ぜんぶ、フィデルのせい(イタリア、フランス映画・2006年) |
<GAGA試写室>
2007年12月7日鑑賞
2007年12月13日記
この変わったタイトルを理解できる日本人はいないのでは・・・?フィデルとはキューバのカストロのこと・・・。フランスは1968年に「五月革命」が起こり、チリでは1970年にアジェンデ政権が誕生!またスペインでは?ベトナムでは?キューバでは?9歳の少女アンナの視点から見る、共産主義とは?団結とは?中絶とは?さすが、イタリア・フランス映画は面白い問題提起を・・・。
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監督・脚本:ジュリー・ガヴラス
アンナ(9歳の少女)/ニナ・ケルヴェル
マリー(アンナの母親、雑誌記者)/ジュリー・ドパルデユー
フェルナンド(アンナの父親、弁護士)/ステファノ・アコルシ
フランソワ(アンナの弟)/バンジャマン・フイエ
バア(アンナの祖母)/マルティンヌ・シュヴァリエ
ジイ(アンナの祖父)/オリヴィエ・ペリエ
マルガ(アンナの伯母さん)/マール・ソデュップ
ピラル(アンナの従姉妹)/ラファエル・モリ二エール
フィロメナ(最初のお手伝いさん、キューバ人)/マリー=ノエル・ボルドー
パナヨタ(2番目のお手伝いさん、ギリシャ人)/クリスティアナ・マルクー
マイ・ラン(3番目のお手伝いさん、ベトナム人)/ティ・タイ・ティエン・グエン
2006年・イタリア、フランス映画・99分
配給/ショウゲート 宣伝/ショウゲート
<フィデルよりも、カストロの方が・・・>
この映画のタイトルになっている「フィデル」とはフィデル・カストロ、つまりチェ・ゲバラと共に立ち上がったキューバ革命によって、1959年にアメリカの喉元に社会主義政権を打ち立てた革命家の名前。彼は今なおキューバ共和国国家評議会議長兼閣僚評議会議長だが2006年の腸の手術により、現在は弟のラウル・カストロが一時的にその権限を委譲されている。
日本ではフィデルよりもカストロの方がよく知られているから、タイトルもその方がよかったのでは・・・?
<あの時代は、私の学生運動の時代!>
私が大学に入学したのは1967年4月。そして以降、3年弱の間はドップリと学生運動に浸っていたから、この映画に描かれる①スペインのフランコ独裁政権、②フランスの5月革命、③チリのアジェンデ政権という言葉には懐かしい響きがある。
<お手伝いさんも、国際色豊か>
この映画には3人のお手伝いさんが順次登場する。最初のフィロメナ(マリー=ノエル・ボルドー)はキューバ革命を体験したキューバ人、2番目のパナヨタ(クリスティアナ・マルクー)はギリシャ軍事政権からフランスへの移民、3番目のマイ・ラン(ティ・タイ・ティエン・グエン)はベトナム戦争の戦火から逃れてフランスに渡ったベトナム人、と国際色豊かなうえ、3人ともそれぞれ大きな国家の変革を体験している。そのため、この3人のお手伝いさんは主人公のアンナ(ニナ・ケルヴェル)に対して大小さまざまな影響を与えることに。
<ブルジョア家族に、ある日大異変が・・・>
この映画の原作は、ドミティッラ・カラマイの『TUTTA COLPA DI FIDEL』ということらしい。そして、プレスシートによれば、それは平和に暮らしていたブルジョワ一家がコミュニズム(共産主義)の洗礼を受け、その理想のために次第に変化していく過程を描いた物語とのこと。
その原作にあるブルジョワ一家をスクリーン上に置き換えたのが、主人公のアンナ一家だ。父親のフェルナンド(ステファノ・アコルシ)は、スペイン貴族階級出身で弁護士。母親のマリー(ジュリー・ドパルデュー)は雑誌記者。この家族が住むのは庭つきの大きな家で、お手伝いさんもいる。そして、バカンスはボルドーに住む祖父と祖母のお城のような家で過ごしている。また、アンナは名門のカトリック女子小学校に通う成績優秀なお嬢サマで、いつもかわいいワンピースを着て、弟のフランソワ(バンジャマン・フイエ)と共に家族4人ハッピーなブルジョワ生活を楽しんでいた。
ところが、ある日突然、フェルナンドが共産主義に目覚めたから大変・・・。
<フェルナンドが目覚めたのは・・・?>
フェルナンドが共産主義に目覚めたきっかけは、長年フランコ政権を相手に反政府運動を行っていたキノ伯父さんが亡くなり、残されたマルガ伯母さん(マール・ソデュップ)と従姉妹のピラル(ラファエル・モリ二エール)がアンナの家にやってきたこと。これをきっかけに社会的意識に目覚めたフェルナンドは激変!
その変化には多少マンガ的な面もあるが、突然アンナとフランソワを残してマリーと共にチリに旅立ったのにはビックリ!これは1970年のチリの大統領選挙に立候補した、左翼連合のサルバトール・アジェンデを応援し、南米初の民主的手続による社会主義政権の実現を目指すための行動。フェルナンドとマリーのチリ滞在は予想より長引いたばかりか、ようやく帰ってきた2人はすっかりコミュニズム(共産主義)の洗礼を受け、ヒッピーのような風貌に。
これでは、子どもたちは大迷惑・・・?
<マリーもフェミニズム運動に>
日本は、1948年の「優生保護法」の成立と戦後の「性の自由化」によって世界一の人工妊娠中絶天国(?)になっているが、イギリスではそれが大変だったことは、『ヴェラ・ドレイク』(04年)を観ればよくわかる(『シネマルーム8』335頁参照)。それはフランスでも同じで、プレスシートによれば、1974年にヴェイユ法と呼ばれる中絶法が採択されるまでは人工妊娠中絶は法律で禁じられていたため、中絶手術は非合法で行われていたとのこと。
フランスでのそんな女性運動、フェミニズム運動の高まりの中、マリーも「343人の宣言」に署名することになったから、そこでたちまちフェルナンドと言い争いに。また、自分の本をつくるため、「中絶の証言者」たちのインタビューを自宅でやるようになったから、アンナたちも大変。
権利意識に目覚め、いろいろ活動範囲を広げていくのはいいのだが、その影響はあちこちに・・・。
<アンナの成長がこの映画のポイント!>
子供は親の私物ではないから、あまり親の政治的立場を押しつけるのはいかがかと思うが、フェルナンドとマリー夫婦をみていると、子供のことよりも自分たちのことを優先しているように思えるのは、やはりヨーロッパの子育て論と日本のそれとの違い・・・?
フランス流は何をしようと親の自由だとしても、突然お屋敷から小さなアパートに引っ越したり、大好きだった宗教学の授業を受けられなくなったり、家にはひげづらの怪しげな男たちが自由に出入りしたり、挙げ句の果てはデモ行進に一緒に行かされて機動隊に追われたり、アンナと弟のフランソワは大変。フランソワは無邪気にそんな変化を受け入れているようだが、既に自我が十分育っているアンナがそんな両親に反発したのは当然。
そこでアンナがえらいのは、「キョーサン(共産)主義」や「ダンケツ(団結)」「チューゼツ(中絶)」など、ワケのわからない言葉や概念を積極的に聞いて知ろうとしたこと。もっとも、ひげのおじさんが富の平等配分について、「君のパパは、ひとつのオレンジを皆で分け合おうという考えだ。」と説明しているが、これはかなりいい加減・・・?
そんなこんなの出会いや出来事の中、成長していくアンナがこの映画最大の見どころ。500人近くのオーディションで選ばれたという1997年生まれのニナ・ケルヴェルはもちろん映画初出演だが、ふくれっ面の表情を中心として(?)見事な演技を。
2007(平成19)年12月13日記