ギルダ(アメリカ映画・1946年) |
<OS名画座>
2007年9月8日鑑賞
2007年9月10日記
1946年のファム・ファタール+フィルム・ノワールの傑作を名画座で鑑賞!1人の美しい女性をめぐる2人の男の心理戦と葛藤劇は61年後の今観ても新鮮!また、カジノ経営を隠れ蓑とした「反トラスト法」のヤミ事業を背景としたフィルム・ノワールの展開もスリリング!名作の価値は永遠だということを改めて痛感!しかし、大団円的なラストは、ちょっと拍子抜けかも・・・?
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監督:チャールズ・ヴィダー
原作:E・A・エリントン
ギルダ(ジョニイの元彼女、マンドソンの結婚相手)/リタ・ヘイワース
ジョニイ・フアーレル(アメリカ人の青年)/グレン・フォード
バリン・マンドソン(カジノの経営者)/ジョージ・マクレディ
オブレゴン(カジノの従業員、刑事)/ジョゼフ・キャレイア
アンクル・ピオ(カジノのポータ-、哲学者)/スティーヴン・ジレー
キャシー/ジョセフ・ソーヤー
キャプテン・デルガド/ジェラルド・モア
ゲイブ・エバンス/ロバート・スコット
ドイツ人/ルドウィヒ・ドナート
トーマス・ランフォルド/ドン・ダングラス
ソニー配給・1946年・アメリカ映画・109分
<「フィルム・ノワール」と「ファム・ファタール」の代表作を・・・>
OS名画座が閉鎖されることになったため、9月1日から「クラシック特集上映ファイナル 大女優の記憶、名画座の終わり」と題して①『ガス燈』(44年)、②『ギルダ』(46年)、③『グランド・ホテル』(32年)の3本を連続放映するという特集が組まれた。今日観たのは、チャールズ・ヴィダーといえば「フィルム・ノワール」、リタ・ヘイワースといえば「ファム・ファタール」と言われる、監督と女優の代表作『ギルダ』。これは1946年のアメリカ映画だ。
タイトルの「ギルダ」とは、リタ・ヘイワース扮するヒロインの名前だが、主人公はギルダではなく、アメリカ人の青年ジョニイ・フアーレル(グレン・フォード)。物語は、ジョニイがきわどいバクチで稼いだ後危うい目に遭ったところを、マンドソン(ジョージ・マクレディ)に助けられるところからスタートする。一見紳士風のマンドソンが手にもつステッキの先には、ワンタッチで剣が飛び出す仕掛けが施されているうえ、マンドソンはこのステッキを大切な親友だと信じていたようだから、マンドソンの正体は・・・?
<舞台は・・・?時代は・・・?>
この映画の舞台はアメリカではなく、南米のアルゼンチンらしい。マンドソンと出会い、大規模なカジノを経営しているマンドソンにうまく自分を売り込むことによって、マンドソンの片腕としてメキメキと頭角をあらわしていったジョニイは、服装もパリッとしたものになったが、映画の冒頭に登場してくるジョニイの服装を見れば浮浪者のようだし、イカサマ賭博は生命の危険と裏腹のもの・・・。そんな、人生や人間を嫌い、一人流浪の旅を続けているアメリカ人青年ジョニイを主人公とした映画の舞台にはアルゼンチンが適当とされたわけだ・・・?
ジョニイがこんな風になってしまったのは、きっとバクチの失敗か、女の失敗のどちらか・・・?また、ジョニイのマンドソンのカジノへの「就職」が決まった直後、ドイツが降伏したとアナウンスされるから、この映画の時代は1944年。つまり製作・公開の2年前ということになる。私たち日本人には、アメリカ人とドイツ人を風貌だけで区別するのはしんどいが、この映画には、ジョニイの部屋に時々出入りするドイツ人(ルドウィヒ・ドナート)が登場するのが気がかり。戦争中はアメリカにいた日本人と同様にドイツ人も迫害されたはずだが、なぜ彼はマンドソンと接触を・・・?また今や完全にマンドソンの片腕になり切っているジョニイに対して、マンドソンがその事情を説明しないのは一体ナゼ・・・?
1946年の製作当時はこれが当たり前の時代状況だろうが、それから61年後の今となれば、あらためて第2次世界大戦終了直後の米独の力関係という時代状況を確認しておかなければ・・・。
<ヒロイン(ファム・ファタール)の登場は・・・?>
上映開始後約10分間は、この映画には女は登場しない。マンドソンのカジノ経営における哲学は、多少キレイ事めいているが、イカサマはしないというもの。また彼の最高の友人は、日本で言えば、仕込み杖風のステッキ。そんなマンドソンは「女は無用」と割り切っていたから、その点でもジョニイは意気投合していたが、それはジョニイが過去女で大きな痛手を受けたことを物語るもの・・・?
何かと秘密の多いマンドソンは、ある日ジョニイを支配人としてカジノの経営を任せると言い残して旅に出かけていったから、以降しばらくはジョニイの天下。ところがマンドソンが旅から戻ってくると、彼の傍には結婚したという美しい女性ギルダ(リタ・ヘイワース)がいた。そして驚くべきことに、このギルダこそジョニイが別れた女だったのだ。そんなヒロイン(ファム・ファタール)の登場によって、それまで順調だったジョニイとマンドソンとの関係は微妙な綻びを見せていくことに・・・。
<ナレーション+面白い道化役が・・・>
この映画では時々、ジョニイ自身が語る「心のナレーション」が流れてくるが、基本的にナレーションの多用は避けたいもの・・・?そこで(?)、この映画には面白い道化役が登場する。それがカジノのポーター(雑用係?)であるアンクル・ピオ(スティーヴン・ジレー)だが、実は彼のジョニイに対する歯に衣着せぬ発言やギルダをめぐる事態の推移についての見通しの言葉は実に適切。したがって、道化役とはあまりにも失礼で、ジョニイがいうように彼は哲学者と評すべき人物・・・?
そんなピオが物語の節目節目にジョニイの傍に登場し、問題点の本質やストーリー展開のポイントをうまく整理する役割を・・・。
<ファム・ファタールの展開は・・・?>
マンドソンとギルダがどんないきさつで知り合い、結婚することになったのか、映画は全く触れない。またジョニイとギルダの間に過去どんないきさつがあったのかについても同様。ギルダがマンドソンの大きな屋敷の中でジョニイを紹介された時、ジョニイと同じようにギルダが驚いたことはまちがいないが、それを取り繕うのは女の方が上手・・・?もっとも、カンのいいマンドソンは、なぜギルダが最初からジョニイを嫌っているのかと疑問に思い、ひょっとして2人は知り合いかと勘ぐったよう・・・?
それはともかく、職場であるカジノとマンドソンのお屋敷を舞台として展開されるギルダをめぐるジョニイとマンドソンのさまざまな心理戦(?)と葛藤のサマがこの映画の見モノ。ギルダはジョニイの嫉妬心をかき立てるように、わざとハンサムなお客の気を引いたり・・・。やっぱり女のやることは・・・?もっとも、その程度で心が乱されるほどジョニイはヤワではないだろうが・・・?
他方、少し意外だったのは、マンドソンはギルダを金で買ったと公言していたにもかかわらず、いつの頃からか本気でギルダにホレてしまったよう。そうなると、男だって女以上に嫉妬深い動物だから、いろいろと大変。さあ、ギルダをめぐる2人の男たちの葛藤は・・・?
<フィルム・ノワールの展開は・・・?>
他方、物語の進行につれて少しずつ明らかになっているのが、マンドソンのカジノ経営の舞台ウラ。それは、あなた自身の目で確認してもらいたいが、ある日カジノでは1人のドイツ人が死亡することに・・・。またカジノの従業員として働いていたオブレゴンの動きが怪しいうえ、マンドソンはかなり切羽詰まった状態にあるらしいことが明らか・・・。そんな中、あえてジョニイにギルダを自宅に送らせたマンドソンの狙いは・・・?
他方、捜査の手が絞られてくる中、先手を打って飛行機で脱出したマンドソンだったが、何とその飛行機は墜落。これによってマンドソンのカジノと美しい妻ギルダを引き継いだ(?)ジョニイは、今や得意の絶頂に!まあ、そんな単純なストーリーではフィルム・ノワールの傑作と評価してもらうのはムリだから、実はもっとたくさんの伏線と意外な結末が用意されているのだが・・・。
こんな風に同時並行で進んでいく、ファム・ファタールの物語とフィルム・ノワールの物語の両者をたっぷりと味わいたいものだ。
<「反トラスト法」という論点も・・・>
あなたはタングステンという鉱物の名前を知っているだろうか・・・?これは電球のフィラメントに使われる貴重なもの。大邸宅をもち、大きなカジノを経営しているマンドソンは、なぜそんなに大金持ちなのか・・・?その秘密はこのタングステンにあるらしい・・・?そして、その事業にはナチス時代のドイツのスパイ組織が絡んでいるらしい・・・?
これはあくまで「○○らしい、△△らしい」というだけの話だが、この映画のラスト近くに至って、カジノの従業員から突然刑事に豹変するオブレゴン(ジョゼフ・キャレイア)のセリフには「反トラスト法」という言葉が登場するからすごい。つまり、マンドソンのヤミ事業はそこまで拡大していたというわけだ・・・?
1946年当時のアメリカの反トラスト法とはどんな内容の法律・・・?そんなことまで詳しく調べ、マンドソンの秘密事業の内容を詳しくマンドソンから聴き取り調査をすれば結構面白いと思うのだが・・・?
<ラストの評価は・・・?>
1946年の映画を61年後の今観たわけだが、ファム・ファタールの物語の展開は新鮮だし、カジノを隠れ蓑とした「反トラスト法」違反のヤミ事業に絡むフィルム・ノワールの物語も結構スリリング。したがってこの映画は、冒頭からラストまで一貫して観客を飽きさせることなく、あなたの目はスクリーン上に集中するはず。しかし、1分前後にまとめられたラストの呆気なさというか、大団円的な結末のつけ方は、私には多少拍子抜けの感が・・・?
「悪がいつまでも栄えるはずがない」のはいいことだが、さて映画ではそれは・・・?また男と女が互いに交わす憎しみは愛情の裏返し、というのはきっと真実だろうが、あまりにも急転直下の展開はちょっと意外・・・?さらに、あれほどしぶとく生き延びてきた悪党のマンドソンが、呆気なくコロリと死んでしまうのは・・・?
2007(平成19)年9月10日記