぎくの花輪を象徴していると考えてしまうはず。もちろん、それがまちがっているわけではないだろうが、チェコスロヴァキアの花言葉でひなぎくとは「貞淑」を意味するというから、その花言葉と全く正反対の2人のマリエに対する皮肉がそこに込められているのかも・・・?
つまり、75分の間スクリーン上で展開される2人のマリエの行動は、およそ貞淑とは程遠いハチャメチャなものばかり・・・。もっとも、それが自由というもの、そしてそれが共産主義体制に対する反逆であり、アンチテーゼなのかもしれないが・・・?
<共産党が怒ったのはコレ・・・?>
女性の化粧方法やファッションには当然時代時代における流行があるが、1966年のチェコスロヴァキアにおける2人のマリエの化粧やファッションを見ていると、最近の日本のあの娘、この娘と似たような感じ・・・?もっともそれは逆で、チラシに書いてあるようにこの映画が「60年代女の子映画の決定版!!」とされたから、日本の女の子たちがこれを真似たのかも・・・?
それはともかく、この映画がチェコスロヴァキアで上映されず、ヴェラ・ヒティロヴァー監督が7年間も活動停止とされたのは、準備が整えられたパーティー会場を好き放題に荒らしまくり、ケーキの投げ合いやシャンデリア遊びまでやってのけた2人の無軌道さに、共産党が怒ったため・・・?つまり、ひょっとしてこのパーティー会場は、共産党員用のパーティー会場だったのかも・・・?
パイの投げ合いは、1916年のチャップリン映画『チャップリンの道具方』にも登場し、またかつてのドリフターズの人気番組『ドリフ大爆笑』にもよく登場していたが、本来あまり誉められたものではない・・・?さて、そんな映画を観て、あなたも怒る、それとも・・・?
2007(平成19)年8月15日記