奇跡のシンフォニー(アメリカ映画・2007年) |
<試写会・TOHOシネマズ梅田アネックス>
2008年4月17日鑑賞
2008年4月18日記
音楽は心で聴くもの、感じるもの。そして自然が神の手によって調和しているように、音楽の命はハーモニー!天才モーツァルトがいたのだから、エヴァンのような天才少年がいてもいいのでは・・・?「音楽を通した結びつき」を純真無垢に信じられる人には超お薦め!逆に、ギター演奏、楽譜読み、作曲と、ありえねー話のオンパレードに拒否反応を示す人はご遠慮を!また、原題よりずっとグッドな邦題にも私は大拍手!
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監督:カーステン・シェリダン
エヴァン・テイラー(オーガスト・ラッシュ、施設で育った11歳の少年)/フレディ・ハイモア
ライラ・ノヴァチェク(エヴァンの母、チェロ奏者)/ケリー・ラッセル
ルイス・コネリー(エヴァンの父、ロック・ミュージシャン)/ジョナサン・リース=マイヤーズ
リチャード・ジェフリーズ(児童福祉局の職員)/テレンス・ハワード
マックスウェル・“ウィザード”・ウォラス(元ストリート・ミュージシャン)/ロビン・ウィリアムズ
トマス・ノヴァチェク(ライラの父)/ウィリアム・サドラー
アーサー(ストリート・ミュージシャンの少年)/レオン・トマス・3世
ホープ(聖歌隊の少女)/ジャマイア・シモーヌ・ナッシュ
2007年・アメリカ映画・114分
配給/東宝東和
<あなたは肯定派?それとも否定派?>
この映画は、好きか嫌いかがはっきりしているはず。嫌いな人の言い分はわかっている。それは、「こんなのありえねー」「あまりにも不自然だ」というもの。
いくら「音楽は心に感じるものだ」といっても、いきなりギターが弾けたり、いきなり楽譜が読めたり、挙げ句の果てに、ジュリアード音楽院に入学して「ラプソディー(狂詩曲)」を作曲したり。そりゃありえねーだろ、と言われたら、そのとおり。物語の途中で突然音楽が流れ、口をパクパクさせながら歌い始めるミュージカルの嫌いな人たちは、きっとこの映画についても否定派のはず。さらに、11年と16日が経った今、ニューヨークの野外音楽堂で音楽を通して父親・母親と息子が「ご対面」となるなんて、ありえねー!それもたしかにおっしゃるとおりだ。
他方、こんな映画が大好きな人の言い分は、これまた明確。だって、映画は所詮つくりもの。ありえない物語の積み重ねの何が悪い!というものだ。
しかして、私は断然肯定派!さらに感心したのが『奇跡のシンフォニー』という邦題。原題の『August Rush』は主人公のエヴァン・テイラー少年(フレディ・ハイモア)につけられた芸名(?)だが、そんなタイトルよりも邦題の方が絶対素敵!こんな映画は、理屈を捨てて、純真無垢な心で聴き、感じなくちゃ・・・。
<一夜の出会いで運命が・・・>
シェークスピアの名作『ロミオとジュリエット』にしても、そのニューヨークにおける現代版『ウエスト・サイド物語』にしても、男と女の間には「一目会ったその日から恋の花咲くことがある」もの。また、映画のネタとしてそれはきわめて使いやすいもの。
この映画もそれを採用したが、一目で恋に落ちた女がコンサートのためにニューヨークにやってきた新進のチェリスト、ライラ・ノヴァチェク(ケリー・ラッセル)で、男がサンフランシスコ出身のロック・ミュージシャン、ルイス・コネリー(ジョナサン・リース=マイヤーズ)だったというところがミソ。つまり、両親共に一流の音楽家だったからこそ、一夜限りのエッチでエヴァンのような音楽の天才が生まれたことに納得できるわけだ。
もっとも、母親のライラは、交通事故のため意識が薄れていく中でエヴァンを産んだため、父親のトマス・ノヴァチェク(ウィリアム・サドラー)から「残念ながら赤ん坊は・・・」と言われて大ショック。したがって、今ニューヨーク州にあるウォルデンの男子養護施設に入っている11歳の少年が、自分の知らない間に生まれ、親なし子として預けられたわが子であることなど知る由もなかった。それは一夜限りの恋でライラとの仲をムリヤリ引き裂かれてしまったルイスも同様。そして11年の歳月が流れる中、ライラは・・・?そしてルイスは・・・?そしてエヴァンは・・・?
<エヴァンの最初の友人は?>
ある日、耳に聞こえてくる不思議な音楽に導かれるように施設を逃げ出したエヴァンは、マンハッタンに到着した。そこでエヴァンが出会ったのがストリート・ミュージシャンとしてギターを弾いている黒人の少年アーサー(レオン・トマス・3世)。
そして、アーサーに連れて行かれたのが、ストリート・パフォーマーの子供たちが共同生活をしている廃墟の劇場。その総元締めがウィザードと呼ばれている男(ロビン・ウィリアムズ)だった。ウィザードがどんな役割を果たしているのかは、孤児たちを集めていた『オリバー・ツイスト』(05年)のフェイギンを想像すればすぐにわかる(『シネマルーム9』273頁参照)。19世紀のロンドンのフェイギンに対置されるのが、21世紀のニューヨークのウィザードだが、共通するのは2人ともいい人間か悪い人間かが微妙だというところ・・・?
それはともかく、そこではじめてギターに触れたエヴァンはたちまちそれを弾きこなし、音楽の天才ぶりを発揮したから、ウィザードは大喜び。いつの間にかウィザードはエヴァンのマネージャーとなり、エヴァンは「オーガスト・ラッシュ」という芸名(?)をつけられていた。こうなると、エヴァンのメジャーデビューも間近・・・?
<第2の友人は・・・>
この映画全般を通じていろいろな人たちを結びつける役割を果たすのが、施設でいじめられていたエヴァンの面接をした職員リチャード・ジェフリーズ(テレンス・ハワード)。アーサーたちストリート・パフォーマーを仕切っているウィザードの存在に気づいた彼の通告によって、遂にエヴァンたちの根城には警察の手入れが入ることに。ここでエヴァンが警察に捕まってしまえば、逃げ出した養護施設に送り返されること必至だが、ウィザードの協力によってうまく警察の追及を逃れたエヴァンは、第2の友人と出会うことに。
それは、教会でゴスペルを歌っていた黒人の少女ホープ(ジャマイア・シモーヌ・ナッシュ)。いわば警察の手入れがエヴァンを第2の友人と出会わせてくれたわけだ。そしてここでも「ありえねー」奇跡が登場する。それは、音階と楽譜の読み方をほんの少しだけホープから教えてもらったエヴァンが、1日で楽譜の読み方、書き方をマスターしてしまったこと。さらに、「天才少年現る!」との報告をホープから聞いた牧師様が急いで教会に行くと、そこにはパイプオルガンの荘厳な演奏に熱中しているエヴァンの姿が。こんなのありえねー。しかし、こんなことできたら楽しいだろうナ・・・。
<あなたは、ジュリアード音楽院を知ってる・・・?>
ニューヨーク市にあるジュリアード音楽院は、1905年に創立された名門の私立大学。日本人にも中村紘子や前橋汀子、五嶋みどりや諏訪内晶子など多くの出身者がいる。ちなみに、ここは演劇部門があることでも有名で、ウィザードを演じているオスカー俳優ロビン・ウィリアムズはその出身者の1人。
エヴァンがそんな名門大学に入学できたのは、天才少年を何とか育てたいと考えた牧師様の尽力のおかげだが、たちまちエヴァンはそこで作曲の才能を発揮することに。その結果、ジュリアード音楽院でははじめて、1年生の作曲した曲を演奏会で発表することを満場一致で決定。それほど、エヴァンの天才ぶりが突出しているということだ。
ところで、今エヴァンは11歳。その間、ライラとルイスはどこでどんな生活をしていたの・・・?そして、オーガスト・ラッシュの名前でエヴァンの演奏会の日程が発表された今、ルイスとライラはどこで何を・・・?
<ライラもニューヨークへ!そしてルイスもニューヨークへ!>
お腹の子供を失った失意のライラは、演奏家となる夢をあきらめ、故郷のシカゴで子供たちに音楽を教えながら生活していたが、父親の臨終の席で父親から聞いた言葉は・・・?それによって、ライラの人生は再び大転換していくことに・・・。そんなライラのわが子探しの手助けをしたのがリチャードだから、人の縁ってわからないものだ。
他方、ライラを失った失意のためバンドから足を洗ってしまったルイスは、サンフランシスコで金融ビジネスの世界へ華麗に転身していた。しかし、新しい恋人としっくりいかない原因が今なお残るライラへの愛のためだと気づいたルイスは、再度ライラへの想いをラブソングに託するためバンドに復帰することに。そして、これによってルイスの人生も再び大きな転機を迎えることに・・・。
さあ、いよいよ運命の糸は、11年の歳月を超えて、3人をそれぞれニューヨークに向かわせることに・・・。
<ラプソディー(狂詩曲)とは?>
エヴァンのつくる音楽は、美しいハーモニーを伴った自然の音をそのまま楽譜に移しかえていくもの。つまり、耳に聴こえ、心に感じた感動をそのまま自分の音楽として表現していくものだ。その意味では、ラプソディーというスタイルは格好のもの。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によれば、ラプソディー(狂詩曲)とは、「叙事的で民族的な内容を持つ自由な楽曲。既成のメロディーを用いて構成したり、メドレーのように構成したりすることが多い。特定の楽曲形式を指す言葉ではなく、表現する内容と表現の方法に関係する名称である」と説明している。私がよく知っているその代表曲は、リストの『ハンガリー狂詩曲』と『スペイン狂詩曲』そしてガーシュウィンの『ラプソディ・イン・ブルー』だが、そこでは何よりも「自由」がキーワード・・・?
<クライマックスは『オーガストのラプソディー』!>
しかして、ジュリアード音楽院始まって以来という1年生のエヴァンが作曲した『オーガストのラプソディー』が、野外音楽堂で演奏されることになったわけだ。折りしもその演奏会では、11年ぶりに演奏家として復帰したライラがニューヨーク・フィル・ハーモニーと共演するという特別版も。さらに、すぐ近くの会場では、こちらも11年ぶりにライブを復活させたルイスが、昔と変わらぬライラへのラブソングを声高らかに歌っていた・・・。
ウィザードの妨害をはねのけて今、指揮台に立ったオーガスト・ラッシュことエヴァンの指揮する感動的な「ラプソディー」が響きわたると、帰路についていたライラもルイスも足をとめ、自分を呼ぶ音楽に引きつけられるように野外音楽堂へ、そして、指揮台に立つエヴァンの下に集まっていった。そんな中、あらゆる音が調和された『オーガストのラプソディー』の響きはますます佳境に・・・。
11年ぶりに再会したルイスとライラが手をとりあう中、指揮台から振り返ったエヴァンは、11年と16日間「心に聴こえてくる音楽を通じて両親とつながっている」「だから、いつかきっと会える」と信じてきた夢が遂に実現することに。そんな中、最高にすばらしい音楽も感動的なクライマックスを・・・。
<ライラの演奏は・・・?ルイスの歌声は・・・?エヴァンの指揮は・・・?>
『ウェイトレス~おいしい人生のつくりかた』(07年)での演技が印象に残るジェンナ役のケリー・ラッセルは、いくつかのシーンで現実にチェロを演奏しているが、さてこれはホンモノ・・・?また、ルイス役のジョナサン・リース=マイヤーズも口元まで近づけたマイクの前で情熱的にライラへの愛を歌っているが、この声もホンモノそれとも吹き替え・・・?さらに、エヴァン役のフレディ・ハイモアのギター演奏やパイプオルガン演奏はきっと映像上の処理でごまかしているのだろう(?)が、『オーガストのラプソディー』で指揮棒を握るフレディ・ハイモアの演技はごまかしようがないはず。
『歓喜の歌』(07年)では、安田成美が見事な指揮ぶりを見せていたが、さてフレディ・ハイモア少年の指揮ぶりは・・・?この映画を観る人は、そんなところも考えながら楽しんでもらいたいものだ。そして、プレスシートやパンフレットを読めば、その実態を知ってきっとビックリするはず・・・?
<この映画特有の音楽を楽しもう!>
この映画は音楽が1つの主役となっているが、クラシックからゴスペル、そしてロックまでさまざまな音楽が見事に融合しているところが見どころ(聴きどころ)。そのうえ、この映画特有の音楽づくりは、風の音、ボールの音、人間の歩く音、換気口の音、その他ありとあらゆる自然の音と生活の音をとり入れてそれを融合させ、ハーモニーとして組み立てているところ。
音楽担当のマーク・マンシーナ、テーマ音楽担当のハンス・ジマーの他、3人の音楽家が音楽スーパーバイザーとして加わったことによって、それが実現したわけだが、そのオリジナル性は実にすばらしい。映像としてだけ観ると多少不自然な面があるものの、そんな枝葉末節にとらわれてはダメ。まさにエヴァンの耳に残り、心に感じているものを、そのまま私たち観客もスクリーンから流れてくる音楽によって感じとり、その喜びを共有しなければ・・・。
2008(平成20)年4月18日記