ラストゲーム 最後の早慶戦(日本映画・2008年) |
<GAGA試写室>
2008年6月19日鑑賞
2008年6月21日記
七高VS五高の「百周年記念試合」を描いた『北辰斜にさすところ』(07年)によって、「伝えたい志がある、残したい想いがある」との熱い心を受け止めた神山征二郎監督が、続く『ラストゲーム 最後の早慶戦』で伝えようとしたものは・・・?それは、学徒出陣前の1943年10月16日の試合で「永遠の一瞬」を生きた若者たちの熱き想い!面白味が少ないのは「史実に則した映画」特有だが、逆に動かすことのできない史実から、今あなたに伝わってくる感動とは・・・?
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監督:神山征二郎
戸田順治/渡辺大
飛田穂洲(すいしゅう)(早稲田大学野球部顧問)/柄本明
小泉信三(慶應義塾大学塾長)/石坂浩二
黒川哲巳(順治の親友)/柄本佑
田中穂積(早稲田大学総長)/藤田まこと
戸田しず江(順治の母親)/富司純子
若杉トモ子(合宿所の世話係)/原田佳奈
相沢陽一(早稲田大学野球部マネージャー)/和田光司
近藤宏/脇﨑智史
阪井隆信/片山享
桐原真二/中村俊太
外岡太一郎(早稲田大学野球部部長)/宮川一朗太
平井政明/三波豊和
戸田栄達(順治の父親)/山本圭
戸田栄一(順治の兄)/久保田裕之
2008年・日本映画・96分
配給/シネカノン
<「あの時代」、「あの局面」とは・・・?>
七高(鹿児島大学)VS五高(熊本大学)の「百周年記念試合」をめぐる人間模様を温かい目で描いた『北辰斜にさすところ』(07年)は、大阪の廣田稔弁護士の「伝えたい志がある、残したい想いがある」との熱い心を受け止めて、神山征二郎監督が映画化した、今ドキ珍しい作品(『シネマルーム16』278頁参照)。それに続く神山征二郎監督の『ラストゲーム 最後の早慶戦』は、佐々部清監督の『出口のない海』(06年)と一部重なり合う「あの時代」の「あの局面」を切りとった映画。
「あの時代」とは、1941年12月8日の真珠湾奇襲攻撃の大戦果にもかかわらず、1942年6月5日のミッドウェイ海戦での敗北を境として、急転直下敗戦への道を突き進んでいく暗い時代のニッポン。また「あの局面」とは、1943年10月21日に神宮外苑で行われた学徒出陣壮行会に象徴される、学生への招集猶予が停止され、20歳を過ぎた者は全員10月25日から徴兵検査を受け、12月1日の入営を国家から強制された局面だ。「あの時代」、「あの局面」、野球に情熱を燃やす早稲田や慶應義塾の野球部員たちは何を考え、何を目指していたのだろうか・・・?
<小泉信三のこんな面をはじめて・・・>
大学時代に学生運動にのめり込み、マルクス、レーニンの文献を読み漁っていた私には、小泉信三の『共産主義批判の常識』は反面教師的な本であり、小泉信三は反共学者として敵対視(?)していた。彼は天皇の皇太子時代の教育係をしていたことでも有名だから、思想的に反共産主義であるのは当然だが、1943年10月16日に開催された「最後の早慶戦」の仕掛け人が彼だったとは!
親子3代慶應義塾大学出身だという石坂浩二演ずる慶應義塾大学塾長小泉信三は、人間味豊かでスケールの大きな人物として描かれているが、さてその実像は・・・?
<どちらが正論?飛田穂洲VS田中穂積>
あの時代、あの局面の中で「最後の早慶戦」を企画・プロデュースしようとした小泉信三慶應義塾大学塾長の構想力は大したもの。政治家でいえば、小泉純一郎か小沢一郎クラス・・・?それに対して、早稲田大学野球部顧問の飛田穂洲(柄本明)は構想力は劣るものの、現場での実行力、突破力、持続力は大したものだから、政治家でいえば渡辺喜美行政改革担当大臣・・・?
他方、最後の早慶戦構想そのものに絶対反対の立場をとったのが、早稲田大学総長の田中穂積(藤田まこと)。その論拠は「こんな国家の非常時に、あんな敵性スポーツを!」というステレオタイプのものではなく、既に国家権力からかなりにらまれている早稲田大学全体の立場を大局的に考えたうえでの総合的な判断。「否応なく戦場に行かなければならないのだから、せめて最後の早慶戦をやらせてやりたい」と主張する飛田説と、「不祥事が起きる危険性のあるそんなイベントを今やることは絶対に認められない」と主張する田中説は、さてどちらが正論・・・?
<どちらが正論?飛田穂洲VS戸田栄達>
さらに、戸田家の誇りであった長男栄一(久保田裕之)の戦死を聞いた父親戸田栄達(山本圭)は、最後の早慶戦ベッタリとなっている次男戸田順治(渡辺大)が腹立たしくて仕方ない様子。したがって、戸田家の仏間で展開される飛田に対する栄達からの攻撃は強烈だが、意外にもそれに強く反発したのが妻のしず江(富司純子)。長男に続いて次男も戦争で失う可能性のある今、せめて好きな野球だけでも思う存分やらせてやりたいと願うのは当然。したがって、「私はそんな立派な母親じゃありません!」と絶叫する富司純子の熱演は、あなたの胸を打つはず。
そんな論争は、飛田の突出したある決断によってピリオドを打つわけだが、この論争についてはしっかり勉強してもらいたいものだ。
<淡い恋物語の味付けも・・・>
この映画は、あの時代、あの局面の史実に則して65年前の1943年10月16日に行われた最後の早慶戦の意義をあらためて問う意欲作。しかし、それだけでは映画としては面白くないため、淡い恋物語の味付けも少しだけ・・・。
なぜ、早稲田大学野球部の合宿所に若杉トモ子(原田佳奈)のような若いベッピンが世話係をしているのかよくわからないが、この際そういうつまらない疑問は無視しよう。戸田順治と同室にいるのが、補欠の黒川哲巳(柄本佑)だが、彼はトモ子にゾッコン。しかし、今とは時代状況が全然違うあの時代、あの局面では、淡い恋心を打ちあけることはそれだけで大冒険。したがって、田舎者で臆病な黒川にはそんな芸当はやすやすとできなかったから、順治はラブレター作戦のアドバイスを。ところが、徴兵猶予の停止が決まった多くの部員たちが、次々と黒川より先にトモ子にラブレターを渡していくから、黒川とそれを応援する順治は戸惑っていたが、ある日、あるハプニングによってラブレターは遂にトモ子の手に。さて、淡い恋模様のその後の展開は・・・?
<明らかなハンディキャップが・・・>
田中総長の強硬反対論のため、「最後の早慶戦」が実現できるのかどうかはなかなか決まらなかった。そのため、試合に備えて練習するべきか、それとも試合はできないと見限り、入営日まで部員たちをそれぞれの本籍地で過ごすべきか、と悩んだのは慶應の野球部員たち。
早稲田の方は、何としても実現させるという飛田の強い意向を受けて全員が合宿所にとどまって練習していたのに対し、慶應側は主力を大量に帰省させ、試合開催となれば電報で呼び寄せるという体制をとることに。「最後の早慶戦」が「出陣学徒壮行早慶野球戦」として実現することが決まったのは、飛田が全責任を賭けて野球部単独で試合を受けると決断したことによるもの。
しかし、そう決まった時点で、練習量において早稲田側と慶應側に大きなハンディキャップがあったことは明らか。さて、その影響は・・・?
<試合は大味なものに?真のハイライトは?>
当時慶應の野球部には、1946年春のリーグ戦で主将を務めて優勝し、卒業後はプロ野球で大活躍した別当薫がおり、最後の早慶戦でも4番バッターとして出場したが、慶應のあげた得点は1点だけ。そのうえ、慶應のエース大島信雄投手は肩を痛めていたため投げられず、新人の久保木清投手が先発したのだが、3回まで何とか1点に食い止めたものの、その後は早稲田の怒濤の攻撃を食い止めることができず、結果は10対1の大差で早稲田の勝ちという大味な試合になったらしい。
この映画は史実に沿った映画だから、そういう事実を曲げるわけにはいかない。したがって、ハラハラドキドキの劇画のような試合を期待してもそれはムリ。しかし、歴史上の事実の中に感動もあるもの。試合終了のサイレンが鳴った後、早稲田の応援団から響きわたったのは、慶應義塾大学の応援歌『若き血』。応援団が敵方の応援歌を歌うとは前代未聞のことだが、試合終了後の互いの応援団によるこのエールの交換こそが、最後の早慶戦のハイライト!
2008(平成20)年6月21日記
<追記、『海ゆかば』が聞こえない>
原稿を書き終え、事務局長と妻そして厚生大臣ならぬ校正大臣の校正チェックを経ている間に、08年7月4日付産経新聞で東京特派員湯浅博氏の「『海ゆかば』が聞こえない」という、この映画に対する貴重な批判を発見したので、追記しておきたい。
湯浅氏は「小泉信三という存在には、いつのころからか深い共感を抱くようになっていた」とのこと。そんな湯浅氏が批判するのは、「慶大生が『都の西北』を、早大生が『若き血』を歌うと、期せずして『海ゆかば』の大合唱が早稲田の杜に響いた」にもかかわらず、「映画『ラストゲーム 最後の早慶戦』の試写を見ると、なぜか、最後の決定的な部分がすっぽりと抜け落ちていた」こと。つまり、「両校のエールが終えても『海ゆかば』が聞こえてこない」というわけだ。湯浅氏はそれを、「制作側はこの一点をもって物語を壊してしまった。『海ゆかば』を戦争歌として忌避する意思が働いたとすれば、制作側の不作為による政治化が見える」と批判している。そして、「右であれ左であれ、『事実そのものの発言を封ずる空気』(西義之東大名誉教授)は健康ではない。それは小泉信三塾長がもっとも嫌った作為ではなかったか」とまとめている。
さて神山征二郎監督は、この批判に対してどう回答するのだろうか・・・?歴史上の事実が湯浅氏の指摘するとおりであるとすれば、この映画はなぜそれをあえてカットしたのかについて、神山監督はきちんと説明すべき義務があると私は思うのだが・・・。
2008(平成20)年7月5日追記