ディスタービア(アメリカ映画・2007年) |
<試写会・リサイタルホール>
2007年9月28日鑑賞
2007年9月29日記
これは恐い!面白い!ヒッチコックの名作『裏窓』(54年)の若者版、IT版ともいうべき、現代版「覗き映画」の傑作が登場した!冒頭から導入部への自然な流れ、「趣味」から「見張り」への転換の緊張感、そして後半からクライマックスに至る、想定の範囲外の心臓ドキドキ感はまさに一級品!全米3週連続No1! 10週連続トップテン ランクイン!!も当然、と断言しておこう。
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監督:D・J・カルーソ
脚本・原案:クリストファー・ランドン
ケール(自宅軟禁処分を受けた高校生)/シャイア・ラブーフ
アシュリー(ケールの美しい同級生)/サラ・ローマー
ロニー(ケールの親友)/アーロン・ヨー
ミスター・ターナー(裏手に住む隣人)/デヴィッド・モース
ジュリー・ブレット(ケールの母親)/キャリー=アン・モス
ダニエル・ブレット(ケールの父親)/マット・クレイヴン
角川映画、角川エンタテインメント配給・2007年・アメリカ映画・104分
<わかりやすく、しゃれた導入部だが・・・>
映画の冒頭、川で釣りを楽しむ父子の姿が登場する。高校生の息子ケール(シャイア・ラブーフ)と父親ダニエル(マット・クレイヴン)はホントに仲が良さそうで、父子の会話は理想的・・・。また、帰りの車の中、電話で今日の「戦果」を誇らしげに母親のジュリー(キャリー=アン・モス)に2人して報告する姿も実に楽しそうで、家族の絆がしっかりと結ばれていることがよくわかる。まさに今ドキのアメリカを代表する幸せな家族の姿が、わかりやすく、しゃれた導入部として登場するのだが・・・。
<なぜ映画にはよく交通事故のシーンが・・・?>
映画は人間と人間ドラマを描くものだから、交通事故のシーンがよく登場する。それは、幸せな人生を一瞬にして不幸のどん底に転換させてしまう出来事として交通事故が最適だから・・・?そのうえ映像技術の進歩のため、近時は私が最近観た映画だけでも、『ウィッカーマン』(06年)や『デス・プルーフ』(07年)など交通事故のシーンは迫力ある見事なものが多い。
その意味では、『ディスタービア』も迫力ある交通事故のシーンを見事に撮影した傑作だが、それによって愛する父親を失った1年後のケールは自暴自棄気味。授業中ボーとしていたばかりか、質問に対してロクな答えができなかったケールは、先生から罵倒される始末。こんなシーンを観ると、アメリカの授業は日本と違って結構厳しいようだから、日本でもこれと同じような教育再生が必要だとつくづく思ったもの。ところがこの映画ではそんな教師による愛のムチはマイナスだったようで、怒ったケールがいきなり教師の顔をぶん殴ったから大変。ケールは、この教師暴行事件によって少年院送りこそ免れたものの、裁判所から3カ月間の自宅軟禁処分を言い渡されることに・・・。
<刑の執行は、さすがアメリカ的・・・?>
弁護士はもちろん、法科大学院で勉強している法曹志望者がこの映画で興味深く鑑賞すべきシーンは、ケールへの刑の執行(?)のやり方。日本でも民事事件としてストーカー禁止法にもとづいて「○○メートル以内に接近してはならない」という判決が言い渡されることがあるが、その場合難しいのはその判決の執行方法。通常この場合は直接強制は適さないため、間接強制しか方法がないとされているはず・・・?
ところがケールに対しては、何と半径30メートルを超えると警察に通報されるというGPS付きの監視ベルトを足首にとりつけるという形で刑の執行がなされたうえ、10秒を超えると自動的に警察が駆けつけてくるという徹底ぶり。そのうえ何と1日○○ドルの「監禁料」まで本人負担というから、さすが刑の執行はアメリカ的・・・。
<「何か意義のあることを・・・」の模索から・・・?>
常識的には自宅でゴロゴロしているだけの軟禁処分なら気楽なもので、「読書三昧の毎日を」などと考えると思うのだが、実はその苦痛は想像以上のものらしい・・・?もっとも映画を観ていると、その苦痛の大半は監視ベルトをとりつけている足首がムズムズしてたまらないことのようだが・・・?1日、2日はTVやVTRをみたり、テレビゲームで遊んだりと気ままな生活を送っていたケールだったが、足首のかゆさにたまらなくなったり、近所の悪ガキからの襲撃(?)を受けたりとイライラは募るばかり。そんな時思い出したのは、刑の執行の際に言われた「何か意義のあることをやりなさい」という言葉だが、偶然ケールが見つけ出した「意義のあること」は、何と覗き・・・。
ヒッチコックの名作『裏窓』(54年)は、片足にギプスをはめているため動けない主人公が外を覗くだけだったが、この現代版『裏窓』では、双眼鏡はもちろんビデオカメラでの撮影や大画面でのモニターチェックなど、その楽しみ方は多種多様・・・?当初は美少女の水着姿、大人たちの秘密、お向かいさんの家庭事情などを一人でたっぷりと楽しんでいたケールだったが・・・。
<ある日を境に、「趣味」から「張り込み」へ・・・?>
かなり詳しく書いてきたが、ここまではこの映画の導入部、すなわちケールがなぜ覗きに熱中するに至ったのかの動機を書いたにすぎない。映画はこの後、隣に引っ越してきた同級生の美少女アシュリー(サラ・ローマー)とケールの親友ロニー(アーロン・ヨー)を含めた3人による覗き大会(?)の姿を描写した後、ある日を境に、それまでの趣味だった覗きが刑事顔負けの「張り込み」に変容していくことに・・・?
それは、ケールの裏の向かいに住む独身の中年男ミスター・ターナー(デヴィッド・モース)が、テレビで放映されている連続女性失踪事件の犯人では、という疑惑をケールがもつに至ったため。そりゃケールにしてみれば、①容疑者と同じムスタング、②赤毛の女性と争う姿の目撃、③ガレージにある血まみれのゴミ袋、という覗きの成果(?)をみれば、そのように疑うのは当然。しかし、ホンモノの「張り込み」となると、松本清張の原作を野村芳太郎監督が映画化した名作『張込み』(58年)に描かれたほどではないにしても(『シネマルーム10』16頁参照)、かなり大変であるうえ当然危険を伴うもの。さて、美少女1人を含めた3人の高校生たちの覗き捜査(?)はどこまで有効・・・?それともただの火遊び・・・?
<これは面白い!しかしコワイ・・・>
この映画のプレスシートには、「『パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド』『スパイダーマン3』を押しのけて全米3週連続No.1! 10週連続トップテン ランクイン!!」と大きく書かれているが、ここまでの展開を観ている限り、それなりによくまとまっているもののそんなに有頂天になるほど面白い映画とは到底思えない。したがってそんな宣伝文句がホンモノかインチキかは、後半勝負。覗きで何よりも大切なことは、覗かれている側に覗きがバレないこと。したがって、一瞬覗きを勘づかれたかどうかハッとするようなシーンは覗き映画には必ず登場するが、それは『ディスタービア』も同じ。そこらあたりのシーンは、想定の範囲内の心臓ドキリだが、この映画ではその後はるかに想定の範囲を超えた、心臓ドキリのシーンが次々と・・・。もちろん映画評論にそのネタを書いてしまっては、その映画のエッセンスが台無しになることは当然。したがって、私としては自分の記憶の整理のためにももっともっと書きたいのだが、この映画に限っては残念ながらここでジ・エンドに・・・。しかし、この映画を見続けていく中、あなたが「これは面白い!しかしコワイ・・・」と実感されること確実だということだけは断言しておこう。
<既に、アンソニー・ホプキンス超え・・・?>
ジョディ・フォスターがFBI訓練生を演じて第64回アカデミー賞主演女優賞を受賞した『羊たちの沈黙』(90年)が名作とされるのは、ジョディ・フォスターの熱演もさることながら、悪の権化にして何とも理知的な雰囲気をもったハンニバル・レクター博士を演じたアンソニー・ホプキンスの名演技によるもの。スリラー映画やサイコサスペンス映画では、主役よりむしろ悪役のキャラの方が作品の成否に大きく影響を及ぼすもの・・・?その意味で『ディスタービア』にケール役で主演した、スティーヴン・スピルバーグ監督の秘蔵っ子として『トランスフォーマー』(07年)に主演した若手のホープであるシャイア・ラブーフの熱演も魅力だが、ケール家の裏手に住む隣人ターナーを演じたデヴィッド・モースに注目!彼は一見善良そうな中年男で、ケールの母親ジュリーは買物の帰り道に困っていたところを助けてもらったこともあってターナーに好意的だが、実はそのやさしい笑顔のウラには・・・?
1953年生まれの彼は、『12モンキーズ』(95年)、『グリーンマイル』(99年)、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』(00年)、『プルーフ・オブ・ライフ』(00年)、『16ブロック』(06年)等に出演している名優だが、アンソニー・ホプキンス主演の『アトランティスのこころ』(01年)ではこの名優と共演している。そんなデヴィッド・モースをアンソニー・ホプキンスと比べてみると、その丸い顔や顔のつくりは何となくアンソニー・ホプキンス似・・・?そう思うと、何となく演技術もアンソニー・ホプキンス似・・・?するとさらに、『ディスタービア』における彼の後半の鬼気迫る演技は、既にアンソニー・ホプキンス超え・・・?
<建築士も必見・・・?>
アメリカの郊外の家がかなりデカいのは常識だが、この映画ではケールの部屋やケールの家の各室からの「覗き視線」を重視して、ケールの家、アシュリーの家そしてターナーの家が配置され、また各建物の大きさや部屋が設計されている。たとえば、アシュリーの2階の個人部屋はケールの○○の部屋から丸見えだし、庭のプールで泳ぐアシュリーのビキニ姿はケールの△△の部屋から丸見え。さらにターナーの家の1階のガレージも、女を連れ込んで甘いムードを満喫している(?)2階の部屋も、ケールの○○や△△の部屋から丸見え・・・?プライバシーを重視するアメリカ人は、頻繁に窓のカーテンを閉めるのかナと思っていたが、アシュリーもターナーも意外とその点は無頓着のよう。もっとも、それはこの映画のためだけの演出・・・?
それはともかく、IT機器を駆使してターナーの家の設計図まで描き出そうとしていたケールだったが、直接家の中に入ったことのないケールにはどうしても不明な点が残っていた。その点、観客のあなたが建築士なら、多分容易に不明な点の補充ができるのでは・・・?
やっと映画の後半、はじめてターナーの家の中に入ることができた(入らざるをえなくなった?)ケールは、想像以上に多くの迷路や秘密の部屋に出会うことになるのだが、ターナーの家は一体どんな設計に・・・?
恐い恐い後半のストーリーがクライマックスを迎えていくのは、そんな迷宮のようなターナーの建物の中。したがって、この映画は建築士やその道を志望している人たちにも必見だと私は思うのだが・・・?
<よくできた脚本・原案に感心!>
『ディスタービア』の脚本・原案は1975年生まれの若手脚本家クリストファー・ランドンによるものだが、シリーズものやアメコミものに頼りがちな昨今のハリウッド映画にあって、何ともよくできた脚本・原案に感心。覗きというテーマについては『裏窓』を参考にしたのは当然だろうが、プレスシートによれば、彼が最初にこのアイデアを思いついたのは郊外に暮らす姉の家を訪れた時で、彼は「郊外は理想的で美しい場所だと思われているけど……僕はいつも、どこか薄気味悪い印象を受けていたんだ」と述べている。道路が広く、緑がいっぱいで、ゆったりとした敷地に建てられた庭付きの一戸建てが建ち並ぶ郊外に、彼がなぜ「どこか薄気味悪い印象」を受けていたのか不思議だが、それは多分彼の感覚が一般常識人とは異なるため・・・?しかし、それによってこんなすばらしい脚本・原案が生まれたのだから、それはそれで価値のあるもの。
53年前の覗きの名作(?)『裏窓』とスリルとサスペンスのペーソスは同じながら、設定を郊外版、若者版、IT機器版と大きく変えた現代版覗きの名作をたっぷりと堪能したいものだ。但しそのテーマは、「覗きは面白い」ということではなく、「覗きは恐い」ということであることはお忘れなく・・・。
2007(平成19)年9月29日記