母べえ(日本映画・2007年) |
<梅田ピカデリー>
2008年2月2日鑑賞
2008年2月11日記
野上照代原作、山田洋次監督、そして吉永小百合主演の名作が登場!時代は治安維持法という悪法が存在していた、今の若者たちが知らない1940~41年。つつましく暮らす母べえたちの家族を襲ったのは、激動の時代。そこにはどんな悲劇が?また、どんな人間ドラマが・・・?今の若者たちには馴染みの薄い、しかし日本人であればしっかりと心に刻みたいそんな物語を、山田洋次監督はしっかりと今の時代にアピール。『武士の一分』(06年)以上に大ヒットしてもらいたい良心的な映画だが・・・。
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監督・脚本:山田洋次
原題:野上照代 『父へのレクイエム』(後に『母べえ』に改題)(中央公論新社刊)
野上佳代(妻)/吉永小百合
野上滋(しげる)(夫)/坂東三津五郎
山崎徹(滋の教え子)/浅野忠信
野上久子(滋の妹)/檀れい
野上初子(滋の長女)/志田未来(みらい)
野上照美(滋の次女)/佐藤未来(みく)
藤岡仙吉(佳代の叔父)/笑福亭鶴瓶
藤岡久太郎(佳代の父)/中村梅之助
特高/笹野高史
野上照美(大人)/戸田恵子
2007年・日本映画・132分
配給/松竹
<『北の零年』に続く112本目は、まちがいなく吉永小百合の代表作!>
吉永小百合が還暦の60歳を迎えた2005年の超大作が行定勲監督の『北の零年』(05年)だったが、これはヒロイン吉永小百合のたくましさと対比して、渡辺謙、豊川悦司、柳葉敏郎ら男優陣が演じるだらしない男たちが目立ったもの(『シネマルーム7』268頁参照)。そして、これが吉永小百合の111本目の出演作。
山田洋次監督の『母べえ』は『北の零年』に続く彼女の112本目の出演作だが、これは今ドキの邦画に珍しい実によくできた映画だと心底から感心。この映画のテーマは、山田洋次監督が生涯追い求めている「家族の絆」だが、1940~41年という時代は日本にとって、そしてまた1人の人間として明確な価値観と信念をもって生きようとしている主人公野上滋(坂東三津五郎)にとって、さらにその妻佳代(吉永小百合)や長女初子(志田未来)、次女照美(佐藤未来)にとって、とてつもなく大変な時代。そんな1つの小さな家族が大きな時代の嵐にまき込まれていく姿を、野上照代の原作『父へのレクイエム』(後に『母べえ』に改題)に惹かれた山田洋次監督が描いた『母べえ』は、吉永小百合の代表作となることまちがいなしの感動作!
<一体、ナニが問題なの・・・?>
日本では2009年5月から裁判員制度が実施されるが、日本にかつて治安維持法という法律があったことを日本の若者たちはほとんど知らないのでは・・・?治安維持法とは、国体の変革や私有財産制を否定する運動を取り締まることを目的とした天下の悪法で、1925年4月22日に公布され、5月12日に施行されたもの。また、1928年の改正によって最高刑は死刑とされた。
母べえこと佳代が嫁ぎ、2人の娘と共につつましく生活している一家の主は、ドイツ文学者である野上滋。今日家に帰ってきた滋はどこか不機嫌そう。それを尋ねた母べえに対する滋の答えは、また自分の書いた小説(?)が検閲にひっかかったとのこと。1931年の満州事変によって始まった日中の争いは、1937年の日華事変以降本格的な日中戦争となって泥沼化していた。さらに「対米英戦争やむなし」という声が高まっている今、反戦的表現はもちろん少しでも戦争に消極的な表現があれば、それがすべてダメとなるのは当然。そして、治安維持法によれば、そんな滋の思想と行動は同法違反として逮捕、起訴される恐れもあるわけだ。
この映画を理解するためには、そんな暗い時代とそんな悪法の理解が不可欠。そうでなければ、なぜ互いに親しみを込めて父べえ、母べえ、初べえ、照べえと呼び合いながらつつましく暮らしている野上家の一体ナニが問題なのか、今の平和でノー天気な日本国に生きる若者たちには全くわからないのでは・・・?
<照べえは実在の人物。そしてあの・・・>
この映画は野上家の次女照べえこと野上照代のナレーション(声:戸田恵子)から入ってくるが、それはなぜ・・・?私は映画鑑賞後、パンフレットを読んではじめてその理由を知ったのだが、それはこの映画の原作が照べえこと野上照代が書いた原作『父へのレクイエム』(後に『母べえ』に改題)であるため。しかも、1927年生まれの野上照代氏は、1950年の『羅生門』で黒澤明監督と出会って以降、黒澤作品のすべてにスクリプターとして参加してきた人物とのこと。
800円にしては割安と思われる、大変分厚く内容豊富なパンフレットによれば、そんな野上照代氏の原作が山田洋次監督によって映画化されたきっかけは、詩人竹内浩三を映画化できないかと2人が話し合っている中、野上照代氏が「あの時代のことを私はこんなふうに書いたのよ」とノンフィクション『父へのレクイエム』を手渡したことにあったとのこと。何とも面白い出会いがあるものだ。
この映画に登場する照べえは、野上家を大嵐が襲った1940(昭和15)~41(昭和16)年の時代は、まだ小学校に入ったばかりの女の子。権力によって父親を奪われる悲しさがどれほど大きかったかは明らか。しかし、そうだからといって声高に「戦争反対!」「権力の横暴を許すな!」と叫ぶのではなく、淡々と娘の視点から父親像と母親像を描いているところがすばらしい。この映画が、そんな野上照代氏の原作と山田洋次監督との出会いから生まれたことを知れば、もっと深く勉強し味わおうとする気持が湧いてくるのでは・・・?
<野上家のセットに注目!>
この映画の美術部が奮闘したセットの見どころは2つある。その1つはオープンセットで、1940~42年の野上家の家並みや路地を表現するためにつくられたもの。2人の娘たちが遊んでいたこの路地を通って特高警察がやって来たし、この路地を通って滋の遺体がやっと家に戻ってきたわけだ。
『ALWAYS 三丁目の夕日』(05年)や『ALWAYS 続・三丁目の夕日』(07年)に登場した上野駅や羽田空港はCG合成でつくられていたが、『母べえ』のそれはホンモノ。
また『ALWAYS 三丁目の夕日』で鈴木一家が生活していた鈴木オートや竜之介が住む「茶川商店」等は当然セットでつくられていたが、それは『母べえ』も同じ。そして映画全編の80%以上(?)の舞台となるのが野上家の家の中だから、このセットはきわめて重要だ。
私は2007年1月の山口・津和野・萩旅行ではじめて松下村塾を見学し、また隠れキリシタンとして迫害され、長崎の浦上から津和野に連れて来られたキリシタンが入ったという三尺牢をはじめて見たが、その意外な小ささにビックリしたもの。しかし、考えてみればそれは当然。だって江戸時代の日本人の平均身長は現在の日本人に比べればずいぶん小さかったのだから。そう考えながら、パンフレットを読んでいると、野上家のセットはある程度現在の俳優の身長に合わせてつくったため、実際のものよりは少し大きめになっているとのこと。なるほど、なるほど・・・。
山田洋次監督が精根込めてつくったこの映画については、そんなセットについても十分鑑賞したいもの。
<山田洋次監督が描けばこんなキャラに その1─山ちゃん!>
山田洋次監督が描くキャラには現実離れしたスーパーマンは絶対に登場せず、あくまでそこらにゴロゴロ転がっているような人間味あふれる普通の男と女。とはいっても、『武士の一分』(06年)で木村拓哉が演じた三村新之丞やこの映画における「父べえ」こと野上滋は、一本筋の通った、信念をもったかなり例外的な人物・・・?
それに対して、この映画にはいかにも山田洋次監督が描くキャラらしい2人の男が登場する。その1人が滋のかつての教え子で、今は小さな出版社につとめている山崎徹(浅野忠信)。この映画では、吉永小百合と2人の子どもは別として、滋よりむしろこの山崎の方がストーリー展開上の重みは大きそう・・・。
滋が治安維持法で逮捕されたと聞いて飛んできた山ちゃんは、母べえに対して官憲への対処法や面会手続の心得を一生懸命説明し、涙を流しながら母べえたちを励ました。そんな山ちゃんの名シーンは、長い時間正座したおかげで立ちあがった途端にひっくり返るシーン。そして面白いのが、山ちゃんがはいていたくつ下の穴。こういう名シーンの演出は、さすが山田洋次監督と感心!
当時ドイツは同盟国だから、ドイツ語で『菩提樹』を大声で歌っても非国民とは言われないだろうが、ドイツ語のわからない交番所の警察官から「変な奴」と思われて尋問されたのは当然。さて、そんな尋問に対する山ちゃんの対応策は・・・?そんな山ちゃんが、以降滋が無残な姿で自宅に帰ってくるまで、母べえや初べえ、照べえにとってなくてはならない存在となったのは当然・・・。
<山田洋次監督が描けばこんなキャラに その2─仙吉>
紅白歌合戦での白組の司会もさることながら、笑福亭鶴瓶は最近『寝ずの番』(06年)、『クロサギ』(07年)、『奈緒子』(08年)等、映画の出演が相次いでいるが、『母べえ』ではいかにも「戦時中のフーテンの寅さん」のような雰囲気をもったすばらしい仙吉役をゲット!
鶴瓶演じる仙吉は母べえの叔父。夏休みに奈良の吉野から母べえの家に上京してきた、ずうずうしくデリカシーに欠ける仙吉を、年頃の初べえは特に嫌っていた。しかし、彼の「贅沢品撲滅運動」に従事するご婦人たちとの「対決」は見モノ。「お金が何よりも大切」という彼の価値観は父べえはもちろん母べえとも全く異質のものだが、何ゴトも本音で語る仙吉は母べえにとって誰よりも心休まる相手だったよう。
しかし、そんな仙吉も初べえの抗議によってついに奈良に帰ることに。その時仙吉が、決してお国に拠出せず生活の足しに使ってくれと言いながら母べえに手渡したのが、大切にはめていた金の指輪。彼こそ山田洋次監督でなければ描けない男のキャラだが、そんなやさしい心をあわせもっていた仙吉の末路は・・・?
<山田洋次監督が描けばこんなキャラに その3ー野上久子>
逮捕された滋の妹で、広島から絵の勉強のために上京しているのが野上久子(檀れい)。『武士の一分』で山田洋次監督がはじめて起用して気に入ったらしく、宝塚出身の美人女優檀れいは、滋が逮捕された後、野上家に折にふれて顔を出してあれこれと手伝い、佳代と初べえ、照べえを支える重要な役柄を。
いくら戦時中であっても、またいくら一家の大黒柱が逮捕されて不在であっても、若い男女がほのかな恋の感情を抱くのは当然。しかし、久子が婉曲に山ちゃんに対しアプローチしても、にぶい山ちゃんがこれに全く気づかなかったのは仕方なし・・・?
他方、絵の才能に限界を感じ、故郷の広島に帰って結婚することを決意した久子に、佳代が「てっきり山ちゃんと結婚すると思っていたのに・・・」と話したことに対して、「どうして山ちゃんの気持に気づかないの?」とやり返す女同士のシーンは結構迫力がある。
山田洋次監督らしい恋愛心理描写の細やかさに感心するはずだ。そんな久子はとうとう広島に帰っていったが、昭和20年8月6日、彼女は一体どこに・・・?
<山田洋次監督が描けばこんなキャラに その4ー国賊の妻の父親は?>
あの時代は、親戚に「アカがいる」というだけで一家全体が国賊扱いされたのは当然。佳代の父親、藤岡久太郎(中村梅之助)は警察官だったから、よけい大変。娘がアカがかった滋と結婚すること自体に藤岡が反対したのは当然だが、滋が逮捕された後の藤岡の苦悩と行動、そして佳代への説得ぶりはやはり山田洋次監督ならではの描き方。
警察官だから、あのご時世でもおいしい牛肉が手に入り、すき焼きを食べることができるのは、官僚支配の今のニッポン国の構造と同じ・・・。それはともかく、おいしそうなすき焼きを前にして、藤岡が佳代に滋との離婚を迫るシーンの迫力は圧巻!もっとも、そんな父親に対してきぜんと自説を述べて席を立った佳代はたしかに立派だが、どこか虚しい気持も・・・。また、せっかくの目の前のすき焼きにありつけなかった、幼い照べえの気持を考えると・・・?
<ベルリン国際映画祭での受賞は・・・?>
山田洋次監督はベルリン国際映画祭の常連で、過去『ダウンタウンヒーローズ』『たそがれ清兵衛』『隠し剣 鬼の爪』と3度出品しているが、残念ながら未だ受賞はなし。そして今年は『母べえ』が2008年2月7~17日に開催される第58回ベルリン国際映画祭に出品されている。
2008年2月6日付朝日新聞(夕刊)によると、山田監督の「今度ぐらいは賞をとれればいいなと思っている」と期待をにじませるとのこと。また1993年の『夢の花』以来のベルリンとなる吉永も「今回は何としても、ぜひぜひ受賞があったらいい。腕力を鍛えて山田監督を胴上げしたい」と語っている。『母べえ』がもし金熊賞を受賞すれば、2002年の『千と千尋の神隠し』以来、日本映画3度目の快挙となるのだが・・・。
<吉永小百合と未来(みらい)と未来(みく)の受賞は・・・?>
2006年の日本アカデミー賞は山崎貴監督の『ALWAYS 三丁目の夕日』が12部門を独占する中、『北の零年』の吉永小百合が主演女優賞をかっさらったのが印象的だった。すると、まちがいなく吉永小百合の代表作となるであろうこの『母べえ』の、日本アカデミー賞の受賞は・・・?
また、初べえの未来(みらい)と照べえの未来(みく)は、たまたま同じ漢字で読み方が違うという珍しい共演だが、この2人の子役の熱演が吉永小百合の熱演を支えていることは明らか。また、滋を中心とした野上家における母べえ、初べえ、照べえの日常風景と、滋の逮捕、死亡というつらい運命に巻き込まれていく3人の非日常風景の描き方が、この映画の最大のポイント。したがって、この作品が評価されれば、主演の吉永小百合もさることながら、2人の未来の演技が大きく評価されるのは当然。私には助演女優賞よりも、何らかの特別賞がふさわしいと思うのだが・・・?
<これを機会に、『わが青春に悔なし』を!>
私は大学時代に黒澤明監督の昔の作品を観る機会があったが、そこで観た『姿三四郎』(43年)や『わが青春に悔なし』(46年)は今でも強く印象に残っている。また、日本共産党の党員が迫害・虐殺される姿をモロに描いた映画が、今井正監督の『小林多喜二』(74年)だったが、あの時代に日本共産党の旗を高々と掲げて捕らえられ、獄死した人たちはある意味ホントに強い信念の人。
そういう視点で考えれば、『わが青春に悔なし』もすごい映画だ。これはファシズムの嵐が吹きすさぶ中、京都帝国大学の八木原教授(大河内傅次郎)と左翼運動に没頭する学生野毛(藤田進)を中心に描いた映画だが、今ドキこんな映画を知っている人は少ないはず。しかし、『母べえ』を観たついでに(?)、是非観てもらいたい映画だ。なぜなら、それは第1にあの時代を知り、学ぶ必要があるため。そして第2に、あの時代に自由主義者や人道主義者あるいは自由人でいることがどれほど大変なことだったかを知り、学ぶ必要があると思うためだ。「自由のための闘争」などと口では簡単に言うことができるが、その厳しさを少しでも実感すること、あるいは少なくともそれを実感しようと努力することは、人間にとってきわめて大切な作業と、私は思うのだが・・・。
2008(平成20)年2月11日記