さよなら。いつかわかること(Grace is Gone)(アメリカ映画・2007年) |
<東映試写室>
2008年3月17日鑑賞
2008年3月20日記
女性兵士として出征した妻の戦死を聞いた夫の悲しみと喪失感は・・・?父親としてそれを2人の幼い娘にどう伝えればいいの・・・?日本国ではありえないテーマだが、イラク戦争を5年間戦ってきたアメリカなればこそ、こんな問題提起作が!「君死にたもふことなかれ」と歌った与謝野晶子の気持とダブらせながら、「銃後」に残るものの気持をじっくりと味わいたいものだが・・・。
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監督・脚本:ジェームズ・C・ストラウス
製作:ジョン・キューザック
音楽:クリント・イーストウッド
スタンレー・フィリップス/ジョン・キューザック
ハイディ・フィリップス(スタンレーの12歳の長女)/シェラン・オキーフ
ドーン・フィリップス(スタンレーの8歳の次女)/グレイシー・ベドナルジク
ジョン・フィリップス(スタンレーの弟)/アレッサンドロ・ニヴォラ
グレイス・フィリップス(スタンレーの妻、陸軍軍曹)/ダナ・リン・ギルホレー
グレイス・フィリップスの声/ケイティ・ホナカー
2007年・アメリカ映画・85分
配給/ザナドゥー
<思わず、『悲しみが乾くまで』と対比>
2月28に観たスウェーデンの女性監督スサンネ・ビアの『悲しみが乾くまで』(08年)は、ある日ある事件に巻き込まれ、夫を失ったことにより、残された2人の子供と生きていかなければならない主婦の喪失感と再生を描いた名作。それに対して『さよなら。いつかわかること』は、女性兵士としてイラク戦争に従事していた陸軍軍曹の妻グレイス(ダナ・リン・ギルホレー)が任務従事中に死亡したという報告を受けたシカゴのホームセンターで働く夫スタンレー(ジョン・キューザック)が、12歳の長女ハイディ(シェラン・オキーフ)と8歳の次女ドーン(グレイシー・ベドナルジク)という2人の娘と向き合いながら再生していく姿を描いた物語。
国連の平和維持活動への協力においても、危険のある地域には近づかないことを「国是」としているわがニッポン国では、戦後63年もの間平和を享受し続ける中、夫や妻の戦死の報告を聞いて悲しむ、残された妻や夫というストーリーは成立しえないが、それってホントに理想的な国・・・?
<女性兵士の存在とその「戦死」をあらためて・・・>
この映画のプレスシートでは、戦史研究家の白石光氏が「アメリカ社会における軍と女性兵士」について解説している。それによると、アメリカの全軍人の14.3%が女性だというからビックリ。また、ベトナム戦争当時は黒人兵士が多かったが、湾岸戦争から現在までヒスパニックやアジア系移民が多くなっているとのことだ。
この映画では、スタンレーの妻グレイスがなぜ女性兵士としてイラクに赴いたのか、夫との間でどんな話し合いがあったのか、そしてどんな状況下で死亡したのか等を全く描かず、それをすべて観客の想像に委ねている。そんな風に委ねられてしまうと、あらためてアメリカにおける女性兵士の存在とその「戦死」という現実を、私たち1人1人がきちんと考え位置づけなければならないことに・・・。
<論点は、ただひとつ>
この映画はただひとつの論点を示し、それ以外の部分をすべてそぎ落としている。そのため85分という短時間にまとまったわけだが、この映画の論点は長女ハイディと次女ドーンに対してスタンレーが彼女たちの母親の死亡(喪失)をどのように告げるのかという点ただひとつ。
フィリップス家では、母親が出征した後毎日母親と同じ時間に互いのことを想うという約束があったらしい。ドーンはこれをきちんと守っていたが、ハイディは父親がいない時こっそりテレビで戦争のニュースを見ていたから約束違反・・・?そもそも、男手1つで12歳と8歳の女の子の世話をしながら生活することにムリがあるのは当然で、この3人の日常生活が何かとぎくしゃくした関係にあることがよくわかる。
そんな中、突然グレイスの死亡を伝えられても、スタンレー自身がそれをどう受けとめ、どう対処すればいいのかわからないのだから、娘たちにどう説明したらいいのか全く見当がつかないのは当然。さて、彼はどんなタイミングでその事実を娘たちに伝えるのだろうか・・・?
<思わず『君死にたまふことなかれ』と対比・・・>
イラク戦争が始まったのは2003年3月。したがって、日露戦争が始まった1904年2月から101年後だ。日本では1904年9月に与謝野晶子が、旅順包囲戦に加わっていた弟を嘆いて『君死にたまふことなかれ』を発表したが、これは歌人・文芸批評家であり国粋主義者であった大町桂月の批判を受けることになった。そのため与謝野晶子は今日まで「嫌戦の歌人」「反戦家」というイメージが定着しているが、その真偽は不明・・・?
それはともかく、スタンレーが妻を失った悲しみは、弟が「あの激戦」に加わることについて『君死にたまふことなかれ』と歌った与謝野晶子の悲しみの数倍、数十倍だったことは明らか。もしスタンレーに歌心があったとすれば、妻がイラク戦争に従事するについて与謝野晶子と同じようにその心境を歌っていたかもしれない。しかし、この映画はそこまで問題を拡大させることなく、あくまで2人の娘に対して彼女たちの母の死をどう伝えるかという一点のみに焦点を・・・。
<原題もじっくりと味わいたいが・・・>
この映画の原題は『Grace is Gone』。つまり、「グレイスは行ってしまった(いなくなってしまった、死んでしまった)」という意味だが、グレイスって一体誰・・・?普通こういう映画では、国に残された父と娘たちの姿と対比してイラクでの戦場のシーンが登場し、そこでスタンレーの妻である陸軍軍曹グレイス・フィリップス戦死の姿が映し出されるものだが、この映画にはそれが全くない。それはジェームズ・C・ストラウス監督が撮影費をケチったからではなく、あえて入れなかったことは明らかだが、さてその意図は・・・?
そのため、グレイスを演ずる女優が登場するのは家族たちが毎日見ている写真の中だけ。そんなグレイスの扱いなのにあえてタイトルを『Grace is Gone』としたのは、アメリカではグレイスという女性の名前に特別なイメージや思い入れがあるため・・・?プレスシートには、映画ジャーナリスト金原由佳氏が、「グレイスには上品、洗練という意味があり、その印象を後押しする存在として、グレイス・ケリーというハリウッド女優からモナコ国王妃となった女性がいるのだが、ともあれ、優雅なイメージの強い名である」と書き、また「さらにはアメリカで有名な<Amazing grace>。16世紀、黒人の奴隷貿易に手を染めた男性が後に神父となり、当時の自分の行いへの深い悔恨と、過ちを犯しながらも生き延びた自分に赦しを与えた神の愛に対する感謝を込めた歌。そう、グレイスには神の恩赦という意味もある」とも書いているが、私に言わせればこれは単なるこじつけ・・・?それとも、これは多くのアメリカ人の共通認識・・・?
そういう問題意識のもとに、原題『Grace is Gone』の意味をじっくりと味わいたいが・・・。
<なぜ、シカゴからフロリダまで・・・?>
話が思わぬ展開に進んでいくことはよくあること。家よりもレストランの方があらたまって話しやすいと考えたスタンレーは、2人の娘をレストランに連れ出したが、肝心の話に入ることは全然できないまま、フロリダの遊園地に遊びに行こうと、話は思わぬ方向に・・・。
映画の後半登場するこのフロリダの遊園地は、ディズニーランドのような世界的に有名な遊園地ではなさそうだが、なぜかそこはドーンが以前から行きたがったところ。そこで計画はトントン拍子に進むことに。
ところで、アメリカ北部にあるシカゴから最南端にあるフロリダまでは何百キロもあるはず。しっかり者の長女ハイディは、父親の突然のそんな変身ぶりをいぶかしそうに見たのは当然だが・・・。
<ルス電が果たす思わぬ機能は?>
今やグレイスのナマの声を聞くことができないのは当然だが、ルス電にはなおグレイスの声が残っていた。したがって、スタンレーは時々外から自宅に電話をかけてその懐かしい声を聴いていたが、旅行中にスタンレーはその声に対して現在のつらく苦しい心情を吐露してしまったから、それがルス電として残ってしまうことに。8歳のドーンは単純に遊園地に行く旅を楽しんでいるだけだが、早熟でしっかり者の12歳のハイディがこのルス電を聴いたらどうなるの・・・?
最近の映画は、ケータイやルス電の思わぬ機能がストーリー展開上大きな役割を果たすことが多いが、さてこの映画では・・・?
<家族の絆の回復は?>
グレイスがいないシカゴでの生活がどこかぎこちないものとなり、父と娘との交流と対話が十分できていなかったのはある意味仕方がない。したがって、今回のシカゴからフロリダまでの大旅行は、フィリップス家にとって家族の絆を取り戻す大きなチャンス。
いくら早熟で不眠症に悩まされている(?)といっても、ハイディはまだまだ子供。親子3人水入らずでの24時間一緒の旅行を続け、遊園地でタップリ楽しんだことによって、家族の絆の回復はバッチリ。すると、いよいよ肝心の話の切り出し時・・・?さて、スタンレーの決断は・・・?そして、それに対するハイディとドーンの対応は・・・?そんな静かなクライマックスは、じっくりとあなたの目で。
<音楽にも注目を!>
特筆すべきは、この映画ではこのように絞りきった論点を浮かびあがらせるため(?)、音楽をクリント・イーストウッドが専任で担当したこと。娘たちへの説明に向けてスタンレーのぎこちない挑戦が続く中で流れる音楽は・・・?そして、ついに迎えたその時の物語のバックに流れる静かな音楽は・・・?
クリント・イーストウッドの音楽家としての才能が注ぎこまれた、そんなバック音楽にも是非注目を!
2008(平成20)年3月20日記