ドッグ・バイト・ドッグ(香港映画・2006年) |
<ユウラク座>
2007年9月8日鑑賞
2007年9月11日記
2匹の「闘犬」による香港発のバイオレンス・ノワールは、CGなしの肉弾戦の迫力が売り!カンボジアの地下の格闘技場を見れば、日本の「格差」なんてちょろいもの・・・?汚れ役で登場する新人女優も注目だが、一瞬「ジ・エンド」かと思った後の第2ラウンドからクライマックスへ・・・。闘犬同士の闘いにふさわしい結末と、「ありえねえ再生」に向けて、さてどんなシーンが・・・?
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監督:ソイ・チェン
パン(殺し屋)/エディソン・チャン
ワイ(刑事)/サム・リー
少女ユウ/ペイ・ペイ
ラム(ワイとコンビを組むベテラン刑事)/ラム・シュー
サム警部(捜査の指揮をとる警部)/チョン・シウファイ
アートポート配給・2006年・香港映画・108分
<香港に今、新たなバイオレンス・ノワールが・・・>
1997年の本土返還から10年が経過した香港は中国本土化が進み、香港の独自色が次第に失われているうえ、全体的に元気を喪失している感じ・・・?
それは映画の世界も同じで、『インファナル・アフェア』3部作の大成功等の例外を除いて、香港映画の弱体化は否定できないところ・・・。
パンフレットによると、「そんな中、これまでのカンフー・アクションやガン・アクションといった、香港アクションのイメージを一気に覆した、バイオレンス・ノワールがいま、世界を震撼させる」と書いてある。新しい命名をするのは何なりと自由だが、「バイオレンス・ノワール」とは一体何・・・?
そもそも「ノワール」とは「黒色」のこと。そして、フィルムノワールとは「アメリカの犯罪映画の中でも、『マルタの鷹』(41年)のように男女の欲望、陰謀、心理、不安に根ざしたものを特に”黒い映画(Film Noir)”と名づけたことに由来するもの」(映画検定・公式テキストブック190頁)だが、それに対する「バイオレンス・ノワール」とは・・・?
この映画を見る前はそんな疑問の方が大きかったが、鑑賞後は、なるほどこれがバイオレンス・ノワールかと納得・・・?。
<1匹目のドッグは・・・?>
この映画とよく似たタイトルがぴったりだった映画が、ジェット・リーが闘犬ダニーの役を熱演した『ダニー・ザ・ドッグ』(05年)だった。この映画では、ダニーはホントに鎖に繋がれ、試合の時だけ鎖から解き放たれるという存在だったから、ドッグというタイトルはまさにぴったり。しかし『ドッグ・バイト・ドッグ』における2人の主人公は、ドッグというよりウルフ系だから『ウルフ・バイト・ウルフ』でも良かったような気が・・・。
それはさておき、この映画の主人公である一匹目のドッグは、カンボジア人の孤児で幼い時から闘犬のように育てられてきた青年パン(エディソン・チャン)。生きるために地下の格闘場で仲間の命を奪い合ってきたパンは今、多額の報酬が貰える殺し屋としての仕事に従事中だ。そのターゲットは、香港の高級レストランに夫婦で食事に来るリー夫妻のうちのリー夫人。東京の一流レストランなら、赤色の髪で、ボロボロの服を着た男が一人で入り、異様な雰囲気で料理を注文していれば店員が注意しそうなものだが、そこらが自由で意に介さないのが、香港流・・・?
出された料理をすべてガツガツと食い尽くした上、おもむろに立ち上がったパンはつかつかとリー夫人に近づくや、何の躊躇もなくその頭に銃弾を打ち込み、さらにとどめをさすように突っ伏した頭の後ろに2発3発と・・・。通報を受けて駆けつけてきたサム警部(チョン・シウファイ)らは、その手際の良さにこれはプロの仕業であると直感したが・・・。
<2匹目のドッグは・・・?>
1匹目のドッグは生きていくためには何でもやるという姿勢が明確だが、2匹目のドッグである刑事のワイ(サム・リー)は、目下心の悩みを抱えてスランプ状態。それは、警察官の誰からも尊敬されていた自分の父親が、実は裏で悪党と手を結んでいた事実を突き止めてしまったため。ワイは、自らの銃で父親を撃ち抜き、以降約1年間父親は植物人間状態でベッドの上にあった。
それ以来ワイの刑事としての仕事ぶりは明らかに異変をきたして怠惰となっており、今日も殺人現場への到着は遅刻。ワイとチームを組むベテラン刑事のラム(ラム・シュー)は、そんなワイを激励しながら何とかコンビとして仕事を続けようとしていたが・・・。
<やはり、ドッグよりウルフの方が・・・?>
本来ワイはチームのリーダーであるサム警部の指揮命令の下で働かなければならないのだが、今やワイのやり方は勝手気ままで、誰の言うことも聞かない状態。さらにその捜査方法は、適正手続や捜査マニュアルを無視した違法捜査そのもの・・・!
そんなワイにリーダーであるサム警部は手を焼きながらも、親友の息子であるワイが何とか立ち直れるように激励していたが、その思いはワイには全く伝わっていないよう・・・。
もっとも、ワイのオレ流捜査にも効果があったとみえて、ワイは不審者を発見し、尾行を続けたところ、屋台街に入っていったパンを追いつめることに。ところが、相棒のラムと目配せを交わしながら突入しようとした寸前、逆にパンは屋台の客を人質とし、その首にナイフを当てることに。
そこでベテラン刑事のラムは銃を置き、上着を脱いで武器を持っていないことを明示しつつ、交渉人(ネゴシエイター)役で冷静な話し合いをしようとし、さらに「俺が代わりに人質になる」と申し出たが・・・。
そこで見せるパンの行動は、まさに闘犬よりウルフに近いもの。やはりこんなシーンを見ていると、ドッグよりもウルフの方が・・・。
<非現実的なシーン 第1点目>
この映画はバイオレンス・ノワールものだから、第1にCGやワイヤーアクションを全く使わず、2匹のドッグはあくまで生身の肉体で勝負している。第2に、少し蒼がかったモノトーンに近い色彩感覚とカメラワークもバイオレンス・ノワールにふさわしいもの。ところが私の目には、バイオレンス・ノワールにふさわしくないのでは、と思える非現実的なシーンが約3カ所・・・?
その第1は、人質にとったリン刑事の首をナイフで刺し貫いたパンが逮捕され、後ろ手に手錠をかけられ、パトカーの後部座席の真ん中に座っている状態で、何と片手を手錠からはずして脱走してしまうこと。昔の日本の忍者は、自分で自分の腕の関節をはずして縄目を解いたという話があるが、それと同じようにパンは指の関節を自分ではずしてワッパから手を抜きとったらしいが、それって物理的に可能・・・?そんなことが可能なら、手錠の規格そのものを変更する必要があるのでは・・・?
<新人女優の登場は・・・?>
こんなバイオレンス・ノワール映画に紅一点として登場するのが、CM等で美人少女として大人気の1988年生まれの女優ペイ・ペイ。彼女はこれが映画初出演だが、初出演がこんな汚れ役とはちょっとかわいそう・・・?
いや、実はそうでもない。美人女優はどうしてもお嬢サマやお姫サマ役が多くなり、個性的な役が来なくなりがち。するとどうしても演技の幅が狭くなり、女優として大きく成長できないことが多いもの・・・。日本では、かつて和泉雅子が『非行少女』(63年)で女優開眼し、佐久間良子が『五番町夕霧楼』(63年)や『越後つついし親不知』(64年)で女優開眼したように、どちらかというと汚れ役の方が女優としての出世には有利・・・?
中国を代表する美人女優ペイ・ペイのデビュー作の役は、ゴミ埋め立て地で父親と2人で生活している娘ユウ。そこに逃げ込んだパンが発見したのは、小屋の中で父親から虐待されているユウの姿だった。思わずパンはユウの父親の首を締め、小屋の中にあった電話で仲間と連絡をとろうとしたが・・・?
他方、パンによって父親を瀕死状態にされたユウの反応は・・・?またそんなパンがユウに命じたことは・・・?さらに、その後の2人の行動は・・・?バイオレンス・ノワール映画ながらも、香港映画らしく(?)、ここからは一環して薄汚れた姿ながら純愛ドラマを正当に継承・・・?
<パンとユウの脱出劇は・・・?>
IT化が進んだ今では、電話をかければその架電履歴が記録に残るため、そこから犯人の足がつくのはよくあること。したがって、ゴミ埋め立て地に逃げ込み、そこからカンボジアへの脱出ルートに乗ることをもくろんでいるパンの居場所を、優秀な(?)香港警察が捜し当てるのにそれほど長い時間を要しなかったのは当然。
他方、パンから逃げ出した際、足の裏に釘が刺さったことが原因で破傷風となり、呼吸困難な状態となってしまったユウに対して、闘犬もしくはウルフのようなパンがなぜか情を示し、足手まといになることが明らかなユウと一緒に、追って来るワイの追跡を振り切って逃走したのは何とも意外・・・?
パンがユウを連れて逃げていくのは病院だが、そんなことをすれば余計に足がつきやすくなるはず。したがって、プロの殺し屋であればそんな危険を犯すべきでないことも当然。ところがパンはあえてそんな危険を・・・。
これは理論的には全くナンセンスだが、映画としてはそうでなくっちゃ・・・?
<一瞬、これでジ・エンドかと・・・?>
ユウを病院に運び込み、医者や看護婦に対して半分恐喝のような言動で、ユウの足の治療をしろと迫るパンの態度は真剣そのもの。その迫力に押されたのか、あるいは医者の良心によるものかはよくわからないが、あたかも『ジョンQ』(02年)におけるレイモンド・ターナー医師のように、香港の病院の医師も自分の職分を忠実に実行。ところが、パンの逮捕しか念頭にないワイらは、パンは必ずユウを連れに戻るという計算の下に、パンを病院内で待ち伏せることに・・・。
「飛んで火に入る夏の虫」とはよく言ったもので、そんな風に待ち伏せされている病院にあえて戻り、歩くこともままならないユウを連れて逃げることにチャレンジしたのがパンだが、それが至難の技であることは明らか。しかし、いまだかつて利害や計算で動いたことのないパンは、ワイらが見込んだとおりの行動をとってきたため、まさに飛んで火に入る夏の虫・・・?
多少の行き違いはあったものの、結果的にユウを人質とされたパンは、ワイとサム警部の拳銃の前に今や袋のネズミ状態・・・?誰もがそう思ったはずだが、そこは地下の格闘場で何度も生死の境目をくぐり抜けてきたパンのこと・・・。
結果的には、パンが先にやっつけたサム警部の拳銃を使ってワイの肩を打ち抜いたため、ワイは大の字になって倒れてしまうことに・・・。これによってパンの勝利は確定、そして、パンとユウは海の上をカンボジアへひた走る船の中に・・・。これにてすべてがジ・エンド、一瞬私はそう思ったが・・・?もっとも、リー夫人の時はしっかりとどめの弾を撃っていたパンが、ワイに対してとどめを撃たなかったのは明らかに不自然。それが、この映画の不自然さの第2点目・・・。
<闘いの第二楽章の序曲が・・・>
以上のように、闘犬同士の闘いの第一楽章は結果的にパンの圧勝・・・?そして今パンは、身重となったユウと共に故郷カンボジアで新たな生活を始めようとしていた。しかし、子供の時から地下の格闘場でライバルを倒すことによってしか生きていく道のなかったパンが頼れるところは・・・?
再び仕事が欲しいと地下格闘場を訪れたパンに対して、ボスは「お前は警察から指名手配されている。2度とここに戻って来るな!」と一喝し、追い出してしまったが、そこには既にある策謀が・・・。
今日も地下格闘場では、たくさんの孤児たちが勝負を競い合っていたが、そこに圧倒的な強さを誇る男がいた。そう、彼こそ、パンから撃たれた傷が癒え、今パンへの復讐のために自ら地下格闘場に乗り込んできているワイの姿だった。したがって、今ここに闘いの第二楽章の序曲が・・・。
<これぞ肉弾戦!これぞバイオレンス!>
ガンマン同士の決闘は絶対に拳銃だが、闘犬同士の決闘には拳銃は似合わない。なぜなら、そんな飛び道具で一瞬にケリをつけられたのでは、闘犬としての闘いぶりを堪能することができないから・・・。そんな観客の要望をよく理解している香港バイオレンス・ノワールでは、ラストのクライマックスシーンにおけるパンとワイの決闘をナイフによる肉弾戦と設定した。そしてこれを、エディソン・チャンとサム・リーの2人がCGなしの肉弾戦で熱演している。ただ、地下格闘場のボスから受け取ったナイフの大きさには明らかな差があったから、この点でパンはかなり不利・・・?しかし、生命をかけた闘犬同士の決闘には、それくらいのハンディは大したことなし・・・?
これぞ肉弾戦!これぞバイオレンス!という迫力をたっぷりと・・・。
<ありえねえ・・・?ラストへの賛否は・・・?>
出産が間近に迫り、早く帝王切開しなければ母子共に生命が危ないと宣告されていたユウがじっと見つめる中で展開される闘犬同士の肉弾戦は、一進一退を続けた。そして今、ワイはユウを人質としてその首にナイフをつきつけ、パンに対してナイフを捨てろと迫っていた。これは男同士の決闘としてはアンフェアだと思うのだが、実はそれもアッと驚くラストにもっていくための伏線・・・?
今まで父親に虐待され続けてきたユウは、パンと出会い、パンに優しくされただけで十分満足。したがってワイのナイフが自分の首に向けられてる今、自ら首をナイフに向けて倒せばすべてが幸せのままジ・エンドに・・・?そんな思いも含めた三者三様のアクションをじっくりとかみしめたいものだ。
しかし、この映画における第3の不自然さがラストに登場・・・。私は産婦人科の知識は全くないので、帝王切開における赤ん坊の取り出しがどんな風にされるのかわからないが、これはひょっとして素人の手で妊婦の腹をかっ切っても可能なの・・・?
『ジャスミンの花開く』(04年)を観た時、章子怡(チャン・ツィイー)は雨の中、自分の力だけで赤ん坊を産んでいたから、人間の動物的な生命力は意外に強いのかもしれない・・・?闘犬同士の生命をかけた凄惨な闘いの末に、新たな再生はあるのだろうか・・・?さて、それはどんなシーン・・・?しかし、それって不自然。いや、ありえねえ・・・?
そんなラストへのあなたの賛否は・・・?
2007(平成19)年9月11日