悲情城市(台湾映画・1989年) |
<三番街シネマ>
2007年9月24日鑑賞
2007年10月3日記
「さらば愛しの三番街シネマ 想い出のラストショー」のおかげで、「二・二八事件」から60周年の今、侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督の最高傑作を観ることに。日本統治から解放されたにもかかわらず、林家の長男文雄、三男文良、四男文清を軸として展開する物語は、悲劇一色。これは内省人に対する弾圧を強める国民党政権によるもので、台湾はまさに全土が「悲情城市」に・・・。そんな中、侯孝賢監督が示すわずかの希望は一体どこに・・・?2008年3月の総統選挙を控えた今、こんな映画と共に台湾の権力の成り行きに注目しなければ・・・。
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監督:侯孝賢(ホウ・シャオシェン)
林阿祿(林家の主)/李天祿(リー・ティエンルー)
林文雄(林家の長男)/陳松勇(チェン・ソンユン)
林文良(林家の三男)/高捷(ジャック・カオ)
林文清(林家の四男、写真館店主)/梁朝偉(トニー・レオン)
阿雪(文雄の娘)/黄倩如
阿嘉(文雄の妾の兄)/張嘉年(ケニー・チャン)
呉寛美(寛榮の妹、文清の恋人)/辛樹芬(シン・シューフェン)
呉寛榮(教師、文清の写真館に同居)/呉義芳(ウー・イーファン)
林先生/詹宏志(チャン・ホンジー)
小川静子(小川校長の娘)/中村育代
小川校長/長谷川太郎
上海ボス/雷鳴
阿城/林照雄
1989年・台湾映画・159分
配給/フランス映画社=ぴあ
<侯孝賢監督の最高傑作を今・・・>
私は1999年から2005年まで2年ごとに計4回愛媛大学法文学部で「都市法政策」の集中講義を行った。その世話をしてくれたY教授とある日映画談義に花が咲いたが、その席で彼が「私のベスト1作品」と断言していたのが、この侯孝賢監督の『悲情城市』。
私が2006年7月に4級、2007年1月に3級に合格したキネマ旬報社主催の映画検定の公式テキストブックでも「見るべき映画(外国映画編)100本」の中の1本に選ばれると共に、1990年度の第64回キネマ旬報ベスト・テン(外国映画)で見事第1位に輝いたのがこの名作。
そんな映画が「三番街シネマ」の閉館に伴う「さらば愛しの三番街シネマ 想い出のラストショー」で上映されることになったため、何をさておいても駆けつけることに・・・。
<韓国は李明博、台湾は馬英九・・・?>
去る10月15日から1週間開催された第17回党大会で中国共産党は第2期胡錦濤体制を確立したが、日本と同様(?)大揺れに揺れているのが、2008年に大統領選と総裁選を迎える韓国と台湾で誰がその地位に就くのかという問題。
盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権が既に「死に体」となっている(?)韓国では、野党ハンナラ党の公認候補を決める党内の指名投票で朴槿恵(パク・クネ)を破った李明博(イ・ミョンバク)が圧倒的人気。他方、台湾でも民進党陳水扁政権の人気低下に伴い、野党国民党の馬英九の人気が圧倒的。馬英九は、台北市長時代に特別支出費を不正流用したという横領の疑惑で起訴されたため大きな試練を迎えたが、2007年8月に無罪判決を受けたことによって大安堵。もちろん、民進党の「ポスト陳水扁」が誰になるのかにも大きく関係するが、2000年に陳水扁によって政権を奪われた国民党が、8年ぶりに政権を奪取することができるのかどうかが大きな焦点。なぜなら、それによって中台関係に大きな影響を与えることが必至だから・・・。
<二・二八事件から60年・・・>
2007年2月27日付読売新聞朝刊は、「台湾癒えぬ後遺症」との見出しで「『2・28事件』あす60年」を報じた。これは、戦後、中国から台湾に渡った国民党政権が1947年、台湾住民の抗議行動を武力弾圧した二・二八事件から28日で60年となるため。戦前から台湾に住む人々(本省人)と戦後に中国から台湾に移住した人々(外省人)の対立を決定づけた事件の真相究明や責任追及を求める声は今も強く、台湾の政治と社会に残した傷跡は消えていないというわけだ。この記事における「二・二八事件」の解説は次のとおり。少し長くなるがその全文を掲げておこう。
「二・二八事件は1947年2月27日、台北で起きた闇たばこ売りの女性取り締まりをめぐる死傷事件をきっかけに、翌日から住民の抗議行動が全土に拡大。国民党政権は『暴動鎮圧』のため大陸から応援部隊を投入し弾圧。日本統治下で教育を受けた知識人多数も逮捕、処刑され、犠牲者は推定1万8000~2万8000人。」
なぜ、ここにそんな記事を引用したのか・・・?それは、侯孝賢監督の『悲情城市』は、林家の家族たちを中心として、台湾における最大の事件である、この二・二八事件を描くものだから・・・。
<林家の4人兄弟は・・・?>
私はここで『悲情城市』の詳しいストーリー紹介をするつもりはないが、主な登場人物たちのキャラや役割そして最低限必要なストーリーのポイントを理解しておかなければ、評論自体が成り立たないのは当然。そこでまずは、1947年の「二・二八事件」によって否応なく不幸な立場に追い込まれていく、林家の4人兄弟の紹介をしておきたい。
台湾の基隆(但しその場所がどこにあるか私には全くわからない)で船問屋をしていたという林家は、戦後小上海酒家を開店したが、スクリーン上で観る限り、結構裕福そう。その家長は75歳の阿祿(李天祿/リー・ティエンルー)で、彼には4人の息子がいた。といっても次男の文森は軍医として南洋に、三男の文良(高捷/ジャック・カオ)は通訳として上海に行ったまま帰っていない。また、四男の文清(梁朝偉/トニー・レオン)は独立して郊外の金爪石(ここも私にはその場所は不明)で写真館を開いているが、小さい時に木の上から落ちてケガをしたことが原因で耳が聞こえず、話せない。したがって今、林家の家業を担っているのは、長男の文雄(陳松勇/チェン・ソンユン)ただ1人。
物語はまず、この長男文雄の妾宅で男児が出生したところからスタートする。時は1945年8月15日。日本ではあの「玉音放送」が流れた時だが、日本統治下にあった台湾でもそれは同じ。電波事情が悪いためきっちりと聞きとれないが、どうも日本は戦争に敗けたらしい・・・?停電の中で何とか男の子が生まれたが、彼が産声を上げた瞬間電灯がついたため、文雄は自分のはじめての息子を光明と名づけたが・・・。
<三男文良が帰ってきたが・・・>
日本の敗戦によってとにかく戦争が終わったため、林家の人々をはじめ台湾の人たち(内省人)は大喜び。しかし、これから台湾の行方がどうなるかは予断を許さないことは明らか・・・?そんな中、日本軍に徴用されて通訳として働いていた三男の文良がやっと林家に帰ってきた。ところが今、彼は半分ふぬけ状態で精神も錯乱気味・・・?
そんな文良をアヘン密売という悪事に誘いこんだのが、長男文雄の妾の兄である阿嘉(張嘉年/ケニー・チャン)。文雄の目を盗んでアヘンの密売をやり自らもアヘンを吸っていた文良だが、いつまでもそれがバレないはずはない。短気で口は悪いが、根は真面目で、家業を一生懸命やっている長男文雄がそれを知って激怒したのは当然。
もちろん、スクリーン上での展開はそう書くほど単純ではなく、密輸に手を染めているヤクザ組織と文雄、文良らが大ゲンカをしながら、顔役の仲裁で手打ちがなされるところまで丁寧に描かれていく。コトの詳細は別として、この三男文良の帰還とその身を襲う数々の不幸が、この映画の1つのポイント・・・。
<キーマンは寛榮>
この映画は、林家の4人兄弟(といっても、フィリピンで戦死したと知らされる次男文森は除く)が、「二・二八事件」にどのように絡んでいくのかがストーリーの中心。しかし他方、林家の人間ではない呉寛榮(呉義芳/ウー・イーファン)がキーマンとなる。
寛榮は四男文清の恋人である寛美(辛樹芬/シン・シューフェン)の兄。寛美は看護婦として金爪石の病院で働いているが、その兄寛榮は現在文清の写真館に下宿しており、日本敗戦後、台湾がどのようになっていくのかを真剣に考えている教師。
内省人と外省人との衝突があちこちで生まれはじめたのは、日本敗戦後すぐに始まった中国国内での中国共産党と国民党の内戦のため。つまり、その戦いで次第に旗色が悪くなった国民党が、中国本土から台湾に逃げ込み、それまで台湾を支配していた大日本帝国に代わって台湾統治に大きな力を振るいはじめたため。つまり、外省人による内省人の支配とそれに反抗する人々への弾圧だ。
それがピークに達したのが、台北で起きた1947年2月28日の「二・二八事件」。その内容は前述のとおりだが、そのニュースがここ基隆にも伝わってきたため、台北にいる友人が国民党に逮捕されたと聞いた寛榮は、文清と共に台北に向かったが・・・。
<寛榮の影響で四男文清も・・・>
寛榮は台湾の行く末を真剣に考えている理論派だから、「二・二八事件」によって友人が逮捕・投獄されるという情勢になれば、平時における教師の姿から、非常時における救国のための「活動家」に変身していったのは当然。文清は寛榮の親友だったが、真面目に写真館を経営しているだけの男で、特別政治に関心があったわけではない。しかし、台湾のため、内省人のため国民党の弾圧と闘う寛榮の姿を見ている中、次第にその影響を受けていったのは仕方のないところ・・・。
それを決定的にしたのは、寛榮と一緒に台北に向かう列車の中、国民党の弾圧に抵抗して戦っている組織のチェックを受けた際、「日本語を話せるか?話せなければ外省人だ」と問い詰められたこと。口のきけない文清はもちろん日本語を話せないため、そこであやうくリンチを受けかけたが、間一髪のところを寛榮に救ってもらったのはラッキーだった。しかし、この体験は、彼に対してどんな影響を・・・?
日本敗戦までは日本に味方するか否かが、台湾に住む人々にとっては大問題となったが、日本敗戦後の今は、国民党に味方するか否かが最大の論点。つまり、大陸内での共産党と国民党との戦いと思っていたものが、今や台湾内での外省人と内省人との戦いとして、自分の人生を左右する選択を迫られることになったわけだ。
そんな政治情勢下、それまでノンポリだった文清も、寛榮の影響によって必然的に反国民党グループに属していくことに・・・。
<知識人への逮捕命令は・・・?>
全9時間半の大作『戦争と人間』3部作(70年・71年・73年)は、満州事変から日中戦争に向かってひた走る日本の政治・経済・軍事情勢を背景としながら、五代一族の人間たちの生きザマをダイナミックに描いたすばらしい映画だった。その中で、山本薩夫監督らしく(?)、あの戦時体制下、自由主義者(共産主義者?)として戦争反対を唱える標耕平(山本圭)と、彼を慕う五代財閥の次女順子(佐藤萬理)の恋が大きな感動を呼ぶつくり方とされていた。
侯孝賢監督の『悲情城市』は、『戦争と人間』の1つのストーリーである戦時下で咲いた反体制活動家の恋の花をダイナミックに描いているわけではないが、知識人への逮捕命令が出される中、現地人女性と結婚し、ある山の中に本拠地を築いて反国民党のための教育活動を展開する寛榮の姿を描いていく。また、その戦いに共に参加することを願いながら、寛榮からそれを認められず、やむなく基隆に戻ってきた文清がその後寛美と結婚し、以降幸せな結婚生活が続くかと思われる姿が描かれていく。
しかし、あたかもパルチザン闘争的に、山の中に立てこもって反国民党のための戦いを展開していた寛榮は・・・?
<文良も逮捕・・・>
ある日、林家の家の前に国民党の兵隊が並んだ。その目的は長男文雄と三男文良を逮捕すること。
日本軍を駆逐した後、内省人と外省人との間の対立が続く台湾では、それまでの恨みつらみも重なって密告が横行したのはやむをえないこと。有名な「李香蘭」の映画やミュージカルでは、日本が満州国を建国し、「五族協和」を目指すために大いに活用した女優李香蘭(=山口淑子)の全盛期と、日本敗戦後彼女が漢奸として裁かれる姿を描いているが、それは台湾でも同じ・・・。つまり、日本統治下において(旧)支配者である大日本帝国に協力した内省人たちは、国民党軍が大挙して台湾に逃げこんできた後、国民党から迫害される立場になってしまったのは歴史の必然・・・。
したがって、日本軍から通訳として徴用され、上海で日本軍によるさまざまな極悪非道な行動を目の当たりにして精神に錯乱をきたしていた三男文良が、日本軍の敗戦によってやっと林家に戻ってきた途端、今度は国民党によって「お前は日本軍に協力した台湾人=漢奸だ」として糾弾されたわけだ。しかし、そりゃ文良にとってはたまったものではない。まして、文良は実家に戻った後何の政治的活動を展開していたわけでもなく、アヘンを吸って楽しんでいただけ・・・・?そんな文良ですら、林家に怨みや妬みをもつ誰かからの密告によって、日本軍に協力していた人物として国民党軍の手で逮捕されることに・・・。
文雄は逮捕の直前何とか逃げ去ったが、その後数日してやっと家に戻ってきた文良の身体は拷問によってボロボロで、口から血を吐いていた状態の文良は、既に生きる屍・・・?
<続いて文清も・・・>
国民党による、反外省人活動に対する弾圧は拡大の一途をたどっていった。呉寛榮やその他の活動家と共に1度は逮捕された文清だったが、口がきけないことが幸いして、銃殺される仲間を後に文清のみは釈放・・・。そんな体験を経た文清は、処刑された仲間たちの遺族に、遺品を届けて回る旅の中に自分の存在価値を見出すことに・・・。
他方、さまざまな縁談を家出してまで断ってきた寛榮の妹寛美がずっと待っていたのは文清。互いの気持を確認し合った2人が結婚し子供をもうけることによって、こんな激動の時代の中でも、束の間の幸せをつかむことができるかに思われたが、そうそううまくいくものではなかったよう・・・?
山奥の中にこもって反国民党活動を続けていた寛榮らも、とうとうある日国民党の軍隊によって急襲され、寛榮は妻子もろとも銃殺されたとのこと。そんな使者からの報告を聞いても、もはや文清も寛美も打つ手はなく、ただ状況の推移に身を委ねるしかなかった。その結果、遂に口のきけない文清まで、国民党軍によって逮捕、連行されてしまったが・・・。
<林家の今は・・・?>
林家が戦後すぐに開店した小上海酒家は長男文雄が仕切っていたが、文雄は三男文良のトラブルに巻き込まれて、ある日不幸な最期を。それに輪をかけるように四男文清も逮捕され、消息を絶ってしまったから、今や林家と小上海酒家の存続は風前の灯。小上海酒家は75歳の家長阿祿を再び登場させ、残された女たちが細々と維持していたが・・・?
そんな中、わずかにみえる光明は、文清と寛美との間に生まれた新しい命。侯孝賢監督は「二・二八事件」を中心とした国民党の弾圧によって大きな悲劇に襲われる林家を絶望的な目だけで描くのではなく、この新しい命の将来に温かい目を注ぎ、そこにわずかの希望を見出しているが、さて現実は・・・?
<1949年10月1日VS1949年12月8日>
1949年10月1日、毛沢東は天安門広場で中華人民共和国の建国を宣言した。すなわち、中国大陸から日本を駆逐した後、1946年から続いた「国共内戦」において蒋介石率いる国民党は敗北を重ね、1949年1月22日には北京を、4月24日には南京を失った。そして、南京から広東(10月15日陥落)、重慶(11月30日陥落)、成都(12月10日陥落)と移転した後、遂に蒋介石は12月8日台湾の台北への遷都を宣言した。これによって中国大陸は中国共産党の支配下に入り、10月1日の建国宣言に至ったわけだ。
こういう大きな歴史のうねりを頭に入れたうえで、侯孝賢監督の名作をじっくりと。
2007(平成19)年10月3日記