僕の彼女はサイボーグ(日本映画・2008年) |
<GAGA試写室>
2008年4月15日鑑賞
2008年4月16日記
2008年は、『ICHI』(08年)で女座頭市となり、この映画で美人サイボーグとなる綾瀬はるかに注目!サイボーグには感情がないから人間との恋愛が難しい(成立しえない?)のは当然だが、気の弱い“僕”はどうやって“彼女”をゲット・・・?「時間旅行」が複雑に入り組むのは仕方ないが、「東京大震災」の発想はいかがなもの・・・?新しいスタイルの日韓共同映画完成のためには、もっと深い交流が必要・・・?
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監督・脚本:クァク・ジェヨン
プロデューサー:山本又一朗
彼女/綾瀬はるか
北村ジロー(大学生)/小出恵介
ジローの大学の友人/桐谷健太
無差別殺人鬼/田口浩正
オークショナー/遠藤憲一
TVリポーター/小日向文世
大学教授/竹中直人
ジローの祖母/吉行和子
2008年・日本映画・120分
配給/ギャガ・コミュニケーションズ
<日韓共同映画の新しいスタイルに注目!>
『SHOW-HEYシネマルーム』は、2002年6月の出版以降、2008年4月までに全16巻となった。私の採点は最近少し甘くなったかナという実感(反省?)はあるが、星5つを乱発していることは絶対にない。ところが、韓国のクァク・ジェヨン監督の『僕の彼女はサイボーグ』の評論を書くについて、彼の過去の作品である①『猟奇的な彼女』(01年)(『シネマルーム4』132頁参照)、②『ラブストーリー』(03年)(『シネマルーム4』127頁参照)、③『ぼくの彼女を紹介します』(04年)(『シネマルーム7』135頁参照)の採点を調べてみると、何とすべて星5つ。今でも私の記憶に鮮明に残っている作品ばかりだ。
『僕の彼女はサイボーグ』は、クァク・ジェヨン監督が2003年のゆうばり映画祭で審査員をやったときに知り合ったプロデューサーの山本又一朗氏と意見交換し、意気投合していく中で実現した作品。つまり、山本又一朗氏が韓国で撮影することを前提として提出した脚本をクァク・ジェヨン監督が気に入ったため、彼が脚本を書き直し、自ら日本に乗り込んで日本のスタッフと日本の俳優たちと組んでつくったのがこの映画なのだ。近時、日本の原作本を韓国で映画化した『肩ごしの恋人』(07年)や『黒い家』(07年)など、日韓交流と日韓共同映画の新しい局面が目立っているが、こんな新しいスタイルの日韓共同映画は珍しい・・・?
<2008年は綾瀬はるかに注目!>
行定勲監督の『JUSTICE』(02年)でデビューした1985年生まれの綾瀬はるかは、2004年のテレビドラマ『世界の中心で、愛をさけぶ』で大ブレイクを果たした女優。しかし、私はテレビドラマを全然観ていないから、彼女の名前は知っていたが、その素顔(?)を観るのはこの映画がはじめて。
ところで、去る4月13日に梅田ピカデリーで張藝謀(チャン・イーモウ)監督の『王妃の紋章』(07年)を観た時に観た予告編が『ICHI』(08年)。これは、綾瀬はるかが女座頭市として主演する映画だ。彼女が韓国の著名監督クァク・ジェヨンが日本人のスタッフと俳優陣と共に撮影する『僕の彼女はサイボーグ』にサイボーグ役で主演することになったのは、もともとの脚本を書き、この映画のプロデューサーとなった山本又一朗氏によるキャスティングのようだが、私の独断と偏見によれば、それは大成功!ちょっと濃いめ(ケバイめ?)の化粧ながら、抜群のスタイルの良さをフルに活かした“彼女”は、クァク・ジェヨン監督が選んだ(?)衣装のセンスの良さもあって最高!
人間的な感情を表面に見せることができないサイボーグ“彼女”の演技は難しいはずだが、綾瀬はるかがそれを見事にこなしているのは立派なもの。2008年は『ICHI』と共にこの綾瀬はるかに注目だ!
<「時間旅行」をどう評価?>
映画の冒頭は、20歳の誕生日を一人で寂しく迎えている孤独な大学生ジロー(小出恵介)のナレーション。彼は自分へのプレゼントを買うためにデパートへ。そこで出会ったのが、キュートな魅力を発揮する“彼女”(綾瀬はるか)だ。また、誕生日にはメン類を食べなさいという教え(?)に従ってあるレストランでスパゲッティを食べていたジローのテーブルに、なぜかそんな“彼女”が登場!それが2007年11月22日のことだ。
この映画では時間旅行が1つのモチーフとなっているから、特に後半は時間軸が目まぐるしく動いていくので要注意!タイムスリップ映画の傑作として私の印象に残っているのは『サマータイムマシン・ブルース』(05年)だが、タイムスリップものの傑作は多い。しかし、タイムスリップものはどうしても話が複雑になっていくから、映画鑑賞後きちんとストーリーを整理しておく作業が必要・・・?
そしてそれは、特に映画のラストに向けてタイムスリップ(時間旅行?)が頻繁に起きるこの映画も同じ。2007年11月22日とその1年後程度なら誰にでもわかるが、それから60年後のジローの姿は・・・?さらに後に問題提起する東京大地震を契機とする時間軸の展開は・・・?
<「東京大地震」はいかがなもの・・・?>
草彅剛主演でリメイクされた小松左京の原作『日本沈没』(06年)は、誰でも最初から大規模災害の様子がリアルに登場することを予想しているが、『僕の彼女はサイボーグ』に「3ヶ月にわたる長期ロケ」「地震オープンセット」「カーアクションのため大規模道路封鎖」「日本映画を超えたスケール」を売りにした「東京大地震」が登場するとは誰も予想しないはず。東京大地震のシーンはいわき市に巨大なオープンセットをつくり、撮影は8日間もかけて行われたとのことだが、1995年1月17日の阪神・淡路大震災から13年。京阪神に住む私たちは今なおあの時の惨状が目に焼きつくとともに、それが自分の家族、親戚、友人たちの被害と直接結びついて今なお忘れられないはずだ。したがって、そんな京阪神の観客はこの映画のこのシーンをどんな目でみるだろうか・・・?
“彼女”はサイボーグだから、ジローの脱出に献身的な役割を続けるが、“彼女”自身がガレキの下敷きになってしまったから大変。そして、やっと上半身が見えてきたと思ったら、何と彼女の下半身は・・・?この映画の最終的な脚本は、韓国人のクァク・ジェヨン監督によるもの。つまり、クァク・ジェヨンには阪神・淡路大震災の記憶がないから、平気でこういうシーンを構築することができたのでは・・・?もしそうだとすると、日韓共同作品としてそんなモチーフはいかがなもの・・・?
<脇役陣の過剰演技もいかがなもの・・・?>
この映画はほとんど“彼女”とジローの2人だけの劇で成り立つものだが、数人の脇役陣が節目節目でストーリーの味付け気味に登場する。ところで私の目には、この脇役陣の演技が、ジローの子供時代におばあちゃん役として登場する吉行和子を除いて、すべてオーバー気味なのが気がかり・・・。
ケッタイな大学教授役を演ずる竹中直人の超過剰演技は竹中流としてなるほどと理解できないでもないが、その他は・・・?すなわち、①バーでマシンガンを撃ちまくる無差別殺人鬼を演ずる田口浩正、②レポーター役で、かつてプロレス中継で鳴らした古舘一郎アナばりの(?)過激な報道をする小日向文世、そして③ラスト近くにオークションの司会者として登場する遠藤憲一などのベテラン陣はすべて、私がこれまで観たことのないようなオーバーな演技。さらに、“彼女”に興味を示すジローの大学の友人役の桐谷健太も過剰演技。これは一体なぜ・・・?
考えられるのは、韓国人監督クァク・ジェヨンの演技指導によるものだが、韓国人観客ならともかく、日本人観客に対してここまでの過剰演技はいかがなもの・・・?
<もう1つのサイボーグも観なければ・・・>
この映画に登場する面白いセリフが、「君を、未来の僕が作って送ったって言うのか?じゃあ、君はロボットなのか!?」「ロボットっていう言葉は使わないで」というもの。このセリフによって、サイボーグ(人造人間)はロボットとは違うんだという強いこだわりがあることがよくわかる・・・?
この映画で“彼女”とジローが一貫して追求するのは、人間の心、人間の感情そして男女の愛を理解し、共有したいということ。したがって、この映画のタイトルにおける“彼女”という言葉は、単なる女性に対する三人称ではなく「恋人」という意味。
ところで、『復讐者に憐れみを』(02年)、『オールド・ボーイ』(03年)、『親切なクムジャさん』(05年)で「復讐三部作」を完成させたパク・チャヌク監督の次の作品が『サイボーグでも大丈夫』(06年)だったのは意外。もっとも、これは自分がサイボーグだと信じ込んでいる女の子が主人公だというだけだから、サイボーグ色は薄い(?)。これに対して、クァク・ジェヨン監督の『僕の彼女はサイボーグ』は、まさに綾瀬はるか扮するサイボーグが主役。韓国の著名監督がなぜサイボーグに興味を示すのか私にはわからないが、全力投球でわが道を追究した後には、ちょっと気分転換で変わったものを撮ってみたいということかも・・・?
クァク・ジェヨン監督とパク・チャヌク監督のサイボーグに対する関心度を比べる意味でも、次にはパク・チャヌク監督の『サイボーグでも大丈夫』を観ておかなくちゃ・・・。
2008(平成20)年4月16日記
僕の彼女はサイボーグ~ketchup 36oz. on the table