幸せの絆(中国映画・2003年) |
<ホクテンザ1>
2007年8月25日鑑賞
2007年8月28日記
素朴な中国映画に、どうしてこれほど人を感動させる力があるのだろうか・・・?7歳の少女とおじいさんとの間に生まれた心の絆は、次第に家族全体の幸せの絆に・・・。中国全土を感動と涙に包んだ“大催涙弾”映画に、あなたの目は涙でいっぱいになるはず・・・。年に1度か2度は、映画館で思いっきり泣くのもいいのでは・・・?
本文はネタバレを含みます!!
それでも読む方は下の「More」をクリック!!
↓↓↓
ここからはネタバレを含みます!!
読まれる方はご注意ください!!
↓↓↓
監督・脚本:烏蘭塔娜(ウーラン・ターナ)
小花(シャオフア)/張妍(チャン・イェン)
おじいさん/田成仁(ティエン・チェンレン)
香草(シャンツァオ)(宝柱の妻)/郝洋(ハオ・ヤン)
宝柱(パオチュウ)(おじいさんの息子)/于偉杰(ユー・ウェイジエ)
フリーマン・オフィス配給・2003年・中国映画・89分
<舞台は・・・?>
この映画の舞台は、中国のとある山間にある芍薬(シャオヤオ)村というだけで、どこの省の村とは特定されていない。この映画が製作されたのは、烏蘭塔娜(ウーラン・ターナ)監督の企画と脚本に興味を示した山西省の映画製作スタジオが、予算の半分を出資すると約束してくれたため。したがって、その舞台は山西省・・・?
ところが、プロダクションノートによると、そのロケ地は張藝謀(チャン・イーモウ)監督の『初恋のきた道』(00年)と同じ、河北省承徳上高原で行われたとのこと。田園風景が広がる美しい村を舞台として、さてどんな物語が展開されていくのだろうか・・・?
<時代は・・・?>
この映画の時代は、1980年代の末とだけ特定されている。中国で鄧小平が指導した改革開放政策が開始されたのは1978年。それによって、深圳・上海などごく一部の都市は急速に経済成長が進んでいったが、内陸部のとある山間にある芍薬村はそんな思惑とは全く無縁。したがって、その貧しさは目を覆うばかり。収穫された作物はすべていったん役所に集められたうえ、家族の頭数に応じて割り当てられるという制度だったらしい。
そんな時代だから、芍薬村に住む人々は家族が生きていくだけで精一杯。したがって、今行き倒れとなって発見された1人の女の子が救い出されたが、村長の「誰かこの少女を引き取ってくれ」との頼みにもかかわらず、誰も手をあげる人がいなかったのは当然。誰もが食い扶持が1人増えるだけで大変だと思っているわけだ。
そんな中、通りかかった1人のおじいさん(田成仁/ティエン・チェンレン)が、この少女を背中に背負って連れて帰ることに・・・。しかし、このおじいさんに人並み以上の生活能力があるのだろうか・・・?
<若夫婦の反応は・・・?>
おじいさんは息子の宝柱(パオチュウ)(于偉杰/ユー・ウェイジエ)とその嫁の香草(シャンツァオ)(郝洋/ハオ・ヤン)とともに生活していたが、この若夫婦は何年も子供に恵まれていなかった。もちろん、養子をもらうという手もあるが、香草は早く子供が授かるようにといろいろな薬を飲んで苦労していたよう・・・。そんな中、突然女の子を連れてきたおじいさんを見て、宝柱も香草もビックリ。「わが家には余分な食い扶持などありません!」というわけだ。
少女の名前は、小花(シャオフア)(張妍/チャン・イェン)。7歳まで村でおばあさんと暮していたが、おばあさんが亡くなったため若夫婦の元に引き取られることに。しかし、その若夫婦に子供が生まれたため小花は邪魔者扱いされ、食べ物もロクに与えられずに虐待されたため、逃げ出したというわけだ。行き倒れになった小花が胸にしっかり抱いていた風車はおばあさんの形見らしい。
目を覚ました小花は最初は怯えていたが、やさしく語りかけるおじいさんに安心し、「家においてほしい」と必死に頼み込んだから、おじいさんはそれを気持ちよく了解した。しかし、宝柱と香草の若夫婦は・・・?
<これでもか!これでもか!>
松本清張の原作を映画化した野村芳太郎監督の名作の1つが『鬼畜』(78年)。印刷所を営む真面目で勤勉な(?)夫(緒形拳)には、囲い者の女(小川真由美)がいた。ある日、その女が3人の子供を引き連れて夫の目の前で正妻(岩下志麻)と大論争。挙げ句の果てに、3人の子供を家に置いたまま失踪してしまったから、さあ大変。以降、残された3人の子供たちを忌み嫌う正妻と夫との間の修羅場はどんな展開に・・・?これが『鬼畜』の物語だった(『シネマルーム10』28頁参照)。
『幸せの絆』における若夫婦、とりわけ香草の小花に対する対応は、『鬼畜』ほどひどいものではないが似たようなもの・・・?ロクな食事は与えないわ、いろいろな用事でこき使うわ、鶏の卵をとろうとした小花を発見するや叩くわ、風車を足で踏み潰すわ、とあたり放題・・・。おまけに、今日は「自転車に乗せてあげる」とやさしく声をかけたかと思うと、実はこれは実母と謀った策略。つまり、実母の家の隣りに住む若夫婦に子供がいないため、勝手にそこに小花を引き取らせようとしたわけだ。
「これでもか!これでもか!」と香草の小花に対する辛い仕打ちが続いていくが、さて小花は・・・?
<健気な小花の姿に、ついホロリ・・・>
この映画を監督したのは、内モンゴル出身の女性監督烏蘭塔娜で、製作費の半分は監督自らが負担してやっと映画を完成させたとのこと。ところが、この映画が「二級市場」、つまり中小都市の映画館やホール上映といった宣伝費をかけない小さな公開で始まるや、たった1枚のポスターと観客の口コミによってたちまち大評判となっていき、同時期に大ヒットしていた張藝謀監督の『HERO(英雄)』(02年)を抜く大ヒットになったとのこと。そして、製作費200万元のこの映画は、興行収入2000万元を突破したとのこと。
また『暖春』という原題のこの映画を、中国の人々は“大催涙弾”映画と呼んだらしい。張藝謀監督の『初恋のきた道』が大ヒットし、いつまでも心に残る作品となっているのは、何といってもあの章子怡(チャン・ツィイー)の愛くるしい姿。またフォ・ジェンチイ監督の『山の郵便配達』(99年)は、険しい山道を黙々と歩き、郵便配達を続ける父と息子の姿を淡々と描いたものだが、それだけでなぜかジワリジワリと温かさが広がってくる映画だった。それと同じように、この『幸せの絆』の前半は、香草から辛い仕打ちを受けながらも、健気に生きていく小花の姿とそれを見守るやさしいおじいさんとの心の絆を淡々と描くもの。たったそれだけのことでなぜ涙が出てくるのだろうと思いつつ、健気な小花の姿を観ていると、ついホロリ・・・。
<小学校へ行かせたい!>
張藝謀監督の『あの子を探して』(99年)は、13歳の代用教員の女の子が、貧乏なために学校をやめて都会に出稼ぎに出た男の子の生徒を探し、連れ戻すという感動作だった(『シネマルーム5』188頁参照)。中国には、素朴な小学校の風景を描いた「学校モノ」の秀作が多い。陳凱歌(チェン・カイコー)監督の『子供たちの王様』(87年)(『シネマルーム5』267頁参照)、徐耿(シュイ・コン)監督の『草ぶきの学校』(99年)(『シネマルーム5』270頁参照)そして李継賢(リー・チーシアン)監督の『思い出の夏』(01年)(『シネマルーム5』273頁参照)などがその代表作。
香草から邪魔者扱いされながらも、おじいさんに買ってもらった一足の靴を「もったいないから・・・」と言っていつまでも履かないためおじいさんから怒られたりしながら、小花は毎日一生懸命働いていた。そんな健気な小花の姿は少しずつ村の人々の評判となっていったが、貧乏暮らしは相変わらず・・・。
おじいさんは今、柳の木を切り取り、その枝でカゴをつくって少しでも稼ぎを増やそうとしていたが、それは利口な小花を小学校に入れたいと願ったため。「他人の娘にそこまでしてやる必要はない」と宝柱は反対したが、小学校へ通いはじめた小花はおじいさんの喜ぶ顔が見たいと一生懸命勉強したから優秀で、学年1番の成績をとることに・・・。豊かさいっぱいの中で育つ中、ロクな勉強もせず、ゲーム遊びばかりしている日本の小学生たちは、是非この小花の姿を見習ってもらいたいものだが・・・。
<後半は涙、涙また涙・・・>
香草が映画の前半、憎たらしいほど小花を嫌っている演技を見せれば見せるほど、後半に至って香草が小花に対して心を開き、打ち解けていく姿が感動的になっていくもの。この映画を観ながら観客は誰でも、そんな烏蘭塔娜監督の演出の狙いはわかっている。しかし、それでも後半に入っていくと、私を含めたあちこちの観客からは涙、涙また涙。
1発目の催涙弾は、働きすぎて倒れたおじいさんの傍で、「おじいさん、死なないで!」と小花が泣きじゃくるシーン。そんな小花の姿に強く心をうたれたのは、おじいさんを見守る香草、宝柱夫婦や村長をはじめとする村の人々だけではないはず。そして第2弾は、台所で食事の用意をしていた香草が足に火傷をしているのを見て、心配そうに駆け寄った小花の行動。素直になれない香草が小花を突き飛ばしたことによって手にケガをしてしまった小花は、そんなことにめげることなく近所へ助けを呼びに走っていくことに。
そして決定的な第3弾は、「不妊治療にはいなごを百匹食べれば効く」と耳にした小花が、毎日学校の帰りに集めたいなごを詰めたビンを香草にプレゼントするシーン。これを観て泣かない観客は、まずいないはず。烏蘭塔娜監督の狙いはわかっていても、私の目からはつい大粒の涙がポロポロと流れ出し、首にかけていたタオルで目を拭かざるをえないことに・・・。
<アッと驚く重大発表が・・・?>
人間、いじわるを続けている間は何かと大変なものだが、いったん心が開かれ幸せの絆が形成されると、後は自然に振る舞えばいいだけだから楽なもの。もっとも、そのように事態が好転してしまうと、映画のネタとしてはあまり魅力がなくなるというヘンな逆説がまかり通ってしまうのだが・・・?
この映画は、ラスト近くになってやっと小花の心のやさしさに心をうたれた香草が、小花のお母さんになることに・・・。もちろん、これには宝柱も大賛成。宝柱はそれまでおじいさんを大切に扱ってこなかったことを詫び、これからはいつも家族4人で一緒に食事をしようと提案した。そんな「4人家族」を祝福する村人たちは、今日は少しずつお米や卵をプレゼントとして持ち寄ったが、そこで村長から「これまで誰にも話してなかった秘密だが・・・」という前置きの後、アッと驚く重大発表が・・・。さて、それは何・・・?
それを聞けば、あなたの感動はさらに広がり、あなたの涙の量はさらに多くなることまちがいなし・・・。
<14年後の小花は・・・?>
張藝謀監督の『初恋のきた道』の冒頭は、父の急死の知らせを受けた青年が故郷の村に戻り、老いた母親と共に亡き父親の葬式をあげるシーンからだった。そしてスクリーンは追想シーンへ。そこで登場する、この老いた母親の若き日の姿が、赤い服を着た章子怡で、その初恋のお相手がこの村にやってきた若き教師だった。土地が広く、人口が多く、そして貧乏な村が多い中国では、子供たちを教育する教師という職業には、特別な意味があることは明らかだ。
今やっと、血のつながりこそないものの、それよりも強い幸せの絆を結んだ小花と宝柱、香草そしておじいさんたちだが、小学校で1番の成績をとっていた小花のこと。おじいさんと語っていたように、きっと彼女はこの山もあの山も超えて、都会の大学へ入りそれを卒業していることだろう。すると、14年後の小花は・・・?
小花によるおじいさんや両親への恩返しは・・・?そして、幸せの絆を生んでくれたあの村への恩返しは・・・?14年後のそんな小花の姿を観て、あなたの心が温かい気持でいっぱいになることも、まちがいなしだ。
2007(平成19)年8月28日記