LAW DE SHOW [9] 『北辰斜にさすところ』 |
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新聞記事 大阪日日新聞2008年1月掲載分
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嗚呼、青春!老いも若きも語ろうぞ!
テレビタレントから大阪府知事選挙に出馬する弁護士もいれば、教育の現状を憂え、「伝えたい志がある、残したい想いがある」と熱い心を映画製作に向けた廣田稔弁護士のような人もいる。一見奇妙なタイトルは、彼の出身校第七高等学校造士館(現鹿児島大学)の寮歌の巻頭言だ。そこで、まずは映画冒頭の大音声に注目!
大正15(1926)年7月12日の七高VS五高(現熊本大学)による因縁の対抗野球戦は応援団同士の乱闘事件に発展した。そして平成14(2002)年の現代、白髪の老人となったOBたちは、「百周年記念試合」のため、人吉市の川上哲治記念球場に集うことに。
OECDの国際学習到達度調査を待つまでもなく、日本の大学生や中高、小学生たちの学力低下は深刻で、教育再生は国家的な焦眉の課題。映画には「天才的な馬鹿になれ、馬鹿の天才になれ!」と諭す先輩が登場するが、そのココロは?
旧制高等学校の名物は寮での共同生活と蛮カラな生き方、そして白線帽と黒マント、高下駄ファッション。彼らは自由を謳歌しつつよく勉強し、生涯の友情を培ったらしい。名物教授の授業、消灯後のローソクを囲んでの勉強会など、「友の憂いに我は泣き、我が喜びに友は舞う」という理想に燃えた熱き青春時代の若者たちの姿を神山征二郎監督は見事に描いていく。
マウンドに立つのは孫の世代。それに熱い声援を送るOBたちだが、「あの戦争」によって英霊となった先輩の姿は球場にはない。そんな先輩たちの悲しみを乗り越えながら、記念試合が今始まった。